僕は彼女たちと正面から向き合った①
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窓がないと、こうも時間の感覚は希薄になるのか……
僕と匡輔は緊急搬送された椿を追って、近くの総合病院まで来ていた。椿は一命は取り止めたものの、まだICUにいて、予断を許さない状況が続いている。
病室に一番近い椅子には椿の両親、その側には村松先生を筆頭とした関係各位が陣取っていて、僕と匡輔は少し離れたところで待機をしている。彼女は椿に付き添って救急車に乗って行ってしまったので、あれからまだ顔を会わせてはいない。
あのとき……
彼女は、普通の高校生ではなかった。
テキパキとした様子で瞬時に物事を判断し、医者の貫禄を見せていた。ピンチに興奮したり取り乱したり、声を荒らげることもなく、淡々と目の前の命に向き合っていたのだ。
彼女と僕が暮らす次元が違う云々かんぬんな話は、もはや定型文だから、今は敢えて省略する。
彼女は僕らと違って知識があるから、目の前で友達が生死をさ迷う状況になってしまったのは、怖かったに違いない。僕らには病状の多くを語らなかったけど、今も椿の元を離れないのが事の重大さを体現しているのだと思う。
でも彼女は、僕らにも椿にも弱気な表情は微塵も見せなかった。大人たちの訝しげな視線も冷静に交わし、自分のやるべきことに集中する。僕は彼女の実力を目の当たりにしたことよりも、医療従事者としての覚悟と言うものに少しだけ圧倒されていた。
そして何より……
その紺碧の瞳が放つ輝きは、とてもとても力強く見えたのだ。
外来患者がいなくなると、病院は一気に静かになる。秒針の音が、妙に気になる。看護師さんたちの足音が、時折キュッキュッと廊下に響く音だけが、この空間の時の経過を示していた。
僕と匡輔はただ静かに、椿の続報を待っていた。交感神経が最高潮に達した体内は、今もまだ鼓動の強さだけが落ち着かなかった。
「恒星、ありがとな 」
「えっ……? 」
唐突に話を切り出したのは匡輔だった。
何に対しての『ありがとう』なのか、明確な単語はない。だけど、そのニュアンスが彼女に向けられた言葉であることは、長年の付き合いで理解が出来た。
「怒らないのか? 」
「何を? 」
「麻愛のこと、黙ってたから 」
「そんな、怒るわけないだろ。命の恩人に向かってさ 」
「……ありがとう 」
「礼を言わなきゃならないのは、こっちのほうだよ。麻愛ちゃんがいなかったら、椿は病院に来ることすら出来なかったかもしれない。だから、本当に感謝してる 」
「麻愛は、自分のことを匡輔に説明したの? 」
「ああ。椿の処置を始める前に、一言だけ。私はイギリスでは医者の見習いだから、信じて欲しいって。今まで黙っててごめん、って言われたよ 」
「そう 」
僕は匡輔の答えに相槌を打ちながら、色々と考えていた。そもそも僕は彼女の秘密を知っていて、昔から医学部に通っていたことも、研修を終えて正規の医師免許を持っていることも承知している。長年の覚悟があるから、彼女の医師としての働きを目の当たりにしても、何とか咀嚼することが出来ている。
だけど、匡輔は違う。
匡輔は彼女が医者であるも、天才であることもついさっき知らされた訳だし、寝耳に水かつ常識では考えられない事情を彼女から告白をされたはずだ。普通ならば養護教諭の先生みたいな反応が一般的て、到底受け入れられるような話ではない。それなのに、匡輔は彼女が医者である事実を理解しているように思えた。それだけ彼女は自分のやるべきことに注力し、その気迫と熱量は、匡輔に疑念を与える隙も作らせなかったのだと思う。
「恒星 」
「…… 」
「麻愛ちゃんは、大丈夫だろうか? 」
「それは、僕にはわからない 」
「俺が言えた義理じゃないけど、麻愛ちゃんのこと、宜しくな 」
「まあ、僕に出来ることは、あんまりないとは思う 」
「でも、恒星は麻愛ちゃんの秘密を守りたかっただろ? 」
「それは…… 」
「だから、ごめん。椿も目を覚ましたら、同じことを言うと思うから、俺が先に謝るよ。それにさ、俺も椿も麻愛ちゃんとこれからも友達でいたいんだ。もしこれが原因で麻愛ちゃんが離れていったら、俺も椿もお前んちに足を向けて寝られなくなるだろ? 」
「…… 」
彼女の複雑な事情は、秘密にはしていた。そこには後ろめたい気持ちが、なかった訳ではない。
確かに……
下呂の街の人に彼女が医師であることを、知らせるつもりはなかった。
彼女が普通の高校生になってみたいって言ったから、僕はそれに加担した。そのこと自体に後悔はない。
だけど、彼女の本来の姿は医者だ。
だから本当ならば、秘密を貫くって言うと語弊がある。
彼女は医者であることが正であり、高校生を演じていたことこそが偽りであって、僕の複雑な胸中は口にすれば言い訳にしか聞こえないから、匡輔には説明の仕様がないのだ。
「今回のことでつくづく思い知った。俺さ、やっぱり椿のこと、一番大事だわ 」
「えっ? 」
「バカだよな。椿がこの世界からいなくなるかもしれないと思ったとき、初めてハッキリ自覚したんだよ。遅いよな 」
「そんなことは……ないと思う 」
「そうか? 」
「好きとか嫌いとか、そういうのって、タイミングとかきっかけがないと、わからないこともあると思うから 」
「そうかもな。俺さ、お前と麻愛ちゃんのことばっかり気になっててさ、肝心の自分のことが見えてなかったわ。俺たちは、いつでも良いって過信してたんだ。人は有限にしか生きられないのにな。俺さ、一生後悔するところだったよ 」
「そっか 」
「言っとくけど、俺は恒星にも感謝してるからな 」
「へっ? 」
「だからさ。俺、椿が目を覚ましてくれたら…… 一番最初に、好きだって伝えるわ 」
「ハイ? 」
僕は匡輔の突然の宣言に、声を上げて驚いた。
椿は奇跡の生還を果たして目を覚ました瞬間、匡輔から告白を受けるのか。なんとまあ、ドラマチックな展開なのだろう。一見、匡輔の決心は椿の心境なんてまるで無視な横暴にも感じられるけど、こういうものは勢いがないと進展しないこともあるのだと思う。
「椿と俺は家族みたいな感じで育ってきたけど。やっぱり、まだ赤の他人なんだよな。せっかく椿をこの世に繋げてもらったんだ。お互いに何となくは将来のことは意識はしてるけど、俺はこれからも、椿の側に堂々といられる確固たる地位が欲しい 」
「おい、匡輔。お前、それって、まさか…… 」
「俺は進学しなきゃならないし、椿は下呂に残るから。それなりの誠意は見せないとな 」
「…… 」
匡輔の中では、覚悟はとっくに出来ていたらしい。椿の意向の確認が無視されているのは、この際気付かない振りをしておく。だけどさっきの人工呼吸の辺りの潔さは、男の僕から見ても格好が良くて眩しく見えていた。
「ただなあ、恒星には一つ言っておかなきゃならないことがある 」
「何だよ、急に? 」
「椿の胸の感触は、今日をもって綺麗さっぱり忘れろよ。あと下着とか見たものも全部、脳ミソに消しゴムかけろ。つーか、麻愛ちゃんに頼み込んで、さっさと上書きさせてもらえ 」
「なっっッ…… 」
僕は踵を返すような匡輔の暴言の数々に、頭をカチ割ってやりたくなるような衝動を覚えた。
◆◆◆
病院内を少し歩いて、中庭のベンチに腰かけると、僕は大きく空を仰いでみた。四方を白い壁に囲まれた上部からは、箱庭から天を見渡したような、鈍よりとした雲が広がっている。まだ日は落ちてはないはいないけど、すっきりしない空模様だった。
今頃、匡輔は椿と正面から向き合っているのだろうか……
意識の回復具合は解りかねるけど、椿は危機を脱したらしい。関係各位の後、僕らも面会を許されたのだけど、僅かな時間ということだったので、僕は立ち会うのは遠慮することにした。
僕は彼女を置いて帰宅するのも気が引けて、一人で病院に残っていた。僕の手元には彼女の鞄があるから、会う口実くらいはあると思う。
だけど……
いざ、彼女を目の前にして、僕は彼女に何と声を掛けたら良いのだろう。僕らはともかく、彼女が実は医者であると言う事実は、おそらく学校中とご近所中に広まっているに違いない。
もう、今まで通りの、普通の平穏には戻れない。でも僕は彼女に助けを求めたことを、一切悔やんだりはしていない。同じ場面が二度三度と訪れても、同じ選択をするだろう。彼女もそこに関しては、理解をしてくれると思う。むしろ、その選択を僕が放棄しようものなら、彼女は一生僕のことを軽蔑するに違いない。
だけど衝動的な行動には、必ず対価を支払わなくてはならない。この先のことは、全くのノープランのままだった。
「……あっ、いたいた 」
「佳央理? 」
ガラスの戸をガラガラと引く音がして、僕は箱庭の入り口を振り返る。佳央理は紙袋を提げていて、少し乱れた髪型でこちらを見ていた。
「恒星、さてはメールを見ていないでしょ? めちゃくちゃ探して回ったんだけど 」
「メール? 」
僕は佳央理の指摘を受けて、慌ててスマホを確認した。ディスプレイには佳央理の着信の他に、母さんや父さんからの履歴が大量に残っていて、僕は思わずギョッとした。
「村松先生から連絡があったんだって。おばさんから、麻愛ちゃんと恒星の着替えを託されたから持ってきたの。今日はおじさんが外回りで忙しくて、おばさんが迎えに来れないからって 」
「ああ、ありがとう 」
そういえば、もう引いてしまったけど、さっきは必死だったから、制服は汗だくになっていた。
僕は紙袋を受け取ると、中身を確認する。紙袋の中には僕のワイシャツと彼女のブラウスが入っていた。
母さんも父さんも、僕と佳央理と彼女の間で面倒なことが起きているのは、全く関知はしていない。でも佳央理は、僕と彼女に鉢合わせるのを承知の上で、わざわざ病院まで来てくれた。それに佳央理がここにきたということは、つまりは彼女が医者である事実についても、既に説明を受けているに違いない。
つまり、何が言いたいのかというと……
僕は佳央理の本心がわからないでいた。
「あのさ、恒星。こんなところで話すことでもないけど、この前はごめんね 」
「ああ、いや、こっちこそごめん。その…… 急に、いなくなったりして 」
「ううん。いきなり抱きつくようなことをして、悪かったのは私の方だし 」
「…… 」
僕にとっては、地獄絵図の突入を意味していた。あれはアクシデントだったのだから、曖昧にしておけたはずなのに、それに追い討ちをかけるのは止めて欲しいところだ。
「麻愛ちゃんとは、仲直りは出来た? 」
「えっ? 」
「だって、麻愛ちゃん、怒っていたでしょ? 」
「それは…… 」
「私が言うのも変だけどさ、早く元に戻ってね 」
「…… 」
僕は、佳央理に後押しをされているのだと思う。
もしも彼女が僕以外の誰かを好きであったと仮定したとき、僕は自然を装って応援することなんて出来るのだろうか。
いや、そんなことは出来やしない。どんなに綺麗な言葉を並べても、手放すことなど容易ではない。
僕は佳央理に大切に思われている。
その気持ちは痛いくらいに、胸に突き刺さる。
だから、結論を出すのが嫌だった。
最初から彼女しかいなかったのに、僕はそれを明言したくはなかった。
だけど……
僕は彼女を堂々と守りたい。
彼女はこれから、色々なことと向き合わなくてはならない。
そしてその原因は、秘密に寄与してきた僕にも責任があるのだから、立場は明確にしておきたい。
僕は、そう思ったのだ。
「あのさ、佳央理 」
「……なに? 」
「僕は、佳央理に大切な話をしておきたいんだ 」
「そっか 」
佳央理は、徐に僕に向かって笑顔を作って見せる。そして、振り絞るように一呼吸つくとこう言ったのだ。
「私もね、恒星に伝えたいことがあって、ここまで来たんだよ 」




