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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は僕たちを加速させた
59/79

神は僕の将来を心配した

■■■




 暇だな…… 

 折角の夏休みだというのに、折り返し地点はとっくに過ぎている。

 序盤はアルバートが来たり、温泉まつりがあったりと、とにかく怒濤の忙しさだった。だけど一転、お祭りが終われば、僕の生活は一気に穏やかになる。やることと言えば、弓の稽古と雄飛閣(アルバイト)と、たまに図書館でする宿題だけだ。お盆の近辺は連日布団敷きでクタクタになったけど、僕は代わり映えのしない毎日を送っていた。


「ねえ、恒星 」


「ん? 何? 」


「ここ、わからないんだけど教えてくれない? 」


「……漢文? 」


「この返り点の打ち方がわからないんだよね 」


「ああ、これはね…… 動詞と目的語を探してひっくり返すところから始めるんだよ。だからこの場合だと、我は貪らざるを以て、宝と為すって感じかな? 」


「ああ、なるほどねえー 」


 お盆を過ぎても、下呂の街ではまだまだ猛暑日が続いていた。

 僕は珍しく、椿と二人で図書館にいた。全く手付かずな宿題を終わらせるために、協力プレイに出ていたのだ。

 元々はいつもの四人で来ていたけど、匡輔は文実の準備があるからと、昼過ぎ頃に学校に行ってしまい、彼女は(薬局)の手伝いのために先に帰ってしまった。ぶっちゃけ、彼女には高校生の勉強は必要がないことだし、やりたいことはいっぱいあるのだと思う。それでも律儀に学生生活をやり直している彼女には、頭が下がる思いだった。


「っていうかさ、ぶっちゃけ恒星は漢文とか古典って好き? 」


「はい? 」


「思うんだけどさ、漢文ってこれからの人生で出来ないと困るもんなのかな? 源氏物語とかは面白いから漫画で読んだりするけどさ、何か私の今後の人生に必要になりそうな気がしないんだよねー 」


 椿は声を潜めながら僕にそう呟くと、再びノートにペンを走らせた。椿の成績はいつも上位だ。赤点なんて勿論ないし、勉強が嫌いだなんて聞いたこともない。そんな人間からこんな消極的なコメントが聞かれるのは、少し意外な感じがする。


「さあ。ただ受験科目にあるってことは、その知識がある学生に通って欲しいってことなんじゃないの? 」


「でもさ、私は大学には行かないからなー 」


「えっ? 」


「私は卒業したら、就職するし 」


「就職? 」


「うん。普通に、そのまま雄飛閣に 」


「……そう 」


 薄々、そんな気はしていた。だから唐突に椿の進路を聞いても、驚いたりはしなかった。


「親の敷いたレールを歩くなんて、ダサいと思ったんでしょ? 」


「別に、そんなことは思わないけど 」


「そう? 私はちょっとズルいかなって思うけど? 」


「ズルい? なんでさ 」


「私が、外の世界を知ろうとしないから 」


「別に新しい世界に挑戦することだけが、美徳じゃないだろ? 僕は椿や匡輔みたいな選択は、恰好いいと思うよ  」


「あはは。そんなふうに言ってくれるのは、恒星だけだよ 」


「そう? そりゃ、どーも。お世辞でも嬉しいよ 」


 絶対的に、僕の本気の本心が椿にイマイチ伝わってはいないのはわかっていた。でも、こうなるといちいち訂正するのも面倒臭いから、深追いはしないことにしておく。


「あのさ、椿…… 」


「何? 」


「匡輔も、卒業したら直ぐに修行に入るのかな? 」


「それはどうだろう。匡輔は進学すると思うよ。商学部が経営学部か。いくら中小企業とはいえ、トップに立つわけだからね。従業員も抱えてるわけだし、ノウハウを学ぶってのは大事だよね。ただ都会に出たら、下呂に戻ってくるの嫌になりそうだけど 」


「匡輔に限っては、それはないだろ 」


「まあ、それだといいけどね。もし、匡輔が帰ってこなかったら、芦屋家から権利を買い取って、私と一緒に雄飛閣を共同運営しない? 」


「ハイっッ? 」


「アハハ、イヤだなー。恒星ったら、真に受けちゃって。冗談だよ、じょうだん! 」


「冗談ねえ…… 」


 何だかんだで、しっかり者の椿からそんな発言を聞くと、とても冗談とは思えない。


 椿はこの街で、匡輔の帰りを待つつもりなんだろう。

 だけど、もし匡輔が進学することになれば、外の世界を知ることになる。都会には何でもある。新しい世界を知れば、色んなことに興味が湧いたり、思考の変化もあるかもしれない。二人は小さな頃から一緒にいるけど、まだ家族ではない。絶対的な繋がりはないからこそ、物理的に匡輔と離れることに、不安とかはないのだろうか。


「恒星こそ、進路はどうする予定なの? 」


「えっ? 僕は…… まだ考え中 」


「そう 」


 高二の夏で、やりたいことも目標もない方が、よっぽど軽蔑の対象だ。将来の明確な目標もないのに、何のために勉強しているのかわからなくなっているのは、どちらかと言えば僕の方だ。


「まあ、恒星はお祖母ちゃん家が東京だし、鞠子ちゃんも岐阜にいるから、とりあえず進学してしまうのは手かもしれないよね。元々は都会育ちなんだし、もう一度上京するのだって拠点があるんだから、ハードルは高くないよね 」


「いやっ、姉ちゃんと同居とかマジでないから! 」


「ちょっ、恒星、急に声デカっッ 」


「あっ…… いや、その、先……じゃなくて、彼氏とかいたら僕はただの邪魔者だし。しかも姉貴の大学は国立だから、僕の頭じゃミラクルすら起こせないわ 」


「あはは、そんなに真っ向から否定しなくても。今のはあくまでも、物の例えだから 」


「でも、そうはいかないよ…… 」


「まあ、うちの兄貴も、あんまり明確なビジョンはないまま、東京に出たけどさ 」


「お兄さん? 」


「そう。私とは年が離れてるからね。もう下呂を出てからは、何年だろう? 恒星はあんまり印象にはないよね 」


「……いま、お兄さんは何をしてるの? 」


「今は都内の法科大学院に籍を置いてる。司法試験を目指してるの。でもそれも来年でチャンスが終わりだからさ、もしかしたら司法書士とか、ちょっと路線チェンジにはなっちゃうかもしれないんだけどね 」


「司法試験? 」


「そう。大学が法学部だったんだけど、勉強しているうちに目覚めたんだって。ドラマでさ、刑事事件専門の弁護士のドラマを見て感化されたんだってさ 」


「へー でも大学卒業して、法科大学院って金が掛かりそうだな 」


「まあ、うちは兄貴と私は年も離れてるし、そもそも私は進学しないから。出世払いで親も投資してるみたい。ただ法科大学院に行かなくても、司法予備試験ってのもあるみたいよ 」


「司法予備試験? 」


「かなり難しい試験らしくて、うちの兄貴はそれには通らなかったみたいだけど。その試験にパスすれば、法科大学院に行かなくても司法試験の受験資格が貰えるんだって 」


「へー 」


「弁護士って、恒星のような、正義の塊みたいな人には向いる職業だとは思うよ 」


「正義の塊? 」


「うん。恒星、自分に嘘つくの嫌いでしょ? 」


「それは…… 」


 僕は無意識に、椿の発言の問いを保留していた。

 僕は沢山の嘘と秘密を抱えて、生きている。

 ときに、後ろめたく感じることすらあるのだ。


 でも、それは一つも自分のための嘘ではない。だから椿の言っていることは、的を得ているわけであって、それが偶然なのか意図的な発言なのかは、僕には判断が出来なかった。



◆◆◆




 僕は椿と別れたあとに、本屋に立ち寄った。

 都会のお店と比べたら広くはないけど、一通りのラインナップは揃っている地元民御用達の書店だ。

 全く他意はないし、無茶無理無謀なことは百も承知なのだけど、椿から聞いた司法試験の話にほんの一寸の興味が沸いたのだ。


 世間知らずで、知識に疎い僕でも、さすがにこれは知っている。

 司法試験は、文系の中では、最難関クラスに難しい国家資格だ。だから今、僕がそれを調べているのは、ただの興味本意の域を過ぎない。だけど何故スマホで調べないのかとツッコまれたら、僕には弁明できる余地はない。ネットで物事を調べると、否が応でも他人の意見だとか、口コミが必ず僕の視界に入ってくる。一番最初に知る情報は、フラットな感情で手に取りたいと思ったのだ。

 僕は本を開くと、手っ取り早く合格率を調べてみた。椿のお兄さんが目指していたという司法予備試験の突破率は約4.2パーセントと、かなりの狭き門だった。そして本番の司法試験の合格率は、近年は25パーセント前後で推移しているらしい。といっても、司法試験は法科大学院を卒業しなくては受けられないし、そもそも入学自体が難しい。つまり、安易に目標にできるような代物ではないのだ。


「あれ、恒星? 」


「へっ? 」


 僕が一憂一憂しながら、漫画雑誌並みに分厚い職業紹介を真剣に熟読をしていると、後ろから聞き馴染みのある声に呼ばれた。一瞬、本屋のおばさんに立ち読みを咎められたのかと思ったけど、相手の顔は見知った人間だった。


「佳央理? 」


「恒星、こんなところで何してるの? 」


「えっ、いや、それはその…… 」


 僕は咄嗟に口ごもると、手にしていた指南書を脇に隠した。でもまあ、ちょっとした漫画雑誌くらいの存在感だ。押しきるにしても無理があるのは、自分が一番良くわかっていた。


「んっ? それ、職業紹介書じゃん? 恒星、もしかして少しは進路を考える気になった? 」


「あっ、いや…… その 」


「別に、そんなに焦らなくてもいいよ。おばさんたちには言わないし、それにどのページを見てたかもわからなかったから安心して 」


「…… 」


 僕の動揺を察したのか、佳央理は深追いはしてこなかった。そして佳央理は何事もなかったように、目の前にある本を手に取ると、その中身を確認し始める。佳央理の手にした本の表紙に並んでいた意外な二文字の単語に、僕は釘付けになっていた。


「ん? どうかした? 」


「いや、えっと、その…… 」


「恒星も、留学に興味があるの? 」


「留学? 」


「うん。私はちょっと興味があってね。でもするとしても、看護師としてちゃんと働いてからだし、頭が追いつけばの話だけどね。イギリスの看護制度に興味があって、ちょくちょく調べてるの 」


「イギリス? 」


「うん。あれからアルバートとね、たまに連絡とってるの 」


「ハア? 」


「ちょっ、変な誤解しないでよ。英語が難しいから、そんなに頻繁にって訳ではないから。イギリスって、看護学が凄く発達してるの。それで、アルバートから、看護留学って存在を教えてもらったの 」


「へー 」


「私は専門卒になるから、NMC(The Nursing and Midwifery Council看護助産師協議会)に単位を認めてもらって、学士進学か編入しなきゃならないんだけどね。それもまた難しそうだし 」


「……? 」


 佳央理が何を言っているのか、僕にはさっぱり訳がわからなかった。どうやらイギリスで看護師として働くためのプロセスを説明しているようだけど、どうやらその道のりは険しそうだ。


「まあ、要するに看護留学は大変ってことよ。興味を持ったはいいけど、成し遂げようとするのは難しいこともあるんだよね 」


「はあ…… 」


 アルバートと言えば……

 あの近辺は忙しくて、僕は記憶の中からすっかり忘却していたのだけれど……

 僕は唐突に、飛騨高山でアルバートが別れ際に口にした、意味深な単語を思い出していた。


「あのさ、佳央理 」


「ジェームス・ミランダ・バーバリー? って知ってる? 」


「ん? ジェームス? って、誰それ? 」


 佳央理は僕の発言を聞くなり、眉間にシワを寄せて口調を強めた。


「あっ、いや、知らなければいいんだ。偉人か誰かの名前か何かだとは思うんだけど、正確な名称がわからなくて。調べるに調べられないんだ。 別名はマーガレットとか言うらしいんだけど…… 」


「マーガレット? 」


 佳央理はマーガレットという単語を聞いて合点が言ったのか、その場でパタンと本を閉じた。


「それを言うなら、()()()()()()()()()()()()()()()じゃない? 」


「ジェームス・ミランダ・バーリー? 」


「私も詳しくは知らないけど…… 医学史の授業で聞いたことがある。確か西洋で初めてカイザー(帝王切開)を成功させたお医者さんだよ。だいたい150年くらい昔の人だったと思う 」


「へー 」


 そんな昔の偉大な医師と、彼女との間に一体どんな関係あるんだろう。

 何が何だか全くわからないから、それこそ後でグーグル先生に聞いてみるしかない。僕は今度こそ忘れまいと、スマホのメモに【ジェームス・ミランダ・バーリー】と打ち込んだ。


「あっ、そうそう。ジェームス・バーリー医師は、その偉大な功績でも有名なんだけど、一般的には とんでもない言い伝えがあるので知られてるんだよね 」


「言い伝え? 」


「そう。実はジェームス・バーリー先生は本当はマーガレット・アン・バルクレーって名前で、実はイギリス初の女医だったんじゃないかって、言われてる人なんだよね 」







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