神は花火の美しさを僕らと共有した④
◆◆◆
「ところで、恒星。花火は、いつ始まるんだ? 」
「えっと、そうですね。あと五分もしないうちだと思います 」
「そう。じゃあ、もうすぐか。もしかして、気を使ってくれたのか? 」
「まあ、一応 」
「そりゃー、どうもご苦労さん 」
先生はそう言うと、スマホのディスプレイを確認した。画面は少しヒビが入っていて、僕がその内容を伺い知ることは出来ないけど、大人でも買い換えとかは面倒なのかと思うと、親近感が沸いてしまう。
選んだ手段は強引ではあったけど、後悔はしていない。
僕は先生を飛騨川の河川敷まで誘導すると、ゆっくりと岸辺へと降りていく。【いでゆ大橋】は見物人でごった返していたけど、河原は広いからそれほど密な空間でもない。
彼女と約束した場所には、華奢な女性のシルエットが二人、既に肩を並べて腰を下ろしていた。二人とも浴衣を着ていて、団扇で涼を取っている。辺りは既に暗闇が広がっていて、花火を引き立たせるために街灯も最低限に抑えられている。先生は面倒臭そうな顔はしていたけど、僕の後ろを静かに付いてきてくれた。
「麻愛、姉ちゃん。お待たせ 」
「恒星…… なに考えてんのっッ! このアホっッ 」
僕の呼び掛けに反応して、姉貴がその場で立ち上がる。姉ちゃんも浴衣を着ていて、粧し込んではいるけれど、その声色は明らかに怒っている。どうかしたら殴られそうな勢いだったけど、幸いなことに姉貴は和服のハンデで裁きは鈍くなっていた。
「……よう、鞠子。久し振りだな 」
「先生っッ、すみません。うちの弟が無理やり連れ出すようなことをして 」
「別に、気にしないでいいよ 」
「でも…… 」
「いいんだ。赴任中に一回くらい、ちゃんと来てみたいと思ってたし、ちょうど良かったよ。恒星に、もっと下呂のことを学べって連れてこられたんだ。温泉まつりにはほぼ初めて来たけど、やっぱり華やかだな 」
「ええ、まあ、そうですね 」
「それに教え子の一張羅も見られたし、いいんじゃないの? 」
「へっ? 」
「……花火も楽しみだしな 」
姉貴と先生は、妙に余所余所しいやり取りをしていた。本当に、この二人が会うのが久し振りなのかは僕は知らない。だけど、姉貴は暗がりの中でもハッキリとわかるくらい、思い切り頬を赤く染めていた。
先生は少しだけ辺りを気にするような素振りを見せたが、姉貴の隣に腰を下ろしたので、僕も呼応するように先生とくっついて河原へと座った。出来ることなら、彼女と並んで花火を見たいところではあったけど、そうなると 万一のときに言い訳が立たなくなるのでそうもいかない。自分でこうすると決めたのだ。文句を言える立場にもない。
姉貴はというと、身を乗り出して、僕をギロリと睨んでいる。その向こうでは、彼女が明らかに苦笑いを浮かべていた。恐らく僕らが来る前に、姉貴から不意打ちを仕掛けた件について、散々文句を言われたのだろう。彼女には悪いことをしてしまった。
一方、先生はそんな姉貴の様子を気に留めることなく、物珍しそうに祭りの風景を眺めていた。姉貴のプチヒステリーをあっさり流している先生は、改めて大人なのだなと感じてしまう。
覚悟していたはずだった。
それなのに、その一つ一つの姉貴と先生の距離感を間近で見ると、二人が本当に交際しているのだという絵空事みたいな話は、真実であるのだということが強く感じられた。
「そういえば…… 御坂は、日本のお祭りは初めてか? 」
「はいっ。この四日間、本当に毎日楽しかったですっ 」
「そっか。それなら良かったな。浴衣着るのも初めて? 」
「はい。浴衣はマリコのを借りました 」
彼女は先生の質問に答えると、その場で袖を広げるような仕草をした。彼女の浴衣には水色で大きな花があしらわれている。そして姉貴の浴衣は艶やかなピンクの柄で、足元には細かな柄が描かれていた。
「そっか。御坂のは、紫陽花の模様か? いい柄だな。鞠子のは…… 鞠が描いてあるんだな 」
「えっ? あっ、そうですけど…… 先生、よくわかりますね 」
「そうか? そんなの見ればわかるだろ 」
「男性って、着物の柄とか疎そうなのにね。恒星なら絶対わからないでしょ? 」
「まあ、確かに僕はわからないかな 」
僕はそう答えると、隣に座っている先生の様子を伺った。先生はまだイマイチ僕の発言に納得ができないのか、首をかしげていた。
「そんなことは、ないと思うけどな。わからないのは恒星だけだろ。つーか、鞠は良縁の象徴だから、着物の柄に刺繍して親が子どもに送る文化があるんだよ 」
「えっ? なんで、先生がそんなこと知ってるの? 」
「何でって…… 昔、興味があったから、調べたんだよ。名前に入ってるから、気になるだろ 」
「…… 」
僕も姉貴も多分向こうにいた彼女も、先生の言葉には驚いていた。
先生は、もう何も遠慮はしていなかった。
まあ、僕に告げた時点で、そのつもりだったのかもしれない。そして、彼女が先生と姉貴が交際している件を知っていることに関しても、黙認してくれたようだった。
◆◆◆
初めて、僕が温泉まつりの花火を見たのはいつのことだったのだろうか……
多分、物心がつく前から、僕はこの風景を肌で感じていて、気づいたときには家族やじいちゃんや佳央理たちと一緒に見ていた。そして引っ越してきてからは、匡輔や椿と時間を共有したこともあったと思う。
不思議なことに、あの日の花火の輝きはさっぱり記憶がないのに、隣にいた人の横顔は手に取るように思い出せる。
大好きだった爺ちゃんの眉間のシワの深さとか、匡輔と椿とはしゃいだこととか、父さんに肩車してもらったこととか、その光景は脳裏に焼き付いて消えることはない。
人間は日々の営みを積み重ねるたびに、いろんなことを忘れていく。
だけど、強烈なインパクトがある出来事は印象に残りやすい。
思い出のフィルターは、人間の記憶に深く刻み込まれる余地がある。だから僕はそんな当たり前の経験を、どうしても姉貴たちもして欲しいと、思ってしまったのだ。
音楽と共に花火が飛騨川の上空で、キラキラと閃光を放っては散っていく。その輝きは黄色、緑、赤と次々に色を変え、温泉街の町並みを携えて、輝きと闇夜を繰り返し、僕らはいつの間にかその光の粒に夢中になっていた。
ちょっと周りを見渡すと、いつのまにか僕らの周りは、肩を寄せ合い、手を絡めているような観光客カップルで溢れていた。僕は慌てて横目でチラリと確認してみたけど、先生も姉貴も彼女もスマホを向けることもなく、ただただ花火を見つめている。二人は一切そんなオーラに飲み込まれることなく、真摯に花火と向き合っていた。
そういえば……
当初の予定では、僕は彼女を誘って、二人で花火を見るつもりだった。
まあ、結果として少し距離はあるものの、一緒の時間を過ごすことは出来たわけだ。そもそも彼女が僕とサシで観賞したいと思っているかは謎だし、確かめる術もない。だから、これで全て万々歳だということにしたければ、それまでだとも言えるかもしれない。
僕は地面に手をつき、胡座をかいて花火を見つめていた。ハイシーズンになれば、毎週末 打ち上げ花火は見ることが出来る。だからタイミングが合えば、また彼女と見ることは可能かもしれない。
チャンスがないわけではない……
それは、欲に走ればバチが当たると、僕が思ったまさにその瞬間の出来事だった。
火薬が燃える匂いに紛れて、僕の鼻腔に、仄かに甘い香りが漂ったのだ。
「えっ? 」
「来ちゃった 」
彼女は一言そう言うと、僕の隣へと腰を下ろす。そしてピタリと肩をくっつけると、ほんの少しだけ僕に体重を預けたのだ。
「ちょっ、麻愛? 」
「大丈夫だよ。みんな花火に夢中だし、学校のみんなはいないもん 」
「そっ、それはそうかもしれないけどっ 」
いや、どっちかと言うと……
今の僕はそっちの心配より、完全に自分の心配をしていた。不意打ちでこんな可愛いことをサラリとされて、平気な男がいるのだろうか?
いや、居るわけないだろう……
「ちょっと距離を取ってあげないと。それに…… 」
「ちょっ 」
彼女はそう言うと、さらに僕への寄りかかりを強化する。
ちょっと待て、ちょっと待て、チョットマテー!
勘違いしそうになるから、それは駄目だ。
でも、本気で拒否したいわけでもない。
僕はほんの数秒の間に、理性と情熱の間で頭の中を大混乱させた。だけど、次に彼女に言われた一言で、何だか全てがどうでも良くなった。
「……私はコーセーと一緒に花火見たい 」
「えっ? 」
「そういえば、まだ聞いてなかったんだけど 」
「…… 」
「コーセーから貰ったかんざし、ちゃんと似合ってるかな? 」
「ああ、とても…… 似合ってると思う 」
「……ありがとう 」
彼女は花火そっちのけで、そう僕に声を掛けると、急に自分の膝のなかに埋めてしまった。
その、ちょっとした仕草が僕の胸の奥をグイグイと鷲掴む。僕の鼓動は、花火が弾ける音につられるように、ドクンドクンと大きく高鳴っていた。
「コーセー 」
「……どうしたの? 」
「ここに来たとき、私はコーセーと約束したのにね。毎日毎日、約束を破ってる。ごめんね 」
「約束? 」
「守れそうにない約束はしちゃ駄目なのにね 」
「…… 」
もちろん、僕は忘れてなんかいなかった。
飛騨川で彼女と初めて望んだ夕陽の風景も、胸が押し潰されそうな苦しい言葉も、忘れたりなんかできなかった。
そもそも、あれは約束ではないと思う。
どちらかというと、彼女の一方的な宣言だった。
だけど、僕だってそれを履行もらうつもりなんて、さらさらない。だって、想い出ってそういうものだから、ずっと頭から離れない宝物になっていくんだろ?
姉貴と先生は、これから限られた環境の中で、少しずつゆっくりと思い出を共有して、永遠の時間を寄り添っていく。
でも、僕らは違う。
僕は、彼女の思い出になると決めたのだ。
覚悟しとけ。僕にだってプライドはある。
彼女が日本に来て良かったと思えるような気持ちになるくらいには、爪痕を残す気合は十分に持ちあわせているのだ。
爆音と共に、煌めいては散るを繰り返す。
その輝きの瞬間を切り取れない花火は、刹那の美しさだった。
このときの僕は、あわよくば来年もギリギリ彼女が僕の隣にいるかもしれないと、淡い期待を寄せていた。
だけど、それは浅はかな考えだったのだ。
見えない未来の保証など、神様だって願い下げだ。
ましてや彼女は医者で、万一の時は求められる存在だ。
あのときの僕は、彼女と季節を一周する思い出が作れる儚い未来に、疑いの余地がなかったのだ。




