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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は僕たちを加速させた
54/79

僕は再び姉と対峙した

■■■



 毎年八月一日から開催される、下呂温泉街の夏の最大のイベントが【下呂温泉まつり】だ。


 このお祭りは四日間に渡り催され、五頭の龍が光と炎の中を勇壮に乱舞する【龍神火まつり】を皮切りに、湯の華みこしパレードや下呂おどりなど毎日 日替わりでイベントが行われる。

 最終日の夜には、飛騨川沿いで【下呂温泉花火ミュージカル夏公演】が催され、祭りのクライマックスに花を添える。温泉街のど真ん中で繰り広げられる壮大な音と花火のライブショーは、毎年多くの観光客が訪れる夏の風物詩だ。


 さて、匡輔が気合いをいれて練習に励んでいた龍神火まつりは、初日に無事に完遂された。僕は屋台の番で灼熱の中、焼おにぎりの調理に集中していたので見に行くことは出来なかったけど、花火や炎を使った演目で毎年注目の的でもある。帰ってきた彼女が物凄く興奮していたので、きっと大成功したのだろう。


 二日目も祭りは滞りなく進み、湯の華みこしパレード、下呂おどり、民踊ながしと、小学生の頃に自分が参加した演目が続いていた。民族流しが始まると、白鷺橋の周辺では観光客と地元住民の踊りが入り交じる。ふるまい酒やうちわのサービスが始まる頃には、僕の鉄板との戦いもピークを迎えていた。


 初日と二日目は、大した事件も事象は起きなかった。というわけで、祭り折り返しとなる今日の三日目の戦いも、平和に行きたいところだけど、そう簡単には押しきれない。


 何と言っても、今日は僕のなかで直近最大級の悩みの種、姉貴が帰郷するからだ。

 正直、僕は三日目も朴葉味噌焼おにぎりに全力を注ぐから、姉貴とサシになる予定はないし、そんなシチュエーションは絶対に避けるから、取り敢えずは問題ない。それよりも、今回の一番の難関は、僕が一方的に抱いている複雑な感情を姉貴に悟られないことがミソになってくる。とにかく僕のなかで事態の消化が出来るまでは、正面から向き合わないのがお互いのためだ。

 一方の彼女はというと、連日はしゃぎ過ぎたらしく、今日はまだ家で涼を取っている。夕方になったら姉ちゃんが来るから、夜になったら母さんに浴衣の着付けをしてもらうそうだ。


 お昼を過ぎた頃になると、地元民は、万里集九祭・林羅山祭に参加するために、下呂駅の方面へと一同が大移動していた。

 この街の生活の糧は、温泉だ。

 代々、この祭りは温泉に感謝を伝え、更なる発展を願うことに由来する。だから今日は参進行列が粛々と、下呂駅から温泉寺を練り歩く行事が催されるのだ。


 僕の体力は日増しに暑さで削がれてはいたけれど、朴葉味噌焼おにぎり飛騨牛のしぐれ煮入りは毎日飛ぶように売れていた。初日は焼きの専門だったのに、三日目の僕は、おにぎりを握るところから担当している。我ながらセンスはあるかもしれないと、自画自賛の境地だ。

 正午を過ぎ、日差しは煌々と照りつけていたが、地元民は大半が練り歩きに参加してしまい、屋台の周辺はだいぶ人気(ひとけ)が引いていた。


「暇だな 」


「ああ、暇だ 」


 僕は匡輔と二人で、屋台の店番に励んでいた。今はお客さんも疎らだから、鉄板の火は落としてはいるけど、それでも気温は灼熱だ。僕はとうとう作務衣を着続けることに限界がきて、今日は上着は脱いでTシャツ姿になっていた。今すぐにでも飛騨川(阿多野谷でも可能)に飛び込んで、頭から水を被りたい気分だった。


「そういえばさ、龍神の演目、凄く良かったって麻愛が言ってたよ 」


「えっ、そうなの? サンキュー、それは嬉しいなぁ 」


 匡輔はそう答えると、半分凍らせたペットボトルの中身を一気に煽った。僕はこの数日間、ただただ屋台の番をしているだけだが、匡輔は出し物やイベントにも参加したり陣頭指揮を取ったりと、何かとバタバタ動いている。要するに、めちゃくちゃタフなのだ。


「あれ? そう言えば、今日は麻愛ちゃんは? 」


「ああ。まだ家にいる、と思う。ここには今日は来ないらしいけど。最近は張り切ってたから、少し疲れてるんだろうな 」


「これだけ暑い中、働いてもらってたら、さすがにバテるよな。麻愛ちゃんには、悪いことしたな 」


「ああ。でも夕方からは、うちの姉貴と祭りを巡るんだと 」


「へー 鞠子ちゃん、帰ってくるんだ 」


「ああ、まあね 」


 まあ。僕としては、今は全く会いたくはないんだけど…… という言葉は飲み込んで、僕は匡輔に返答した。

 匡輔たちにとっても、姉貴は年は違えど幼馴染みの一人だ。ましてや、村松先生は担任だし、二人のただならぬ関係を聞いたら卒倒しかねない。僕が麻愛に抱いている気持ちは見破られたけど、姉貴のことは絶対に秘密厳守な案件だ。


「あ、そうそう。恒星、明日は屋台は大丈夫だからな 」


「へっ? いや、でも四日間は手伝う約束だからさ 」


「もう十分だよ。ありがとな。明日は、俺も一日フリーだし、椿もいるからさ。だから最終日の花火は、麻愛ちゃんと見ろよ 」


「なっ…… なんで、そこで麻愛が出てくるんだよ? 」


「おいおい。一応、こっちも気を使ったつもりなんだけど? 」


「別に、余計なお世話だよ 」


「つーかさ、ぶっちゃけ麻愛ちゃんは、いつまでここにいるんだよ 」


「えっ? 」


「麻愛ちゃんは、そのうちイギリスに帰るんだろ? 」


「それは…… 」


 次の誕生日 来年の七月二十五日を迎えるとき、彼女は名実ともに医者になる。という事実は、うちの家族しか知らない。他の人には言ってないし、まあ、アルバートにも共有はされているけど、ここには居ないから どうでもいい。

 要は、何故匡輔がそう思ったのだろうか…… 

 僕としては意外な言葉に、驚きを覚えたのだ。


「何で、匡輔にそんなことがわかるんだよ? 」


「そんなの、なんとなくだよ。特に理由なんてない。よくわからんけど、あの子がわざわざ他人の温泉街に居候しにくるなんて、何か特別な事情があるんだろ? 」


「別に…… そういうわけじゃ、ないけど 」


「それよりもだ。麻愛ちゃんがイギリスに帰ったら、あのイケメンがいるんだぞ? そしたら一気に形勢逆転だからな 」


「それは…… 」


「とにかく、いいんだよ。友人の好意は、有り難く受け取っとけよ 」


「ありがとう。そしたら、明日は有意義に使わせてもらう 」


 僕は突然の匡輔の神対応に何といっていいか、わからなかった。

 そうだ。彼女は近い将来、イギリスに帰る。

 今まであまり考えてはこなかったけど、これから先の四季折々の体験は、おそらく彼女にとっては一生に一度の体験ばかりだ。


 匡輔の配慮には、素直に感謝だ。

 僕は、自分の個人的な気持ちを優先するつもりはない。だけど僕は彼女と沢山の思い出を共有したいし、いま下呂にいる間だけは彼女と一緒にいたい。


 好きな人が隣にいること。

 それが、とても奇跡みたいなことであること。

 僕はそれが如何に難しくて、素敵なことでたるのか、毎日毎日 誰よりも身を持って体験しているのだ。 




◆◆◆




「あっちー マジで溶けそうなんだけど…… つーか、蝉が煩いんだけど、いったい何処に潜んでいるんだ? 」


 僕は壮大な独り言を呟きながら、日差しが照りつける【いでゆ大橋】を一人で寂しく歩いていた。

 駅の方からは参進の行列が、温泉神社に向かって歩いている。つまり僕は神聖な儀式を行っている団体と、思いっきり逆方向を進んでいるわけなのだが、雄飛閣に用事があるのだから仕方がない。連日の労いを兼ねて、雄飛閣で休憩がてら、冷たいものを出してくれる手配を匡輔がしてくれたらしい。だけど正直なところ、屋台がある白鷺橋界隈からは僕の自宅までの方が近いから、辞退したほうがより早く涼むことが出来たのは考えないようにする。


 橋の目下を覗き込むと、そこには相変わらず飛騨川の雄大な流れが広がっていた。中には暑さに耐えかねてか、河原では足元を水につけてる人もいる。

 その日常は、僕にとっては息をするのと同じくらいの見慣れた風景だ。だけど彼女とか観光客の人にとっては一瞬一瞬の光景が、一期一会の思い出になる。どうもその感覚というのは、未だにピンとはこないし、何だか不思議な気分になる。

 日常に埋まるイレギュラーは、なかなか目には見えないけど、それが自分の手から泡のように消えてしまうと、途端にその事柄の本質がわかる。


 僕にとって、いま不必要なもの……

 そんなものは、ないハズだ。

 もし、そんなものがあるとするならば……

 それは、子供っぽくて(くだ)らない意地の塊だけだ。


 僕は少しだけ息をつくと、また歩道の方へ身体を向ける。どちらにせよ進まなければ、この火照った身体を冷やすことはできない。目の前は、相変わらず陽炎のような熱気に溢れた風景が続いている。


 その時だった。

 僕は数メーターほど先の参進行列に混じって、荷物を抱えた一人の女性の姿を見つけたのだ。無駄にショートパンツを履きこなし、トップスはペラペラなタンクトップを見事に着こなしている。

 遠目であっても、僕が見間違えるはずがない。

 それは、僕のたった一人の姉だからだ。


「恒星…… 」


「姉ちゃん…… 」


 離れていたから、声は聞こえない。

 けれど口元の動きの雰囲気で、姉貴が僕の名前を呼んでいるのは手に取るようにわかっていた。

 そして僕もその呼び掛けに無意識で呼応する。

 このときにはもう…… 僕が逃げこむ隙はなかったのだ。


 予定を変更せざるを得なかった。

 僕は姉貴に誘われるがまま、言葉少な目に飛騨川の河川敷まで移動すると、橋桁の影に腰を下ろした。

 昼過ぎの今の時間帯が一番暑さのピークとあってか、辺りには人は誰もいない。この光景は、まさに数週間前のデジャブそのものだった。


 沈黙が続いた。

 今、ここに僕が姉貴と二人でいる状況がすべてだった。

 大きな鞄を挟んで、無言のままの妙齢の姉弟が二人、飛騨川を見つめている。端から見れば、その光景は借金取りに付け回されてる姉弟の最果ての姿にも見えそうだ。そのくらい、僕らは沈んだ顔をして、川の流れと向き合っていた。


「あのね…… 」


「何? 」


 姉貴が堰を切り、僕に話をしようとする。

 まあ、それは当然の流れだろう。僕には、説明責任を果たす事柄は何もない。けれども、僕は正直なところ姉貴の口から聞きたい話は一つもなかった。


「先生から聞いたの。恒星に私たちのこと話しちゃったって。驚かせて…… その、ごめんね 」


「そう 」


 いざ姉貴の口から聞くと、さすがに堪えるものがある。絵空事のような話が、急に目の前でハッキリと輪郭を見せるような感覚だった。


「あと、常識もなくてごめん 」


「……別に謝らなくていいよ 」


 僕は姉貴を宥めると、ますます複雑な心境になった。

 姉貴はただ好きな人といたいだけなのに、その事実を話すたびに、相手に謝罪をしなくてはならない。その姉貴を苦しめる透明な壁が見えたような気がして、単純に辛かった。


「あのさ、答えたくなかったら別にいいんだけど、いつ頃からなの? 」


「……二年の夏頃から 」


 想像していたよりも早い交際時期に、僕は思わず胃の辺りがざわつくような気持ちを覚えた。つまり丸三年くらい、姉は周囲に悟られることもなくこの爆弾みたいな現実と向き合っていたのだということなのだろうか……


「でも高校生の頃は、デートしたこともなかったし。学校で勉強を見てもらったりしてたくらいで。ほんと、名称だけというか、形だけというか。ただ先生の隣を予約をしていただけみたいな感じだったし 」


「そうなんだ。僕はこの前、先生に言われるまで、全くわからなかった。凄いね、辛くないの? 」


「私は別に…… 今だって遠距離だから、高校の頃から近くにいられない状況は変わってないし 」


「この前なんか、先生と姉ちゃんが一緒にいるのを僕は見たハズなのに、全然疑うって発想にはならなかった 」


「うん。まあ、演技するのお互いに慣れてるからね。でもね、この前、学校に行ったのは本当にただの進路相談だったの。私は大学院に行くか迷ってて、そしたら先生がやりたいことがあるなら行った方がいいって。で、電話じゃ埒が明かないから、こっち来いって言ってくれたの 」


「そうだったんだ 」


 姉貴はコクリと頷くと、体育座りする膝の間に顔を埋めていた。

 姉貴はあの日、僕に()()()()()()()()()ことを理由に、大学院の進学を悩んでいると言っていた。

 勿論、それは理由の一つではあるだろう。

 だけど、姉貴はもう一つ問題を解決しなければならなかったのだ。


「夢も追いかけたいけど、院に行けば先生とずっと離れたままになる。八つ違いだから、私が学生を終える頃には先生はアラフォーだし。それから社会人として軌道に乗ってから家庭を……ってなれば、十年近く先生を待たせることになる。それなら、先生は私みたいな子供の成長を待つんじゃなくて、もっと年が近い人と、早く家庭を作って穏やかに過ごせる時間を増やした方がいいって。そう思ったの 」


「でも、先生は背中を押してくれたんだ? 」


「うん。そしたら、そんなこと思ってたのか? これまで散々危ない橋を渡ってきたのに、今さら手放すわけないだろうって言われたの 」


「先生、そんなこと言うんだね 」


「あっっ…… これは、村松先生には内緒にしてね。恥ずかしいね。こんなノロケみたいな話、初めて人に話したよ 」


「わかったよ 」


 将来の義兄の弱みという最強の手札を、簡単に切ったりはしない。こっちだって麻愛というカードを握られているのだから おあいこだ。


「姉ちゃん、あのさ。一応、聞いときたいことがあるんだけど 」


「……何? 」


「父さんと母さんは大丈夫だったの? 」


「…… 」


「よくは思ってはないと思う 」


「そう 」


 僕は想定内の反応に、少しの安堵を覚えた。

 反対はしていないけど、よくも思っていない。

 姉貴には悪いけど、僕が抱いた感情と両親の感覚が似通っているのは、正直ホッとする部分があった。


「でもね、私の人生だからって、お父さんもお母さんも婚姻届に印鑑を押してくれたの。私はまだ未成年で学生だし、先生にとって元教え子に手を出した事実は一生ついて回る。だからどうしても自己防衛をしなきゃいけなくて。大学入って暫くして、お母さんに相談したの 」


「そっか。母さんたちも驚いてた? 」


「うん。まあね。去年の名古屋の学会でお父さんとお母さんが上京してきたときに、私と先生が出向いて顔合わせしたんだ。さすがに名古屋なら、知り合いに見られる心配もないし。親不孝者だなって、あのときが一番強く感じたかも。だからね、せめてちゃんと勉強だけはして、立派な社会人にはなりたいって思ったの 」


 声は小さかったけど、姉貴の口調はとてもしっかりしているように感じた。

 姉貴の最優先は、そのうち完全に村松先生になる。そうやって、大人たちは新しい家族を作って世界を紡いでいくものだ。それは僕だって小さい頃から遺伝子レベルでわかっていることのはずだった。それなのに、いざその現実を目の前で突きつけられると、こうも寂しいというか疎外感を抱いてしまうことなのだと気づいてしまう。


「恒星、あのね…… 」


「何? 」


「先に一つだけ言っとくね。私はこの先、仮に先生とうまくいったとしても、一緒には下呂の街には帰省したりしない 」


「ハア? 」


「だって、先生と一緒にいるところを見られたら、ご近所さんから好奇な目で見られるのは、お父さんとお母さんだもん。それに恒星にだって、迷惑かける 」


「いや、僕は別に気にしないし。それに、母さんたちも…… 」

大丈夫だろ、と言葉を続けそうになったが、それは寸前で飲み込んだ。憶測だけで気軽に話せる内容ではない。それに僕自身も暫くは、正面から向き合っていかなくてはならない話だからだ。


「私はいい。私が先に先生を好きになったし、失うものは何もない。でも、お母さんたちは違う。

ここは小さな町だし、娘の私のせいで変わり者とか、陰口を言われるようなことにはしたくない。

それに教師は聖職者なのに、不文律を破って生徒と関係を持ったとか、ロリコンとか罵られるのは、社会的立場がある先生に集中する。私にも責任があるのに、元教え子って事実は一生ついて回る。そんな状況になるのは、絶対に嫌なの…… 」


「そっか 」


 僕は姉貴の話を聞いても、返してあげられる言葉が見つからなかった。


 僕は村松先生から二人の関係を初めて聞いたとき、本能的に気持ち悪いと感じていた。

 いい年齢した大人である先生が、教え子相手に、恋愛感情を抑止出来なかったのはみっともないと思った。それに姉貴に対しても、まだ大人の世界のいろはも知らない分際で、十個近く年上の男性に本気で恋をするなんて、どうかしているとさえ思った。


 僕は彼らを軽蔑していたのだ。

 だけど……

 こうして当人たちの言い分を聞いてみると、その考えの一部は改めるべきなのだと思えてくる。


 おそらく彼らは、先生だからとか、生徒だからとか、そういう理由で惹かれ合った訳ではない。

 細かいことは聞いていないから、憶測の域は越えないけど、人を好きになるのは理屈とかで語れるものではないと思う。

 姉貴が十八を越えていれば、先生が会社勤めだったら、彼らは何も問題なく堂々と一緒にいることが出来たのだハズなのだ。


 たまたま立場があっただけ。

 もっと別の世界で出会っていれば、今悩んでいる障害なんて一つもなかった。


 それを思うと、二人の互いを思いやる気持ちも、家族に対する配慮や愛情も、いたたまれない気持ちで一杯になる。




 僕はこれまでの浅はかな考えを、全力で恥じるしかなかった……



◆◆◆



 それは、ほんの一瞬の姉弟で語り合う貴重な時間だった。


 僕らは河原を後にして、再び【いでゆ大橋】まで戻ってきた。僕には雄飛閣に顔を出さなくてはならない用事があるし、姉貴もこの後、彼女と祭りを見て回る約束をしている。だから無駄に長居をすることは出来ないし、もし時間に限りがなかったとしても、僕も姉貴もそれを望んではいなかった。

 姉貴の表情は穏やかでない。けれども悲壮感が漂っているわけでもない。日頃からの覚悟が、姉貴にこんな顔をさせるのかと思うと、僕としても複雑な気分になる。


「恒星、荷物持ってくれて、ありがとう。ここからは、自分で持つよ 」


「あっ、うん…… 」


 僕は無駄に大荷物な鞄を姉貴に返却する。一体、どのくらい下呂に里帰りするつもりなのかは聞いてないけど、重さ的に暫くは滞在できそうな容量だった。


「ねえ、恒星 」


「……何? 」


「恒星が私と先生のこと知ってるのは、お母さんたちは知ってるの? 」


「母さんたちには、僕からは話しはしてない 」


「そう。他には、誰かに喋ったりした? 」


「他は…… 」


 僕は姉貴の質問に、口ごもるしかなかった。

彼女に告白してしまったのは、物事を処理しきれなくなった僕の詰めの甘さだ。でも、そんな個人的な感情は、姉貴たちには関係のないことだ。姉貴たちは、倫理という高いなハードルと一生向き合っていかなくてはならない。それなのに僕が彼女に秘密を共有してしまったのは、ただの自分の弱さだ。


「……麻愛だけ? 」


「へっ? 」


「それならいいよ。麻愛は家族みたいなもんだし。麻愛を不快な気持ちにさせたのは間違いないから、そこは申し訳ないけど…… 麻愛だけなら、別にいいよ 」


「姉ちゃん……  」


「だから、恒星は何も悪くないんだから。悪いのは私とタイミング一切無視な向こう(先生)のせいだし。今度会ったら、文句を言ってやるんだから…… じゃあ、私はそろそろ家に帰るね。お母さんも、そろそろ救護は交代の時間らしいから、浴衣を着るのには丁度良いし 」


 姉貴は僕の微妙な反応から勝手に推察してくれたのか、決して攻め立てたりはしなかった。それに関しては、僕が漏らした相手が彼女だけだったという点が大きいのだろう。


「あのさ、姉ちゃん 」


「ん? 何よ、もう私は隠し事は一つもないけど? 」


「そんなんじゃないよ。その、姉ちゃんはさ、その人(先生)と一緒に、温泉まつりを一緒に回りたいとか思わないの? 」


「えっ? 」


 そんな意図は全くなかったのだけれど、姉貴は僕の質問に些か驚いたらしい。ため息を吐くように頭を抱え込むと、その場で顔を歪めている。


「あんたさぁ、今この流れで、そう言うこと聞く? 」


「いや、その…… ちょっと、気になったからさ。ごめん、変なこと聞いて 」


 僕は、少しどうかしていた。

 思ったことを深く考えることなく、口にしてしまっていたのだ。僕は元来、慎重な性格だ。いつもの自分ならば、キチンと脳まで考えを運ぶタイプなのに、何故か今に限っては反射でその問いを声にしていた。


「別に、変なことじゃないよ。私が恒星の立場だったら、それって気になることだと思うし。まあ、確かに一回くらいは一緒に地元を歩いてみたいって、思わないこともないかな…… 温泉まつりの花火はとってもキレイだし、二人で共有したいことは沢山あるよ 」


「…… 」


「でも安心して。そんなことは、これから先も絶対的にしないから 」


「……あの、その 」


 僕は、うまく言葉を続けることが出来なかった。そして、なんてことを姉貴に言わせているのだろうと、自責の念に襲われた。


「恒星、顔を上げて。私は、こうなったことを悔やんだことなんて一度もない 」


「でも…… 」


「諦めたら、その方が私は後悔するって、そう思ったの。確かに想像してたよりもシンドイことはあるけど、覚悟はしてたから 」


「姉ちゃん…… 本当に、好きなんだね 」


「うん。まあね。だからね、恒星もちゃんと自分の気持ちには、向き合った方がいい 」


「はあ? 」


 僕は唐突な姉貴の一言に、一瞬我を失った。

 恥ずかしいくらいに、僕の本心というのは周囲に駄々漏れで、しかも何故か周りが後押しするという謎の構図に、シラを切ることが出来なかったのだ。


「その壁は、恒星が一人で積み上げてるだけでしょ? 」


「今は僕のことは、どうでもいいだろ 」


「そんなことはない。その壁は、恒星の勇気ひとつで、打ち破ることが出来るから 」


「それは…… 」


 何でみんな勇気を出せと、僕に厳命するのだろう。

 大体、彼女が僕のことをどう思っているかなんてわからない。それなのに何故、実る保証のない僕の細やかな思いを、みんなが背中を押すのか、その理由がわからないでいた。


「こっちは無期限ってハンデがあるけど、恒星にも()()()()()()()ってものがあるんだからね 」


「…… 」


 僕は姉貴の台詞を無視した。

 すると姉貴は『一本取ってやったぜ 』というような顔をして、いでゆ大橋を歩き始める。


 ちょっと、待て。

 いや、そうじゃない……

 そうなんだけど、そうじゃないんだ。

 僕が今、姉貴と本当に話さなきゃいけなかったのは、こんなことではないはずだ。


 姉貴はいま遠回りに、僕の味方であると言ってくれたではないのか?

 それなのに、僕は何をしてる?

 僕が本当に伝えなきゃならないことは、もっと沢山あるだろう?

 僕にとって、姉貴は大事な家族で、一生お姉ちゃんで、幸せであって欲しいと願う唯一無二の血を分けた存在なハズなんだ……


 だから僕もいま、一刻も早く、その気持ちを表明しておかなくてはならならないのだ。





「姉ちゃんっっ 」


 僕はほぼ無意識に伸ばした手で姉貴の鞄を掴むと、その足取りをブロックしていた。


「ちょっと、何よ、いきなり…… 」


「最初聞いたときは確かに驚いたし、正直嫌悪感も抱いた。でも、僕は倫理って言葉で二人から離れたりしない 」


「ちょっ…… 恒星、急にどうしたの? 」


「出会い方が違えば、普通に二人は交際することが出来たんだ。だから、倫理がどうとか僕はそんなの認めない。もう犯罪じゃないんだ。好きな者同士が一緒にいて何がいけない? そんなのアダムとイブが林檎を食わなかったら成立しなかった、ただの後付けなルールじゃないか 」


「…… 」


 姉ちゃんは唖然としていた。

 僕も些かヒートアップしていた。


 そう、元来僕は心を燃やすような熱い性格ではない。それなのに今、僕の体は全身の体温が振り切れそうだ。

 だから今の発言の多くは、お天道様が全力で仕事をしている、一種の不可抗力なのだと弁明させて欲しいところだった。 









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