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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は僕を取り巻く環境を複雑にした
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神は僕に弓を持てと厳命した②

◆◆◆


 僕は匡輔から逃げるように弓道場に避難をすると、大きなため息をついていた。

 お昼時なこともあってか、弓道場には まばらにしか部員はいなかった。今度、匡輔と鉢合わせたら、また何か色々と捲し立てられる予感はするけど、こうなったら知らぬ存ぜぬを突き通すしかない。


 僕らが暮らす下呂市は全国屈指の観光地だから、この高校の生徒たちは、夏場の書き入れ時は観光業務に従事する者が大半だ。匡輔や椿のように旅館の従業員並みに働く生徒もいるし、僕や彼女のようにアルバイトで従事する者もいるけれど、どちらにせよ、僕ら高校生も温泉街を盛り上げる義務がある。そのため弓道部に関しては、夏休み中も顧問が学校にいる時間帯に限っては、各自が好きな時間に来て、練習をしていいことになっている。先輩後輩の上下関係がないのは楽だけど、人によってヤル気はまちまちだから、部員の弓のレベルには かなりの差がある。だから団体戦とかは強くはないけど、自分の頑張り次第で練習できる環境があるのは、有難いと思っていた。


 僕が弓道着に着替えて射場へ入ると、そこでは彼女が稽古をしている真っ最中だった。

 そういえば、最近は入り用(麻愛の誕生日)で雄飛閣にばかり行っていたから、彼女の弓を引く姿というのは、あまり見てはいなかったような気がする。

 彼女はというと、的を一心に見つめていて、かなりの集中状態に入っていた。その麻亜色の髪の毛は、後ろできゅっと結ばれていて、それだけでも緊張感と気合いが伝わってくる。彼女は一連の所作に則り、静かに弓を引き分けると、会が熟すのを待っていた。そしてパンと胸郭を広く開くと、迷いのない矢を放つ。その矢は大きな弧を描き、的の方へと向かっていく。しかしその距離は十分に伸びることなく、的より少しだけ手前のあたりで矢は地面へと落下してしまった。


「うーん、やっぱり届かない 」


「そうだね。麻愛も少し弓力を上げていかないとね。そしたら押してくれるから、届くようになるよ 」


「そうだよね…… まずは、ちゃんと強い弓を引けるようになることからか 」


「弓が弱いと、どうしても的まで届きづらいからね。テクニックも重要になるんだけど、それもまた難しいんだよね 」


 彼女は側にいた椿と、何やら弓に関しての相談を始めていた。

 和弓には、弓強というものがある。

 一説によると戦国武将は30キロの弓を使っていたなんて言い伝えもあるらしいけど、一般高校生男子なら、大体10~14キロ、女子なら10~12キロのものを使うのが殆どだ。弓の強さは 使う人の体重や握力で、どれくらいのものを使うのかを決めるのだけど、弓力が強ければ強いほどより速い威力の高い矢を放てることになり、的中率はそれに比例する。だけど初心者には、強い弓を扱うことは容易ではない。胸や腕の筋肉がないと、そもそも引き分けることができないのだ。弓のパワーを上げたければ、努力と練習量で少しずつ段階を調整するしかない。とても地道な努力が必要だ。

 彼女は一般的な女子よりも小柄で握力もないから、まだ8キロの弓を使っていた。となると、色んな意味で、そろそろ物足りなく感じる時期かもしれない。


「あっ、コーセー? 」


「あっ…… 」


 僕は草葉の陰に隠れていたつもりだったけど、彼女にあっさり見つかってしまった。


「コーセー? ……補講は終わったの? 」


「うん、今日の分は取り敢えずね 」


「そっか。もう、お昼は食べた? 」


「ああ、さっきパンを少し 」


「…… 」


 僕が彼女の問いに返事をすると、彼女はその場の床に弓を置いて、スタスタとこちらへ近づいてくる。最初は慣れない袴に歩くことさえ悪戦苦闘していたのに、今ではその姿はすっかり板についていた。


「ん? 麻愛? どうかした? 」


「コーセー…… もしかして具合でも悪い? 」


「えっ? 」


「なんだか、顔がとっても真っ赤だよ? 」


「いや、そんなことは…… ないハズだけど 」


「もしかして熱中症じゃない? 」


「いやっッ、その、違っッ。本当に大丈夫だから 」


 彼女はいきなり真剣な表情をして僕を覗き込むと、どこからともなく濡れ手拭いを持ってきて、額にぴしゃりとあてがった。


 もし僕の顔が赤いのならば……

 半分は君と匡輔のせいで、半分は姉貴と先生のせいだ。

 今日の彼女は、妙にボディタッチが積極的なような気がする。ただ今だけは、本気で勘弁して欲しい。まだ僕の脳裏には、村松先生と姉貴のただならぬツーショットの幻影がしっかりと焼き付いているのだ。あの光景が頭の中を掠めている状態で、彼女の香りが僕の神経を刺激しようものなら、僕は僕が暴発して、大変なことになってしまうかもしれない。


「ちょっ、ホントに何でもないし、大丈夫だから! 」


「全然、大丈夫なんかじゃないっっ! 熱中症なら、まず頸動脈を冷やして…… 」


「だから、マジで平気なんだって 」


 こんなに心がモヤモヤするなんて、初めての感覚だ。とにかく冷静になれるまでは、僕は彼女と適正距離を保つしかない。

 こうなったら、最終手段だ。それなら物理的に離れるしかない。しかし僕が意を決して手を伸ばそうとした次の瞬間、有難いことに背後から助っ人が加勢してくれた。


「麻愛ったら、ちょい、待ちなって 」


「えっ? 」


「恒星も男なんだから、さすがにそれは気の毒だって」


 僕と彼女のよくわからないやり取りに、助け舟を出してくれたのは椿だった。何だか椿の角がある言い回しには、若干の引っ掛かりを感じたけれども、この際そこは気づかない振りをする。


「恒星。村松先生のスパルタは、どうだった? 」


「別に。スパルタなんてないし、いつも通りだったけど? 」


「またまたー 恒星も麻愛がいるからって、強がっちゃってさ 」


「そんなことは…… ないよ 」


「まあ、それも今更か。ていうかさ、補講終わったなら、ちょっと練習していくんでしょ? 」


「うん。まあ、そうだね。最近、あんまり稽古をしていなかったし 」


 本当は練習して帰るつもりなんて全然考えてはいなかったんだけど、あいにく僕はまだ家に帰りたくない事情がある。それに心の整理がつかないまま自宅に帰ったら、僕の嫌悪は両親にまで飛び火しそうだ。練習はしても、彼女とはディスタンスを保てばいいのだ。それに精神統一をしたほうが、僕のザワめいた気持ちもいくらかマシになるかもしれない。


「そうだ、麻愛。恒星に補助に入ってもらえばいいじゃん 」


「「えっ? 」」


「麻愛の弓の強さをあげたいんだけど、私じゃ補助してあげられないから。恒星なら、男の力でなんとかなるでしょ? 」


「イヤイヤ、そんなの無茶だろ。僕も初心者に毛が生えたようなもんだし…… 」


 僕は咄嗟に、取り敢えず誰も傷つけないであろう言い訳でその場を取り繕うと、必死に固辞を突き立てた。

 本当の辞退の理由は絶対に言えないけど、今の僕には彼女に近づけない、野生の獣みたいな理由がある。だから、全力で却下だ。


「でもさ、恒星って、確か14キロの弓を使っているでしょ? 」


「それは、まあそうだけど…… でも教えるのはちょっと、難しいって 」


「私も後ろからチャチャは入れるからさ。女子が女子を補助するのは、物理的に無理だもん 」


 青年会でも練習して段を持っている椿と、ほぼ素人の僕とでは事情が違う。それに何よりも今だけは大変恐縮な個人的な都合ではあるけれど、彼女に物理的に近付きたくないのだ。


「いや、でも僕は下手くそだし 」


「……それは大丈夫! 」


「えっ? 」


「コーセーは弓道、上手だから! それに私、少しでも上達したいの コーセーが嫌じゃなかったら、ちょっとだけ手を貸してくれないかな? 」


 声を上げたのは、彼女だった。

 彼女はいつも僕の必死の抵抗を押し切って、パーソナルスペースを超えてくる。




 訂正する。

 椿の提案は、僕の心の乱れを大幅に悪化させた。





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