神は僕に勇気を出せと助言した②
陣屋は日本家屋だから、当然ながら靴は脱いで館内を練り歩く。
エアコンがあるわけではないから、夏場はそれなりに暑さはある。けれど外から吹き抜ける風と、足裏から伝わる床の冷たさが、妙に心地がよかった。
陣屋の見学を終えて、僕がトイレから出てくると、土産物売り場の隅の方で、彼女が一人で何かを見つめていた。てっきりアルバートと一緒にゆっくり見て回っているのだと思っていたけれど、僕らと同じようなペースで巡っていたらしい。
僕は人混みを掻き分けて近づくと、彼女に声をかけてみた。
「麻愛? 何を見てるの? 」
「きゃっ! ちょっと、びっくりしちゃった! 後ろから驚かせないで 」
「あっ、ごめんごめん…… そういうつもりじゃなかったんだ 」
僕は謝罪をしながらも、彼女が熱心に視線をそそいでいる先を確認する。そこには白木から削り出されたかんざしが並んでいた。
「あれ、麻愛? アルバートさんは、どこにいるの? 」
「まだ中で見学してるよ。暑いのに元気だよね。もう二度と来ないかもしれないからって 」
「ああ、そうなんだ。せっかく日本まで来たら、目に焼き付けたい風景だよな。でも、麻愛はゆっくり回らなくて良かったの? 」
「うん。私はまたゆっくり来る機会もあるだろうし。あれ? そういえば、カオリちゃんは? 」
「佳央理はお手洗いに行ってる。ところで麻愛が今見てるのって、もしかしてかんざし? 」
「あっ、うん。高山の木工加工技術を生かして、ブランドの開発をしているんだって。そのプロジェクトの一貫で、木からカンザシを削り出して作ってるんだって。凄いよね 」
麻愛はそう言うと、一枚のリフレットを僕にくれた。そこには飛騨一位一刀彫と書いてある。江戸時代から伝わる茶道具、面、置物などを作ってきた飛騨高山の技を、時代の変化に合わせてかんざし作りに応用したのが、このプロジェクトの名前らしい。そしてどうやらその作品の一部がここに並んでいるようだ。
「麻愛は、かんざしに興味があるの? 」
「えっ? あっ、うん。ツバキから借りた漫画で知ったんだ。でも実際に見たのは初めて。とても繊細な細工がされてて素敵だね 」
「へー そうなんだ 」
麻愛が椿から仕入れた知識は、破天荒で下ネタみたいなキワドイ事が多いけど、たまには真面目な内容もあるらしい。僕も かんざしを見る機会は普段あまりないから、しっかりと見るのは初めてに近いかもしれない。
「もうすぐ、温泉まつりがあるでしょ? そのときに女の子たちは浴衣を着るって、ツバキに教えてもらったの。稜子ママに相談して、浴衣はマリコが前に着てたのを貸して貰うんだけど、髪を結ったときにカンザシとか挿したら可愛いかなって 」
「……麻愛は、どれが気になるの? 」
「えっ? そうだね。沢山あるから悩んじゃうね。この星がついてるのも可愛いし、ウサギちゃんや桜のモチーフのも気になるんだけど…… 」
彼女はそう言いながらショーケースを覗き込むと、うーんと唸りながら かんざしを吟味する。
そして整然と並ぶ無数のかんざしの中から一本を選ぶと、それをそっと指さした。
「私が気になってるのは、これかな 」
「これ、このお花って…… 」
彼女が指さした先にあったのは、見覚えのある花と葉のモチーフが丁寧に彫られたかんざしだった。
「もしかして、この花ってマーガレット? 」
「えっ? 」
「ん……? どうかした? 」
「コーセーはお花に詳しいんだね。男の人なのに、マーガレットのお花の形を知ってるなんて 」
「ああ、それは…… 」
花に詳しいというわけではない。正確に言うと、昨日図鑑と実物を舐めるようにガン見した影響で、マーガレットの花だけ限定で詳しくなったのだ。
「この作品のモチーフは本当は菊みたいなんだけど、お花の形が似てるから。これが可愛いなって思ったの 」
「へー 言われてみれば、お花の形がマーガレットとはちょっと違うね。でも菊の方が、花びらが少し長くて、幅がちょっと狭いのかな? 」
「うん。でもマーガレットもキク科のお花だから。パッと見た感じはマーガレットに見えるかなって思ったの。まあ、ここではマーガレットって名前はあんまり使ってないから、固執しても仕方ないんだけど。やっぱり私の名前だから 」
「うん。これは、きっと麻愛にとても良く似合うと思うよ 」
僕は彼女が指さした かんざしを手に取ると、少しだけ持ち上げて亜麻色の髪に充ててみる。光沢がある白木に彫られたかんざしは、まるで上等な宝石のように彼女の柔らかな雰囲気に溶け込んでいた。
「似合ってる? 」
「うん、とてもいいと思うよ。白木だけでできたかんざしって珍しいし、目も惹きそうだね 」
「そっか。それなら思いきって買ってみようかな。でもカンザシって自分で買うのは、ちょっと勇気いるよね 」
「そうなの? 」
「うん。だって、コーセーも指輪を自分で買ったりはしないでしょ? 」
「えっ? うんまあ。そうだね 」
「それに女の子にとってカンザシは特別だって、ツバキが教えてくれたの 」
「うーん、まあ確かに。かんざしは、どちらかと言えば(浴衣着たときの)特別なアイテムだよなあ 」
何で、かんざしから指輪まで、話題が飛躍したのかはわからなかったが、僕は適当に話しを合わせておくことにした。きっとそのくらい高価で、ハードルがある買い物だという例えか何かだろう。
「だから、自分で買うのはちょっと勇気がいるというか 」
「そっか…… 」
彼女は明らかに、あのかんざしで頭をいっぱいにしていた。彼女の懐事情は良くわからない。だけど、かんざしはいつも付けるものではないから、仕送りをやりくりしている身からすると、ハードルの高い買い物なのだろう。
そういえば、彼女の誕生日はもうすぐだ。七月二十五日に彼女はひとつ年を重ねる。元々はそのために、僕は根詰めてアルバイトに勤しんでいたのだ。どうせ僕のセンスでは彼女が欲しいものを、ドンピシャで当てられる可能性など殆どないだろう。
それならばいっその事、いま彼女が欲しがっている物をプレゼントした方が大切にしてもらえるかもしれない。
「あのさ、それ、僕が…… プレゼントする 」
「えっ? コーセー? いま何て言っ…… 」
「だから、それ、僕が買う 」
僕は彼女の言葉を遮るように一方的に宣言すると、再びかんざしを手に取った。彼女は少しだけ頬を赤らめていて、驚いたようにこちらを見ていた。
「だって、遅かれ早かれ(浴衣には)必要だろ? 」
「えっ? でも、カンザシだよ? 」
でも、の意味が僕にはよくわからなかったけれど、ここはこちらも我を通す。こっちには簡単に申し出を断ることが出来ない、最大の切り札があるからだ。
「麻愛は、もうすぐ誕生日だろ? 」
「うん。まあ、そうだけど…… 」
「だから、僕がプレゼントする。もし、どうしても自分で買いたいとかだったら、話は別だけど 」
「そんなことない…… けど…… 」
「あの二人には内緒だよ 」
「うん…… 今は誰にも言わないって約束する。でも、けっこう値段もするみたいだよ。それにカンザシだし、コーセーは私でいいの? 」
「……? 」
さっきから、何なんだ?
彼女と会話が噛み合わないのは、気のせいだろうか?
僕は頭のなかに疑問符を浮かべたけれど、それをクリアにする余裕もない。何より佳央理やアルバートが来たら事態は厄介な方向に傾くし、一気に方をつけたかった。
「その、麻愛は僕からのかんざしは受け取れないかな? 」
「そんなこと、あるわけないじゃん! 私は…… とっても嬉しいよ 」
彼女は急にモジモジと手を動かし始めると、うん、と一回咳払いする。そして一息付くと、まだ紅潮する頬のままで、僕にこう声をかけた。
「ねえ、コーセー 」
「なっ、なに? 」
「これって、私だけが特別ってこと? 」
「えっ? まあ、そうだね 」
僕の労働を対価に、贈り物をしたいと思える相手は、そうそういない。
彼女は僕のなかでは特別な存在で、さらに言うと特別中の特別。最大級の特別な存在なのだ。
「そっか。ありがとう。まさか、コーセーがそんなふうに思ってくれてただなんて、ちょっとびっくりしちゃった。ありがとう。ずっと、昔から私の一方通行だと思ってたから、凄く嬉しい。ずっと大切にするね 」
「……? ああ。是非、そうして 」
彼女はそっと僕の手を取ると、自分の手で包み込むように握ってくれた。そして目を閉じると、もう一度僕に、
「ありがとう。大切にするね 」
と言ってくれた。
僕はその彼女の不意打ちな行動に、自分の勢い任せの発言が妙にリアルに感じられて、急に恥ずかしさを覚えた。
誕生日プレゼントを買うと言ってしまったけれど、よくよく考えたら髪飾りなんて、けっこうなハードルの高い物を選んでしまった。それにこの丁寧な感謝のされ具合は、周りの視線が痛かった。
そう。僕はこの時点で、噛み合わない会話の意味をもっと考えておけば良かったのだ。
そうすれば、僕たちはあんなに遠回りはしなかったのかもしれない。
僕がこのときの言葉の意味に気付くのは、彼女と離れる間際のことになる。




