神は彼女に助け船を渡した
スマホがブーブーと音を立てていることに、こんなに驚いたのは、初めてだったかもしれない。
僕はディスプレイを確認すると、一瞬出るのを躊躇いそうになった。今日は動悸が癖になってしまうくらい、心拍数が早いことばかりだ。
「もしもし? 」
『あっ、コーセー? あの、今 どこにいる? 』
「えっ? 今? それは、その…… 」
まさか、君を柱の裏から覗いていますとは言えず、僕は匡輔の頭を掴むと、咄嗟にその場で身を潜めた。スマホなんか使わなくても、声が届きそうなくらい、ロビーはシンと静まり返った夜だった。
「おい、恒星。それ、もしかして麻愛ちゃんからの電話!? ってオイッッ! 頭をオ サ エ ル ナ ッ テ! 」
『コーセー? 誰か側にいるの? 』
「あっ、ああ。まあ、そうなんだ。側に匡輔がいるんだよ。えっと、まだ雄飛閣の中にはいるけど…… 」
『そっか。今、電話しても大丈夫? 』
「うん、それはまあ…… 」
僕は嘘にはならない返事をすると、ハアと少しだけ呼吸を整える。何としても、ストーカーみたいな立ち振舞いが、バレるわけにはいかない。だけど、これでは身動きも取れない。完全に八方塞がりだった。
『あのね、コーセーに一つ、相談があるの 』
「相談? 」
『うん。実はね、私の昔の知人のアルバートが、たまたま日本に来てたみたいで、下呂にも観光で寄ったんだって。でも明日の深夜のフライトで、KIXからヒースローに戻るんだって。だから、お昼にちょっとこの辺りを観光したいって言ってて 』
「そう。わざわざ日本まで来ちゃう人が、ただの友達ね 」
『違っ、アルバートと私は、そんなんじゃないからっッ 』
「あっ、ご、ごめん…… 」
このとき、僕の心臓は張り裂けんばかりに鳴り響いていた。僕がアルバートさん本人から聞いていた内容と、彼女が口にした話が全く噛み合っていなかったからだ。
電話がかかってきた時点で、何らかの手助けを求められる予感はしていたけど、次に彼女が何を言い出すかは、皆目 見当が付かない。側には匡輔がいるというのに、鼓動の早さをヤツに悟られてしまうのではないかと焦るレベルだ。
だけど、こういうときの匡輔は妙に察しがいいところもある。
やはり、巨大旅館の跡取り息子と感心してしまうのだが、昔からちょっとした気遣いに長けている。匡輔は僕の側からは離れなかったけれど、その場で突然自分のスマホを取り出すと、一応興味のない素振りをしてくれた。さっきまでの冷やかすような言動が、まるで嘘のようだ。
『でね、コーセー。明日って空いてる? 』
「えっ? 」
『あのね、もしよかったらで構わないんだけどね、高山に連れて行って欲しいの 』
「……高山? 」
『うん。アルバートが行ってみたいんだって。私、高山に行ったことがないから、アルバートを案内できないと思うの。だから詳しそうなコーセーに、助けてもらいたくて 』
「それは、構わないけど…… 」
明日は夏休み前、最後の日曜日だ。まあ、本当は夕方から入り用月間につき、バイトなのだが、その件に関しては匡輔に事情を吐いて、友人特典で融通してもらうしかない。
「でもさ、僕が、それに付いて行っていいの? 」
『えっ? 』
「アルバートさんは、麻愛に会いに来たんだろ? それなのに僕がいて、その…… 大丈夫なの? 」
非常に気は進まないし、とても癪ではあるのだが、僕は念のために麻愛に意向の確認をする。それは、本来僕が知る必要のないことだとは思ったけれど、彼女が下した采配は、アルバートさんに少しだけ同情の念も湧いたのだ。
『それは、大丈夫。アルバートには、二人では出かけないって言ってあるし、了承も得てるの。でも、それでも良いって言うから 』
「へっ? 」
『高山に行くのにかかったお金は、私が全部が払う。それに、他の人を誘ってもいいの。匡ちゃんとかツバキとか。稜子ママや侑哉パパでもいいし 』
彼女の口調は、いつになく少し慌てているように感じられた。だいたい母さんとか父さんとか、選択肢が渋すぎるだろう。若者の集まりに大人を巻き込むなんて、あまり聞いたことのない話だ。もしかしたら、イギリスではそれは普通によくあることなのかもしれない。だけど、日本の普通の高校に溶け込もうとしている彼女が、そんなことをさらりと口に出に出すのだろうか? 僕はそんな彼女のちょっとしたイレギュラーに、違和感を覚えた。
「それは、まあ構わないけど。僕は明日は(これから交渉はしなくてはならないけど)暇だし 」
『ほんと? それなら良かった。ねえ、コーセーは、今は何処にいるの? 』
「えっっッ? 今? 」
僕は突然の彼女の問いに、一瞬頭が真っ白になった。まさか君のすぐ近くで、お二人のやり取りを観察しているとは言えない。それでは完全に変質者だ。
「えっとお…… 今は、通用口の辺りにいる。そろそろ、帰ろうと思ってたから 」
僕は咄嗟に罪にならない嘘で取り繕うと、アハハと苦笑いする。こうなったら、何がなんでも彼女より先に宿を出て、門の辺りで待っておくとかするしかない。でも結論から言うと、やっぱり程度に関わらず嘘は駄目なことであって、嘘で嘘をカバーすることは容易ではないのだ。
『そっか。あのね、私もそろそろロビーを出るの。だからコーセー、一緒に家まで帰らない? 明日のことも話したいし 』
「えっ? それは…… えっと…… 」
僕はどうしようもなくなって、目くばせで匡輔に助け船を合図する。すると、匡輔は話の内容とスマホの音漏れで察したのか、「馬鹿だな、恒星は 」と一言呟く。そして「あーあー 」と声を漏らすと、続けて、
「これ、貸し三な。ただ、俺は明日も家業が忙しいから、高山までは付き添えないからな。それと来月の温泉祭りは、マジ働いてもらうから 」
と、交換条件を突きつけた。こういうときの匡輔は、男の僕でも惚れ惚れするくらい、一瞬だけ とてつもなく格好いい。こうなると、僕にはもう頭を下げるしか、選択肢は残されてはないないので、ここは素直に匡輔に「恩に着ます 」と礼を告げた。
その僕の誠意が伝わったのか、匡輔は少しだけニヤリとすると、
「じゃあ、あとは自分で何とかしろよ 」
と捨て台詞を吐く。そして、その場で少し肩を回すような仕草を見せると、すくっと立ち上がった。
「おっ、麻愛ちゃん、こんな夜更けにどうしたの? つーか、二人はお知り合い? おっと失礼、ちゃんと挨拶しなくちゃだよな。えっと、ナイストゥミーティユー アイム キョウスケ! アイムシクスティーンイヤーズオールド 」
と大根役者の渾身の演技で、彼女を足止めしてくれた。
僕がその間に通用口までダッシュしたのは、言うまでもない。




