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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に新たな選択肢を赦した
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神は僕に試練を与えた



 神は僕に試練を与えた。


 正直に言えば、今は複雑な気分だ。

 知らなければ知らないなりに、僕には今後も穏やかな毎日が約束されていただろう。

 でも選ばれたのが僕で良かったという、妙な安心感も同時に混在している。


 僕は普通の高校生だ。

 出来ることには限度がある。

 それ自体は単純で、物理的には難しくはないが、そう容易な話でもない。


 僕が彼女に出来ることは、ただ一つ。

 彼女の秘密を、ただひたすら守り抜くことだ。





・・゜・

・゜・゜・

  ゜・ ・゜・・゜・ ・

     ゜ ・゜゜・ ゜・・゜・゜

           ゜・゜・゜゜・゜・

             

                     





「恒星? 」


「…… 」


「オイゴォラッッ 恒星ッッ!! 」


「えっ? あっ、はいっ? 」


 僕は匡輔の怒号にも似た声で、我に返る。

 そうだ、今は珍しく貸切風呂の掃除を任されてたんだっけ。


「遅いから様子見に来たら…… お前、どうしたんだよ? さっきから同じ場所ばっか磨いてるんだけどぉ? 」


「へっ? 」


「つーか、早くしないと、次の客の予約時間が来ちゃうからさ 」


「ごめん…… そうだよな 」


 僕は匡輔に詫びをいれると、手にしていたデッキブラシの動きを一瞬だけ止めた。足元のタイルを確認すると、一部だけ異様にピカピカに光っている。


「ていうか、風呂場はもういいよ。十分に綺麗だから。取り敢えずアメニティを替えて、脱衣場の水滴だけ拭いてくれれば 」


「ああ。わかった 」


 僕は匡輔のいる脱衣場のドアへと向かうが、いつものペースで体が動かない。まるで、まだ頭に血が昇っていて、逆上せているような感覚だった。


「恒星? どうかしたか? さっきから、挙動が怪しいけど 」


「……いや、別に 」


 匡輔の勘の良さには、毎度恐れ入る。

 何かあったかと聞かれたら、大いにある。ドラマのような夢芝居のような、衝撃の告白を受けたのだ。

 正直あの話を聞いてから頻脈が続いているし、血圧だって上がっているような気がする。なるべく普段通りを心掛けてはいるが、僕の三文芝居のレベルでは、誤魔化すのは容易じゃない。


「つーかさ…… 」


「…… 」


「恒星ってさ、隠し事すんの、下手だよね 」


「はっ? 」


「何があったかは聞かないけど、一人で悪いサイクルに飲み込まれるなよ 」


「…… 」


「じゃあ、俺は隣の進捗を確認してくるから。あとは宜しくな 」


「ああ 」


 匡輔は一通り格好つけたことを言うと、僕にモップを押し付けて、浴室を後にした。この階には他にも幾つか貸切風呂があるから、進捗具合を見て回っているらしい。そういう要領がいいところも、人の機敏に気づくのも、人使いの上手さも、将来の社長候補の才能なのだろう。匡輔は何だかんだで自分自身とも家業にも、ちゃんと向き合っているのだから、僕とは比べ物にならないくらい、成熟した存在だと認めざるを得ない。


 あれから、僕はシャワーだけ浴びて雄飛閣に来ていた。とてもじゃないけど、昼寝をする気にはならず、あっと言う間に夕方になりバイトの時間になっていた。


 僕は言われた通りの作業を終えると、貸切風呂の鍵を戻して休憩室へと戻った。このあとは一息付いて、今度は布団敷きをしなくてはならない。

 休憩室はちょっとした宴会場くらいの広さで、円椅子と机が整列するように並んでいる。社員食堂を兼ねているので、この時間帯は早めの夕食を取る人もいる。地下の日が当たらないところにひっそりと存在するこの部屋には、常にカレーやら賄い定食の色々な匂いが混在し、充満している。

 いつもの僕ならば、所謂食べ盛りというやつなので、休憩時間はすぐに飯に飛び付くんだろうけど、今日に限ってはとてもじゃないけど、そんな気は起きなかった。僕は隅の方にある如何にも客室のお下がりみたいなソファーに腰を掛けると、そのまま少し休息を取ることにした。



 目を瞑る……

 それがこれほど鬱陶しく感じることは、早々ない。

 視界を闇が占めると、何故か人は考え事をしてしまう。やはり僕の頭のなかは、逆瀬川さんが口にした言葉が脳の隅々を駆け巡っている。


 そして思う。

 再三に渡って考える。

 何故、逆瀬川さんは僕に彼女の出生の秘密を暴露したのかと。


 逆瀬川さんは僕に何を求めているのか、よくわからなかった。もしかしたら特に理由はなくて、ただ感性の赴くままに、僕に話す気分になっただけなのかも知れない。

 でも僕は理由に拘るタイプの人間だから、その意味を解きたくなる。

 少なくとも逆瀬川さんには、一人で秘密を抱えることを止めることにした、真意があるのは確実だ。そして僕に共有することは、彼女の利益になると判断したことも間違いはない。この状況から察するに、僕はネガティブだけどポジティブだから、心のどこかで自分は期待されているのではないかと思ってしまう。


 この浮わついた心のやり場を、何処に持っていくべきなのか、僕の精神力は試されている。

 今まで通り、普通に接する。


 それが出来れば、どれだけ楽なんだろうか。


 僕は、彼女に恋をしている。

 もう気づいたときにはそうなっていたし、それを取り消すことは出来ない。

 僕にとって彼女は特別な存在だけど、彼女の存在が特別だとは思いたくない。

 彼女がどんなに天才で、難しい愛に育まれて、この世界に生まれてきたのだとしても……

 僕にとっては片想いする一人の女の子ということ以外に、他ならないのだ。














■■■■■■




「くっついたね 」


「そうだね 」


「それにしても、こんなシチュエーションで、かんざしを贈るなんて、勇気があると思わないー? 」


「ねえねえ。ツバキに一個、質問があるんだけど 」


「なに? 」


「あのね、昔の男性が女の人にカンザシをプレゼントするのって、何か特別な意味があるの? 」


「うん。昔の人はね、プロポーズするときに指輪じゃなくて、かんざしとか櫛をあげたりしたらしいよ 」


「へー そうなんだ…… 」


「櫛はね、苦しいときの()と死ぬときの()の頭の文字を取ってるんだって 」


「それって、シャレ? だよね? 昔の人の発想も、なかなか面白いね 」


「あはは。まあ、意外に単純だよね。それにしても、恒星ったら起きないね。疲れてるのかな? 」


「どうなんだろう。今日はコーセーとは朝御飯のときしか、顔会わせてないからなぁ 」





 耳元で、彼女と椿の声が聞こえる。

 どうやら僕はこんなところで夢を見るまでに、深い眠りに入っているらしい。


 誰かが、僕の肩を揺らしてくる。

 何ともリアルな夢だ。

 夢なのに、人の手に温もりがあるのだから。






「コーセー コーセー? 」


「恒星、起きないね…… 」


「でも、そろそろ布団敷きに行く時間だよね? 」


 今度は、彼女が僕を呼ぶ声がする。

 自分でも、つくづく出来すぎた夢だと思う。

 あんなことがあったばかりだから、面と向かって彼女と顔を合わせる勇気はない。だけど、一方的に夢の中で会えるのならば、都合がいいような気がした。


 だから、僕は起きない……

 もう暫く、平穏な余韻を楽しみたい。


 そう、思ったときだった。



「恒星っ、起きろっっッ 」


バチンッッ!


「っっっッ、イッターっっッ 」


 自分の背中から、バチンッッといい音が響く。そして数秒のラグの後に、叩かれた辺りにジワッと痛みが広がる感覚がした。


「やっと起きたっッ! いつまで寝てんの!? もう時間だよ! 」


「えっ? 椿……それに、麻愛……? 」


「なに、呆けちゃってんの? 私たちがいたら駄目なの!? 」


「いや、そういう訳じゃ…… 」


 事情は……まだよく飲み込めていない。

 椿はブリブリと怒っているし、彼女はポカンとこちらを見ている。僕はというと、何だか急に恥ずかしい衝動が込み上げてきて、思わず髪型を整えた。


「あの、っていうか、なんで二人ともここにいるの? 」


「それは、こっちの台詞なんだけどっッ 」


「はあ。僕は入り用で、匡輔にバイトしたいって頼んだんだけど 」


「なに、その安易な理由? こっちは今晩、外国のお客さんが多かったから、念のために麻愛にピンチヒッターお願いしたの。で、いま休憩中 」


「あっ、そうなの……? 」


 だから、二人の休憩中の会話が、寝ぼけた僕の耳に届いていたという訳か。

 それにしても、今ここで彼女に会うのは誤算だった。まださっきの衝撃の告白の処理が追い付いていないから、心の準備も今後の方向性も

まだ定まってはいない。


「恒星、そろそろ、布団敷きの時間でしょ? 」


「ああ、そうだね。そろそろ行かないと 」


 僕は時計を確認すると、その場からゆっくりと立ち上がった。変な体勢で寝ていたからか、あらゆる身体のパーツからバキバキと関節が鳴る音がして、思わず二人に聞こえていないかを確認してしまう自分がいる。


「恒星。くれぐれも、麻愛に迷惑を掛けないでよね 」


「ああ。迷惑なんか掛けないよ、って、……それどういうことだよっッ!? 」


 僕は椿がさらっと発言した一言一句を、聞き逃したりはしなかった。


「麻愛も、布団敷きまでは手伝ってくれるから。二人でやってきて 」


「えっ? 」


「これ、今日二人が担当する、部屋のリストだから。宜しくねっ 」


「ちょっ 」


 椿は僕にクチャクチャになったメモ書きを押し付けると、ついでにもう一発、背中をド突いた。


「って、椿っ!何すんだよ 」


「これで、少しは目が覚めたでしょ? 」


 椿はそう言いつつ「麻愛。悪いけど、後は宜しくね 」と彼女に声を掛けると、足早にどこかへと向かった。手には漫画が数冊ほど握られていて、恐らくこの中身に関して、彼女と何かを話していたのだろう。


「あの、コーセー 」


「なっ、なに? 」


 僕は若干タジタジになりながら、彼女の呼びかけに反応する。これじゃあ、まるで僕は彼女のことが嫌いみたいじゃないか。


「……コーセー、やっぱり今日ちょっと変だよ 」


「そ、そうかな? 」


「何だか、一挙手一投足、ぜーんぶ変だもんっ 」


 彼女はいつの間に覚えたのか、複雑な単語で僕の挙動不審を表すと、僕を覗き込むようにしてこちらを見てくる。

 まったく……

 僕をおかしくしたのは、君の父親の謎のカミングアウトのせいであって、僕自身には何の過失もないはずだ。彼女の聡さと気付きの感度は、いつも素晴らしいのだけれど、それが僕を追い詰める展開も少なくない。


「……そうかな? あんまり自分では変な自覚はなかったけど、昨日は遅くまでゲームをやってて、あんま寝てなかったから、普段通りじゃなかったのかな? 」


「そうなの? 」


「……ああ 」


 僕は彼女に平気で嘘をつくと、そのリアクションを見る前に逃げるように歩き出した。




◆◆◆




 僕らは、黙々と作業に励んでいた。

 僕も彼女も、珍しく無言を突き通していた。だから仕事はどんどん捗るけれど、それはそれで何だか少し味気ない。だけど僕は話すとボロが出そうだから、今日は極力口を開かない。


 彼女は、僕の事情は知らない。

 だから、僕が話さないだけでこんなに沈黙になってしまうのは、何だか少し寂しい気もする。客室は冷房が付けっぱなしになっているから涼しいはずなのに、僕はアドレナリンと時期的なものが相まって、少し動くと汗が吹き出すように体が出来上がっていた。


「コーセー、何か暑そうだね? 大丈夫? 」


「うん、大丈夫。ありがとう 」


 僕は彼女の問いかけに応えると、首に掛けていたタオルで汗を拭った。彼女はしゃがみこんで、シーツの端をきれいに揃えている。彼女の動きには、春先に始めた頃のたどたどしさは、微塵もなくなっていた。


「あっ 」


「ん? どうかした? 」


 布団を敷いて、枕を取りだそうとしたときだった。彼女が押し入れを覗きながら、小さく声をあげた。


「あれ? 」


「ん? どうかした? 」


「新しい枕カバーが、ないみたい…… 」


「えっ? 」


 僕は彼女の隣に近づくと、一緒に押し入れを覗きこんだ。


「あっ、本当だね 」


「私、リネン室から取ってくるよ 」


「えっ、いや、僕が行くよ 」


「大丈夫。リネン室は直ぐそこだし、私も勝手がわかってるから 」


「ちょっ 」


 彼女は僕の制止を振りきると、あっという間に部屋を出ていってしまった。




 何だか、気を使わせているな……

 僕はそう思ったけど、敢えて彼女を引き留めもしなかった。

 何故ならば、ここまではいつもの日常だったからだ。



 だからまさかこの数分後に、こんなドラマのような再会劇が起こるなんて、僕は思ってもなかったのだ。




■■■■■




「ったく、どうやったら風呂がこんな状態になるんだよっッ 」


 僕は壮大な独り言をぼやきながら、泡だらけになっている貸切風呂をデッキブラシで磨いていた。何をしていたのかは知らないが、僕が来たときには洗い場は泡だらけになっていた。昼間からお盛んなことだ。せめて桶に湯を汲んで、少し洗い流せばいいのに、何でそのちょっとした気配りができないのかは疑問しか残らない。マイワールドに入ると、人は周りが見えなくなるんだろう。だけどこういう現場に出くわすと、僕は将来そんな大人には絶対にならないぞ、といつも決意を新たにするのだった。


 布団敷きは、思ったよりも早く終わった。

 今日はどうやらスタッフがたくさんいたらしく、割り当てられた部屋も少なかったらしい。彼女は作業が終わるなり、椿に通訳を頼まれてフロントへと向かっていった。と言うわけで、僕はバイトの上がり時間まで、再び貸しきり風呂の掃除に舞い戻っていた。



「タオルよし、アメニティよし、これで全部オッケーだな 」


 僕は風呂場の最終チェックを終えると、入り口の引き戸に鍵をかけて、再び貸し切り風呂を後にした。今日は入り用があって、匡輔にバイトにねじ込んではもらったけど、それを激しく後悔するくらいには、僕の気力は失せていた。僕は使用済みのタオルやらを風呂敷に包んで小脇に抱えると、廊下の隅を歩き始めた。



「Excuse me! 」


 後方から声がした。

 その声は、明らかに誰かに話しかけている。聞き慣れないイントネーション、だけどとてもクリアーな英語だから、相手は確実に外国人だろう。そしてその声には深みがあって、僕よりは確実に年上の男性だとわかる。

 英語には不安がある。可能ならば避けたいシチュエーションではあるのだが、残念なことに今の僕の立場は、この旅館のスタッフだ。そうは問屋が卸さない。逃げられない状況に堪忍した僕は、恐る恐るその後方を振り向くことにした。


「えっと…… メイアイヘルプユー?

(どうかしましたか?) 」


「……I'm afraid I'm lost. 

(自分がどこにいるのか、わからなくなってしまって )」


 僕のカタカナイングリッシュに男性は戸惑ったのか、少しのラグの後にこう答えると、僕に英語の館内マップを見せてくれた。


「Where am I now on this map ?

(この地図だと、俺はどこにいるのかな? ) 」


「えっと、ヒアー 」


 僕は少し地図を見回すと、現在地を軽く指差した。すると男性は覗き込むようにして、その地図を確認する。僕は一般高校生の割にはそれなりに身長はある方だと思うけど、男性はさらに一回り体格がいい。不器用な浴衣の着こなしから、さらりと伺う金髪は、男の僕までドキッとしてしまうくらい美しくて、今まで嗅いだことのない大人の甘い香りが仄かに鼻についた。


「Thank you . I’d like to go to the SPA.

(ありがとう。俺は大浴場に行ってみたくて ) 」


「オッケー。えっとユーゴストレイト アンドユーゲットオンザリフト…… ゼン、ゴートゥーファーストフロアー

(ここを真っ直ぐ進んで、エレベーターに乗ってください。それで一階に行ってください ) 」


「lift? (リフト? ) 」


「えっーと、エレベイター ゼンユーキャンシーザスパエントランスフォーライトサイド。ネクストトゥーフロント。プリーズゴートゥーブルーサイド。 ブルーミーンズ、メンオンリー。

(エレベーターのことです。そしたら右側に温泉の入り口見えるんで。フロントの隣です。そしたら、 青い方に行ってください。そっちが男湯です) 」


「OK…… 」


 男性は少し難しい顔をして、地図を見ていた。ここは異国の地だし、僕の拙い英語の説明では不安もあるのだろう。どうせ僕は匡輔に捕まるまではこのあとは暇だし、このままお客さんを放っておくのも忍びない。僕は意を決すると、男性にこう声をかけた。


「オッケー。レッツゴートゥゲザー。アイハブソーマッチタイムライトナウ 

(オッケー、僕が案内します。今、僕は暇なんで) 」


「Oh, really? THANK YOU! 」


 外国人客は嬉しそうな反応を見せると、僕に礼を言ってくれた。普段、英語を話す機会はないけれど、いつかに備えて一応小さい頃から独学で勉強をしてきた。身ぶり手振りも交えてではあるけれど、取り敢えず言葉が通じたことに、僕は内心かなり安堵していた。


 僕は風呂敷をリネン室に適当にぶっ込むと、外国人の彼をエレベーターへと案内することにした。


「あの、ウェアーアーユーフロム

(どこからいらっしゃったんですか? )」


「Im from England . (イングランドだよ)」


「オー、ベリーファーフロムヒアー サイトシーイング?

(とっても遠いいですね。観光ですか? )」


「……I came to look for my dear friend . but I don't know if we will meet again though.

(僕は大切な友達を探しに来たんだ。会えるかどうかは……わからないけど ) 」


「へー イッツアグレイトアビリティトゥーアクト (凄い行動力ですね ) 」


「AHAHA . I am a man with determination . I'm bad at giving up 」


「……? 」


 最後の辺り、僕は男性が何が言っているのか理解が出来なかった。きっと諦めが悪いとか、そんなようなことを言っているのだろう。男独りで、こんな異郷の地まで友達を探しに来るなんて、何とも情熱的なことだ。それに友達とか言ってたけど、話の流れ的に、相手は絶対に女性じゃないか。もしかしたら逆瀬川さんの例もあるし、相手が男性である可能性も否定はできない。でもどちらにせよ、この外国人客にとって、とても重要な存在である人を探しにきたことには、違いはない。そんな風に追ってきてくれる人がいるなんて、相手からすればとても幸せなことではないだろうか?


「あっ、そう言えば、ドゥーユーハブアタオル? 

(タオル持ってますか? )」


「towel? 」


「イエス。ウィーニードトゥブリングアタオルフロムザゲストルーム。イッツジャパニーズスパスタイル

(部屋からタオルを持っていくのが、日本の旅館のスタイルなんです )」


「Oops! I didn't bring a towel .  Can I go back to pick it up?

(おっと、タオルは持ってこなかったな。部屋に取りに帰ってもいいかい?) 」


「……オッケー。ザッツイズノットニーディット。アイルピックアップザタオルフロムザフロント。ディスイズアリトルスペシャルサービスジャストフォーユー

(了解、それならその必要はありません。僕がフロントからタオルをピックアップします。今回だけ特別ですよ )」


「Thank you for your kindness. 」


「ユアーウェルカム 」


 僕はそう答えると、エレベーターを降りて少し早歩きでフロントへと先に歩いた。こんなに大宿だというのに、ロビーはすっかり明かりを落としていて、フロントには助太刀中の彼女と椿の二人しかいない。椿は電話対応をしていて、彼女はキーボックスと宿泊名簿を確認する作業をしていた。


「あの、麻愛? 」


「コーセー? どうしたの? お風呂掃除は? 」


「さっき終わったところ。あの、タオル一組貸してくれる? 」


「タオル? 」


「ああ、外国人のお客さんを、成り行きで大浴場まで案内してたんだけど、タオルを部屋に忘れたって言うから 」


「あっ、うん。わかった 」


 彼女はそう言うと、その場で屈んで、デスクの下から予備のタオルを探し始めた。その間に例の外国人も僕の隣に追い付いて、横並びで彼女を待つ。慣れないフロント回りの備品のありかに、彼女は少し戸惑ったようだが、ほんの数秒で彼女はまた顔をこちらへと起こした。



「コーセー、これ、どう……ぞ………… 」


「ん? どうかした? 」


 彼女は僕にタオルを渡すなり、目線を僕の隣の外国人へと向けていた。


 そのときの彼女の表情は、きっと僕は一生忘れない。

 それを一瞬で確信するくらい、彼女の表情は驚きに溢れていた。

 元々大きな瞳をさらに見開き、頬を紅潮させ手を震わせている。そして言葉を失った人形のように、外国人をただただ見ていた。


 僕には、すぐに理解できた。

 麻愛と、このイングランド人は知り合いで、より正確に表すと、二人はそれよりももっと繋がりの深い相手同士だということに。



「Mai! 」


「Albert…… 」


 彼女は名前を呼ばれて、外国人の名前を呼んだ。

 外国人の名はアルバートと言うらしい。


「I already thought that I was not found . It hardly had a hint 」


「…… 」


 アルバートさんは急に高速で麻愛に話しかけていて、僕にはよく聞き取ることが出来なかった。

 でも彼女は彼が発した言葉を聞いて、明らかに動揺していて、体が硬直している。二人がどんな知り合いかは、あらかた想像がついた。だけど久々の再会なはずなのに、彼女の様子はとても微妙だ。麻愛が普通の高校生をしていることを、アルバートさんが知っているのかは僕にはわからない。まだ椿は電話中で、こちらの微妙な空気感に気づいてはいないけれど、それも時間の問題だ。いくら英語で会話をしても、椿も僕も多少は理解出来てしまう。

 もし彼女が天才で、実は医者なんてことが温泉街の住民に知られた暁には、麻愛はここにはいられなくなってしまうと僕は思った。


「あの……アルバートさん? 」


「What? 」


「えっと、ウィーフィニッシュザワークナインオクロック。アバウトワンナワーレイター。ソープリーズテイクアバスアンドウェイト。レッツトークアフターザット

(僕らは九時になったら仕事が終わります。だいたい、一時間後くらいですね。だからそれまで温泉に浸かって待っててください。そのあとゆっくり話をしましょう) 」


 僕は僕の脳内に存在する、すべての英単語を駆使して、アルバートさんに咄嗟にこう提案していた。

 先程までの和やかムードとは一転して、アルバートさんは明らかに険しい表情を浮かべている。

 そりゃ、そうだろう。僕も逆の立場なら、そう思う。だけどこの場の凍りついた空気は、第三者にしか打破は出来ない。そう感じたのは、もはや野生の勘の範疇だった。


「……What do you mean to her ?

(君は一体、この子のなんなのさ?) 」


 ほらきた。もう確定だ。

 僕だって、今すぐあなたに同じ質問をぶつけてやりたいけど、そこは堪える。何せ僕は仕事中の身だし、そもそも脈が無さすぎて焦る要素がないからだ。

 そして僕が横目で彼女の様子を確認すると、彼女は視線を思い切り逸らしている。どうやらこの二人には、何か面倒くさそうな事情があるらしい。


「……アイムオンハーサイド。アイノーハートゥループロフェッション。バットノーワンインディスシティノーズハートゥルージョブ。ソー……

(僕は彼女の味方です。僕は彼女の本当の職業を知ってますけど、他の人は誰も知りません。だから…… ) 」


 余計なことを言ったらぶっ飛ばす、くらいぶちまけてやりたかったが、あいにく僕の英語力ではこれが限界だった。するとアルバートさんも僕の物言いから何かを察してくれたのか僕を見下ろすような目で見つめると、こう静かに呟いた。


「 I understand your situation . I want to listen carefully to the situation for the time being . Because I came here for that

(事情はだいたいわかった。でもちゃんと理由は聞かせろよ? そのために、俺はわざわざここまで来たんだから )」


「……I know that, Albert 」


「えっ? 麻愛? 」


 アルバートさんの言い分に、返事をしたのは彼女だった。そして二人は九時過ぎにロビーのソファーで話をしようと、高速英語で約束をする。するとアルバートさんも何かを納得したのか、タオルを受けとると、僕にサンキューと言い残して大浴場へと向かっていった。



「ありがとう、コーセー。ごめんね、変なところ見せちゃって。後は、もう大丈夫だから 」


「大丈夫って…… 何だよ、それ 」


「そのままの意味だよ。深い意味なんてない 」



 大丈夫って、本当に便利な単語だ。

 この魔法の一言さえ使えば、話はどうにでも膨らませる余地ができるし、

 強制終了させることもできる。


 僕は、少しだけ怒っていた。

 あまり深いところをこじ開けるのは趣味が悪いと思うけど、自分なりに彼女を庇ったつもりなのに、この期に及んで彼女に事情を共有されないことには、納得がいかなかった。



「麻愛、あの人は何? 知り合い?友達? 」


「えっ? 」


「別に、答えたくなかったらいいよ。でも事情は聞いとかないと、僕も対応が出来ない 」


「彼は知り合い。イギリスの学校の友達……  」


 彼女は少し声を潜めるように、僕にだけ聞こえる音量で呟くと、また紙を取り出してフロントの仕事を再開した。その表情はいつもよりはやはり固い。


「本当にただそれだけ。なのに、まさか日本に来るなんて…… 」


 彼女はそう言うと、少しだけ頭を抱えるようにして、宿泊名簿を見つめていた。そしてある程度のところまで目をやると、深いため息をついた。


 何がなんだか、事情は見えてこない。

 本当は二人がどんな関係性なのか知りたいけれど、知りたくないような気もする。

 そしてふと、昼間に逆瀬川さんが言っていた言葉を思い出した。


 オックスフォード訛りの英語って、ああいうイントネーションなのだなと。












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