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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に新たな選択肢を赦した
34/79

神は僕に彼女の出生の秘密を暴露した③

◆◆◆


 結構、歩いてきてたんだな……


 僕は息を切らしながら【いでゆ大橋】を、逆走していた。考え事をしながら歩いていたからか、いつの間にか橋の中腹くらいまでの距離を進んでいて、戻るだけでも一苦労だ。

 僕は橋を渡りきると、直ぐに下呂温泉噴泉地の方を目指し、河川敷へと急いだ。斜面を下るときは足が取られそうになったが、そんなことを気にしている余裕はない。

 河川敷では、観光客らしき数組のカップルが散歩をしていた。そして単独で行動する人たちは、カメラや双眼鏡を持っていて、バードウォッチングや写真撮影に余念がない。地元民の僕が河原でレシートを探すなんて光景は、少し格好が悪いので、 出来れば無関心でいてもらえる方が有り難かった。

 地面を這いつくばる訳にもいかないので、僕は大きめの石を踏みながら、辺りを遠目から探し始める。さすがにレシートが川に落ちてしまっていたら、今頃は飛騨川を優雅に泳いでいるだろうし、もしかしたらまだ風に乗ったままで、空気の一部になっているかもしれない。

 僕は何とも言えない惨めな気分になりながら、ため息をつくと、もう一度辺りを見渡した。見つからなければ、母さんに丁重に詫びるしかない。 そして改めて足下を見ると、汗が落下したのか石のところどころの色が変わっていた。

 太陽の熱は、暫く収まりそうにもない。眼下には卵を落としたら焼けそうなくらい、熱を帯びた砂利と岩と石しかない。


 心が折れそうだ……

 と思った、そのときだった。




チャプン、チャプチャプチャプっッ……


 水面を何回も石が弾いた音がして、僕は思わずそちらの方向を振り向いた。


 橋桁の下で、一人の男性が川の方を向いて立っていた。

 そして僕の気配に気づいたのか、その人はこちらを振り向く。

 僕は目を逸らそうと思ったが、そんな猶予はなかった。男性は地面に這いつくばる僕の滑稽な姿を凝視すると、少し声を張り気味にこう声を掛けてきた。


「君っッ、なんか探してるの? 」


「えっ、あっ、はい…… 」


「もしかして、これ? 」


 男性はポケットから、白い切れ端を取り出すと、僕の方にそれを向けた。紙の長さにあのペラペラの質感は、僕がなくしたレシートそのものに見えた。


「ゴミが落ちてきたと思って拾ったんだ。これ、君の? 」


「えっ、あのっ、すみません…… すぐ行きますっッ 」


 僕は砂利と石に足元を阻まれながらも、男性のいる方向に向かって駆け出した。視界にいる男性が、上下に揺れて見える。きっと僕は今、物凄く無様な感じで駆け寄っているんだろうけど、もはや自分の醜態を気にする余裕はなかった。


「そんなに急いで来なくても、大丈夫だから 」


 男性は驚いたような素振りを見せたが、すぐに僕にレシートを渡してくれた。僕も今度こそ無くさないように、すぐさま財布の中にそれをしまう。


「いや。そう言う訳にもいかないんで。ありがとうございます。助かりましたっ 」


 僕はその人に一礼して、感謝を伝える。

 その男性は、夏場なのに黒いポロシャツにカーキのズボンを身に付け、見た目は少し暑苦しい出で立ちだった。ただ大きなリュックサックを背負っている辺りからして、旅行者かバックパッカーなのかとも思える。細身で僕よりも少しも背は高め、顔は整っていて、髪は明るめの長髪。若見えはするけれど、四十代には見える落ち着いた雰囲気の人だった。


「あのさ 」


「はい? 」


「……似てるね 」


「えっ? 」


 僕は男性の急な質問に、脱力した感じで反応してしまい、思わず口を覆った。


「ごめんごめん。知り合いに似てたもんだから。君は、この辺りの人? 」


「ええ、まあ…… 」


「そっか 」


 男性は少しニコリとすると、その場に腰かけた。橋桁の下は、当たり前だが陰になっていて、炎天下の暑さが嘘のように涼しくて心地がいい。

 僕は完全にその場を立ち去るタイミングを失って、何となく男性の近くにしゃがみこんだ。男性はその場で胡座をかくと、鞄から物々しいゴツめのカメラを取り出した。


「写真……ですか……? 」


「ああ。川の流れって、ロマンがあるからね。見かけると、つい狙いたくなるんだよ。特にこの辺りは、水が綺麗だから。まあ、今は暑いからここで休憩中 」


「そうなんですね。僕は、今はすっかり見慣れちゃって。最近は有り難みが、薄れちゃってます 」


「それは、贅沢な悩みだ。仕事柄、俺は国内外いろんな風景を見てきたけど、ここは俺のランキングでも上位だね。水が透明で躍動しているし、川の音が澄んでいる。とても心地がいい 」


 男性はそう言うと、カメラを川の方へと向けた。シャッターは切る音はしなかったけど、ファインダー越しに、何かを見ているような雰囲気だった。


「君は…… 生まれも育ちも、この辺りなのかい? 」


「いや、生まれは東京で。親が家業を継ぐのに付いて来ました。まだ、下呂にいる時間の方が短いです 」


 男性は

「もう少し年を重ねると、もっと魅力がわかるかもね」

と言うと、何故か僕に飴を勧めてくれた。喉が乾いていたから有り難かったけど、それはどの国の文字かわからないパッケージの飴で、口に入れると今まで体験したことがない、独特の香辛料の香りが鼻腔に広がった。


「水の形を唯一切り取れるのは、写真の醍醐味だからね。フォトグラファーとしては、どうしてもその一瞬を狙ってみたくなる 」


「写真家さん、なんですか? 」


「あはは。自称……だけどね。学生のときに趣味で始めたんだけど、そのまま成り行きで。君も、カメラとか興味があるの? 」


「いや、僕は…… 興味がなくはないですけど、今はいろいろと手一杯で。両親がカメラ好きなんで、始められる環境ではあるんですけど 」


「ご両親が? 」


「ええ。って言っても、アマチュアですけどね。あの、お兄さんは下呂には、よくいらっしゃるんですか? 」


 男性は僕の発言を聞くと、何故か吹き出すような仕草をみせた。そしてあはは、と少し笑うと、こう答えてくれた。


「お兄さんだなんてっ、よしてくれよ。俺は多分、君のお父さんたちと同年代のおじさんだよ。この辺りには、学生時代に一度だけ。君が生まれる、だいぶ前に来たことがある。仲間の地元がこの辺りでね。帰省するときに無理やり引っ付いて、遊びに来たんだ 」


「そう……ですか…… あの、この辺りは変わりましたか? 」


「いいや、二十年くらい前だけど、昔来たときとあんまり変わってないような気がする。ただ、当時はあんまり良い思い出もなくてね 」


「……そうでしたか 」


 地雷を踏んでしまった…… ような気がした。

 僕はヤバイ、どうしようと思ったが、男性は大人の余裕で、あっさりと笑い飛ばしてくれた。


「あはは。そんな神妙な顔をしないでいいよ。失恋したんだ。盛大にね。相手は写真と化学式が、大好きなヤツでね。将来的には地域医療に貢献したいって、いつも薬の味見をしてるような変わり者だった 」


「…… 」


 僕は、静かに男性の話を聞いていた。

 そしてそんな偶然があるはずなんてないのに、どこかで聞いたことがあるような話の内容に、既視感を抱かずにはいられなかった。


「まあ。元々、叶わないってわかってたし。僕は特殊な人間だから、恋をしても相手から思ってもらえるのは簡単じゃないんだ。ヤツが最終的に選んだ人も、俺にとっては大事な人間だったからね。まあ、割りとすぐ諦めはついたんだけど 」


「それは…… 」


「想像以上に、派手な話だっただろ? 若気の至りってヤツだから 」


「ですね 」


 水流は、相変わらず鳴り響く。

 この土地からこの音が消える日は、僕が存命な間には、まず来ない。そしてこの流れは、気まずい沈黙すらなかったことにしてくれる。

 さっさとここから立ち去ればいいのに、僕の深い部分にある感情は、何故かそれを良しとしなくて、むしろもっと知りたいと思っていた。


「あの…… 今回は、旅行ですか? 」


「いや、今日は娘に会いに来たんだ。訳あって、一緒に暮らしたことはあんまりないけど 」


 男性は、僕の心がまた一つ乱れるような情報を口にした。

 そしてその確証を得るのには、もうあまり時間もいらなかった。


「娘さん……に……? 」


「ああ。今、その例の人たちに、娘を預かってもらってるんだ。君と同じ年頃の娘だよ 」


「そうですか 」


「娘はきっと俺のことを、あんまり良くは思ってないだろうけどね 」


「……娘さんが、そう言ってたんですか? 」


「いいや。それは俺がそう思ってるだけ。娘は聡くて、そうゆうことは口には出さないから。ぶっちゃけ本心はわからない。だから会いには来たけど、顔を会わせるのはいつも緊張するんだ 」


「はあ。そういうもんなんですか? 」


「まあ、最近は色々あったし、春先にも会ってはいるんだけどね。父親っていっても、それらしいことは殆どしてあげたことはなかったから。どうもね…… 遺伝子学的な関係っていう表現が、一番しっくりくるかもしれないね 」


「一緒に暮らそうとは、思わないんですか? 」


「まあ、今さらだよね。娘も年頃だし、いきなりオッサンと二人で暮らすのもイヤだろうし。何より俺もあっちこっち行ったり来たりだから、落ち着かないだろうしね。それに電話やメールで連絡を取ると、ここでの生活は毎日楽しいって言ってるから。娘は小さい頃から、少しだけ他の人より頭が良くて、逆に苦労することが多かった。辛いこともあるかもしれないけど、娘がそう言ってるってことは、今はここにいるのが一番いいってことなんだろうね 」


「……でも会いに来たってことは、大事な存在なんですね 」


「ああ、とても大切な存在だよ。俺は元々、子どもを持つチャンスは、殆どなかった種類の人間だから 」


 僕は思わず、息を呑んだ。

 ここまでは奇跡と偶然、それで片付いたことだった。

 だけど男性の言い方、話し方が妙に気になった。


 子どもを持つチャンスは、殆どなかった種類の人間……

 それはとても回りくどい言い方だった。だけど男性からは、触れないで欲しいといったオーラや雰囲気は感じない。


 おそらく、いや間違いなく、男性と()()は血縁者だ。

 そして彼女にまつわることだから、聞けば聞くほど僕は気になってしまう。



「あの、それは…… 」


「君は今、あらゆるパターンを想定しているね 」


「えっ? 」


「一つは身体的な問題。そしてもう一つは、俺の精神に関する理由。だけど、前者は俺の場合は除外される。実際に俺には、血の繋がった娘がいるからね 」


「ええ…… 」


 偶然レシートを落とした産物とは思えなかった。

 まるで、今日この場所でこの事実を知ることは、最初から運命で決まっていたかのようだ。


「そうなると、可能性は後者しかない。この世には、色んなマイノリティがある。性別に違和を感じる人もいるし、男性や女性といった性別で括られることに苦痛を感じる人もいる。恋愛の志向としては同じ性別を好きになったり、性別を問わずに恋愛をするタイプの人間もいるし、逆に異性同性問わずに好きという感情を抱かなかったり、中には性的な興奮を感じたことがない人もいる 」


「はい…… 」


「まだ君の世代だと、あまり身近にはいないかもしれないね。俺自身も、君くらいの時は自分のセクシャリティに悩んでいたから 」


「そうかもしれません。僕は自分の志向に違和を感じたことはないけど、自分がどういう人間か、今後どうなりたいかってことに、今はとても悩んでいます。内容は違うけど、そういう年代だから、まだ僕の回りには顕在化していないだけなんでしょうけど 」


「君は冷静だね。もうちょっと動じるかと思ったけど 」


「何ででしょうね…… 自分でも今日は何でこんなに落ち着いてるのかは、良くわかりません 」


 僕はこのあと男性から何を言われても、フラットな感覚でいられる、根拠のない自信があった。いや、むしろ今まで不自然に感じていた点と点の数々が結ばれて、霧が晴れていくような未来が見える。

 この隠された事実は、決してパンドラの箱ではないと今なら思えたのだ。


 僕はゆっくりと、男性の方を振り向いた。

 すると、男性は腕やら足を伸ばすような素振りをしてみせた。そしてゆっくりて深呼吸をすると、僕の方を振り向きてこう一言呟いた。 




「俺の場合はね、自分と同じ性別の人間に惹かれるんだよ 」



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