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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に新たな選択肢を赦した
32/79

神は僕に彼女の出生の秘密を暴露した①

■■■■■■


 僕が下呂温泉にやってきたのは、小学校四年生の頃で、今年で八年目になる。

 ここで細々と、薬局と学生寮の管理をしていた祖父が急逝してしまったので、父さんが所謂Uターンというやつで、家族で下呂に移住することになったのだ。


 それまでの僕は純粋な都会育ちで、父さんと母さんの勤務する大学病院に程近い社宅で暮らしていた。

 都内であるにも関わらず、自宅の周りには自然が溢れていて、放課後は毎日のように近所の上野公園で遊んでいた。パンダも美術館も科学館も徒歩圏内だし、休日にはよく両親がいろんなところに連れて行ってくれた。ファーストフードも映画館も、望めば直ぐに行ける距離にある。それが当たり前の環境で育っていたし、それらに手が届かなくなることがどういうことなのかも、良くわかってはいなかった。

 適齢期にも関わらず勤務地の近くに家を買わずにいた訳だから、両親はいずれ岐阜に帰るつもりだったのかもしれない。けれど僕からすれば、引っ越しは青天の霹靂だった。定期的には下呂には里帰りで遊びに行っていたけど、自分が住むことになるとは考えてもみなかった。


 その頃の僕は都会を離れるということが どういうことなのか、よくわかってはいなかった。生まれたときから周りに何でもあったから、今までがいかに便利な生活だったか気づいてもなかった。自分の好きなタイミングで、好きなように動けることが、如何に恵まれていることなのだと、ここに来てから初めて気づいた。

 そして、それは場所とか物だけに限らなかった。

 それまで頻繁に会っていた母方の祖父母とは、年に一度しか顔を合わせなくなって、帰省する度にいい年齢をして毎回別れるときに【寂しい】という感情が込み上げてるようになった。


 初めて彼女と会ったのは、まだ僕が小学校に上がるか上がらないかくらいのときだった。

 その頃の僕はまだ社宅に住んでいて、父さんたちが勤める病院の敷地なんかで探検ごっこをして、しょっちゅう怒られてばかりいた。

 彼女のお母さんの御坂恵倫子さんは、うちの父さんと母さんとは大学の同級生だった。学部は同じ薬学部、しかも同じ写真部に所属して、大学院を含めた六年間は家族以上に濃密な時間を過ごしていたらしい。

 恵倫子さんはお父さんがイギリス人でお母さんが日本人の家庭に生まれ、大学生のときに 留学生として日本の地にやってきた。恵倫子さんは当時からあまり身体は丈夫ではなくて、いくつも薬を常用していて、ときには酸素吸入をしながら授業を受けることもあったらしい。だけど、恵倫子さんにはそんなことは微塵も感じさせないオーラがあって、目がパチッとしていて目鼻立ちが可愛くて、とてもチャーミングな人だった。だけどイギリスでしか暮らしたことがなかったから、なかなか破天荒な一面もあったと聞いている。

 その後、恵倫子さんは大学を卒業した後は、母国に帰り、イギリスの大手製薬会社の研究員になった。病院薬剤師になった父さんと母さんとは別の道を歩むことになったが、手紙やメールでの交流は続いていたらしい。


 そして数年後、母校主宰の学会に参加するために、恵倫子さんはまた第二の故郷に舞い戻った。

 再び日本の地を訪れたとき、恵倫子さんは傍らに自分にそっくりな娘を連れていた。


 それが、彼女と僕の初めての出会いだった。








◆◆◆



 過ごしやすい季節というのは、毎年徐々に短くなっている。そしてそれは僕の気のせいでは決してないと思う。彼女の弓の的中率の向上と比例するように、世の中は暑くなっていて、制服のポロシャツが大活躍するシーズンになっていた。


 彼女は十八の誕生日が来たら、イギリスへと帰る。

 ここで過ごす時間は彼女にとっては、人生においての執行猶予というか長い夏休みだ。

 夏生まれの彼女は、もうじき十七の誕生日を迎える。

 彼女と過ごす時間はあと一年。この三ヶ月ちょっとを考えると、それはあっと言う間の出来事で、まるで小説をパラパラ捲って速読しているような感覚だった。この調子でいけば、きっと一年なんて、直ぐに過ぎ去る一瞬のような感覚なのだろうと思う。


 この日、僕は段ボールを抱えながら、ひたすら いでゆ大橋を駅に向かって直進していた。

 日中に炎天下を歩くなんて、熱中症一直線な自殺行為だけど、今日ばかりは急ぎの用があるから、そうも言っていられない。 夏場は外を少し歩いただけで、汗が吹き出すように滴り落ちる。風はあるのに、何故かそれすら熱風にしか感じられなくて、めげてしまいそうだ。

 太陽が異様に近い。

 夏場になると、空がとても低くなったような錯覚を起こす。観光客なら飛騨川のせせらぎのお陰で、少しは暑さからの気持ちは和らぐのかもしれないけど、僕のような地元民は日常の風景だから、毎日改まって恩恵を感じる気分になるのは難しいことなのかもしれない。


 橋の真ん中くらいまで、歩いただろうか……

 車の通りはそれなりにはあるが、人は観光客がまばらにいる程度だった。

 なぜ自転車で来なかったのか、今更ながらに後悔したが、それはいきなり杞憂に終わった。


「恒星ー! 」


「んっ? 佳央理? 」


 遠くから名前が呼ばれたような気がして、僕は後方を振り向いた。

 蜃気楼のようなモヤの先にいたのは、再従兄弟の佳央理の姿だった。佳央理は薄着のワンピースで自転車に乗っていて、頭には麦わら帽子を着用していた。 


「恒星、こんな炎天下にどこに行くの? 」


「コンビニ。宅配便を出してこいって 」


 僕は言いつつ、手元にある段ボールを見せる。中身には、姉貴の書類やら夏服が入っている。大して重くはないけれど、箱の大きさが中途半端で持ち辛い代物ではあった。


「後ろ、乗って行く? 」


「いいよ。コンビニまでは、直ぐだし 」


「いや。こんな猛暑の中、策もなく歩いてたら熱中症になるから。乗りなよ、っていうか乗って 」


「えっ? じゃあ、せめて僕が漕ぐよ 」


 佳央理の口調はけっこう強めで、僕は思わず少し圧倒される。熱中症の心配をするあたり、さすが看護学生なだけはある。

 別に急いでた訳じゃないけど、僕は荷物を自転車の籠に無理やり突っ込むと、後ろの僅かな荷台に佳央理を乗せた。こうなったら五分間だけは、お巡りに出くわさないことを切に願うしかない。

 サドルは僕にとっては低めだったので、最初だけ力を込めてペダルを踏むと、自転車はあっさりと勢いづいた。


「今日、麻愛ちゃんは? 」


「ああ、父さんの配達に、一緒に付いて行ってる 」


「配達? って薬の? 」


 佳央理は怪訝な声色で、僕に不思議そうに質問をしてくる。そりゃそうだ。僕だって、事情は未だによく飲み込めてない。


「ああ。在宅医療に、興味があるんだって 」


 嘘はついてない。それは確かだ。

 だけどこのグレーゾーンを狙った返しをする度に、僕の心臓は無駄にバクンバクンとこだまする。


「へー 麻愛ちゃんって、志が高いのねー 」


 佳央理も十分しっかりしてると思うよ、と僕は言いかけたが、そこは敢えて省力する。この手の話は早く畳みたいし、何より佳央理と彼女の話をするのは、ヤバイのではないかと最近は妙な勘が働くのだ。


「恒星は付いて行かなくて良かったの? 最近は二人で一緒にいることも多いじゃん 」


「僕は夕方から雄飛閣(バイト)だし。それに、付いて行っても役に立たないからね 」


「恒星。なんか最近、めっちゃバイト頑張ってんね 」


「そう、かな……? 僕の学力じゃ国立には進学出来なさそうだから。少しでも貯金をしておきたくて 」


 というのは、建前だった。

 直近の最大の就業意欲は、彼女の誕生日が迫っているからに他ならない。

 だけど僕のウソっぱちな返事を聞いてか、佳央理は予想だにしなかった質問をしてきた。


「……恒星は、そのうちここ(下呂)を出ていくの? 」


「えっ? まあ、進学するなら、そうなると思うけど 」


「そっか 」


 風を切る音の間から、佳央理が落胆するような空気感が背中から伝わってくる。僕は本能で何か不味いものを感じたので、すかさずフォローに躍起になっていた。 


「あの、別にここがキライとかイヤとかは思ってないよ。むしろ気に入ってるし。ここを出るときは、完全に物理的な問題だから 」


「それもそうね。この辺りは大学も専門もないからね 」


 佳央理はそう言うと、今度はいきなり最近ハマっているという、バズりレシピに話題を切り替えた。


 コンビニまでの道のりは近くなったけど、僕は暫くの間謎の汗が止まらなかった。










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