神は彼女を巻き込むことにした①
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家族だからこそ、簡単に口に出来ないことがある。
それは嫌いだからとか、怒らせてしまうからとか、そういう単純な問題ではなくて、相手を思うからこそ、自分の気持ちを伝えることを躊躇してしまうのだ。だから姉貴が悩む姿を見るのは意外ではなくて、何となく納得できる部分があるような気がしている。
僕が言うのも癪なのだが、姉貴はいわゆる優等生という部類の人間だ。
成績は小学生の頃からほぼオール5だったし、運動神経も良くて、運動会のリレーでは必ず活躍するタイプだった。字も上手いしピアノも弾ける。中学で引っ越しをして下呂に来たときも、すぐに人気者になっていた。
高校生くらいから、見た目は少し派手にはなっていたけど、友達も多いし、常にクラスの中心にいた。しかも、それは姉貴が努力して得たものではなくて、少し練習したら出来るようになった、とか天才肌的要素が大半を占めているのだから、タチが悪い。
僕と姉貴は三歳年が離れていて、中高と同時期に学校が被らなかったから、それだけは本当に助かったと思っている。それに男女で性別が違ったことも、僕に味方した。あんな優秀な人間と、常に比較されながら幼少期を過ごしていたら、僕は確実にグレていたと言い切れる。
そんな姉を持ちながらも、僕が悲壮感や劣等感に駆られることなく比較的真っ当に育ったのは、うちの両親の教育方針が大きかったとは思う。
うちの両親は二人とも薬剤師で、大学生の頃に写真サークルで意気投合して結婚した。そのとき、麻愛の両親と知り合ったらしい。 そしてその大学というのは、日本でもトップオブトップな人間しか入学を許されない、所謂最高学府を卒業している。
つまり、うちの両親も学力的に優れているグループに分類されるのだが、息子である僕はその才能は一切引き継ぐこともなく、至って平凡な人生を送っている。でも両親は僕を姉貴と比較することもしなかったし、スパルタ的に熱心な教育されることもなかった。
流石に赤点を取れば叱られた。だけど、今だって進学でも就職でも好きにしなさいといったスタンスだし、家業を継げと言われたことも一度もない。自分の人生に纏わることに関しては、悪く言えば放任主義で、良く言えば自主性を尊重してくれている。うちの両親はそんな感じだから、姉貴が大学院に行きたい、研究者になりたいといっても、止めたりはしないだろう。
姉貴も、それはわかっているはずだ。
だからこそ言い出せないのだと、僕にはわかる。
学生である時間が長ければ長いほど、どんなに工面しても、両親に金銭的な負担は掛かる。それと同時に、親のお墨付きが付いてしまえば、姉貴の将来の選択肢はもうなくなることを意味する。
その道に進む以外の方法が、断たれるということ……
姉貴は、夢を一歩こちらに引き寄せると同時に、逃げ場もをなくす。それはこの先に起きるすべての事象が、自分の責任になるというプレッシャーを、背負わなくてはならないということなのだ。
僕はまだ大して人間をやってはいないけど、十年という数字が長いことはわかる。それだけの長い時間、いやもしかしたらそれ以上に雄大な月日を、一つのことだけを追い求めて研究することになるのかもしれない。
自分で決めたことではあっても、気が変わらない確証はない。それだけのリスクを背負わなくてはならないほど、この決断は重要なものだ。
それを二十歳そこそこで決断するのは、なかなかの勇気がいると思う。
だからこそ、僕は先を歩く人を目の当たりにすると、無性に焦るというか不安というか、嫌な感情に苛まれるのだ。
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「ただいま 」
「あっ、二人ともおかえりっッ 」
僕が先にドアを開けて自宅に帰宅すると、奥の方から物凄い勢いで足音と声がして、彼女がこちらへと駆け寄ってきた。
そして僕のことはさらりとあしらうと、彼女は僕の後ろにいた姉貴に思い切り抱きつき、再会の興奮を隠さなかった。
「マリコーーっッ! 」
「麻愛っ! びっくり! ほんとに日本にいるんだね! 不思議な感じ! 元気だった!? 」
「うん! 私は元気! 直接、会うのは何年振りかな? 」
「うーん、たぶん十年振りくらいだよね!? 」
二人は頬の辺りにキスのようなものを交わすと、互いに少しエキサイトするように声を上げていた。僕と名古屋駅で再会したときはかなりの塩対応だったのに、今の彼女の溢れんばかりの笑みを見ていると、思わず姉貴に嫉妬してしまいそうだ。
「マリコは……ここには、どのくらい居られるの? 」
「うん。また月曜から授業だから、日曜日には戻る 」
「そうなんだ。じゃあ、あんまり一緒に居られないんだね 」
「うん、今回は用事があって、急に帰ってきたからね。長くは居られなくて。けど明日は一日中暇だよ 」
「そうなの? 部活は午前中で終わるから、午後からなら一緒にいられるね 」
「そうだね。それなら学校まで車を出すから、帰りに買い物でも行こうか? 椿もいるなら誘っていいよ 」
「えっ、いいの? ありがとう! 」
二人はキャッキャしながらリビングに向かうと、まだ何やら話している。
女子同士のノリには何だかついていけない。こういうときは、邪魔物は退散するに限る。
僕は空気を読んだハズだった。だけど僕が自分の部屋に入ろうすると、彼女が急にいつもより少し強い口調でこう言った。
「コーセー! ちょっと待った! 」
「なっ、急に? って、ちょっ…… 」
彼女はいきなり僕の腕をグイっと掴んだ。僕は何が起きたのか一瞬わからなかったけど、彼女がその後に発した言葉の内容で、ますます混乱に陥った。
「私とコーセーは、今日はツバキたちに雄飛閣を手伝ってって頼まれてるの。だから私たちは、これからちょっと出掛けるの 」
ん……?
なんか急に日本語がおかしくないか?
それに、そんな情報は初耳なんだけど……
「えっ、そうなの? 恒星? 」
「うん? あっ…… その…… 」
姉貴は急にキョトンとした顔をして、こちらを見ている。僕だって、何がなんだかわからない。すると彼女が僕の腕をグイグイとつついてきて、ギロリとこちらを見つめてきた。
「えっ、あっ…… うん。今日は…… えっと団体客が入ってるとかで、急にバイト頼まれたというか、何というか…… 」
彼女の求めていた正解がこれでよかったのかはよくわからなかったが、僕は適当に話を合わせた。
姉貴は怪訝な顔をしてこちらを見ている。だけどこの場面は、彼女の投げたボールに便乗するのが得策なような気がした。




