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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に新たな選択肢を赦した
28/79

神は僕に現実を突きつけた

■■■■■



「圧力0.6MPa、容積1.5m3の空気が一定圧力のもとで、4.3m3にまで膨張した。 その際の熱量350kJが加えられたとして……

この場合は、ここで公式を当てはめて基本をしっかり押さえてだな…… って、恒星? オイ、聞いてんのか? 」


「えっ? あっ、 はい……? 」


「ったく、お前さんは荒巻……鞠子と違って、完全に文系人間だよな。文系科目と理系科目の成績の落差が酷過ぎる 」


「それは、お褒めいただき光栄です 」


「俺は、全く褒めてないからな。まだ若いんだから、自分の可能性を安易に諦めるもんじゃない。ちゃんと全集中して聞いとけよ。少しは危機感を持て 」


「はい、すみません…… 」


 雨が止まない日々が続く中、僕は教師とサシで教室にいた。そして僕は小一時間ほど、念仏のような響きを一方的に聞き続けている。自分が悪いし、先生に余計な労力を掛けていることは承知しているが、苦痛以外の感想が思い浮かばない。いつも息苦しさを感じる教室は、二人きりでいると不思議ととても広く感じるが、同時になんとも言えない圧迫感を覚えた。

 

 よりによって……

 担任の教科で赤点とは……


 ったく、匡輔のヤツはスレスレで赤点回避しやがって。だいたい補習の一つや二つ受けたくらいで、すぐわかるようになるなら、こんなに苦労はしない。僕が出来るのは簡単な算数まで。複雑な数字は、頭が受け付けないのだ。

 遠くでは、女子たちがワチャワチャ騒いでいる声が、廊下を伝って耳に響いてくる。自分にだけ放課後というものが来ないのは、惨め以外の言葉では言い表せそうになかった。


「じゃあ、俺は客が来るから、一旦職員室に帰る。以上を踏まえて、設問の解答を終えたら見せにくるように 」


「……はい 」


「俺は、お前を進級させたいと思ってんだぞ? 」


「ありがとうございます 」


 僕は先生から、明らかに何かの参考書をコピーしたようなプリントを受けとった。これは僕のために厳選された比較的易しい問題なんだろうけど、相変わらず僕には異国の言葉並みに、よくわからない記号のオンパレードだった。


「恒星 」


「はい? 」


()()に頼るなよ 」


「そんなことはしません 」


「返事に間があったのは、気のせいか? 」


「……気のせいです 」


 担任は訝しげな表情をしながらも、教室を後にした。この一連のやり取りだけで、何だかどっと疲れたような気がする。つーか、よりによって担任の教科が物理だなんて、この先の関係性が思いやられる。

 だいたい赤点を取って格好悪過ぎるのに、さらに彼女に救いを求めるなんて、僕にそんなことが出来るはずもない。しかもこの村松先生は姉貴の元担任でもあるし、いろいろと面倒なのだ。


 僕は、参考書とスマホの検索を大いに参考にしながら、一人で問題を解き進めた。そしてやっとの思いで答案を埋めると、鞄と一緒に職員室に向かう。階段を降りるときに、窓から向こうの方の山を見ると、丁度夕日が沈むところだった。


 廊下に鞄を置いて職員室に入ると、既に教員たちの大半は帰宅しているようで、疎らにしか人はいなかった。僕は座席表で担任の席を確認すると、そちらへと歩を進める。

 奥の方にある担任の座席に向かうと、そこには女性の先客がいた。

 客の顔はこちらからはハッキリと見えなかったが、担任は難しい顔をして、何やら話し込んでいる。客は私服を着ているから生徒ではなさそうだけど、明らかに身なりは若者の服装で、学校という聖域にも関わらず、ミニスカートを履いていた。

 僕は暫く遠くから二人の様子を観察したが、話が終わる気配も、先生が僕に気づく素振りもない。


 この場合は、生徒が優先されてもいいだろう。

 僕はそう開き直ると、答案を片手に二人の元へと近づいた。



「村松先生ー 解けました 」


「おう、恒星…… ナイスタイミングだな 」


「えっ? 」


 先生は変な笑みを浮かべながら、こちらを見ている。そして目の前にいる女性に目で合図をすると、僕の方を指差した。

 そしてその女性と目があった瞬間、僕は背筋が凍るような感覚がした。


「って…… えっ? 」


「恒星? 」


 それは何千何百と、僕を呼んだ声だった。

 そしてその人は、とても驚いた表情を浮かべてこちらを見ている。


 こちらを振り向いたその女性は……

 僕の姉の鞠子だった。


「ねーちゃん? つーか、いつ…… 帰ってきたの? 」


「今日の午前中 」


「つーか、なんで学校に来てんの? 」


「久し振りに帰省したから、顔を見せに来ただけ。なんか文句ある? 」


「そんなことはないけど…… っていうか、そんな格好で来んなよ 」


「なによ、そんなの私の勝手でしょ? 」


 いや、ミニスカートは駄目だろ。

 下呂の街では、そんな挑発的な服装をしてるのはあんたくらいだよ。


「恒星。あんた、()()赤点なの? 」


「また? って、何だよ。まだ二回目だし 」


「二回も取っといて、開き直ってるんじゃないわよ 」


「まあまあ、二人とも落ち着けって 」


 気づいたときには、村松先生が僕と姉ちゃんの前に手を出して、待ったをかけていた。いい年して姉弟で言い争いだなんて、少し格好悪いのだが、開いた口はなかなか収まらないのは血縁だからだと思う。


「おい、荒巻鞠子…… 」


「なっ、先生、急に名前で呼ばないで 」


「他に呼び方もないだろ。今ここには荒巻は二人いるんだから 」


 村松先生はハアとため息をついて、僕と姉貴を交互に振り向く。


そして


「お前ら、やっぱ少し似てるな 」


と一言呟いたので、僕たちは思わず


「「そんなことはない! 」」


と、二人でハモってしまった。



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