神は僕らを二人きりにした
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二人きりで過ごすと言っても、意外なことにそこまでの感情の昂りは起きなかった。
人生にそうそうないビックイベントは、刻一刻と迫っているはずなのに、同時に中間テストという恐怖も、一緒に僕を攻め立てている。正直、緊張でアタフタなるかと思ったが、万年平凡な成績をキープするので必死な僕には、そんな余裕はなかった。
ちなみに彼女のセミナー参加は、あっさりと許可が出たらしい。彼女は試験最終日に名古屋に向かうことになっていて、実質僕が彼女と二人きりで過ごす時間はうんと短くなった。
例の一日は、取り敢えず普通に過ごせばいい。
普通に飯を食って風呂に入って眠るだけ。とにかく深く考え過ぎないことだ。
僕は漠然としたモヤモヤを抱きながらも、変わりなく毎日を過ごしていた。
そしていつの間にか部活禁止週間がやってきて、明日はとうとうテスト最終日……
つまり、今晩は彼女と二人きりで過ごす夜となっていた。
その日は、空が黒くて低い雲が広がっていた。
最近は部活があれば四人で帰宅するのが定番になっていて、テスト期間の今日もそれは例外ではない。僕と匡輔は今日の物理が予想以上に撃沈で、かなり堪えていたが、彼女と椿は後ろの方で何やらキャッキャしながら騒いでいた。
「後ろ…… 椿も麻愛も、試験中なのに何か楽しそうだな 」
「だよな。あのさあ、恒星…… 物理の三問目くらいにあった問題、わかったか? 」
「熱力学第一法則にまつわるヤツってことだけはわかった 」
「だよな。俺も、そこ止まりだ 」
「たぶん、今回の答案の白さランキングを開催したら、僕はブッチギリでクラス一番になれる 」
「そこは、俺も競えそうだ。つーか俺、今日のは赤点決定だわ。あいつらのメンタル、マジ尊敬する 」
メンタルねえ……
まあ、まだ匡輔と椿にはバレてないが、彼女は物凄く頭がいい。それは常人と一線を画すレベルだから、こんな日本の高校のテストは、なんてことはないんだろう。それに椿も、僕ら三人の中では勉強は一番出来る。しかも理系科目も得意なようだから、後方の彼女たちの今のテンションは、精神力以前の問題かもしれない。
「……ってか、何か雲が異様に多いな。今日は雨が降るんだっけ? 」
「ああ。予報だと、夜にはかなり降るみたいだけど 」
「恒星、今日も図書館に寄ってくだろ? 」
「ああ、悪いけど今日は遠慮しとく。親が名古屋でセミナーで、店番をしなくちゃいけないから 」
「えっ? 名古屋ってことは、もしかして泊まり? 」
「そうだけど 」
「じゃあ今晩は、麻愛ちゃんと二人きりってこと? マジか!? 」
「……んあ? 二人きりじゃねーよ。何度も言ってるけど、彼女は自分の部屋に住んでるから、同居してるわけじゃないの 」
「でも飯とかは、一緒だろ? 」
「まあ、そうだけど。それは学校でも一緒だし 」
「……変な気、起こすなよ? 」
「何が? 」
「わかってるクセに 」
匡輔は変な笑みを浮かべながら、こちらを見ている。僕はルーティーンのようにそれを無視すると、少し後方にいる彼女に向かって声を掛けた。
「麻愛! 」
「……ん? 何? 」
彼女は僕の声に気づくと、いつも通り惜しむことなく笑顔を見せて、こちらへと駆け寄ってくる。そしてその何気ない仕草が、いちいち僕の胸に響くのだ。
「僕は今日は帰るけど、麻愛は図書館寄ってっていいよ 」
「えっ? 何で? 」
「何でって、勉強…… 明日は現文のテストだろ 」
「私は大丈夫だよ。今日はピッキング手伝わなきゃだし 」
彼女はそう言うと、ケロっとした表情をしている。だけど僕は時間差で、彼女がちょっとした地雷を踏んだことに気がついた。
「麻愛ちゃんって、薬局手伝うの? 」
ほら来た。
匡輔はそういう気付きには抜かりがない。
彼女には、たまに致命的なスキがある。
だいたい彼女が普通の高校生活を送りたいというから、こっちは必死に話を合わせているというのに、当の本人は本当に隠すつもりがあるんだろうか?
僕が彼女の表情を確認すると、案の定、彼女はアッ!っという顔をして、こちらを見ていた。
そんな、顔をされたら……
もう僕は助け船を出すしか、ないではないか。
「ああ、麻愛にお願いしてるのは掃除とか雑用だよ。うちは薬局だから、直接的な業務をしてもらうことはあんまりないから 」
彼女が何のピッキングをすると、はっきり名言しなかったのは、不幸中の幸いだった。
僕はこれ以上ピッキングの件には触れずに、別の話にすり替える。こうなったら、これ以上墓穴を掘らないように退散する他ない。
時折起きる、彼女の辻褄の合わない発言を誤魔化すのに、毎度苦労するのは言うまでもない。
◆◆◆
「恒ちゃん。試験中なのに、長い時間悪いわね 」
「いいえ。明日は家庭科と現代文のテストなんで、そんなに切羽詰まってないんです。田部さんこそフルで働いてもらって、すみません 」
僕は家に帰ると、コンビニ飯で簡単に昼食を済ませて、早々に店に出ていた。今日と明日は両親二人分の戦力がなくなるので、僕も出来る範囲では手伝うことになっている。彼女が手伝ってくれたので、今日は僕の出番はあまりなかったが、自分も一応、最低限の薬のピッキングに関しての知識は教え込まれている。
「いいのよ、私は。そんなに頻繁にあることでもないしね。麻愛ちゃんもいるし、すごーく助かっちゃうわ。彼女、本当にテキパキしてて、すぐに薬の位置も覚えちゃって飲み込みが早いのよ。よく取説読んで勉強してるし、興味があるのかしらね? 」
「ええ、まあ…… その辺りはどうなんですかね 」
田部さんの問いに答えるのであれば、恐らく答えは正だ。彼女は確実に、医療に興味を持っている。というかプロだ。だけどそれは僕の口から言うわけにもいかないので、適当に茶を濁しておく。
田部さんは、僕のじいちゃんの代からうちに勤めているベテラン薬剤師さんで、いつも親身に患者さんと接している。彼女が十六歳にして医療の心得がある事情に関しては、田部さんは何も知らないが、首を突っ込まずにいてくれるあたりは有難い。
そんなやり取りをしつつ、僕は調剤室にいる彼女を横目でチラリと確認する。彼女は処方箋を見ながら黙々と薬のピッキング作業を行って、その目付きは真剣そのものだ。ちょうど今年の春から、資格がなくても調剤補助員がピッキングだけは出来るようになった。それは彼女に取っては、逆に良かったのかもしれない。
「僕らが出来ることは、限られてますから 」
「恒ちゃんも、すっかり大人のお兄さんになっちゃったわね。こんな丁寧な言葉使いしちゃって 」
「えっ? そうですか? 」
「そーよ。昔は君たちが帰ってくる度に、私もよくイタズラされたもんよ 」
アハハ……
田部さんは、いったい何年前の昔話を引っ張りだしてしているんだか。
どうやら、未だに根に持たれている……
というか失礼千万だった昔の所業に関しては、忘れて下さいと言うしかない。
今日は金曜日ということで、店はなかなかの盛況具合だった。我が家は街でも数少ない調剤薬局なので、内科外科その他さまざまな患者が薬を求めてやってくる。
やっと客が途切れたのは、閉店時間よりも少し前のタイミングだった。
「あの、田部さん、閉店作業は僕がやりますんで 」
「大丈夫よ。恒星くん、試験期間なんだし 」
「まあ、それはそうなんですけど。今日は夜から雨が酷くなるみたいなんで 」
「ああ、そういえばそうだったわね。じゃあ、お言葉に甘えようかしら 」
田部さんは意外とあっさりと僕の申し出を受け入れると、調剤室周りの点検をし始めた。彼女も田部さんの動きを見て閉店時間に気づいたのか、部屋から出ると僕の顔を見てくる。
「麻愛も、後は僕がやるから。手伝ってくれてありがと 」
「えっ? あっ、うん。じゃあ、先に家に帰るね 」
彼女にしては……
妙にアッサリとした反応だった。
彼女は田部さんにお疲れ様ですと声を掛けると、白衣を脱いで裏へと向かった。




