神は彼女に様々な愛を示した
神は彼女に新しい選択肢を赦した。
きっと彼女もそれに気づいているだろう、と僕は思った。
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今年の大型連休は、彼女の体調不良で盛大に幕を閉じた。
あの日はいろいろあった。
聞く人が聞けば、僕の行動力のなさは
「お前は度胸がない」とか「いくじなし」とか、言われるのかもしれない。
だけど、いまの僕らは発展も進展もしない。
というより、そうなる必要がない。
いま彼女に必要なのは家族同然に過ごせる場所で、僕はそれに応えたいと思っている。
世の中には恋すること以外にも、愛を示す方法が沢山ある。
僕は毎日それを彼女から教わっている……
そんな気がしていた。
窓から校舎に吹き込む風は、日に日に湿気と熱気が織り交ざるようになってきて、確実に梅雨を受け入れる準備へと時が進んでいる。
新緑が濃くなってからも、僕らは相変わらず学校と家を往復する日々を送っていた。
「恒星の弁当は、今日は唐揚げが入ってるんだな? うまそー 」
「ちょっ、勝手に人の弁当の中を覗くな 」
「いいだろ、減るもんじゃないし 」
休み時間になると、匡輔はいつものように僕の机にやって来て昼飯を食べる。そして毎度のように弁当のおかずに見物すると、感想を述べるのだ。
「お前こそ、毎日パンばっかで飽きないの? エネルギーばっかつけて、どうすんだよ 」
「あはは。このパンはうちの朝食で余ったヤツだからね。こうでもしないと、食品ロスが減らないんだよ。勿体無いだろ 」
いや……
それは、ただ単純に面倒なだけだよな?
僕はもうツッコむ気力もわかないので、匡輔の発言は軽く捨て置いた。
匡輔は、他人の仕草や行動にはいちいち興味を示すのに、自分のことには無頓着なのは今に始まったことではない。
「っていうかさ、女子は元気だよなー。こんな炎天下の中、バレーボールやってるよ 」
「えっ? バレーボール? 」
僕は風になびくカーテンを手繰り寄せ、中庭を覗いた。そこにはクラスの女子数人が円になって、バレーボールに興じていて、彼女や椿の姿もある。
「麻愛ちゃん、髪が茶色いから目立つよな 」
「ああ、そうだな 」
「あれ、地毛なの? 」
「だと思うよ。小さい頃からだし 」
「ふーん 」
自分から尋ねたくせに、匡輔は力の抜けた返事をすると、味の無さそうなテーブルロールと牛乳を頬ばった。僕はあまり意識しないようにしていたつもりだったが、どうしても目下のボールを弾く音が気になっていた。
「麻愛ー! ナイスパス! 上手くなってきたんじゃない? 」
「そうかな? えへへ、ありがとう 」
彼女は椿や他の女子にアシストされながら、一生懸命にボールを追っていた。
ぶっちゃけオーバーパスはホールディング気味、アンダーパスも手の組み方がメチャクチャで、ボールはあり得ない方向に飛ぶこともあるのだが、彼女も周りも楽しそうに空を見上げている。
「麻愛っ、はいっ! ボール行ったよ 」
「はーい、まかせて! って、ギャアっッ 」
悲鳴が上がった? と僕が認識したときには、彼女は既に壮大につんのめっていて、前に勢いよく倒れていた。
オイオイっ、大丈夫なのかっ?
僕と匡輔は状況がよくわからず、思わず窓から身を乗り出す。
彼女は、地面にキスをする体勢で倒れていた。
少しだけ、僕の心が凍りつくような気がした。
が、すぐに彼女は女子たちに引っ張り上げられて起き上がった。遠目には膝と腕を擦りむいているようにも見えたが、彼女は恥ずかしそうにニコニコしていたので、僕は思わず肩を撫で下ろした。
「麻愛ちゃん。転んでもミスっても、画になるな 」
「そうか……? 」
「あんな可愛い子がずっと家にいて、しかも一緒に暮らしてんだろ? 恒星は人生の運を半分は使っちゃってるよな 」
「なんだそりゃ? つーか、何度も言ってるけど、一緒には暮らしてないけどな 」
僕は建前上は……と注釈をつけて、心の中で匡輔に抗議する。
幼なじみ、同い年、男女、居候……
確かに僕と彼女の間には、中二病を卒業して間もない僕らには大好物な単語が並んでいる。それは百歩譲って認めるが、それにしても投げっぱなしの匡輔の言い方は、処理をするのが時に億劫になる。だけど匡輔の聞く耳を持たない辺りも、僕は重々承知しているのだ。
「恒星はさ、よく自制ができるな。俺なら無理。っつーか、チキンなだけか? 」
「はあっッ? つーか、何度も言うけどお前には言われたくないわッ 」
「肯定も否定もしないんだな。やっぱ、あの日に何かあったろ? 」
「……ぬかせ 」
匡輔の失言のデパートみたいな物言いに、僕は思わずいつもの返しで反論してしまった。
ちゃんと律することが出来ていれば良かったんだが、あいにく僕がそれ否定するのは詐欺になる。
文化の違いと言う拡大解釈で、先日の抱擁に関してはウヤムヤになってはいる。
彼女の母国英国での男女のハグと、僕の知る日本の男女の抱擁は、別の意味を持つ。
彼女が前者で僕を受け入れてくれたから、いま何とか体裁を保てているが、彼女の寛大な心が首の皮を一枚繋ぎ止めていることは、僕自身が一番よく理解しているのだ。
◆◆◆
彼女は寝るときだけ、二階にある自室の寮へと戻る。それ以外は店で簡単な手伝いをするか、リビングにいるかの二択だったが、最近は姉貴の部屋で過ごすという、新たな選択肢が加わっている。
僕が部屋を覗くと大抵ドアは開きっぱなしで、彼女はベッドに腰をかけていていた。
「麻愛。風呂、お先に 」
「ん、ありがとう 」
彼女は返事もそこそこに、何やら熱心に本を読んでいる。医学書はここには置いていないから、図書館で本でも借りたのだろうか?
僕は少し興味が湧いてしまい、彼女に別の話題で話しかけた。
「麻愛? 」
「……ん? 」
「昼間に転んだところ…… ちゃんと消毒した? 」
「えっ? あっ、コーセー見てたの? 」
「あっ、ああ。たまたま教室から見えたから 」
彼女はちょっと恥ずかしそうな顔をしながら、部屋着を捲って膝を見せてくれた。
そこには大きな絆創膏が貼られていて、まだうっすら血も滲んでいる。
「ちゃんと保健室で消毒したし、さっきお風呂用に稜子ママに防水パッチも貰ったから大丈夫。私も一応医者だから、破傷風の恐ろしさは知ってるよ 」
「ああ。まぁ、そりゃそうだよな 」
僕は彼女の律儀な回答に、少し申し訳なさを覚えた。こういうときは遠回りせず、普通に聞けば彼女はきっと答えてくれるんだろう。
「ところでさ、今、何を読んでるんだ? 」
「ああ、これ? 」
彼女はそう言うと、手にした本の表紙を僕に見せつけた。
そこにはイケメン男子と美女が激しく交わりあった絵が描かれていて、僕は想定を越えた内容に思わず声を失った。
「な、な、なっ…… 」
「新源氏物語伝説だよ。私が古典苦手って言ったら、椿が貸してくれたの。漫画で読んでみると分かりやすいからって。コーセーも見る? 」
「…………!!! 」
彼女はそう言うと何も悪びれることなく、僕の前で漫画のページをめくって見せた。
なんちゅー、漫画を彼女に見せてくれてんだよっ? つーか、こんな露骨にエロい内容の漫画を、高校生は合法に購入していいのか!?
「これ、少し中身が刺激的な気がするんだけど…… 内容は頭に入ってくるの? 」
「うん、そうだね。確かに表現は全般に攻めた内容が多いね。でも面白いよ? 」
「そうなの? 」
僕は恐る恐る、彼女に疑問を投げかけた。
すると彼女はキョトンとした表情を浮かべながらも、僕にこう解説をした。
「主人公が恋に自由過ぎて、逆に清々しくて。現代人の私からするとプレイボーイとゆうか、何股してんの?とか思うけどね。自分の継母と子供作っちゃうし。椿に聞いたけど、こういうのを禁断の愛って言うんだってね 」
「なっ、源氏物語って、そんな話なの!? 」
もしかしたら女子の方が、こういう類いの免疫は強いのかもしれない。
源氏物語と言っても、僕は教科書に載ってる一部分しか知らないけど、こんなに挑戦的な恋愛というか情事が、時を越えて現代でも愛されているのかと思うと、人間の欲深さというものを感じてしまう。
「今の世の中だと、それはさすがにそれはレアケースだとは思うけど。あのね、他にもね、源氏の君は恋人を何人も作るの。継母にそっくりな人も妻にしたり。自由だよね 」
「ああ 」
僕はシェークスピアもビックリ仰天しそう先鋭的な話を、何故彼女から指南されているんだろうか? 何だか彼女からそんな深い話を普通に聞くと、こっちまで感覚が麻痺してしまいそうだ。
「私は一夫多妻に肯定的な訳じゃないし、いくら朝廷の話であっても、好きな人の一番が自分だけじゃない人生は嫌だなって思う。だけど千年も前から我が道を自由に生きる人もいたんだなって思うと、昔から人の愛の形はあんまり変わらないんだなって思うよね。そういう考えは昔からあったんだって 」
「ふーん。愛の形ね…… 」
「私は…… もし結婚したら、旦那さんとはお婆ちゃんになるまで一緒にいたい。離ればなれなんて嫌だと思う。旦那さんは他の誰のものにもなって欲しくないし、それを許したくはない 」
「麻愛? 」
「好きな人と一緒にいられなくてもいい、ってどういう境地になったら、その答えにたどり着くのか、私にはまだわからないし、わかりたくもなくて 」
彼女の発言は、彼女の母の恵倫子さんに対して向けられているものなんだろうか。
彼女が、何故急にこんな発言をしたのかは、僕には検討も付かなかった。
「ねえ、コーセー 」
「な……に……?」
「コーセーはどう思う? 」
それは突然の質問だった。
そんなことを、急に聞かれても……
僕は今でこういう類いのことは、考えたこともなかった。
「まあ。僕もまだそういうのは、まだ、何というか…… 」
「そうだよね。ごめんね、急に変な話しをして 」
「いや、そんなことない。多分、古典って昔の日本語を読めるようになることが目的なんじゃなくて、そういうことを考えるために勉強してるわけだから。麻愛の疑問はこの話を読んだら湧かなきゃいけないことだと思うし 」
彼女は僕の苦し紛れの言葉を聞くと、少しだけ口角を緩めてこちらを見た。そして彼女は少しだけ眉間にシワを寄せてると、考え込むような表情を見せる。
「多分、私は答えのないことを考えるのが苦手だから、わからないことがあるとスッキリしないんだよね。何だか、納得はまだ出来なさそうだな 」
「麻愛が、そんなに語るなんて珍しいな 」
「そうかな? 私がお風呂入ってる間、読んでみたら? 面白いよ? 」
「いや、遠慮しとくよ 」
深すぎる……
僕の未成熟な精神じゃ、エロ描写に頭がいって、文学的価値とか愛とか、ちゃんと洞察するところまで辿り着けそうにない。
「そう? 面白いのに 」
彼女は残念そうな顔を浮かべると、タオルを片手に風呂場へと向かった。
僕は、愛とか恋とか深く考えたことはない。
何故なら僕の人生において、今までそこを考える必要がなかったからだ。
多分、僕は今まで気づかぬうちに家族や周囲の人からの愛で満たされていたから、新しくそれを求めることに貪欲でもなかった。
だけど彼女はどうだ?
彼女の成熟した頭脳は、僕がただ本能で捉えていた好きとかそういう感情を、複眼的に捉えている。
僕は今まで愛とは何かなんて、ロクに考えたこともなかった。
禁断の愛という言葉があるのは知っていた。
知ったつもりになっていた。
僕がこのときの彼女の言葉の意味に気づくのは、もう少し先の話になる。




