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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に新たな日常を与えた
21/79

神は彼女を少しだけ素直にさせた

◆◆◆



 不可抗力という枠組みを越えて、僕は罪の意識を感じていた。

 見てはいけないモノを見て、見たくないモノも見てしまった。


 彼女は自ら医者という痕跡をひた隠しにして、僕らの前ではその片鱗すら見せず、陰で勉強し続けていた。

 寝る直前まで我が家にいて一緒に過ごしていたから気づかなかったけど、自分の本業の勉強に関しては悟られないように、睡眠時間を削っていたのだろう。

 それにあの資料の山の中身は、僕には一生掛かっても絶対にわかり得ない神の領域の話であって、改めて彼女は天才で、世界の宝で神童なのだと思い知らされる。

 なのに僕ときたら、わかっていたハズなのに、馬鹿みたいに説教じみたアドバイスを送ったり、本当に空気の読めない言動ばかりしてしまった。道化というか、穴があったら入りたい気分だった。

 

 気づくと僕は思ったよりも、彼女の部屋に長居をしていたようだ。

 家に戻ったときには、母さんも父さんも寝てしまったらしく、部屋の明かりは廊下とリビングにしか灯っていなかった。僕の腰は相変わらず悲鳴を上げていたので、取り敢えず応急処置で湿布を貼る。本当は母さんに手伝ってもらう算段だったから、自分で適当に処理した分、何だか斜めになっているような予感もあるが、細かいことは気にしないことにした。


 僕は静かに部屋のドアを開け閉めすると、ゆっくりと彼女が眠る室内へと向かう。この中は薄暗いベッドランプの僅かな光だけが灯っていた。


「麻愛。入るよ? 」


「……んっ 」


 彼女は布団の外に出した手を固く握りしめて、顔をしかめながら何かにうなされていた。頭に置かれていた氷嚢は額から外れていて、苦しそうに唸りもがいている。


 通常であれば、寝ている人間を起こす……なんてことはしない。

 だけどその光景は、僕にはあまりに酷だった。

 僕は彼女の耳元まで顔を近づけると、小さな声で名前を呼んだ。


「麻愛 」


「……っんっ っあ  」


 いま目の前に広がる光景は、夕方のデジャブなはずなのに、それは遥か昔のことのように感じた。

 彼女は起きる気配がない。

 その後も何回か名前を呼び、布団を叩いてみたが彼女の反応はなかった。


 不謹慎なことに、彼女のうめき声は色っぽさを増していて、でも相変わらず苦しそうな表情を浮かべている。呼吸が乱れ、頬を赤らめている彼女の姿は、僕の思考を限界ギリギリのラインでダイレクトに揺さぶってくる。


 残念ながら、僕にとって彼女はただの女の子でない。


 つまり、僕は……

 ほんの一瞬で、脆く壊れてしまいそうなこの不安定な状況から少しでも早く脱したかった。


「マーガレット……  」


 僕は、その名を口にしてからハッとした。

 さっきあれほど躊躇っていた彼女のもう一つの名前(ミドルネーム)を、あっさり自分が声にしていたからだ。


 僕は恐る恐る、彼女を確認する。

 すると彼女はゆっくりと瞳を開いて、こちらに顔を向けていた。


「……コーセー? 」


「麻愛。ごめん、うなされてたから、起こした 」


 彼女は若干息を切らしながら、上目遣いでこちらを見ていた。そしてまだどこか自分が置かれている状況がわからない、そんな雰囲気を醸し出している。


「ううん。ありがとう。助かったよ  」


「大丈夫? 」


「夢…… 変な夢を見てた。怖かった 」


「熱を出すと寝覚めの悪い夢を、視ることあるよね、って…… オイ、急に起き上がったら駄目だって…… 」


「大丈夫。ちょっと水を飲みたいし 」


 彼女はベッドに腕を立てて、体勢をゆっくりと起こそうとしていた。だけど、まだ熱の残る身体では力が入らないらしい。僕はさっきまで彼女に触れるのにあんなに抵抗があったのに、あの距離を密着したまま運んだこともあり、そんなことはどうでもよくなっていた。

 気づくと、僕は彼女が起き上がるのに手を貸していた。彼女は難儀そうに起き上がると、経口補水液を一口二口と口に含んだ。


「コーセー、ごめん……ね…… いっぱい迷惑かけちゃって 」


「いや、それより熱は? 少しは落ち着いた? 」


「うん。もう平気。薬も効いたみたい。だいぶ楽になった 」


 彼女はそう言うと、弱々しく笑顔を見せた。

 彼女の身体はまだ熱を帯びていて、滴るような汗をかいている。


「全然、平気じゃないだろ。ほら…… 」


 僕は転がっていたタオルを、彼女の顔や首に押し当てた。そこまでするのは何だか過保護とゆうか、距離感は間違っているような気もしたが、同時に開き直っている自分もいる。


「ありがとう。ほんと、反省だね。人生でワープしたのは初めてかも。旅館にいたはずなのに、次に起きたらマリコの部屋にいるなんて。ごめんね。重かったでしょ 」


「別に気にしなくていいから。こっちこそ、気づかなくてごめん 」


 今、落ち着いて考えれば、思い当たる節は多過ぎた。あれはきっと彼女の空元気だったのかもしれない。


「ううん。私が黙ってたのが悪いから。これくらいなら、薬でなんとかなるって思っちゃった 」


「何だよ、それ。自分の生命力を過信し過ぎだろ 」


「そうだね 」


 彼女は苦笑して、暫く黙っていた。

 僕も何となく、次に続く言葉が思い付かない。

 すると彼女はまた少しだけ経口補水液を飲んで、ゆっくりとこう話を続けた。


「私、一応は医者なのにね…… 人間は強いけど脆いって、よく知ってるはずだったんだけどな 」


「…… 」


 僕は彼女の口から初めて、自分は()()だという言葉をを聞いたような気がした。


 医者だって人間だ。

 風邪も引くし、病気にもある。

 弱ることも、あるかもしれない。


 でも、それでも強くあろうとした彼女を、僕はこれ以上叱責することができなかった。


「君は、いつも無理してばっかりだ。医者の不養生ってやつだよ、全く  」


「医者…… ぶよう……? 」


「医者の不養生、後で調べとけよ。日本の有名なことわざだから 」


「そう。わかった 」


 彼女はまた少しだけニコリとする。そして間髪入れず、こう続けた。


「自分の体調も管理できてないなんて、医者を名乗る資格なんてないよね。まあ、まだ免許持ってるだけだけど。ほんと、反省しなきゃ。コーセーにも、迷惑かけてばっかだし 」


「別に迷惑だなんて思ってない。君はもう少し、周りを頼ることを覚えた方がいい 」


「うん、わかった。今日は何を言われても、素直に聞くことにする 」


 彼女はそういうと、また布団に潜る体勢を整え始めた。僕はその様子を見てハッとする。何だか完全に見舞い客みたいな感じになっていたが、僕は本題のスマホの充電器をポケットから取り出すと彼女に手渡した。


「ほら、これ、スマホの充電器。使うんだろ 」


「あっ、うん、ありがとう。もう電池切れそうだったから 」


 彼女もすっかり忘れていたようで、何だか間の抜けたな反応だった。彼女はその場で枕元を見回す。どうやらプラグを差せる場所を探しているらしい。


「麻愛……ちょっと待ってて。あっ、この部屋……コンセント、何処だったかな? ゴメン、多分いま塞がっちゃってるから 」


 僕はベッドに膝をつき、手探りでその向こう側のコンセントにコードを差そうとした。

 若干彼女を覆うような状態をにはなっていたが、病人にそこをどいてくれとも言えないし、多少は我慢をしてもらう他ない。


 だけど、僕は肝心で一番重要な事……

 僕の腰が悲鳴を上げていたことを、完全に失念していた。


 僕が身体を屈ませた。

 そして、次の瞬間……

 突然、自分の腰の辺りに鈍い電気のようなものが走る感覚を覚えた。


「う゛っッ…… 」


「えっ、ちょっ、コーセー? 」


 グキッっと背中で何かが響く音がして、僕が伸ばしていた腕は手折られた。そして僕の意思とは無関係に、彼女の上半身に雪崩れ込む。ビリビリする痛みはかなり酷くて、言葉にならない呻き声が上がってしまう。


「イ゛ッツダッ! ゴメン。麻愛、ちょっと今動けない 」


「コーセー? あの、大丈夫? 」


 彼女はあまり感情の起伏がない、と思っていた。

だけどいま、彼女は珍しく少し声を張って僕に話しかけている。


 なっ、これはっッ……

 この体勢はアウト、っつーか、絶対駄目でしょッ……


 僕は、彼女に完全に馬乗り状態になっていた。

 完全抱きついてるし、これじゃあ病人の寝込みを襲った変態の構図が出来上がっているではないか!?

 それにうちの両親に見つかったら、百回勘当されても足りない仕置きを受けそうだ。


「あ゛っッ…… ゴメン、麻愛! いま゛退くからっ…… 」


「コーセー? 」


 ちょっ、まっッ……

 麻愛っッ!君は何で平然としてるんだ!?

 肝が据わりすぎでしょっッ!?


「う゛ッ…… 」


「大丈夫? 」


「ごめ゛ん、大丈夫、いま退くから…… 」


「…… 」


 僕は少しだけ息を吸うと、覚悟を決めた。

 そして腹筋に力を込めて起き上がろう…… とした。


 そのときだった。


「……って、えっっ?? 」


 ビリビリと痛みが駆ける腰が、一瞬温かくなった気がした。

 その感触は、僕も知っている彼女の華奢な腕だった。

 彼女は病人なのに、僕に押し倒された挙げ句、そのバカ野郎の背中に手を回していた。


「腰が痛いなら、すぐに動かないで。身体を丸めたほうがいいから 」


「ちょっ、麻愛っ? 手、はなして…… 」


 僕には何が起きたのか、わからなかった。


「私、手は離さない 」


「えっ……? 」


 彼女の柔らかな髪が、僕の耳の敏感な神経を優しく刺激する。まだ彼女は少し汗ばんでいて、伝わってくる体温はまだ熱がある。

 僕は彼女がいまどんな表情をしているのかは、見えない。

 だけど彼女の声色は何だか包容力があって、でも震えているような気もした。



「風邪、移しちゃったらごめん。でも、もう少しこのままでいて欲しい 」


「えっ? 」

 

 何で急にこんな事になっているのか、僕には全く理解が追い付かなかった。


「また眠るのが怖い。本当は、今は一人になりたくない 」


「えっ? 」


「…… 」


 夢見が怖い、ということか?

 それなら、何となくこの状況にも納得がいく。

 正直少し残念な気持ちもあるけど、僕は同時に事は思っていたよりもだいぶ深刻なことを悟った。


「少しは人を頼ること、覚えたね 」


「…… 」


「日本には、バカは風邪引かないって迷信があるから。僕には移らないと思う 」


「…… 」


 無言で頷く彼女の背中に僕は無理やり腕を回して、少しだけギュッとした。

 僕の心臓は腰の痛みと緊張が相まって、人生ベスト3に入るような速さで高鳴っている。

 そしてさっきまで背中越しに感じていた彼女の鼓動は、正面から静かに響いていた。


「ずっと怖い夢。思い出したくない夢を見てた 」


「そっか 」


「もう、誰かが死ぬのとか嫌なのに…… 」


 彼女を蝕む夢は、きっと彼女のお母さんにまつわることなんだと思う。

 

 何で彼女が僕を離さなかったのか、理由はよくわからない。

 正直いまの彼女にとっては、人の温もりであれば、すがるものは何でも良かったのかもしれない。でも流石にそう思うことは、いくら僕でも少し寂しい気持ちにもなる。

 

 僕がもし、彼女の心まで抱きしめることが出来れば……

 こんなに自分の無力を嘆くこともなくなるのだろう、と僕は思った。



 神様は、やっぱり不公平だ。

 僕はずっとそう思って生きてきた。


 だから今、もし神様に願いが一つ届くなら、

 僕は彼女を悪夢から救ってくださいと伝えたいと思った。



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