神は僕に彼女の本来の姿を見せた
■■■
「あっ、恒星。シャワー上がった? 」
「ああ。母さん、麻愛の具合はどう? 」
「さっき目を覚ましてね。少しは熱は下がったみたい。経口補水液と栄養剤を飲ませたところ 」
「そう。それなら良かった 」
僕は髪をタオルで拭いながら、横目で姉貴の部屋に眠る彼女を確認した。家に着く頃には、僕と彼女の全身は、雨と汗でびしょ濡れになっていた。
彼女は細身ではあるが、背負っての移動は流石に疲れた。そして今は少し腰と背中が痛い。
だけど、幸い我が家には薬のプロが二人いる。彼女のケアに関しては、自宅に連れて帰った方が安心できるのは唯一の救いだった。
「あっ、恒星。悪いんだけど、一個お願いしていい? 」
「えっ? っっと、ちょっ…… 何これ? 」
僕の返事を待つことなく、母さんは見覚えのある物を投げてきた。
それは、一本の鍵だった。
「麻愛ちゃんが、部屋からスマホの充電器を取ってきて欲しいって 」
「なっ、いいのかよ? 年頃の男子高生を女子の部屋に入れて 」
「麻愛ちゃんの許可は一応取ったわよ。私はスッピンだから、もう外には出られないもん。今日は例外 」
「はあ 」
少し酒が入っているせいもあるかもしれないけど、母さんは何時にも増してやることが大雑把だった。ゴールデンウィークも輪番で店は殆んど開けていたし、急に体調を崩した観光客が、駆け込み寺のようにやってきて忙しくもあった。だから、母さんも少しは疲れているのかもしれない。
僕はコップ一杯分だけ水分を補給すると、すぐに彼女の部屋へと向かった。
寮自体は我が家の所有物ではあるけれど、他人の部屋の鍵を開けるのは、何だかスリルというか変な緊張感がある。
僕は静かに鍵を差し込むと、ゆっくりとドアを開いた。部屋の中は少しだけヒヤリとして、微かに僕が今まで嗅いだことのない、花のような甘い匂いがした。
彼女の部屋には、スーツケースを運んで以来の入室だった。あまり部屋をジロジロ見るのはどうかと思うが、目に入ってしまうのだからどうしようもない。
彼女の部屋は、生活感がなかった。
そこには無機質な白い壁の空間が広がっていて、家具は備え付けの机とベッドに本棚、それにテレビがあるだけ。ただそれだけだった。
唯一生活の痕跡がある机の上には、英語の本が数冊並んでいて、中には日本語で書かれた本も転がっている。
いけないと思いつつ中身をちらりと覗くと、僕には理解できないような専門書のようなもので溢れていて、何故か弓道の指南書や自然遺産の写真集、それに下呂温泉のパンフレットも混在している。さらに半開きになったノートパソコンは、プリンターに接続したままになっていて、その回りには文献が散乱していた。所々マーカーが引かれているその紙を一枚手に取ってみると、冠動脈ステント治療と書かれた論文と、心臓の術野の写真が何枚も載っている生々しい写真が広がっていた。
僕はあまりの内容に、すぐにそれらの資料から目を逸らす。
血を見るのは苦手ではない方だとは思っていたが、これは僕のような一般人では直視できないような衝撃的な映像だった。
僕は机の資料を元の形に戻すと、ふと無造作に放置されている二つの物に目が止まった。
一つは、おそらく実物大の心臓の模型……
そして、もう一つは写真立てだった。
他人の部屋を物色するのは、泥棒と同義語なのはわかっている。だけど、僕はこの好奇心を押さえることができなかった。
僕はゆっくりと、その写真立てを手に取った。
額の中には、今よりも少し幼い彼女と、彼女のお母さんの恵倫子さんのツーショットが納められていた。
写真のなかで二人は頬を寄せ合い、無邪気な笑顔を見せている。何だか雑誌を切り抜いたような素敵な一枚だった。
彼女の紺碧色の瞳、艶やかな亜麻色の髪はきっとお母さん譲りなんだろう。恵倫子さんのお父さんはイギリスの人だと聞いている。二人は親子だけど、不思議と見ようによっては仲良し姉妹のようにも思えた。
僕は恵倫子さんには、小さい頃に一度あったことがある。僕がやんちゃして怪我をして心配してくれたし、無茶をするなと叱られた記憶もある。
ずっと会ってないならば、その人は自分のなかで死んだも同じなのに、まだ恵倫子さんが天国に旅だったと言われてもピンとこなかった。
見なかったことにしよう……
写真立てを元の位置に戻そうとしたとき、縁のところに何か文字が書いていることに気づいた。
これは、アルファベット?か、何かだろうか?
写真立ての縁にはマジックで、
Dear Ellie&Mai Marguerite
from K
と書かれていた。




