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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に嫉妬した
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神は彼女を未知へと書き立てた



「麻愛ちゃん、もうすぐ着くよ 」


「えっ、あっ、ここは? 」


「あと五分で下呂に着くところ 」


 彼女は岐阜駅を過ぎてから暫くの間は、車内に流れる観光アナウンスを聞きなから飛騨川の風景を楽しんでいた。でもやはり長距離の移動や時差ボケの疲れもあったのだろう。日が沈み始めた頃、彼女は僕に壮大に寄りかかって眠り始めた。

 彼女は華奢ではあるが、それは全体重を感じるばかりの勢いだった。彼女の髪からは嗅いだことのないシャンプーの仄かな香りがして、服の上からでも腕には時折吐息を感じた。


 思春期の僕はまだ人間が出来上がっていない。

 だから彼女のその仕草のお陰で、僕はかなり(むご)い時間を過ごす羽目になった。



 確かに彼女とは、昔一度だけ会ったことはある。

 一応、名目上は幼なじみと名乗れる……だろう。

 だけどッっ、これは些か油断しすぎではないかっッ?


 彼女はそんな僕のざわついた気づく素振りはない。

いや、そもそも彼女と僕では精神年齢が違うだろうから、大人はそういうことは気にしないのかもしれない。それにイギリスでは、こういうことは一般的なことなのかもしれないとも思えてくる。


 僕の動揺も虚しく彼女はあっさりと「ありがとう」と言うと、胸元に掛かっていた上着を畳み僕に返却してくれた。

 そして少し目を擦りながらスマホを取り出すと、時間を確認し始めた。彼女のスマホは英語表記で、待受には黒い服と四角の帽子を被った人たちが写っていた。それは海外ドラマで目にする光景そのもので、卒業式の写真か何かだと思った。


 そんなことをしているうちに、電車は下呂駅に到着した。

 ホームと乗り口に何故か大きな段差があり、特急から降りるのには少しだけ苦労する。僕は普段は毎日部活をしてるから筋力には自信はある方だが、彼女のスーツケースは想像以上に難儀な重さだった。それだけでも母さんの代わりに僕が駆り出されたことには意味があったのかもしれない。


 彼女はホームに降りるなり、やはりまた辺りをキョロキョロ見回し始めた。

 僕にとってはすっかり見慣れた風景だったが改札や看板等、あらゆるものに興味があるらしい。確かに少し年季の入った待ち合い室のベンチや木の温もりが感じられる駅舎は、十分目を輝かせる価値があるのかもしれない。

 彼女は【ようこそ下呂温泉へ】の看板を見つけると、なめ回すように凝視して写真まで撮りはじめた。

辺りは暗くなっていたが、彼女の表情はさっきまでのお眠モードと一変して、お日様に当たったかのように晴れやかだった。


「麻愛ちゃん、うちまでは十分くらい歩くんだ。こっち 」


「うん 」


 彼女は後ろ髪を引かれるようにしながら、僕の後ろを陣取ると帯同するように歩き始めた。


「コーセーは、よく(ここ)に来るの? 」


「僕の高校は電車乗らないと行けないから、毎日イヤってくらい駅には来るよ 」


「そっか。電車で学校か。学校に電車で行くって、何だか格好いいね 」


「そうかな? 」


「私、ずっと学校の側に住んでて歩いて学校通ってたの。だから羨ましい 」


「まぁ、慣れちゃえばどうってことないけどね 」


 僕からすればチャリ通とかで気軽に学校に通いたいところなんだけど、温泉街のこの辺りには高校はないから選択肢もなく隣街まで通学している。

まだ事情がよくわからない彼女には、そんな些細なことすら新鮮なんだろう。


 彼女は相変わらず周辺地図の看板やあらゆるものに、後ろ髪を引かれながら歩いていた。辺りはすっかり夜なって入るが山々は微かに建物から漏れた光を浴びて、夜桜が照らされている。足元には咲き乱れた花びらが落ちていて、地面は白く覆われていた。

 それにしても今日は空には雲ひとつないのに、新月なのか空が暗い。星は綺麗なのに辺りはすっかり闇の中だった。


「ねえ、コーセー 」


「何? 」


「この窪みから、湯気が出てる 」


「ああ、これは源泉。触ることも出来るんだよ 」


「……ゲーセン? 」


「げんせん。温泉のことだよ。この辺りは温泉街だから、町中に温泉が引かれてるんだ。だから、こんな風に観光客向けにお湯に触れるスポットが歩道にあるんだ 」


「へえ 」


 彼女は話を聞きながら、手を湯の吹き出し口に向けていた。


 あっ、それは、ヤバイっ……

 僕はハッとして、殆ど反射で咄嗟に彼女の手首を掴んでいた。

 体が揺れた反動でか、彼女の肩のポシェットはドサッと音を立てて地面に落ちる。


 彼女は驚いた様子で、僕を見ていた……


「コーセー? 」


「麻愛ちゃん、あの、ゴメン。言い忘れたんだけど…… 」


「……? 」


 彼女は怪訝な顔をして僕を見ている。

 薄闇で湯気に当たる彼女の瞳は、紺碧の海のように深く艶やかだ。

 彼女のちょっとした仕草に僕はいちいちドキドキする。こんなことなら、さっさとお年頃とやらは終わって欲しいとさえ思えた。


「それは限りなく源泉だから、四十度以上あって熱いんだ。だから触れるんだけど、ちょっとだけ……慎重に触るくらいがいいと思う。ごめん、いきなり手首掴んで…… 」


「そうなんだ。ありがとう 」


 僕はそう言うと、ゆっくりと彼女の手を離した。

 彼女はポシェットを拾うと今度はそっとゆっくりと湯に手を近づけた。



「本当だ。確かに熱いね 」


 指先で確かめる程度、彼女は湯に触れる。

 暗くて良く見えないハズなのに、少し下をうつ向く彼女の瞳から目が離せなくなる。彼女も僕と同じ十六歳だけど、彼女の仕草や態度には時折大人の色香があるのように感じた。


 まだ彼女と出会って数時間しか経っていない。彼女と僕では次元が違う。生きてきた世界も違う。なのに数年拗らせた感情も上乗せされて、すでに彼女は僕の想像以上の破壊力だった。


 そんな遠くにいる彼女と……

 僕はどんな距離感で生活すればいいのかと、とても深く考えてしまった。




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