神は彼女を混濁させた
◆◆◆
「やっぱり布団を敷くのって、地味に大変だよなー 」
「何を今さら、そんな当たり前なこと言ってるんだよ 」
彼女がフロントに助っ人に行ってしまったので、椿が交代要員として匡輔を送り込んできた。
ただ正直いてもいなくても同じ、というよりむしろ余計な検閲という手間が掛かるから、一人で作業した方が効率がいいかもしれない。
「匡輔、シーツ曲がってる。ここもシワもよってるし 」
「ああ、だから俺こうゆう作業苦手なんだよな。恒星は何だかんだで几帳面だよな。俺より責任感もあるし 」
「ったく、当たり前だろ。こっちは金を貰ってんだから 」
匡輔は作務衣に無駄に襷を掛けて、やる気には満ちていたが、掃除係としてはポンコツだった。ヤツは自分が駒になるよりは、上に立って場を回す方が向いていると思う。
「早く麻愛ちゃん、帰ってこないかなー 俺、早く持ち場に戻りたいんだけど 」
「あはは。奇遇だな。僕も早く彼女に戻ってきて貰いたいよ 」
僕も匡輔の意見に同意すると、深い溜め息をついた。コイツの尻拭いをしながら部屋を回っていたら、何時間あっても終わりが来ない気がする。
「っていうかさ…… 」
「何だよ? 」
僕は半ば投げやりに、匡輔に返事をした。
どうせ、またクダらないことを言い出すのはわかっている。そんなことよりも、今はとにかく作業に集中してもらいたかった。
「やっぱ恒星って、麻愛ちゃんのこと、好きだよな? 」
「はあ? 」
僕は思わず作業を止めて、匡輔の方を振り向いた。
予想を上回るブッコミ発言だった。
「何か麻愛ちゃんが下呂に来てから、出し惜しみすることなく、すげー大事にしてるじゃん 」
「そりゃ、そうだろ。彼女はイギリスから、見ず知らずの場所の他人の家に来てるんだから 」
「そういう意味じゃなくて 」
匡輔は頭をかき乱しながら「この無自覚優男」とか失礼千万な事を言って、溜め息をついている。何でこんな言われようをされなくてはならないのか、僕には納得がいかなかった。
「それに、どっかの誰かと違って仕事にも几帳面だからね。 ちゃんとシーツの端は、ピシッと整えるし。一緒にいると自分もしっかりしなきゃって思うよ 」
「……はぐらかしたな? 」
「何を? 」
「佳央理ちゃん、お前が麻愛ちゃんに熱心なことに、怒ってんじゃないの? 」
「なんで、いま佳央理の名前が出てくんだよ? 」
「そりゃ…… 最近の恒星を見てたら、佳央理ちゃんが不憫だろ? 佳央理ちゃんはわざわざ下呂に残るために、独り暮らししてるんだろ。察しろよ 」
「はあ? 何でそうなるんだ? 」
「おい、まさかそっちも自覚なしか? おまえ、ちょっと酷すぎだろ 」
酷いも、何も……
匡輔の言わんとすることの意味がわからない。それじゃまるで、佳央理が僕のことを好きみたいな言い方じゃないか。
佳央理が下呂にいるのには、複雑な事情がある。それは親類だけが知っていればいい、センシティブな内容だ。だから匡輔にそんなことを言われても、僕には困る以外の感情が沸かないのだ。
「そりゃ、佳央理は僕のことは嫌いじゃないだろ。再従兄弟だし、血が繋がってるんだから。僕だって佳央理のことは好きだよ。好きとか嫌いとか、そういう感情を抱いたことすらないわ 」
「ちょっ、そういう事じゃなくて…… 」
「どういう答えを期待してるかは知らないけど、あんまり執拗に言うと僕も怒るからな 」
僕は無理やり話を着地させると、作業を再開した。彼女はともかく、何故佳央理の話が出てくるのかが意味がわからなかった。
ったく、こうなったらさっさと作業を終えて、この匡輔と強制密室という環境から抜け出すしかない。
僕は手元をたくしあげると、気合いを入れ直して布団に向かった。
そのときだった。
ブーブーブーブー
僕はスマホが振動しているのを感じて、ポケットを確認した。
ディスプレイには間嶋椿の名前が出ていた。
「椿から電話だ 」
「えっ? あっ、俺のとこにも着信あったみたいだ…… 」
匡輔にも僕にも着信があるのなら、急ぎの用事か何かだろうか?
まあ、おそらく彼女の助っ人業務が終わった連絡か何かだろうけど、それなら麻愛自身が僕に連絡して合流すればいい話なようにも思える。
僕は少し不思議に感じつつも、スマホを操作すると椿からの着信に応じた。
「もしもし 」
「あっ、恒星? 」
「ああ、麻愛の通訳は終わったの? 」
「それが 」
椿の声色は明らかに浮かなかった。
僕の脳裏には、何だか嫌な予感が過っていた。
◆◆◆
麻愛が倒れた。
やっぱりそういうことだったのだ……
僕は匡輔に布団敷きを託して、一階のバックヤードへと急いだ。草履のせいか、たまに絨毯で滑りそうになるので、僕は足袋を脱いで裸足で裏階段を爆走している。
彼女は外国人客とのやり取りを終えると、その場で崩れるように倒れたらしい。後悔なんて言葉では収まらないくらい、僕は久し振りに自分自身に腹を立てていた。
「失礼……します…… すみません……迷惑……掛けちゃって…… 」
息苦しさを押さえつつ、僕はフロント裏のバックヤードを開けた。まだここのドアを開けたことは数えるくらいしかなかった。
「あっ、恒星。こっち 」
椿が奥の衝立から顔を覗くと、こっちこっちと手招きしていたので、僕は急ぎ足でそちらへと向かった。奥には椿ともう一人従業員の女性がいて、二人で彼女を囲むように膝をついている。
彼女は長ソファーに横になり、胸元には宿の法被が掛けられていた。額には熱冷ましのシートが貼られていて、彼女は苦しそうに全身で呼吸をしている。
「さっき、熱計ったら九度近くあって 」
「薬が切れたってことか。ったく 」
「薬? 」
「あっ、ごめん、こっちの話。常備薬に鎮痛剤あるかな? あと、水を多目にもらえると助かるんだけど 」
「わかった。ちょっと待ってて 」
椿と社員の女性は救急箱の位置を確認し合うと、その場を離れた。
彼女は顔をしかめたまま、目をギュッと閉じていている。僕は彼女の額に浮かぶ汗を、ティッシュで拭った。彼女は目の辺りにも何か光るものを浮かべていたので、それもついでに押さえておく。こんなに人様に迷惑をかけていたんじゃ、後でゆっくり説教する他ない。
「コーセー? 」
「麻愛? 気がついた? 」
「ここは? 」
「ここはバックヤード。椿と従業員さんが運んでくれたらしい 」
「えっ? あっ、そうだ! 私まだ仕事がっ 」
「ちょっ 」
彼女は肩肘をソファーに掛けると、上半身を起こそうとした。だけど力が入らないのか、すぐにガクリとバランスを崩す。
「ああ、もういいから! 取り敢えず寝とけって。今、椿が薬を持ってきてくれるから、それ飲んで安静にしてろ。仕事終わったら、また迎えに来るから 」
「でも 」
彼女は珍しく、僕に抵抗の構えを見せていた。でも、その声にはやはり力がこもっていない。
「イブプロフェン、飲んでたのか? 」
「えっ? 」
「さっきリネン室に、銀紙が落ちてた。麻愛のだろ? 悪かった。気づかなくて 」
「日本ではアイビュプロフェンのこと、イブプロフェンって言うんだね 」
「はっ? 」
「ううん。私こそ黙ってて、ごめんなさい。 」
彼女はそう言うと、またソファーに横になりゆっくりと身体を埋めた。その弱々しい彼女の姿は、見ていてとても切なく感じた。




