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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に新たな日常を与えた
13/79

神は彼女に吐露させた

◆◆◆


 彼女はというと…… 切り替えも早かった。


 自分で蒔いた種なのに、僕の心はざわついたままだ。

 他に手段も思い浮かばなかったが、まだ手のひらには彼女の髪の感触が残っている。亜麻色の髪はふわふわに柔らかくて、少し甘い花のような香りが鼻腔を刺激した。本当に体に悪いことこの上ない。


 彼女は徐々にコツをつかんだのか、その後はミスや僕に何かを尋ねることなく、一人で仕事をこなすようになった。そして僕たちは無駄話をすることなく数時間ほど黙々と作業に打ち込んだ。


「バイトって思った以上にハードだね 」


「まあね。特に掃除係は肉体労働だからね。でも二人だと作業も早く進む気がする 」


 室内の作業と言えども、掃除係の運動量は半端ないから、僕も彼女も少し汗ばんでいた。彼女は作務衣の袖で額を拭っている。朝のテンションを持続させるのはさすがに厳しかったようで、少し疲れてきたようだ。


「恒星は疲れてないの? 」


「僕は……まあ、お盆とか正月とか定期的に駆り出されてるから。麻愛は大丈夫? 少し休もうか? 」


 彼女は少し肩で息をしている。

 大学でスポーツをしていたとは聞いたことがないし、部活を始めたとはいえ精神力寄りの弓道部だ。ノンストップで動き回れば、疲れるのは当たり前だ。


「大丈夫。まだ、大丈夫だから 」


 彼女の声は、いつもより少し弱々しい。

そして言葉と身体の均衡が取れていないのは明白だった。

 僕は彼女は目の前の仕事を、近い将来自分がイギリスで働く未来を前提に向き合っているのだと思った。

 彼女はどこにいても、見えない力で自分を縛り付けている。こういうとき、彼女がたまにしか言わない本音が垣間見えた気がした。



「麻愛…… 今、君は普通の()()()なんだから。労働者は休憩は取らなきゃいけなし、休むことで効率が上がることもある 」


「えっ? 」


「麻愛…… もう一回言うよ。今はそんなに急ぐ必要はないから 」


「でも 」


 彼女は食い下がらなかった。

 根がストイックで、努力や労を惜しまない。

 だから彼女は、自分の才能を天才まで高めることが出来たのだと思う。

 でも僕も、ここで折れるわけにはいかなかった。


「あと二部屋だから、時間までには終わる。一旦、休もう? 」


「うん。わかった…… 」


 彼女は、僕の提案を渋々受諾する。

 僕が部屋の椅子に腰掛けると、続くように彼女も畳に体育座りをした。


「……私、あんまり良くわかってなかった。仕事がどれだけ大変なのか。ツバキも匡ちゃんも、毎日バイトして部活して勉強もして凄い 」


「まあ、あいつらは家業の優先順位が高いからね。やらされてるとかじゃなくて、自ら働いてるっていうか。だから自然とメリハリつけてやってるんだろ 」


 勉強に関しては両立出来てるかはかなり怪しいけどね、とツッコミたかったが、そこは堪えておくことにした。最高の頭脳を有する彼女にも、まだまだ欲しいものは沢山あるらしい。


「私は…… 今までちゃんと働くってことを意識してなかった。頭では理解してるつもりだったけど、体験しないとわからないこともあるんだね 」


「確かにね。勉強は頭で分かれば出来るけど…… 仕事とかスポーツとか、人間関係とか世の中の大半のことは、それが理解出来てるだけじゃなくて、自分で動いて形にしなきゃないからね 」


「そうなんだね。やっぱり、私にはまだ何か足りない 」


 彼女は思い詰めたような表情を浮かべている。

 僕は彼女の思考回路を知ることも、どんな思いで生きてきたのか知ることは出来ない。


 でも、僕は思った。


 彼女が求めるもの……

 それは僕らが生きている間は、ずっと明確な答えは見つけるられない事なんだと思う。

 彼女はいつも貪欲に無意識に、それを手中にしたくてずっと追い求めている。

 だけど当の本人は、その事実に気づいていないらしい。


「でも、だから面白いんだと思うよ 」


「えっ? 」


「僕には意外だよ。麻愛もそういうこと言うんだね 」


「そういうことって? 」


 彼女は目をパチクリさせながら、僕に答えを求めた。

きっと彼女は事がうまくいかなかったことを悔しいと感じていて、それは許されないと思っている。

 何が彼女をここまで縛り付けているのか、僕には皆目検討がつかなかった。



「何でもかんでも思い描いたようにうまくいったら、人生はつまらない 」


「つまらない? 」


「うん。思い通りにならないから、頑張るしヤル気が出る。だから大変なこともあるけど、上手く行けばそれが嬉しく感じる。最初から何でも出来てしまえば楽かもしれないし、優越感もあるかもしれないけど、それじゃ何のためにそれをするのか、目的の理由もなくなっちゃうと思う 」


「目的の理由…… 」


「うん。目的のための手段であって、手段の先に目的を据えるのは理に適わないってこと。例えば麻愛は頭がいいから、ライセンス取った訳じゃないだろ? 」


「えっ? 」


 彼女は、少し驚いた表情でボクを見ていた。


「麻愛は頭がよかったから免許取ったんじゃなくて、免許を取るために頑張って勉強したんでしょ? 」


「それは…… そう…… だけど…… 」


 彼女は何か言い掛けていたが、ハッとした表情を浮かべると、ギュッと口をつぐんだ。


「あと、ついでに言っとくと、麻愛はイギリス帰ってからのことが、頭を過った? 」


「それは、その…… 」


 彼女は言葉に詰まっていた。

 僕は世間知らずな青年という立場を利用しないと、彼女に声はかけられなかった。


「麻愛の態度見てて、何となく感じたんだ。でもまだやったこともないことと比較してもナンセンスだろ 」


「なっ、そんなことは…… 」


 彼女の言葉は歯切れが悪く、僕が一方的に尋問しているような気分になった。

 一度開いた口は止まらない。何だか僕は引くに引けなくなっていた。


「最初から手段が完成した状態で挑める物事の方が少ないんだ。知識があればあるほど武器は沢山あるってことだろ?麻愛には努力と勉強で増やした引き出しが沢山あるんだから、自分の頑張ってきたことにもっと自信持った方がいい 」


「私、頑張ったって…… 言っていいのかな? 」


「えっ? 」


 僕は彼女の発言に少し驚いて、思わず声をあげていた。

 彼女の瞳は艶やかだった。

 彼女からこんなことを聞き返されるなんて、僕には想定外の出来事だった。


「麻愛は、命を救いたいっていう強い気持ちがあったから頑張ったんだろ。そんな人が努力してないわけない 」


 上から目線なことは重々承知していた。

 僕は会ったこともない、彼女の背後にいる人間たちに怒りを覚えていた。

 ここまで言っておいて彼女の反応は少し怖かったが、口にせずにはいられなかった。


「ありがとう。コーセー 」


 彼女はそう小さく呟くと僕に向けて少しだけ笑ってくれた。


「私、初めてだと思う。家族以外に頑張ってるって言ってもらったの 」


「…… 」


 何気なく彼女が発した言葉は、ズシンと僕にも響いてくる。

 彼女は今まで誰にも頑張りを認めてもらえず、すべてを才能や天才という単語で片付けられてきたのだとしたら……

 神様は彼女に酷いことをするな、と思った。


「私、まずは旅館の仕事、ちゃんと出来るように頑張るよ 」


「ああ、うん 」


 彼女はそう言うと、ゆっくりと立ち上がり作業の続きに取りかかった。


 小さい頃からずっと心につっかかっていたものがある。

 彼女は笑っていても、落ち込んでいても、どんなときでも、いつも儚げで寂しそうで時々悲しい顔をしていた。


 でもやっと今日、その原因が少しだけわかったような気がした。

 何故、まだ数十日しか一緒にいない僕にわかって、今まで彼女の周りにいた者たちにはわからなかったのだろうか。

 彼女は、こんなに直向きなのに……


 彼女は最高の叡知を手にしているはずなのに、まだ何か足りないのだと言った。

 そう言わせてしまったものは、何なのだろうか。


 それは多分彼女自身には補えない領域のもので、だからこそ彼女はこの街にやってきた。

 彼女の見ている世界は広いようでとても狭くて、僕の見ている世界もまた狭くて息苦しい。


 僕は、この時強くそう思ったのだ。




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