涼やかな青い熱
ワコは、故郷フダヴァス諸島を出て数年間、当てもなく旅をしてきた。
竜人。海竜を祖とする、水と美と共に生きる種族。
果てない青が広がる海から、豊かな緑が覆う陸地へ。まだ見ぬ景色を求めて、好奇心に突き動かされての旅だった。
無愛想な彼女は慣れない環境で苦労も多かったが、仕事を淡々とこなす姿から信頼は得られた。
変わり者とは言われつつ、生活にはあまり困らなかった。深く関わる者はなく、一人で過ごす時間が多い。多種多様な絵を集中して描けたので満足していた。
そんな時に出会ったのが、北からの来訪者。まだ見ぬ人と知識、文化からは大きな影響を受け、それに喜びを見出す。大規模な事件にも関わり、生活は激しく変化した。
そして更に変えたいと思う関係もあるのだ。
森の中の湖は日を受けて輝く。宝石にも負けない煌めきを破り、魚が跳ねた。飛沫もまた美しい。
その横には抉れた地面を埋めるように草が茂っている。かつて聖女一行が拠点にしていた跡地だ。
南北間の交渉が成立して、数年。
交流の為には大陸の南北を繋ぐ道が不可欠。神罰の地から、妖精の足跡、更にその先へ。大掛かりな事業だった。
だからこそ完成した後も定期的な手入れが要る。
森を突っ切る道は樹木と猛獣が障害となる。
伸びてきた枝を切り落とし、獣避けの魔術をかけ直す。その為にペルクス達は懐かしい深い森を訪れていたのだ。
一通りの作業を終えて休憩。一行は湖で思い思いに過ごしていた。
カモミールとローナ、グタンの親子は湖で水遊び。弾ける水飛沫を浴び、楽しくはしゃぐ声が高らかに響いていた。
ペルクスと師匠とクグムスは生物の観察と研究。やはり新発見が多く研究者魂が沸き立つ。改めて探索する事を決めた。
ワコは当然絵を描く。
位置を決めて布を敷いてしゃがみ、画板に紙を用意。森と湖、仲間達を眺めてフレームに収める。
下書きを終え、焦る気持ちを抑えて絵の具を広げ筆を構えた。
そして集中。景色を見て、頭と手元で組み立て直して、丁寧に描いていく。
青。緑。白黒金にオレンジ。色とりどりの絵の具が鮮やかに染めていく毎に心は高まっていく。反して手元が正確になるよう、見た目には出さない。無表情で不動。涼やかな仕事振りだった。
道具を置いて、一息。
ワコが集中を解いて顔を上げると、いつの間にかすぐ横に呆けた表情のペルクスがいた。一瞬息を呑み、驚きに胸が跳ねる。
が、それは見た目には出さず、首をかしげて問いかける。
「なに?」
「ああいや、済まない、ワコ。聞きたい事があるのだが」
「ん」
「これらは故郷の方で見たことはあるか?」
気を引き締め直したペルクスは、目を輝かせて籠を差し出した。その中には、湖にいた貝や虫。
ワコはまるで動じず、平然と手にとってしげしげと眺める。
「ん……この辺は知ってる。けど、こっちとこっちの模様は知らない」
「なるほど。南方の分布も大分分かってきたな。助かった」
「じゃあ、また描くけど」
「ああ。手間を取らせて済まなかった」
振り返り、去ろうとするペルクス。すぐ絵を再開したいのだから見送ればいい。
はずが、その手をワコは思わず掴んで止めた。自分からしておいて温もりに怯む。
「待って」
気づいた時の彼の顔が妙に気になったからだ。絵に書いて残したい程に。
じっとむず痒い感情を放置できなくて、おずおずと問う。
「もしかして、ずっと見てた?」
「……ああ、声をかけても反応がなくてな」
「それは、ごめん。でも、それだけ?」
「……だけ、では、ないな」
「……竜人の観察?」
「いや、済まない。見惚れていた。真剣な姿はやはり美しいからな」
真っ直ぐ、照れもせずに言い切った。
ワコも表情には出ないが、顔は熱くなっていた。
付き合いも長くなってきて、他の者とは違う感情には気付いていた。きっと互いにそうだとなんとなく実感していた。
なのになにかと忙しくて、なんだか怖くて、目を逸らしてきた。
だが今は、景色が些細な事を忘れさせるように綺麗だった。
ざわと風が木々を揺らす。陽光を受けた湖面が光る。仲間の姿は遠い。二人の間の空気は、甘やかになりつつある。
ワコの口は考えるより先に、言葉を発していた。
「……それで、終わり……?」
「む……」
わずかに目を見開くと、籠を置いて悩む素振りをするペルクス。
じっと待つばかりの、しかし居心地の悪くない時間がしばし流れる。熱を生むのは空の太陽だけでなかった。
「……ワコを見ていると心が浮き立つ気分になる。一緒にいると喜ばしい心地になる。より多く喜ばせたいと励みたくなる。つまりは、だな」
ペルクスはやはり照れもせずに理屈立てて語った。
ただ最後だけは、少し溜めて、意気を決して、真剣な面持ちで、告げる。
「ワコ。君が特別だ。好意を持っている。僕と男女の関係になってほしい」
いまいち色気の欠ける硬い口調。それがいかにも彼らしくて、本音だと理解できた。
ワコも流石に無表情とはいかない。それが恥ずかしくて、うつむき加減で応える。
「ん……嬉しい。同じ気持ち、だと思う」
「そうか。それは良かった」
不敵な、自信の満ちた笑み。赤みが差し、わずかに頬の緩んだ顔。互いの言葉を確かめるようにそっと二人は抱き締め合った。
ペルクスは華奢な体を愛おしく思い、ワコは思いの外がっしりした体格にときめいた。胸の高鳴りは同じだ。
だが、抱擁を解くと一気に甘さは霧散した。
「ならば、しばらく隣で作業をしてもいいだろうか」
ペルクスはその場にしゃがむ。そして籠の中の生物に研究用の魔術を使い始めた。
答えの代わりに、無言で体を寄せるワコ。そのまま絵をを再開した。
並んでそれぞれに作業。本当に告白したばかりなのかと疑うような色気のなさ。
ただ、隣に居るだけ。言葉はなく、別々の事をするだけ。それでも互いの熱、存在を感じる。
個人の行動を確保しつつ、二人きりの心地よさだけがあった。
「おお、この貝殻は良い顔料になりそうだ」
「どんな?」
「少し待ってくれ。すぐ試作品を作る。……よし、どうだ?」
「……完璧。ありがとう」
「ああ。その顔が見たかった」
「……お互い様」
時折気持ちを通じ合わせて微笑むペルクスとワコ。
貝殻から作った絵の具は鮮やかな発色の深い青。ただ一人を喜ばせる為に作った思い出の色。
淡々とした言葉には、濃厚な思いが込められていた。
二人はやはり恋人なのだった。




