裁定者は傲慢であるべからず 前編
真昼の太陽は曇天に隠れている。弱い光の下、太陽の代わりのように人々は明るく、街は賑わう。
その中心には神殿。壮麗な姿が威容を誇っていた。
信者が祈りを捧げに集う。静かで厳かな聖域だ。
一般には開放されていない区画の前には武装した門番。厳しい姿勢で守るその場だけは空気が違う。
そこに、ローブに身を包み杖を携えた人影が現れた。銀の髪、細い目、温和な雰囲気の顔立ちではある。
「ここから先は一般の立ち入り厳禁だ。名と要件はなんだ」
「裁定への異議を申し立てに参りました」
誰何の声にも立ち止まらず、男は悠々と進む。
門番は槍を突き出した。不審者への牽制。だが相手はまるで意に介さず、止まらない。
仕方なく番人は槍を持ち上げ、叩きつける。
容赦のない一撃が不審者を打ち据えた。
はすが、すり抜けた。ように見えた。
目を白黒させて視線をさまよわせる門番。滑稽な程の慌てよう。
実際はただ避けただけだ。ローブに覆われた独特な歩法が錯覚を起こしたのだ。
戸惑う隙に、杖の一撃。
役目を果たせず昏倒した門番を置いて、男は目的地へと進んでいく。
侵入者は警備をものともしない。道を塞ぐ障害を易々と打ち破る。
滑るような移動。ゆらめくローブ。予備動作の見えない唐突な動き。鍛え抜かれた熟練の技が幻夢に誘う。
正面から真っ直ぐ向かってくるのに、警備は人影を見失った。
防御も不可能。まるで蛇のようにしなやかな杖の軌道が巧みに隙を打ち抜いていく。
白昼夢。あるいは真昼に現れた亡霊。
捉えられない人影を、理解できない現象として警備は恐れた。それでも逃げ出さないのは信仰か、意地か。
ただ、懸命な抵抗も、わずかに進みを緩めるだけでしかない。
気絶した者達を跡に残し、男は堂々と目的地に到着した。
「罪を悔い改める意思はありますか」
男は涼やかな声で問いかけた。相手は神殿を管理する地位の高い聖職者だ。
「何の話だ!」
「あなたが運営を任された孤児院で起こした所業の話です」
「この私を愚弄するか! 私はそれに関与していない、主教様も認められた! 私は無罪、それが神の審判だ!」
「……残念です」
顔を真っ赤にして反論する彼の発言は正しい。多くの子供が犠牲になったおぞましい事件を調査した教団は、確かにそのように公表している。
だが、この結論に男は納得していない。だから直接動いたのだ。信頼する上司に止められようと。
一歩進む。圧が高まる。
男に潜む殺意を恐れたか、聖職者は素早く唱え始める。
神聖な魔法。教団に認められた者だけが扱える魔法は高い威力を発揮するだろう。
しかし、それが発動するより早く、人による罰が振り下ろされた。
それが、人々を恐れさせた“白昼夢”の始まりの事件だった。
「三件の殺人を犯した罪人、アブレイム、ですね」
薄曇りの昼の街道。都市から続く踏み締められた道の上。十歩程の距離を保って二人が向き合う。
髪、瞳、服、全てが白。静謐な冷たさをまとう少女が淡々と口にした。
徒歩で次の街を目指していたローブの男、アブレイムは丁寧に対応する。
「これはこれは“純白の聖人”様。お目通りが叶って光栄です。私に何か御用でしょうか」
「勿論断罪に参りました」
断固とした口調。揺るぎない信念の固さが表れるような宣言だった。
アブレイムは柔らかい顔つきで、しかしこちらも強い意志を持って答える。
「聖人ともあろう方が不徳の裁定を支持するのですか」
「教団の裁定に間違いはありません」
「いいえ、間違いです。そして神の罰を待っていては遅いのです」
己の正しさを信じる凛とした口調。堂々と反論を主張するアブレイム。
ただ、聖人は興味なさげに一蹴する。
「何を言おうと裁定は覆りません。連行します」
「流石に私も聖人に敵うとは思いません。しかし諦める事は主義に反します。抵抗させてもらいましょう」
聖人が手を掲げれば、光の輪が出現した。
“断罪の奇跡”。聖人が聖人たる所以。罪人を決して逃さない裁きの光だ。
真っ直ぐ向かってくる光輪を、アブレイムはかわす。
独自の歩法、すり抜けるような幻惑の動作は健在。次々と放たれる光を回避。
聖人も不可解な技には惑うばかり。
少しずつ前へ。じりじりと距離を詰める。やがては杖が届く位置に辿り着けるだろうと希望が見えた。
が、光の輪はやはり奇跡なのだ。
視界を覆う程大量に放たれては回避は不可能。全身を縛る光。強固に拘束され囚われてしまった。
「天罰から逃れられる訳がないでしょう」
「当然私への罰も受け入れる覚悟はありますよ。その代わり貴女は使命を全うしてください」
「罪人に言われるまでもありません」
そうしてアブレイムは流刑地送りへとなったのだった。




