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私たちの距離

作者: はやはや

「ピンポン」とインターフォンが鳴る。

 時刻は午前七時。訪問者は誰かわかっている。夫のたけるだ。健と出会ったのは六年前。とあるバス停だった。私達は毎日同じ停留所で乗降車していた。

 ある日、バス停で待っていると、近づいてきたバスが目の前で角から飛び出して来た自転車と接触事故未遂を起こした。運転手はバスを停め降りてきて自転車に乗っていた少年に注意している。

 どうしたらいいんだろう、と戸惑っている私に後から健が「とりあえずバスに乗って待ちましょう」と声をかけたのだった。

 それをきっかけに「いつも乗り降りする場所一緒ですね」と話し、お互い読書が趣味だとわかり意気投合し、「今度お茶でも」連絡先を交換したのだった。そして交際が始まった。


 私達は結婚しているけれど同居していない。マンションの隣同士で部屋を借りて暮らしている夫婦だ。

 夫婦関係が冷え切っているとか、離婚前の別居とかではない。私達はスープの冷めない、そしてすぐさま生存確認ができる距離を必要としているのだ。

 私達は誰かと一緒に暮らすということに窮屈さを感じる。一人で過ごす時間を持つことで精神の安定を図っている。


 眠気を無理矢理ねじ伏せながらベッドから下り、玄関のドアを開ける。ノーネクタイのグレーのスーツ姿の健が立っていた。

 健は毎朝必ず出勤前に私の部屋に来て「行ってきます」を言う。「メールでいいよ」と言ったのだけれど「生存確認しときたいから」と言われ受け入れた。

 健が言うように一日に一回くらいは顔を合わせている方が確かに安心といえば安心だ。


 私はフリーランスでイラストレーターやライターのような仕事をしている。知り合いのデザイン事務所から仕事をもらっている感じだ。たまにキャラクターの公募に挑戦したりもする。

 仕事は自宅でしているので、ついつい起きるのが遅くなってしまう。家から一歩も出ずに仕事をするのは息が詰まる。今日は健の部屋で仕事をしようと思いながら玄関ドアを閉めた。


 私達は互いの部屋の合鍵を持っている。〝いつ何時、自由に出入りしてよし〟という約束をしている。

 部屋が隣になるだけで窓やベランダから見える景色に僅かながら変化がある。自分の部屋ではない場所で仕事をするということは、私のモチベーションを少しだけあげてくれる。


 お気に入りのコーヒーショップで挽いてもらったコーヒー豆をドリップパックに入れお湯を注ぐ。湯気が立ち上りふうわりとコーヒーの香りが漂う。コーヒー豆がお湯を含んでぷっくりするのを見るのが好きだ。

 朝に何かをお腹に収めるのはきついけれど、コーヒーと食パン一枚は食べるようにしている。そうしておくと昼前までは集中して仕事ができる。


 朝食を済ませると私は健の部屋へ向かった。健の部屋は私の部屋と違いシックな色合いだ。私はパステルカラーが好きなので、この部屋に入るとすっと背筋が伸びる気がする。

 ワンルームにある机にタブレットを置き、仕事を始める。今、私が担当しているのはタウン誌の二ページにわたる日々の生活を綴ったイラストとそれに添える文章だ。


 近くにある公園から子どもの声が聞こえる。誰かを呼ぶ声、笑い声、時々泣き声。隣の部屋の人がベランダに出た気配がする。今日は天気がいいから洗濯物を干すのだろう。それとも日光浴でもするのだろうか。

 そんな私の日々の中の一コマを絵に描き、簡単な解説文をつける。ふと顔をあげるとカーテン越しに日差しの入り方が変わっていて、気がつくと三時間が過ぎていた。

 急に空腹を覚え、ここで昼休憩を取ることにする。私達の間には〝食べ物は共有しない〟という約束もあるので、一旦自分の部屋に戻り昼食を摂る。


 冷蔵庫にある食材から昼食はうどんに決めた。冷凍うどんと同じく冷凍したほうれん草、最後に卵を落とす。私は料理にこだわりも興味もない。できるだけ簡単な調理しかしない。毎食一品で済ませる。


 私より先に結婚した友達が「さすがにご飯とおかずだけ、というわけにいかないから、味噌汁とちょっとした副菜を作るけど、今日は旦那が出張でいないから、うどんだけにしよー。ラッキー」と話したのを聴いて、ひどい違和感を覚えると同時に私には結婚は無理だと思った。


 でも、健と結婚できた。それはこうやって互いが夫婦であれど一定の距離が必要な人間同志だからだ。

 健と出会えてよかったな、なんてふと思う。


 小さな土鍋でくつくつ煮たうどんをテレビの前にあるテーブルに移す。静かすぎるのが落ち着かなくて、見ないのだけれどテレビをつける。わらわらと賑やかな昼の情報番組が流れた。

 うどんを咀嚼しているとCMに切り替わった。流れていたのはシチューのCMだった。そっかそんな季節になったのかと思いながら、ほうれん草を半熟卵にからませて口に入れる。


 CMで流れていたのはきのこと鮭のシチュー。美味しそうだった。


「今晩、これにしようかな」と独り言を言っていた。普段、食事は別に食べる私達だけれど、カレーやシチュー、おでんなど大量に作ったほうが美味しいものだけは一緒に食べる。

 健にメッセージを送った。


『今晩、シチューにしようと思うけどどう?』


 しばらくしてスマホが鳴った。


『いいね。一緒に食べよう』


 そうと決まれば夕方買い物に行かなければ。

 私達は私達の距離感を大切にするのと同じくらい互いのことを愛している。

読んでいただき、ありがとうございました。

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