第39話 憧れのあの言葉
「にゃーーーーーーーーーーーーー!」
タン!タン!タン!
真夜中に何の余韻もなく目を覚ました私は、真っ暗な天井を見上げ、「またかー」とため息をついた。
「ふんにゃーーーーーーーーーーー!」
タン!タン!タン!
昨夜と全く同じ音する。
今夜もまたあの白いのが、寝室の窓の外で怒っているに違いない。見なくても分かる。ああ、分かる。嫌になるくらい分かる。あーあ。
「ふんぬにゃーーーーーーーーーー!」
タン!タン!タン!
仕方がない。
私はベッドを下りて、すたすた歩くと、窓を開けて尋ねたのだ。
「ねえ。もしかして、毎晩これをやる気なの?」
「ふんにゃーーーーーーーーーーー!」
窓からするりと入ってきた白い毛玉は、私を睨みつけた。
チルちゃん達が、心配そうに毛玉に駆け寄り「チルチル?」とか聞いているけれど、そんな優しい言葉をかける必要なんてないと思う。私の指先の玉ちゃんも、そんなに心配そうに光る必要はないのだ。
だって、あの猫は煩いし、生意気だから。
「ふんにゃーーーーーーーーーーーー!」
「あー!煩い!」
「ふんぬにゃーーーーー!」
「うるさーーーい!」
「大丈夫ですか!?奥様!入りますよ!」
怒鳴りあっていると、護衛が寝室に飛び込んできた。
のっそりとした大きな体。太い眉毛に長いまつ毛と小さな瞳。
昨夜と同じ。またケビンだ。
「あ。またパイ」小さい目をパチパチしながら、善人ケビンが困ったように呟いた。
「行くわよ」
ガウンを羽織った私は、ケビンに声をかけ部屋を出る。
猫のパイも、当然だとでも言うように私の前へと躍り出る。
チルちゃん達も慌てて続く。指先の玉ちゃんもピカピカ光った。
「奥様?どこへ行くんですか?」
「いいから行くわよ!」「にゃーー!」
原因をどうにかしないと、この毛玉は毎晩怒鳴り続ける気なのだ。だから原因の場所に行く。
昨夜と同じあの場所へ!
⭐︎
窓からの月明かりにぼんやりと照らされた玄関ホールで、あの小さな魔法陣はまだ銀色に光っていた。
「にゃっ」
猫のパイは、魔法陣の真下の壁に前足をかけ、後ろ足で立ち上がると、忌々しげに魔法陣を見上げた。
そして、私をチラリと振り返ったのだ。
くーっ。やっぱりこの猫は、あの魔法陣を私に何とかしろと言っているのだ。
でも、どうすればいい?確かにこの魔法陣は目障りよ。私だって、この魔法陣をそのままにしておくつもりじゃなかったわ。魔法陣について調べてからどうにかしようと思ってたのよ。それなのに、今すぐどうにかしろっていうの?
「にゃー!」
あー!はいはい。今すぐどうにかしろって言ってるのね。分かったわよ。やるわよ。出来るわよ。
それで、どうするの私。魔法陣を消す方法なんて、良い子の魔法陣図鑑には書いてなかったけれど、どうする私。
「にゃーーーー!」
「あー!煩い!やるから黙ってなさいよ!」
「お、奥様?」「チ、チルチル?」
睨み合う私と猫のパイの間で、小さなチルちゃん達と大きなケビンが、オロオロしている。指先の玉ちゃんもピカピカしている。
でも、そんな事を気にしている場合じゃないのだ。
どうする?どうする私!
魔力で描いたものなら、魔力で消せるかしら?
例えば、紙に間違えた字を書いてしまった時みたいに、魔法陣の上から横線をさっと引いてみればどうかしら?
それとも魔力で塗り潰しちゃえば消せる?他人の魔力で描いた魔法陣でも出来ちゃう?
「奥様?また虫がいるんですか?」
魔法陣を睨みつける私に、ケビンが恐々と聞いてくる。
「ええそうね。虫みたいなものだわ」
住人の許可なく勝手に屋敷に入ってきて、勝手に壁に住み着いているのだから魔法陣も虫と同じようなものかもしれない。
魔法陣も虫と同じく葬り去ろう。
あ。でも。でも、よ。虫の場合は屋敷から葬り去っても、また別の虫が入ってくるわ。
魔法陣も同じで、これを消してもまた別の場所に描かれるだけじゃないかしら。
・・・それでまた私は猫のパイに夜中に起こされるの?
そんなの絶対嫌よ!
どうする?それならどうする?どうしちゃう?
この魔法陣を描いた人は、今もここの会話を何処かで聞いているのかしら。やっぱり描いたのはイブなの?イブは今、イブの部屋で聞いてるの?
どうすれば、魔法陣を屋敷の壁に描くのをやめさせられるかしら?
ああ、分からない。でも大丈夫。きっと方法はある。今は思いついていないだけ。思いつけばいいだけだから、頑張れ私。思い付け。これ以上安眠を邪魔させない。
どうする?そう。魔法陣は消す。でも消す前に、簡単に次の魔法陣を描いたり出来ないように脅してみる?魔法陣に向かって何か言ってみる?脅しちゃう?やっちゃう?
でも、脅すって、なんて言えばいいのかしら?
イブ、って名指しで呼びかけてみる?驚くだろうけれど、イブだって私に怪しまれているのは分かっているはず。今更名前を呼んだって、脅しとしては弱い気がする。
それにもしもこの魔法陣を描いたのがイブじゃなかったら、名前を呼んでも何の意味もない。
何かないかしら。
誰にでも通用する、もっと強い言葉は。
心の奥底まで届いて、深く刻み込まれるような、そんな強い言葉はあるの?
・・・・あるわ!
え?でも、言ってもいいのかしら。
私みたいな平凡な人間が、あの言葉を言ってもいいのかしら。
まだ私には早いのではないかしら。
でも、私があの言葉を言える機会は、今しかない気もする。
・・・・ああ!やっぱり言ってみたい!
言うわよ。
言っちゃうわよ。
言っちゃうからね。
ドキドキしながら、銀色に淡く光る魔法陣に向かって進んだのだ。
何だか足元がふわふわしている。
本当に私はあの言葉を言っちゃうの?
憧れのあの人の言葉を言っちゃうの?
「奥様?」「チルチル?」
大きなケビンと小さなチルちゃん達の間を進む。
猫のパイは壁から前足を下ろし、やってみろよ、と私を見上げている。
やるわ。言うわ。言うわよ。
私は胸を押さえ、大きく息を吸い、魔法陣に向かって低い声で、ささやくように言ったのだ。
憧れのあの人、そう、『異世界の私』のカッコいいお言葉を、言ったのだ!
「やれるものならやってみろ」
「今日がおまえの最後だ」
「おまえのツラ、マジ笑える」
「弔いの鐘の音が聞こえるだろう。おまえの為の鐘の音だ」
「おまえ達の時代は終わったのだ」
「・・・滅びろ」
カッコいい!
感動だわ。憧れの人『異世界の私』の言葉を言える日が来るなんて。
これまでチルちゃん達と頑張ってきて良かった。奥様としても頑張ってきて良かった。何だか全てが報われた気がする。
だって私は憧れのあの人の言葉を言えたのだ。うふふ。
嬉しい事に、この屋敷には盗み聞きの魔法陣があと四つある。だからあと四回も言えるのだ。憧れの人のお言葉を。うふふ。
最後に指先の玉ちゃんに魔力を流し、ギラギラと光った玉ちゃんで銀色の魔法陣の上に金色の線をさっと引いた。
銀色の魔法陣は、崩れるように消えていった。
魔法陣とは、なんと儚いものなのだろうか。
ま。それはともかく、うふふ。
「さ。次の場所に行きましょうか」
上機嫌で振り返ると、何故だかチルちゃん達とケビンが目と口を大きく開いて私を見ていた。
「お、奥様、正気ですか?何故、虫に向かって恐ろしい言葉を!?」
「チ、チルチル!?」
「うふふ。何を言っているのかしら。さあ、次の場所に行くわよ」
「次の場所?」
「チルチル?」
「うふふ。行くわよ」「にゃっ」「うふふ」「にゃっ」
こんな感じで次に行き、同じことを繰り返した。
つまり、まずはお言葉。次に玉ちゃんでさっと一閃。「奥様?」「チルチル」「うふふ」「にゃっ」
この順番で魔法陣を三つ消した。
最後の一つを消そうとしていると、昨夜と同じくイブが来たのだ。
今夜もまた美しい。
青ざめて震える姿もまた美しい。
「奥様。何をなさっているのですか・・・」
「大した事じゃないわ。すぐ終わるから」
そういうと私は魔法陣に近づき顔を寄せた。
「奥様!」
イブに悲痛な声をかけられ、イブを見た。
何か言いたい事があるのだろうけれど、私はもうすでにあの言葉を言う体制に入っている。早く言いたい。すぐ言いたい。
だから私はイブの大きく見開かれた紫色の瞳を見つめたまま、魔法陣にささやいたのだ。
「やれるものならやってみろ」
「今日がおまえの最後だ」
「おまえのツラ、マジ笑える」
「弔いの鐘の音が聞こえるだろう。おまえの為の鐘の音だ」
「おまえ達の時代は終わったのだ」
「・・・滅びろ」
カッコいい!
憧れの人の言葉を言い切った満足感に浸りながら、キラキラに張り切る玉ちゃんを魔法陣につけ、さっと横に引いた。
魔法陣は儚く消えた。
イブも儚げに崩れ落ちた。




