第35話 犯人はお前だ!
二階にある寝室の窓の外側、ほんのわずかにある出っ張りに器用に座った猫のパイ。
何だか私を睨んでいる。
最初に出会った時は汚れた野良猫だったのに、侍女のローズに甘やかされて、今では白いふわふわの高価そうな毛皮になった。
ローズは「奥様の飼い猫です」とみんなに言っているけれど、猫のパイは絶対にローズの飼い猫のつもりに違いない。
私の事は、なんか邪魔な奴、と思っている節がある。生意気だ。
毎晩ローズの部屋に行き、ローズのベッドで眠っているのも、ローズ派の二番のくせに生意気だ。
久しぶりに会ったのに、何か私に怒っているところも本当に生意気だ。
でも、私こそがローズ派の一番。二番なんかに舐められるわけにはいかない。
私は腕を組み、威厳を持って窓の向こう側にいる猫のパイと対峙したのだ。
「久しぶりね。パイ。こんな真夜中に何の用かしら」
「にゃーーーーーー!」
タン!タン!タン!
伸ばした片手で窓を叩く猫のパイ。
「ふん。所詮、猫ね。何を言っているのか全く分からないわ」
「にゃーーーーーー!」
タン!タン!タン!
窓越しに睨み合う私たちの前に、チルちゃん達が恐々と入ってきた。
窓ガラスにぴたりと手をつけ、心配そうにパイを見るチルちゃん。
猫のパイは鳴くのをやめて、ガラス越しにチルちゃんの手の平を鼻先でつん、と付いた。
見つめ合う猫のパイとチルちゃん。心の交流をしている。私の指先の玉ちゃんまでが、心配そうに瞬いている。
そんな事をされると窓を開けない私が、ただの悪者みたいだ。
仕方ない。
窓を開けて「何よ」と猫のパイに声をかけた。
「ふんにゃーーーーーーー!!」
途端に態度が悪くなる猫のパイ。
「何よ!!」
「奥様。どうしました?」
寝室の扉の向こうから、護衛が声をかけてくる。
ロザリーじゃない。交代した別の護衛の男だ。屋敷の中に人が増えてから、夜、寝室の前にも護衛が置かれるようになったのだ。今日の当番は誰だったかしら。
「奥様?」
ああ、この声はケビンだ。彼が恋する相手に贈った求婚の言葉は「結婚して欲しい」でも振られてしまったらしい。その後、どうなっただろうか。今度聞いてみなければ。
「大丈夫よ。猫が騒ぐものだから、少し叱っただけよ」
「ああ。パイですか」安心した声がした。「毎晩、屋敷を歩き回っていますよ。パイ。奥様のお休みの邪魔をしてはダメだ」
猫のパイは、プイッと後ろを向くと、屋敷の壁を駆け降りた。
意外と器用だ。
感心して眺めていると、猫のパイはこちらを見上げ、怒った声で「にゃーーーーー!」と鳴いた。
「何よ」
月明かりの下、苛立たしげにブルンと振られる猫のパイのふわふわした尻尾。それをチルちゃん達としばらく眺めた。
あの猫は、何をあんなに怒っているの?
「・・・もしかして、こっちに来いと言ってるのかしら?何か見せたい物があるの?」
ふと思いついて呟くと、チルちゃん達が、ハッとした顔をして私を見上げ、うんうんと頷き始めた。
猫のパイも「にゃーーーーーーー!」と鳴いた。
「えー。でも、今から?」
真夜中なのだ。猫のパイがいるのは外なのだ。
でも、猫のパイは怒っているし、チルちゃん達はキリリとやる気に満ちている。
仕方ない。
私はガウンを羽織ると、チルちゃん達を引き連れ寝室の扉を開けた。
「奥様?」
扉の外に置かれた椅子に座っていた護衛のケビンが、のっそりと立ち上がった。
ケビンは体が大きく、眉毛が太く、小さい目に長いまつ毛をした善良な二十一歳だ。
「猫が逃げたの。探してくるわ」
「今から?」
「今からよ」
ケビンは長いまつ毛で二回瞬きをした後、「分かりました」とついてきた。
⭐︎
外に出る気で階下に降り他のだけれど、階段近くの窓の外に、すでに猫のパイが張り付き、「にゃーーーーー!」と叫んでいた。
「パイは中に入りたいのでしょう。窓を開けますか?」
先に進み出たケビンが聞いてきた。
「お願いするわ」
ケビンが開けた窓から、猫のパイはすぐに飛び込んできた。そしてまた「にゃーーーーー!」と怒りながら廊下を駆け、随分遠くで振り返ると、また「にゃーーーーー!」と叫ぶのだ。
「何よ!」
わざわざ階下まで降りてきて窓を開けてあげたんだから、お礼くらい言いなさいよ!
私は怒っているのに、チルちゃん達は一斉に駆け寄っていき、心配げに猫のパイを囲み、「チルチル?」「チルチル?」と何事か話し掛け、ふんふん頷いた後、みんなでこっちを見てくる。
「何よ・・・!」
私もこっちに来なさいって言うの?生意気な猫のパイに睨まれながら?嫌よ。
猫のパイと睨み合う私に、「俺が捕まえてきましょうか?」とケビンが遠慮がちに聞いてきた。
大きなケビンを見上げると、長いまつ毛に囲まれた小さな善良そうな瞳が、心配げに私を見下ろしていた。
「・・・私が行くわ。私を呼んでいるみたいだし」
善人ケビンに無駄な心配をさせるほどの事でもないのだ。
私がトボトボと歩き出すと、ケビンは安心したように言ったのだ。
「ああ、きっと、パイは奥様に甘えているんですね。奥様に来て欲しいんだ。やっぱり奥様の猫だから、奥様の事が一番好きなんだ」
善良すぎるケビンの言葉に、それは絶対に違うわ!と思いながら進んだのだ。
⭐︎
結局、五カ所で怒られた。猫のパイにだ。
「にゃーーーーーー!」
一ヶ所目は玄関ホール。
壁に前足をつけ、立ち上がった猫のパイは、腹立たしげにタン!タン!タン!と壁を叩いた。
「何よ」
私はチルちゃん達やケビンと並んで、猫のパイが叩いた壁を眺めた。
「何でしょうね」
善人ケビンが、善良な声で言った。
うーん。本当に何かしら。普通の壁だけれど。でも・・・・ん?
猫のパイが叩いた壁の、私の頭の上くらいの高さの場所に、銀色の線で丸い模様が描かれていた。大きさは、ワインの瓶の底くらい。丸の中には、細かな図形も描かれている。
前から、こんな模様あったかしら?それに、この模様、どこかで見たような気がする。
近づいてよく見ていると、「どうしましたか?奥様?」とケビンに聞かれた。
「これ何かしら・・・」
「何か虫でもいましたか?」
「これよ」
「よく見えませんが小さな虫ですか?」
不思議そうに私が指差す模様を見つめるケビンを見て、ふと気がついた。
もしかしてこの模様が見えてない?
でも、銀色の模様は、薄っすらと光っているのだ。こんな派手な模様、無視できるはずがない。
チルちゃん達を見下ろすと、銀色の模様に向かって指を差し、私に向かって「チルチル」と頷いている。
チルちゃん達には見えているのだ。
うーん。チルちゃん達や私には見えて、ケビンには見えないもの。闇と同じ性質のものなのかしら?それは何?
それにこんな模様、絶対に先日までなかったのに。これは何?
考えていると、猫のパイは壁を離れ、また「にゃーーーーー!」と鳴いて歩き出した。
私とチルちゃん達と善人ケビンは、仕方なくついて行った。
その後、四ヶ所を回らされたのだ。
玄関ホールの正面扉の外の壁。警備の部屋の前の壁、使用人達の休憩室の中の壁。雷のカトリーヌの執務室の前の壁。
全部の場所にあの丸い模様があった。
全部の場所で猫のパイに怒られた。
「にゃーーーーーーーーー!」
これはあれかしら。やっぱり、この丸い模様の事で私は怒られているのかしら。これは私の責任だと言われているのかしら。この屋敷の奥様である私に、監督不行届きだ何してんだよお前、と言っているのかしら。お前それでもローズ派の一番なのか?はあ?ローズのいる屋敷に、こんな目障りな模様描かれて、それでもお前はローズ派の一番なのか?と言われているのかしら!ローズ派二番の猫のパイなんかに!
誰よ。誰が描いたのよ、この模様!
だんだん怒りが込み上げてきたところに、コツコツと足音が聞こえたのだ。
「奥様・・・?ですか?どうされましたか?こんな場所で・・・」
狭い廊下を歩いてきたのは、窓から差し込む月明かりに照らされた、麗しいイブだった。
まるで待ち構えてみたいに、出てきたのだ。
この胡散臭い男が来てから、この丸い模様が現れたのだ。
絶対に何か関係がある。
いいえ、むしろ犯人かもしれない。
犯人はお前だ!と、私は八つ当たり気味に思ったのだ。




