第34話 ローズに嫌われたくない理由
「今日はいくらなんでも疲れたわ」
雷のカトリーヌや、叔母さまシモーヌや、美貌のイブと対峙した長い長い一日の終わり。
疲れ切って自室のソファーに沈み込んだ。
同じく疲れ切ったチルちゃん達が同じソファーをよじ登り、私の上へと甘えるように倒れ込んできた。
可愛い。とっても可愛い。けど重い。
全員は重い。
無理。
やっぱり無理だから退きなさい。
退きなさい。退きなさいったら退きなさいよ!と、もがいていると、侍女のローズが近づいてきた。
「奥様。今日は大変でしたね。大丈夫ですか?」
心配げに私を見下ろしたローズの明るい茶色の瞳は、優しい労りに満ちていた。
それで思ったのだ。
今ならいける!と。
疲れた私を心配するあまり、いつもの厳しさが鳴りをひそめ、私に甘くなっている今のローズにならいける!はず。
だから、疲れ切った顔のまま、ずっと抱いていた私の望みを言ってみた。
「ねえ、ローズ。紅茶を淹れてちょうだい。二人分よ。私、あなたと紅茶が飲みたいわ。隣に座って、紅茶を飲みながらお喋りしたいわ」
ローズは、使用人が奥様とお茶をするなどとんでもない!と一度も一緒に紅茶を飲んでくれないけれど、私はローズと友達のように隣に座ってきゃっきゃうふふと紅茶を飲んでみたかった。
今は特に、そうしたかった。
だって、疲れているのだ。
今日の私は一日頑張ったのだ。
すごくすごく頑張ったのだ。
成果も上げた。私は良くやった。ねえ、ねえ、私、良くやったわよね!
だから、私はご褒美を貰えてもいいはずなのだ。
いいえ、貰います。
貰ってみせます。
ローズと一緒にきゃっきゃうふふと紅茶を飲んでみせます!
「そんな、ダメです、奥様。公爵家の御婦人が使用人とそんな」
ローズは困りきった顔をして首を横に振るけれど、ダメと言われて引き下がるような私ではないのだ。
私はご褒美が欲しいのだ。ローズときゃっきゃうふふがしたいのだ。
いくらあなたが抵抗したって、こんなにやる気に満ちた私の話術にあなたが勝てるかしら?
私がゆっくりソファーから立ち上がると、ローズが怯えたように一歩下がった。
でもここは私の部屋。
ローズの逃げ場所も、ローズを助ける人もいないのだ。
この部屋にいるのは私とローズと、扉の前で護衛をしているロザリーだけ。
そのロザリーをチラリと見ると、ロザリーは、分かっていますよ、といった笑みを浮かべ、
「では私は扉の外からお守りいたしますので、何かあればお呼びください」と、部屋から出て行った。
ロザリーは何も分かっていないと今まで思っていたけれど、本当は分かっているのかもしれない。
私は扉が閉まる音を聞きながら、ぴたりとローズに目を向けた。
よし。いける。
⭐︎
湯気を立てる美味しい紅茶の入った二脚のカップ。
座り心地の良いお気に入りのソファー。
隣には、明るい茶色の瞳を輝かせてお喋りする可愛いローズ。私より二歳年上だけど、ローズはいつだって可愛いのだ。
チルちゃん達もギューギューにソファーに座って私達の話を聞いている。
窮屈だけど、とっても可愛い。
きゃっきゃっ。うふふ。
これこそ私が求めていたご褒美だわ。
楽しい。
とっても楽しい。
誰かの噂話は特に楽しい!
「えー?そうなの?ローズ。未婚の侍女達の間では、そうなってるの?
ロンが一番人気がないの?
でも、ロンは今日も真面目に護衛してくれたし、シモーヌ様のいる部屋に入る前に『覚悟は?』って忠告してくれたし、案外誠実だし、意外と頼りになるわよ。
口は悪いけれど。
好きな人に振られたって言ってたから、今、恋人いないし狙い目じゃないの?顔も、まあ、不健康そうだけれど、そんなに悪くはないでしょ?
口は悪いけれど」
「口が悪すぎます!」
「悪すぎるわね」
「奥様がロンを気に入って、色々な仕事を任せているのは知っています。確かに、あの男は真面目に働きますし、頼りになりますし、見た目も悪くありません。でも、口が悪すぎるんです!」
「悪すぎるわよねー」
「すごく悪いんです!」
「すごく悪いわよねー」
「性格も悪いんです!あの方は、いつも皮肉な事ばかり言うので、みんな怒っているんです!」
「分かるわー」
可愛い頬を膨らましてぷんぷんと怒るローズの隣で、ふふふと笑い、紅茶を飲んだ。
ああ、楽しい。
とっても楽しい。
こんなお喋りは本当に楽しい。
「ねえねえ、一番人気がないのがロンなら、一番人気は誰なの?」
私は更に聞いていく。
「もちろんミシェル様です」
「今でもそうなの?ロザリーと婚約したから、人気が下がったと思っていたんだけど」
「不動の一番でございます。ロザリー様との婚約が決まっても、順位が変わる事はございません。強くて知的で優しくて、ああ、ミシェル様」
ローズは切なげに自分の胸をそっと押さえた。
「ローズもまだミシェルが一番なの?」
「・・・はい。ミシェル様以上に素敵な方がいませんもの・・・」
「モテるわね、あの男。他に誰か素敵な人はないのかしら。そうだわ。ルイスはどうなの?」
我が弟子ルイスの事を思い出し聞いてみた。
ローズに恋する我が弟子ルイスの事を、今のローズはどう思っているのかしら。
「ルイスですか?」
ローズは人差し指を顎に当て、小首を傾げて考えだした。
あ、これ、全然相手にされていないやつだ。
私はすぐに察したのだ。
でも、何故なのかしら。我が愛弟子が相手にされていないと分かったのに、ニヤニヤしてしまうわ。
弟子の不幸を楽しむなんて、師匠としてはダメなのかしら。
でも、なんだか楽しいわ。
私はニヤニヤしながらも、師匠として弟子の為に、更に聞いてみたのだ。
「ねえねえ、それなら、侍女達の中でルイスの人気はどのあたりなの?」
「悪くはないですよ。でも、すごく良いわけでもないですし。真ん中よりちょっと上くらいでしょうか」
「ふふふ。あんまり高くないのね。クックック」
思わず少し下品な笑い声を立てた私に、ローズは咎めるように軽く眉を顰めた。
「でも、ルイスは以前よりも順位が上がっているんですよ。奥様が公爵家にいらっしゃる以前は、ロンの少し上ぐらいでしたから」
「まあ、それなら随分順位が上がったのね」
「はい。きっと奥様の影響です。以前のルイスは、少し荒れた感じで、あまり近づきたくありませんでしたから。奥様の護衛を初めてからのルイスは、以前の怖い感じがなくなりました」
ローズは楽しげに微笑んだ。
「そういえば、最近、よく話しかけてくれるようになりました」
ルイスは頑張っているようだ。
ローズのルイスに対する印象も思ったより良くなっている。
私は嬉しくなって、ふふふ、と笑った。
我が弟子が不幸になっても幸せになっても、嬉しくなるのは何故だろう。
不思議だわ。
「それにしてもあなた達の意見は面白いわね。ルイスは真ん中より少し上。ミシェルは一番。それじゃあ、侍女達の中で、二番人気は誰なの?」
「二番からは、みんなの意見が割れるんです。今は、どなたでしょうか。あっ。でも、イブ様は上位に入ってくると思います」
「イブが?」
今日来たばっかりの、あの胡散臭い男が?
「ええ。もうすでに二番くらいになっているかもしれません。だってびっくりするぐらい綺麗な方なんですもの。男の方なのに!
いえ、もちろん公爵様も美しい方ですが、公爵様は見ていると恐れ多くなって目を逸らしてしまうような美しさで、イブ様はずっと見つめてしまうような美しさなんです」
ローズは頬を染めた。
「それに、とてもご苦労されたようですのに、とても優しそうで、そんなところも人気になると思います。
仕草も美しいですし、きっと頭も良くて、仕事も出来る方です。
まだご結婚されてないそうなので、結婚相手を探している侍女達が盛り上がっていると思います」
「そう・・・」
私はイブから優しさを感じなかった。頭は良さそうだけど、狡猾な印象の方が強かった。
でもローズは全く違う印象を持ったのだ。
私は不思議な気持ちでローズを見つめた。
ふわふわとした明るい茶色の髪と大きな澄んだ茶色の瞳のローズ。
ローズが持つ色はどれも、ローズ自身の人柄と同じく、明るく澄んでいる。
ローズの感情や考えも、どれも明るく澄んでいる。
ローズはとても真っ当な人間なのだ。
多分、私はローズのような真っ当な側の人間じゃない。私の考え方も行動の仕方も、普通とは違っている。
小さい頃から謎の存在チルちゃん達といたせいなのか、他人には見えない闇が見えていたせいなのか、それとも予測不能の動きをする迂闊なマリーに育てられたせいなのか、それとも生まれつきの性格のせいなのか、何が何だかよくわからないけれど、私は普通とは違ってしまっている。
自覚している。
多分私は、目の前にいくつも道があれば、普通ではない道を選んでしまう。
それはそれで良いのだけれど、今の私は真っ当な人がどの道を選ぶのかも知っていなければいけないのだ。
だって私は旦那様と結婚したし、旦那様の事が好きになったし、この屋敷でみんなの事も好きになった。
私はここでみんなと生きていくつもりなのだ。
旦那様はずっと呪いを受けていたのに真っ当な人だ。
ローズはもちろん、ルイスも結局は真っ当な人だ。
狂信者だけどエルビスも、口が悪いロンも、雷も嵐もみんな、真っ当な人たちだ。
私はこの人たちと生きていく。この人たちを守っていく。
普通とは違うチルちゃん達を連れて。
だから、私は真っ当な人間の考え方を知らなければいけないのだと思う。
知らなければ、この真っ当な人たちを幸せにする道を選べない。
いつも明るい方を照らしてくれそうな気がするローズを真ん中に置いてどうすればいいのか考えば、私は道を誤らないでいられる気がする。
私にとってローズはそんな存在だから、ローズに嫌われたくないのかもしれないと、ふと思った。
「少し元気になられたようですね」
私の顔を見てローズが嬉しそうに言った。
「そう?」
「ええ。顔色が随分良くなりました」
「ふふふ。また一緒に紅茶を飲んでくれる?」
「・・・はい。奥様が元気になるのなら。でも、この部屋で、二人きりで、こっそりと、ですよ」
「分かったわ。こっそりしましょう」
私たちは顔を見合わせて微笑みあった。
ね。こんな良い感じに長い長い一日が終わろうとしていたのだ。
それなのに、それなのに!
タン!タン!タン!
真夜中にチルちゃん達と一緒にぐっすり眠っていた私の寝室の窓が叩かれたのだ。
「え?何?」
タン!タン!タン!
カーテンが閉められているので、誰が叩いているのかは見えなかった。
でも、人が叩いてるにしては、軽い音なのだ。
私はチルちゃん達としばらく顔を見合わせた後、みんなでベットから降り、窓に近づきカーテンをそっと引いてみた。
「にゃーーーーーーーー!」
そこにいたのは、窓に手をかけ、カンカンに怒った猫のパイの姿だった。
あら、久しぶり。




