第33話 美貌のイブ
シモーヌは最後まで、馬鹿ね、馬鹿ね、と言いながら、また来てくれる事を約束して帰っていった。闇が多めの二十四人の侍女達も、来た時と同じように馬車に詰め込まれ、何処かへと帰っていった。
後は、シモーヌ達が置いていった闇の始末だ。多くはないけれど、屋敷の隅に薄く綿埃のように溜まっている。
でもこんな薄い闇、我が栄光のチルちゃん軍にとっては、大した事がないのだ。
チルちゃん達が、えい、えい、とやればすぐ終わる。
本当にすぐ終わるのだ。
本当にすぐ終わるのよ、玉ちゃん。
私の指先で、なんだかピカピカし始めた玉ちゃん。
チルちゃん軍に任せておけば、本当に大丈夫だから。玉ちゃんは光らなくても、大丈夫だから!
大丈夫だからーーー!
と、玉ちゃんを説得する前に、やる気を出した玉ちゃんに、ピカッと、一光されてしまった・・・・。
薄い闇なんて、ひとたまりもない。そこら中が艶っとなった。
一瞬で終わってしまった戦いに唖然としたチルちゃん達の頬も、何だか艶っとなっていた。
誇らしげにピカピカ光る玉ちゃん付きの私の指も、ツヤツヤのツルツルだ。
本当にすごい。
・・・・本当にお腹が空いた。
「奥様、さすがでございます!」「奥様、上手い事やったみたいだな」「奥様、今後について少しお話を」「奥様、お化粧直しを」
何事かを話かけてきた狂信者エルビスも、口と性格の悪い護衛ロンも、雷のカトリーヌも、可愛い侍女ローズさえも蹴散らして、私は食堂に向かったのだ。
護衛のロザリーだけは私を華麗に躱すと、分かっていますよ、といったふうの微笑みを浮かべ、素早く私について来た。
⭐︎
「もっと。もっとよ。もっと沢山寄越しなさい」
「しかし、奥様!いくらなんでもこれ以上は!」
「言い訳は聞きたくないわ」
「言い訳ではありません!ステーキを三十枚焼いたのですよ!大きなパイは五個も焼きました!他にもいっぱい。あんなに・・・あんなに作ったのに、全てなくなってしまった!全て、全て、全て、全て!奥様の食欲はいつもあれですが、いくらなんでも今日は酷すぎませんか!もう何もありませんよ!」
いきり立つ料理長に、私は奥様らしく落ち着いた提案をしたのだ。
「仕方ないわね。では、とりあえずパンを寄越しなさい」
「パンなんかとっくにありませんよ!追加のパンは、まだオーブンで焼いている最中です!」
「パンがなければお菓子を食べるわ。ドーナッツを寄越しなさい。デザートを寄越しなさい。もちろん追加のパンも焼けたらいただくわ。たっぷりとね」
「そんな!奥様!」
「さあ!早く!あなたなら出来るわ!」
「しかし奥様!」
「さあ!早く!」
夕食の席で、「チルチルチル!」と並ぶチルちゃん達の圧力を受けながら料理長と揉めていると、どこか浮かれた顔をした侍女長、嵐のクロディーヌがやってきたのだ。
「まあ、どうしたの?クロディーヌ。何か良い事があったのかしら?」
「はい。奥様。先程、イブが到着いたしました」
私の後ろに控えていた雷のカトリーヌの口から「まあ、イブが」と喜びを隠しきれない声が思わず漏れた。
食堂内にいた、古くから公爵家に勤める者達からも、「まあ」「おお、イブが?」と、嬉しそうな声が上がった。
二十年前、流行病で六歳から八歳までの間、公爵家でいたイブ。
皆に愛されていた幼い頃の可愛いイブ。
二十八歳になり執事見習いとして闇に塗れた手紙を寄越したイブ。
どう考えても怪しいけれど、会ってはみたい人なのだ。
「食後に会うわ」
「はい。控えさせておきます」
クロディーヌは小気味良い足取りで食堂を出て行き、私はチルちゃん達や料理長と一緒に「チルチルチル!」「もっと寄越しなさい!」「しかし奥様!」を再開したのだ。
⭐︎
食事が終わった。
満足した。
料理長は燃え尽きて真っ白な灰になり、私とチルちゃん達は穏やかに微笑み合う。
平和な食後のひととき。
クロディーヌが戻ってきたのはその時だった。
「奥様、この男がイブです」
喜びを隠しきれないクロディーヌが横に退くと、そこには古風な黒い執事服を着た男が、真っ直ぐに立っていた。
背が高く、痩せた若い男だった。白銀の長い髪を首の後ろで束ねていた。白い手袋をした右手を心臓に当て、顔は静かに伏せていた。
「あなたがイブね。私はエルサよ。あなたの話は聞いているわ。この屋敷で働きたいの?」
声をかけると、「はい。奥様」と、華奢な見た目に似合わない、低く落ち着いた声で返事をしてきた。
そして伏せていた顔をゆっくりと上げたのだ。
少し芝居がかって見えた。でも、そうしただけの効果はあった。
部屋にいた女性達が、一斉に息を漏らしたのだから。
イブは、夜空に煌めく星のような男だった。
癖のない白銀の髪と、白い滑らかな肌をして、神秘的な深い紫色の瞳を持ち、繊細な造りの顔をしていた。
美しい女より更に美しい。
イブが口元に控えめな笑みを浮かべると、また部屋にいた女性達が一斉に息を漏らした。
すごい威力の美貌だった。でも不思議だ。
だから聞いてみたのだ。
「どうしてあなたは執事になろうと思ったの?それだけ綺麗なら、もっと楽に稼げる他の道も選べたでしょう?」
イブなら、微笑むだけで貢いでくれるお金持ちがいくらでも捕まえられそうだ。
でも、イブは美しい瞳を細めると、首を左右に振ったのだ。
「身を持ち崩すような生き方をしてはいけない、と、私を引き取ってくれたアンにきつく言われながら育ちました。顔は・・・褒められる事もありますが、歳をとれば誰にも振り向かれなくなるでしょう。そのようなものに振り回されてはいけないと、アンはいつも言っておりました」
イブは感情の篭らない平坦な話し方をした。
けれど、『アン』と言った声にだけは、愛情が篭っていた。
「ここで働いていた侍女のアンね。とても良い人だったと聞いているわ。アンはあなたの事を大切に思っているのね。今は何処でいるのかしら?私も会ってみたいわ」
「・・・高齢になりましたので侍女はやめ、故郷に帰り暮らしていたのですが、昨年、風邪を拗らせ、そのまま精霊の導きにより天に召されました」
「そう。・・・・残念だわ。精霊様、どうかアンに安らかな眠りを」
私は両手を天に伸ばし、人が亡くなった時に言う決まり文句を告げた。
指先の玉ちゃんも、ピカピカと輝いていた。
「感謝いたします、奥様。アンが生きていれば、私と共にこの屋敷に来たはずです。いつかまたハスラー公爵様のお屋敷に戻りたいと、よく言っておりましたから」
「そう。私も会いたかったわ。イブ、あなたがハスラー公爵家で働きたいと希望するのは、アンの影響なの?」
イブはまた美しく首を振った。
「アンの影響もありますが、私も幼い頃、前公爵夫妻に良くしていただきました。屋敷の皆様にも大変可愛がっていただきました。アレクシス様にもまたもう一度お会いしたい。私が他家で学んだ事で、皆様のお役に立ちたい。それが私の希望でございます」
部屋のあちこちから「おお、イブ」「まあ、イブ」と感激した声が漏れた。
イブはまるで聖女のように美しい微笑みを浮かべて皆の気持ちを盛り上げてるけれど、私は、ふんふん、なるほど、と聞きたい事を聞いていった。
「あなたは二十年前、八歳の時にアンと一緒にバルバトル公爵家に行ったのでしょう?」
「はい。アレクシス様が呪われた後、呪いに弱かった私は体調を崩し、こちらの屋敷ではいられなくなりましたので・・・。あちらの仕事を紹介され、アンと共に行きました」
「アンは侍女として働いていたのでしょう。あなたは?」
「なんでもいたしました。掃除でも使い走りでも。執事見習いとなったのは十二歳の時です」
「まあ、そんなに若いうちから?あなた、有能なのね。バルバトル公爵家の方は、そんな有能なあなたを手放したくないのではないかしら」
イブは深く美しい紫色の瞳で私を見つめながら、低い優しげな声で「はい」と言った。
「確かに最初は止められましたが、最後にはバルバトル公爵様が『ハスラー公爵家も今はお困りだろうから、行って力になるように』と送り出してくださいました」
「まあ!良い方ね」
「・・・はい。とても。奥様。どうか私をここに置いてください。今夜からでも働けます。ハスラー公爵家の為に尽くしたいのです」
イブは深く頭を下げた。でも私には、何もかもが芝居がかって見えた。イブの言葉は、どこか空虚で嘘臭いのだ。
皆はどう思っているのかしら?と、嵐のクロディーヌを見ると、目に涙を浮かべていた。雷のカトリーヌもだ。部屋中で、グスグスと鼻を鳴らす音がする。
「どうして泣いているの?」私は驚いて聞いたのだ。
「感激しているのです。あの小さかったイブが、こんなに立派な大人になって!その上、私達の力になりたいと帰ってきてくれているのです。感激しないはずがございません」
クロディーヌが涙をこぼしながら言ったのだ。
カトリーヌ達も目を押さえながら頷いている。
感激?
あんなに胡散臭い言葉で、こんなに胡散臭い男なのに?
きっと皆は今、過去を見ている。
今のイブを目に映しながら、過去の小さくて善良なイブを見ている。
そして、今日初めてイブに会った者たちは、イブの美貌を見ているのだ。
私から見たイブは、自分の美しさの使い方を知っている、狡猾な男だった。
でも、私が見ているイブだって真実とは限らないのだ。
イブの後ろにバルバトル公爵がいる事は確実な気がするけれど。
さあ、どうしよう。
この胡散臭い男を雇う?雇わない?
「お願いいたします、奥様」
皆を味方に付けたイブがまた、美しく懇願した。
皆も期待した目で私を見ている。
私は、しばらくそれらを眺めた後、くすっと笑った。
「いいわ。イブ。あなたを雇います」
私もバルバトル公爵の情報が欲しかったし、胡散臭い人は嫌いじゃないのだ。
きっと何かを仕掛けてくるつもりだろうけれど、それならそれでいい。
何とかする。
「歓迎するわ。イブ」
「感謝いたします。奥様」
胡散臭くて美しい男は、感謝の言葉を口にした。




