第32話 可愛い人
「奥様を侮辱するのは、おやめください!」
雷のカトリーヌが詰め寄ったが、シモーヌはつまらなそうにカトリーヌを見上げると、
「だって、馬鹿じゃない。この子」と繰り返した。
「シモーヌ様!」
「カトリーヌ。怒鳴らないでちょうだい。
あなただって同じ事を思っていたはずよ。あなたが呆れた顔をしていたのを私はちゃんと見たわよ。
ふん。さあ、あなたが感じた事を言葉にしてみなさい。
言わないの?私が代わりに言ってあげましょうか?言うわよ。この部屋にいるみんな、こう思ってたんでしょ!」
そして、シモーヌは天井に向かって両手を広げ、高らかに叫んだのだ。
「ねえ!この子!馬鹿なんじゃないの!?」
「シモーヌ様!おやめください!」
カトリーヌは怒鳴って止めはしたけれど、『私は奥様の事を馬鹿だなんて思ってはいません』と否定はしないのだ。
でも、そんな事で私は怒ったりしない。
私は平和を愛しているのだ。そして、戦闘体制に入っているこの二人の間に入るほど馬鹿ではない。そんな事をしたら、私が痛い目にあってしまう。
賢い私は、二人の視界に入らないように大人しく俯き、指先で玉ちゃんが慰めるように瞬いてくれたのを、ほっこりと眺めていたのだけれど、いきなり体を寄せてきたシモーヌに顎を掴まれ、上を向かされたのだ。
「エルサ様!あなたの事を言っているのよ!あなたの事を馬鹿だと言っているのよ!私達は!」
「シモーヌ様!エルサ様をお離しください!」
『馬鹿だと言っている私達』の中に入れられた事には何も言わないカトリーヌ。
でも、そんな事で私は怒ったりしない。怒れない。
だって今、凶悪な顔をしたシモーヌに、顎ごと揺さぶられている最中の私に、怒る暇なんてないのだ。
シモーヌは私を怒鳴りつけた。
「エルサ様!よく聞きなさい!
貴族というのはね、魔力を持っている人たちなのよ。
魔力はね、使い方によっては武器になるのよ。どんな攻撃をしてくるか分からない武器よ。
貴族はね、自分の魔力に合った使い方をするの。
古い家柄の貴族ほど、独自に魔力の使い方の研究をしているの。
怪しい動きをしている貴族に、馬鹿みたいに気軽に近づいちゃ駄目なのよ。分かる?これ、貴族社会の常識なんだけれど、分かってる?
危機感を持たなければいけない時に、馬鹿みたいに菓子を食べて嬉しそうにするなんて、絶対駄目なのよ。分かる?
怪しい動きをしていた貴族に、続けてくださいなんて、絶対に言っちゃいけないのよ!分かる?あなた馬鹿だけど、分かる?分かってるの!?」
ぐらんぐらんと揺さぶられながら、私は「はい」と言ったのだ。
「シモーヌ様!それ以上はおやめください!」
カトリーヌがついにシモーヌの腕を掴み、止めた。
シモーヌは一瞬カトリーヌを睨みつけたが、すぐにまた、ふん、と鼻を鳴らし、私の顎をポイっと離す。
「ねえ、カトリーヌ。私は助言を求められてここに来たのよ。舞踏会や社交界についてね。あなた達、私に助言をして欲しいのでしょ?」
「もちろんでございます」
「それなら助言してあげるわ。いいわね」
「・・・お願いいたします」
カトリーヌが頭を下げ、シモーヌは私の方へと向き直った。
そこから助言という名の、お説教が始まったのだ。
貴族を舐めるな。特に魔力量の多い大貴族や王族には警戒しろ。監視の行き届いた舞踏会でも気は抜くな。怪しい動きをしている者には近づくな。すぐ逃げろ。好奇心で動くな。飛びつくな。嬉しそうに飛びつくな!
はい。はい。分かりました。
私は真面目に返事をしたし、指先の玉ちゃんも同調するようにピカピカと光ったのだ。
「いいえ!エルサ様!あなた全然分かってないわね!」
シモーヌは、ため息をついた。
「ねえ。こんなの、社交の助言でも舞踏会の助言でもないのよ。貴族の大人が小さな我が子にいい聞かせる事ばかりよ。エルサ様。あなたの親は、まあ、問題の多い人達だったようだから、教えてはくれなかったのでしょうけど、誰か他に教えてくれる人はいなかったの?」
「マナーや知識は家庭教師に教わりました。でも、魔力については何も教わっていないのです」
家庭教師というのは、サマンサ先生の事だ。
「ふん。その教師は、平民か、魔力の少ない下級貴族なのでしょう。
そういった教師は、立ち振る舞いは教えられるけれど、魔力が大きい上級貴族なんて、会う機会もないからの対応の仕方も知らないし、想像もつかないのよ。そこが一番厄介なところなのに」
シモーヌはため息をついた。
「貴族の中で、魔力の大きさが重要視されているのはね、魔力が大きければ、魔力で攻撃されてもある程度抵抗できるからよ。
魔力の小さな者は、魔力の大きな者に対抗できず、支配されやすいのよ。
危険なの!
命も、体も、危険なの!
若い女性なら尚更、気をつけないといけないの!分かる?
まずは護符を揃えなさい。
魔力攻撃を防御する護符よ。いろいろあるから、高価な護符を揃えなさい。
あなた、馬鹿だけど、財力はあるのでしょう?
あなた、馬鹿だから、危ない場所にフラフラ迷い込んだ時の為に、用意しなさい。分かったわね」
ふんふん。なるほど。と、興味深く聞いていると、シモーヌが、ふと思い出したように言ったのだ。
「あなた。魔力がないと聞いていたのだけれど、本当は魔力が大きいのね」
「そうですか?」
私は首を傾げる。
耳から侵入しようとするシモーヌの魔力を押し返したのだから、シモーヌよりも私の方が魔力が大きいのかもしれない。
でも、自分の魔力量は、よく分からないのだ。
魔力が満ちたと思っても、すぐにチルちゃん達が魔力を貰いに来るし、最近魔力に余裕が出てきたかも、と思い始めると必ず、チルちゃんが新しいお友達を連れて来たりする。
完全な魔力量がどれぐらいなのか、自分でも知らないのだ。
「平気で嘘がつけるのは、貴族として良いことだわね」
シモーヌが、ふん、と鼻に皺を寄せた。
そんなシモーヌに、私は聞きたい事があった。
「ねえ、シモーヌ様」私はにこやかにシモーヌに体を寄せると「私に魔力がないと思っていたから、先ほど私に魔力で攻撃をしたのですね」と囁いたのだ。
「・・私はあなたに助言する為にきたのよ。あれは魔力の恐ろしさをエルサ様に教える為にやったのだわ」
「でも、私に魔力がなかったら、あの攻撃は成功していたのでしょう?あれは相手を支配する魔力の使い方ですね。私を支配するおつもりでしたか?」
「何を言っているのかしら。あれはただの実演よ。どんなものか見せないと、馬鹿なエルサ様は分かってくれないでしょう?」
「ふふふ。実演して見せたにしては、すぐ魔力を霧散させていましたね。習いたてだったのかしら?誰に教わったのです?」
シモーヌは、サッと私から身を離し「何を言っているのかしら」と言った。シモーヌの魔力が乱れ出した。
動揺している。
本当に、心の中が分かりやすい人だ。嘘つきにはなれない人なのだ。
対する私は平気で嘘がつける。
この勝負、シモーヌの方が不利なのだ。
私は堂々と口から出まかせを言った。
「シモーヌ様が教えて下さったのではありませんか。貴族は、それぞれに合った魔力の使い方をするのでしょう?
あの魔力耳から魔力を入れるやり方は、シモーヌ様に合っていませんでしたわ。
あの使い方をする人は、そう。他人の頭に平気で入ろうとするほど傲慢で、それでいて時間をかけて繊細に魔力を操れるほど我慢強い。蛇みたいに、ねちっこくて、しつこくて、嫌らしい。絶対に性格の悪い人ですわ。
どうです?正解でしょう?」
私の出まかせは正解だったらしく、シモーヌは笑いかけたが、慌てて真顔に戻ると「正解じゃないわ」と言った。「私はあなたの想像に呆れただけよ。よくも、まあ、そんな適当な事を!」
「でも、当たっていたのでしょう?」
笑顔で煽ると、シモーヌの顔が一瞬で朱に染まった。
「何でも知っているような顔をして!小娘のくせに生意気な!」
ぽん!と怒りを爆発させたシモーヌの魔力は、また屋敷を揺さぶった。
「これですわ!」
私は、にっこりとシモーヌに言ったのだ。
「これがシモーヌ様に合った魔力の使い方なのでしょう?真っ直ぐで、正直で、力強い。これこそ、シモーヌ様ではありませんか」
シモーヌは、しばらくぽかんと私を見ていた。そして疲れたようなため息をついた。
「正直さは褒め言葉ではないのよ。貴族として生き残っていく為には、いろいろなやり方を覚えなくてはいけないわ。エルサ様は気に入らないようだけれど、蛇みたいに嫌らしいやり方は、とても効果的よ」
そうかしら?
「いろいろな戦い方を覚えるのは良い事ですわ。でも、戦う相手によって有効な方法を選ぶべきです。蛇みたいな攻撃は、私には効きませんわ」
何度、耳から魔力を入れられても、毎回押し返すと思うのだ。
「ふん。魔力の使い方について、今知ったばかりの小娘が、偉そうに。では、あなたには、どんな攻撃が効くのかご教授願えるかしら?」
シモーヌが皮肉な顔で聞いてきた。
私に効く攻撃?うーん。うーん。私は何に弱いかしら。うーん。強く来られるとついつい強く対抗してしまうし、弱い方が効くのかしら。弱い?優しく?優しい攻撃?うーん。あ!そうだ。
「誠実さですわ!」
「はあ?」
シモーヌの顔を歪めて口を大きく開けた呆れ顔は、旦那様に全然似てなかった。
「魔力攻撃の話をしていたのではなかったの?」
「魔力の事はよく分からないので、攻撃の話にしたのです」
私はにこやかに答えたのだ。
「・・・誠実さは攻撃ではないわ」
「攻撃ですわ。誠実にされると、私はとても弱いのです。アレクシスも同じですわ。私たちは誠実さに弱いのです」
「・・・私に誠実に接して欲しいと遠回しに要求しているの?」
要求?別にそんなつもりはない。
「シモーヌ様のお心はシモーヌ様のものですわ。シモーヌ様がどうするかなど、シモーヌ様が決める事なのです。要求などするつもりはございません」
私は、怒りっぽくて、正直で、おそらく苦労性のシモーヌが嫌いではなかった。
結局いろいろ教えてもらえたし、助言もくれた。
シモーヌの後ろに誰かが潜んでいたとしても、私はまたシモーヌに会いたかった。
「シモーヌ様、どうかまた来てくださいませ。私とお話ししてくださいませ」と、シモーヌの手を取ったのだ。
シモーヌは戸惑ったように私から手を抜くと、
「あなたがよく分からないわ。ねえ。帰っていいかしら。疲れたわ。もう私は必要ないでしょう?」と言った。
「いいえ、まだです。まだ聞きたい事があります」
「私、疲れたのよ」
「一つだけです」
「・・・さっさと言ってちょうだい」
シモーヌは諦めたようにため息をついた。
よし。シモーヌは弱っている。今が最大の好機なのだ。
私は一番聞きたかった事を聞いたのだ。
「求婚の言葉を教えてくださいませ」
長い長い沈黙があった。
エルビスの後ろで震えていたはずのチルちゃん軍が、一斉に、こちらに向かって走ってきた。
指先の玉ちゃんも、激しく瞬いている。
任せてちょうだい。絶対に聞き出して見せるから!
「何を言っているの、あなたは」
「求婚の言葉を教えてくださいませ」
「何を言っているの、あなたは」
「求婚の言葉を教えてくださいませ」
「何を言っているの、あなたは!」
「求婚の言葉を教えてくださいませ!」
これをしばらく続けた後、より弱ったシモーヌが「どうしてそんな事を聞きたいの?」と投げやりに聞いてきたのだ。
「いろいろな人に求婚の言葉を聞くのが趣味なのです」
「・・・カトリーヌにも聞いたの?」
「もちろんです!カトリーヌは素敵な求婚の言葉を持っていました!」
「ふうん。どんな?教えなさい」
シモーヌの目が好奇心で輝いた。
「奥様」と、カトリーヌが慌てて言った。
私は首を振ったのだ。
「教えられませんわ。大切な求婚の言葉を教えてもらったのですもの。もらった言葉は私の大事な宝物なのです。誰にも教えたりいたしません。絶対に」
「ふうん」
シモーヌはしばらく静かに私を見つめた。
そして、「近くにいらっしゃい」と手招きしてくれたのだ!
いそいそと近づくと、シモーヌが軽く舌打ちした。
「気軽に近づいてはいけないと、先ほど教えたばかりでしょ!」
ええ!?
「試したのですか!?求婚の言葉を教えてはくれないのですか?」
衝撃で泣きそうになった私に、シモーヌは、くすりと笑った。
そして私の耳元に顔を寄せ、求婚の言葉を囁いてくれたのだ!
「可愛い人。君と一緒にいたい」
少し低い声でそう言うと、シモーヌの顔が遠ざかっていった。
素敵!とっても素敵!
でも、でも、媚薬は使ったのかしら。
聞いていいものか、どうか、迷っていると、シモーヌが意味ありげに眉を上げ、「媚薬は使ってないわよ」と言ったのだ。
でも、シモーヌの正直な魔力が、少し揺れた。
使ったのね!
手段を選ばない、その感じ!「素敵ですわ!」
目を輝かせながら言うと、シモーヌは、微かに笑い「あなた、やっぱり馬鹿ね」と、どこか満足そうに言ったのだ。
長くなっちゃったけれど、分割するのもなーと思い1話で強行しました。
これでシモーヌ編は終わりです。
いやー。こんなに長くなると思わなかった。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
でも、エルサの長い1日はまだまだ続き、次は、イブちゃん登場。その後、可愛いローズとお茶して、最後に猫のパイと敵対して長い1日終了予定です。
頑張れエルサ。




