第31話 馬鹿なんだもの
「こっちにいらっしゃい。隣に座りなさい。あなただけに話しておきたい事があるわ」
不機嫌な顔をしたシモーヌがソファーに座り、隣の座面を叩いた。
「奥様。行ってはいけません。何かを企んでおりますよ」
背後から雷のカトリーヌが、囁きかけてくる。
分かっている。
わざわざ近くに呼び寄せるなんて、きっと何かを仕掛けてこようとしている。
私にだって分かっている。
分かっているのだけれど、シモーヌの眉間に薄っすらと皺が寄っているのだ。
その皺の感じが、旦那様が時々寄せている眉間の皺に、やっぱりちょっぴり、似ているのだ!
あの皺を近くで見たい。じっくり見たい。隅々まで見たい。旦那様に会いたい。
その思いが止められなくなっていた。
「まあ!そちらに行っても宜しいのですね。是非お側に行かせてもらいますわ」
「奥様!」
繰り返されるカトリーヌの警告を無視して、いそいそと立ち上がると、素早くシモーヌの側に行き、ぴったりと隣に座ったのだ。
「・・随分と嬉しそうね」
シモーヌの眉間の皺がいっそう深くなる。
ああ、それそれ。その眉間の皺の感じ。
やっぱりちょっぴり旦那様に似ている。この角度から見たまつ毛の感じも、やっぱりちょっぴり旦那様に似ている。シモーヌは、大好きなアレクシスに、やっぱりちょっぴり似ている。
「お側に来られて嬉しいのです」
眉間の皺をうっとりと見つめながら言ったのだ。
シモーヌは不満げに鼻を鳴らした。
「あなた、私の侍女だけを選び出したわね」
「シモーヌ様が信頼する侍女だけを残しただけですわ」
「・・・あなた、選ばれなかった侍女達が何処から来たのかも調べがついているのね」
調べはついてない。
でも、選ばれなかった侍女は二十四人。それほど大勢の侍女を貸し出せるほどの財力がある貴族なんて、王国内でもほとんどいないはずだ。
バルバトル公爵家は怪しい。でも、確信はない。
私はただ微笑んでみせた。
「ふん。いいわ。もう少しこちらにいらっしゃい」と、シモーヌは私の肩に、片手を置いて言った。
「あなただけに話した事があると言ったでしょう」
「奥様!」
雷のカトリーヌがまた警告する。
「五月蝿いわよ。わきまえなさい」
シモーヌはカトリーヌをジロリと睨むと、私の耳元に口を寄せ、私にしか聞こえにほどの低い小声で始めたのだ。
「卑しい生まれの娘。図々しくもこの屋敷に入り込み、居座り続ける愚か者。古くから続くハスラー公爵家におまえの汚い血が混ざるなど、穢らわしい。おまえの卑しい父親は、恥ずべき言葉で貴族を騙した。おまえの愚かな妹は娼婦のように男達に擦り寄った。おまえも同じだ。穢らわしい。おまえは汚れた娘なのだ」
呪いのような言葉の羅列だった。
一定の旋律で続いていくこれは、呪詛なのかもしれない。
言葉に魔力が乗っている。
耳元で囁く言葉と共に、シモーヌの魔力が私の頭に入り込もうとしているけれど、私の魔力に押し返されて入れないみたいだ。
耳元でせめぎ合っている。なんだか、くすぐったい。
「ふふふ」
くすぐったすぎて、笑い声が漏れてしまう。
途端にシモーヌの魔力が跳ねるように乱れ、耳元に押し寄せていた魔力は霧散してしまった。
あれ?
あっけない崩れ方だ。
この魔力の使い方は、集中力が必要なのだろうか。
「真面目な話をしているのよ!真剣に聞きなさい!」
シモーヌは短気だ。
怒鳴り散らした後、深呼吸を繰り返し、私の肩に指を食い込ませ、耳元に口を寄せてきた。
「卑しい生まれの娘。図々しくもこの屋敷に入り込み、居座り続ける愚か者」
あれ?
始まったのは、先ほどと全く同じ言葉の羅列だった。
また耳元から魔力が強引に入ってこようとするけど入れないでいる。
そしてやっぱり、くすぐったい。
「古くから続くハスラー公爵家におまえの汚い血が混ざるなど、穢らわしい」
シモーヌは、私の耳から魔力を入れて、私の頭の中をどうにかする攻撃なのだろうけれど、成功するまでこれを繰り返すつもりだろうか。
でも、なんだか攻撃の仕方がぎこちないし、この攻撃は攻撃されている側の魔力量が多ければ成功しないのじゃないだろうか。
ドーナッツをたっぷり食べた私の魔力は、まだたっぷり残っているのだ。
いくら続けても、私の耳がくすぐったいだけなのでは。
「おまえの卑しい父親は、恥ずべき言葉で貴族を騙した。おまえの愚かな妹は娼婦のように男達に擦り寄った」
どうしよう。
攻撃を受けるのはいいけれど、この耳のくすぐったさをどうにかしたい。
うーん。
私の魔力がもっと満ちれば、この耳のムズムズも無くなる気がする。
テーブルの上には、料理長お手製のお菓子『精霊王の花』がある。
向こう側は、すでに私が全部食べてしまったのだけれど、こちらにはまだ残っている。
これを食べれば、私の魔力がもっと増える。
よし。
シモーヌが「おまえも同じだ。穢らわしい。おまえは汚れた娘なのだ」と、続ける中、私は手を伸ばして『精霊王の花』を掴み、ポイっと口に入れたのだ。
口の中でホロリと崩れる。
思わず、にっこりとしてしまうほどの、美味しさだった。
魔力もじんわりと満ちていった。
立て続けに、三つ摘み取り、ポイポイ食べた。
ニコニコの美味しさだ。
うんうん。魔力も満ち具合もいい感じ。さあ、これで私の耳はどうなるかしらと、シモーヌを見ると、シモーヌが絶句していた。
あれ?
辺りを見回してみれば、壁際の侍女達は、信じられない!といった顔をして私を見ている。
エルビスは、何故か目を輝かせて私を見ている。
チルちゃん達はエルビスの後ろからコソコソ見ている。
雷のカトリーヌに至っては、あからさまに呆れた顔をして、私を見ていた。
もしかして、呪詛を受けている最中にお菓子を食べるのは、公爵家のご婦人として失格だったかしら。
でも、必要だったから仕方ない。
そして私は、せっかく魔力が満ちたのだから、耳がどうなるのか知りたかった。
「続けてください」
私はまだ絶句したままのシモーヌに言った。
「・・・続けて、欲しいの?」
「ええ。もちろん。お願いします」
この魔力に満ち満ちた状態なら、シモーヌの魔力を耳の中よりも、もっと外側で跳ね返すと思うのだ。さあ!早く攻撃を!
期待に満ちた目で見つめていたのに、シモーヌは大きくため息をついて、ソファーに背をつけ、足を組んだ。
「あーあ!もう嫌になっちゃったわ!だって、あなた、馬鹿なんだもの!」
部屋中に、シモーヌの声が響き渡ったのだ。




