第29話 架空の花
先ほどまでの荒んだ空気は消え去り、心霊現象のような怪奇音もしなくなると、壁際の侍女達が、ほっとした顔をして動き出した。
素早くお茶の準備が進められた。
シモーヌはやっとソファーに座り、私は低いテーブルを挟んだ向かい側のソファーへ座った。
カトリーヌは影のように私の斜め後ろに立ったのだ。
給仕用のワゴンが部屋へと次々に運び込まれ、嬉しそうなエルビスと共にやってきた料理長が、畏まった挨拶をした後、言ったのだ。
「本日は特別な菓子を用意しております」
料理長が背後を見ると、侍女がワゴンを押して来た。
「こちらは食べられる芸術でございます」
料理長自らが慎重にワゴンから下ろしテーブルの上へと置いたものは、瑠璃色をした長方形の平たい植木鉢だった。鉢の上には緑の葉がこんもりと茂り、白いレースのような花弁を幾重にも重ねた小さな花が、ポツリポツリと咲いていた。
「まあ、どういう事?」
不機嫌だったシモーヌも、不思議そうに身を乗り出してきた。
紅茶が、そっと置かれていった。
「こちらは全て食べられる材料で作った菓子でございます。しかし、食べていただきたいのは花の部分なのです」
私はそっと手を伸ばし、植木鉢から白い花を掴み取ると、口の中に入れてみた。
繊細な砂糖菓子だった。
何層にも重なった花弁が、口の中でほろりと崩れ、爽やかな甘みを広げ、儚く消えていった。
「美味しい」
驚き、口元を押さえたまま、料理長を見た。
「ご満足いただけて良かったです。以前、奥様と考案した菓子でございます」
料理長は意味深な目配せと共に言ったのだ。
私と考案した菓子?
どれの事かしら。
料理長とは、新しい菓子や料理の考案を大量にしているので、どれの事だったのか分からない。
それにほとんどは新作のドーナッツについてだった。
こんな繊細な砂糖菓子、考案したかしら?
好奇心を抑えられなかったのか、シモーヌも花をとり、口に入れた。
「あら、本当に美味しいわ」
口元を押さえて、目を見開いた。
「それに、とても綺麗ね。でも、見たことがない花だわ。なんという花なの?」
シモーヌがさらに一つ花を取り聞いてくる。
「『精霊王の花』と呼ばれている架空の花でございます。物語や芝居に時折登場しますが、実際はどのような花なのか、本当に実在するのかさえ、誰も知らない花でございます。
こちらは古い絵本の『精霊王と姫君』に描かれていた挿絵を参考にお造りいたしました」
おお!なんだか壮大ね。
でも、そんな菓子、私、考えたかしら?
首を傾げていると、植木鉢の影に、料理長が素早く皿を置いた。
皿の上には一口大の丸いドーナッツが山のように乗っている。
薄く粉砂糖がかかった、カリッとしたやつだ。
「菓子は他にもご用意しております。お楽しみくださいませ」
得意げな顔を私に向けた料理長が後ろへ下がると共に、侍女達が一口大のタルトとケーキを美しく、けれどちんまりと乗せた皿を、私とシモーヌの前にそれぞれ置いたのだ。
でも、ドーナッツの山は私の方にしか置かれていない。
植木鉢に隠れるように置かれたドーナッツは、きっとシモーヌからは見えていない。
それで、やっと思い出した。
随分前に、料理長に言われたのだ。
「これから貴族の客が増え、この屋敷で食事やお茶をする機会が増えると思います。しかし、いつものように、テーブルの上いっぱいに料理やドーナッツの皿を乗せるのは、その、あまり見栄えが良くないかと」
「でも、私には沢山必要だわ」
「そうですよねえ。どうしましょうか」
「手品みたいに出せないかしら」
「今から給仕の者に手品を習わせて間に合いますか?」
「間に合わないかしら。では、テーブルの上に大きな花瓶を置いて、その影にドーナツを置くって言うのはどう?」
「なるほど。しかし、無意味に大きな花瓶を置いても、不審に思われるのでは?」
「理由が必要かしらね。特別珍しい花だと説明するのはどうかしら。壮大な伝説がついた花なら、なお良いわ」
「壮大な伝説?」
「ええ。壮大な方が、人は不審に思わないものなのよ。嘘も壮大な方がバレないでしょ?」
「奥様はいつも、そのように嘘をついているのですか?」
「そうよ」
そんな会話をした気がする。
なるほど。あれから料理長は『精霊王の花』なんて壮大な伝説がついていそうなものを探し出し、お菓子の花を作り出したのね。
素晴らしいわ!料理長!
すっかり感心した私は、山盛りのドーナッツをペロリと食べたのだ。
私はとても素早く食べる事が出来るので、『精霊王の花』に気を取られたシモーヌには全く気づかれなかった。
すぐさまワゴンの横にいた侍女が、紅茶のポットを移動させるようなフリをして、空になった皿を、隠し持っていた別のドーナッツが山盛りになった皿と取り替えた。
素晴らしいわ!手品の訓練もやったのかしら?
みんな、なんて有能なの!
今度のドーナッツは、やはり一口大で、黄色いチョコレートが掛けられたものだった。
口に入れると、レモンの爽やかな味がした。
すぐさまペロリと食べきると、慌てて別の侍女が近づいてきて、また素早く別の皿とすり替えた。
今度もまたドーナッツだ。中に、甘酸っぱいラズベリージャムが詰まっている。食べると、ぷちっとジャムが口の中に広がるのだ。美味しい!
ペロリと食べた。
でも、流石に侍女の移動が多すぎたのか、不快に思ったらしいシモーヌが眉間に皺を寄せて公爵家の侍女達を見ている。
次のドーナッツの皿を隠し持っているだろう侍女が、こちらに来られず焦っていた。
もちろん私は健気な侍女に協力をする。
「では、シモーヌ様が連れきた侍女の面接をしましょう。誰か。一人づつ連れてきてしょうだい」
「今ですの?」
シモーヌは嫌そうな顔をしたけれど、私は押し切った。
「先に面接を済ませてしまえば、その後はシモーヌ様とゆっくりお話が出来ますもの。私、シモーヌ様に教えていただきたい事が沢山ありますのよ」
頼りにできる年長者を慕う無邪気な奥様風の擬態の前に、シモーヌは無力だった。
「そ、そう。エルサ様がそうおっしゃるのでしたら」
「ふふふ。シモーヌ様のお許しもでたわ。さあ、最初の方を連れて来てちょうだい」
私の依頼を受けて、侍女達の動きが激しくなった。
その隙に次のドーナッツを隠し持った侍女が、さりげなく近づいてきて皿を交換して行った。
今度のドーナッツには、とろりとしたピーナッツクリームが詰まっていた。
ステキ!
さあ、次を、と私は微笑み、侍女達を促した。
シモーヌ達の恐怖から立ち直ったチルちゃん軍は、すでに光の武器を取り出し闇を消しにかかっているのだ。
シモーヌの闇は消したけれど、壁際に立っていたシモーヌの侍女達は、まだ闇がたっぷりついていた。
これから、更に三十人来るのだ。
私にはまだドーナッツが必要だった。
コルセットでお腹をキリキリ締め付けられているけれど、私はチルちゃん軍の為に、魔力を作る必要があるのだ。
頑張らなくては。
次のドーナッツは何が入っているのかなー。ふふふん♪
斜め後ろにいるカトリーヌの事がふと気になり、さりげなく見上げてみると、呆れた目をして見下ろしていた。




