第27話 何も分かっていない
私の旦那様アレクシス・ハスラー公爵の伯母、シモーヌ・アールストーム侯爵夫人は、五十代くらいの、いかにも高慢な貴族!といった風貌の女性だった。
アレクシスとは、似ていなかった。
アレクシスのお母様とも、あまり似ていなかった。
シモーヌの黒い髪は豊かではあったけれど、あまり艶やかではなかったし、目の色も黒ではなく、暗い灰色だった。
鼻は少し丸く、顎は角ばっていた。
背も低く、体も少し角ばっていた。
どこもアレクシスに似ていない。
シモーヌが最初に私を見た時の目つきには、私に対する蔑みがあった。
「初めまして」とシモーヌが言った声にも、はっきりとした棘があった。
アレクシスが私にそんな目つきや話し方をした事はなかった。
やっぱりどこもアレクシスに似ていない。
でもでも!
すごく意地悪な画家が書いた間違い探しの絵の中にある、分かりづらい間違いのように、シモーヌの中にはアレクシスと似ている部分があったのだ!
例えば、目頭の際の形が少し似ている。
軽く目を伏せた時に、頬に落ちるまつ毛の感じが、どことなく似ている。
顎を引く時の角度も、似ている気がする。
額に見える、生え際の形も、ちょっぴり似ている気がする!
似ているところをわざわざ探しているわけでもないのに、一つ見つけてしまうと、アレクシスとの微かな類似点が、次々に目に止まるのだ。
それを目で追っていると、愛しい旦那様の姿を、ありありと思い浮かべてしまったのだ。
アレクシスの、まるで名工が掘り上げた彫刻のように美しい目頭の形や、目を伏せると頬に繊細な影を落とす長いまつ毛や、私を見て少し困った顔をする時によくやる顎の引き方や、顔を縁取る豊かな黒髪や。
それで恋しくなったのだ。
今すぐ会いたくなったのだ。
だって、何日もアレクシスに会ってないのだ。
王宮から帰ってこないのだ。
会いたいのだ!
会いたいのに会えないと思うと、胸が恋しさでいっぱいになり、涙がこぼれ落ち、止まらなくなった。
「ど、どうしていきなり泣き始めたの?さ、そんなに泣くものではありませんよ。このハンカチを使いなさい。エルサ様?」
シモーヌの驚き困った顔は、アレクシスと全然似ていなかったけれど、僅かに眉間に寄せた皺の感じが、似ているような気もした!
それで更に泣いたのだ。
「お、落ち着きなさい。エルサ様。ああ。何があったの?まあ。どうすればいいの?」
最初は冷たかったシモーヌの声は、当惑へと変わっていった。
私の側に近づいて、オロオロとハンカチを差し出してきた。
「さあ、これを使いなさい。まあ、お化粧が落ちているじゃないの。貴婦人は、このように泣くものではありませんよ」
仕方なしというように、ハンカチで私の涙をぬぐい始めたシモーヌの、困りきった眉の角度が、またアレクシスに少し似ていた!
だから正直に言ったのだ。
「ああ、シモーヌ様。ここ数日王宮に行って会えないアレクシスに、シモーヌ様が似ていたので、アレクシスが恋しくて涙が出てしまったのです」
「私がアレクシスに似ていると言うの?」
シモーヌは何故かとても驚いたようだった。
「はい。シモーヌ様はアレクシスのお母様のお姉様なのでしょ?似ていますわ」
ちょっぴりだけど。
「で、でも、私は姉とは似ていないと言われ続けていたのよ。姉は御伽話に出てくる妖精のように美しいと言われていたわ。
どんなに大勢がいる舞踏会でも、姉が現れただけで、皆、吸い寄せられるように姉を見たのよ。天から舞い降りた妖精でも見るように、息を止めて、うっとりと・・・。
そして姉は美しい姿のまま、天に戻っていったわ。醜く老いる事のないまま!
アレクシスは幼い頃に見たきりだけれど、子供の頃の姉によく似た妖精のように美しい子だったわ!私とは違うわ!
私とは少しも似ていないでしょう!?」
どこか悲痛な叫びだった。
妖精のような姉と比べられて、辛い思いをしてきたのだろうか。
でも、確かに似ているのだ。ちょっぴりだけど、似ているのだ。
だから私は涙を止めて、キッパリと言ったのだ。
「いいえ。似ていますわ。シモーヌ様を見て、アレクシスを思い出して、泣いてしまうくらいに似ていましたわ」
ちょっぴりだけど。
そして、唖然とした顔をして私を見つめるシモーヌに、やっと最初の挨拶をしたのだ。
「初めまして。シモーヌ様。アレクシスの妻、エルサです。お会いできて嬉しいですわ」
アレクシスを思い出させるシモーヌに会えたのは、本当に嬉しかった。
だから微笑みかけたのだ。
シモーヌは、戸惑ったように「私に会えて嬉しいの?」と言った。
「もちろんですわ。シモーヌ様」
私はハンカチを握りしめたシモーヌの手を、そっと取った。
「いきなり泣いてしまった私に、こんなに優しくしてくださるシモーヌ様にお会いできて、嬉しくないわけがありません」
「・・・そう」
シモーヌは、最初とまるで違った顔をして、私を見つめた。
もちろん、シモーヌは本当に最初とまるで違っているのだ。
だって、最初に見たシモーヌには、闇がたっぷりとついていた。
我が栄光のチルちゃん軍が、そんな闇を見過ごすはずがないのだ。
泣いている私を、戸惑ったようにチラチラと見ていたけれど、歴戦の猛者によって構成されたチルちゃん軍は、むっちりした手で素早く光の武器を取り出し、ビッチリバッチリと闇を消し去ってしまったのだ。
さすが、我がチルちゃん軍!
可愛い上に、強いのだ!
「では、シモーヌ様、あちらにお茶の準備をしてあります。ゆっくりとお話をいたしましょう」
私はシモーヌを導くように歩き出したのだけれど、「奥様」と静かな声に止められた。
見ると、侍女のローズが意味深な顔をして立っていた。
「どうしたの?ローズ?」
でも、ローズが答えるよりも早く、シモーヌが言ったのだ。
「あら、懐かしい顔がいるわ。エルビス、だったわね。あなたは、ずっとこの屋敷にいると聞いていたけれど。あら?カトリーヌもいるじゃない。二十年ぶりかしら。お姉様が亡くなって以来ね。あれからあなたはこの屋敷を去ったと聞いていたけれど、また戻ってきたのね」
側に控えていたエルビスと、雷のカトリーヌが近づいてきた。
「お久しぶりです。シモーヌ様」
「シモーヌ様。お久しぶりでございます。私はまたしばらくハスラー公爵家でお世話になるつもりでございます」
エルビスの挨拶はマナー通りの無難なものだったけれど、雷のカトリーヌの挨拶の声音は、少し挑発的な気がした。
途端にシモーヌは高慢な貴族の顔に戻り、蔑みの表情を浮かベてカトリーヌをジロジロと見た。
「ふうん。二十年で随分歳をとったものね。それにしても、出ていった人間を呼び戻さなくてはいけないなんて、ハスラー公爵家は人が足りてないという噂は、本当なのね」
「どなたがその噂を仰っていたのか、お聞きしても宜しいですか?」
「何故、そんな事を、あなたに言わなくてはいけないのかしら」
「シモーヌ様は、昔から騙されやすい方でしたから、心配をしているだけでございます」
きっとこの二人は、二十年前から、こんな感じでやり合っていたのだろう。
性格が合わないのだ。
あと、二人とも闇があってもなくても好戦的な人たちなのだ。
平和を愛する私は、戦いに巻き込まれないよう、そっと身を引いた。
するとローズが近づいてきて、「奥様、お化粧直しをしなくてはいけません」と囁いた。
そういえば号泣したのだった。
きっと、化粧はほとんど落ちてる。
ふと、「みんな頑張るのよ!」と叫んでいたローズの声を思い出す。
あ。まずい。
みんなが頑張って作り上げた、勝気で大人な美女の化粧は、きっと落ちている。
みんなの努力を無にしてしまった。
これは公爵家のご夫人として、怒られるやつだろうか。
コソコソとローズの顔を見てみると、ローズは感情の読めない、控えめな侍女らしい顔をして目を伏せていた。
まだ大丈夫?
まだ怒られない?
まだ挽回できるかもしれない!
ええと、どうすればいいかしら。
そうよ。お化粧直しだわ!
私は殊更明るい声で、「ではエルビス。カトリーヌ。あなた達がシモーヌ様を部屋へ案内してもらえるかしら。昔話も楽しい事でしょう。私は少しお化粧直しをしてまいりますわ」と言ったのだ。
ローズが僅かに頷いた気がした。
よし。私は正解の道を選んだのだ。
このまま勝利の道を進もう。
そう思い、シモーヌ達と別れて、お化粧直しをする為に部屋に戻ったのだけれど、何故か興奮したエルビスが飛び込んできたのだ!
「さすがでございます、奥様!」
嫌な予感しかしない賞賛を、エルビスは投げつけてきた。
「な、なんの事かしら?あなたには、シモーヌ様のお相手をお願いしたはずだけれど」
「はい。しかし、シモーヌ様とカトリーヌに、おまえは出て行けと言われました」
あー。なるほど。
二人で心置きなく言葉の鞭を振いあって、バチバチに戦いたいと言う事なのね。
真ん中に、オロオロするエルビスがいたら、邪魔だものね。
・・・それなら、しばらく二人を放置して、どちらも弱った後に合流しようかしら。平和を愛する私には、その方がいいかもしれないわ。そうしましょう。
気楽にそんな事を考えていたのに、エルビスが叫ぶのだ。
「それにしても、先程の奥様のやり口は、素晴らしかったです!」
やり口って、何なのかしら。全然褒められている気がしないのだけど。
エルビスは、一度賭博で身を持ち崩したせいか、言葉使いが裏社会的になる事が度々あるのだ。特に、私を称賛するときには、そうなり勝ちなのだ。
迷惑なのだ。
それに私の隣に立つローズが明らかに不機嫌な顔に変わっているのだ。
「エルビス。今からお化粧直しをするから、あなたは」と、私は止めようとしたのに、エルビスは続けたのだ。
「シモーヌ様は、明らかに挑発的な態度でした。そんな相手を前に、奥様は、まず号泣して、相手を混乱させた!
・・・素晴らしい奇襲攻撃です!
更に、あのシモーヌ様にハンカチを出させるなどと、並大抵の事ではありません!
その上、シモーヌ様が一番の弱みとして持っていらっしゃった姉上への劣等感を巧みに利用し、褒め称えるというやり方で、シモーヌ様を更に混乱させ、大人しくさせてしまった!
見事としか言いようがない!
なんと狡猾なやり口でしょう!実に奥様らしいやり口です!」
きっとエルビスは私を褒めているのだ。
でも、私は誰かを混乱させようと思ったことはないし、劣等感を利用などしたこともないのだ。
狡猾というのは、褒め言葉ではないと、壮年のエルビスに十六歳の私が教え込むべきなのだろうか。
狂信者の目をしたエルビスと、悩める奥様の私の間に、ローズがすっと入って言ったのだ。
「奥様は、今からお化粧直しをするのです。出ていきなさい」
エルビスは大人しく出ていった。
私も大人しく鏡台の前に座った。
他の侍女達も化粧道具を手に、静かに私の周りに集まった。
それからは誰も喋らず、みんな無言で、お化粧直しが行われた。
ローズは「みんな頑張って」とも言わなかった。
ただただ静かに全ては行われた。
ローズは怒っているのだろうか。
他のみんなも、怒ってる?
いきなりみんなの努力の化粧を台無しにしてしまったけれど、悪気があったわけではないのだ。
怒っているなら、どうかエルビスの事を怒っていますように。
どうか、どうか。エルビスの方を!
私は静かに祈り続けたのだ。
チルちゃん達は恐ろしそうに部屋の隅に固まっていた。
私も、そこに混ざりたかった。
この沈黙から逃げたかった。
「・・・終わりました」と、やっとローズは言ったけれど、表情からは何も読み取れなかった。他の侍女達もそうだ。
エルビスの娘であり、私の護衛でもあるロザリーが立つ扉の前へと目を向けると、ロザリーは、分かっていますよ、といった微笑みと共に頷いてくれた。
でも、きっと、ロザリーはエルビスと同じく、何も分かっていないのだ。




