第23話 想像しろと皆が言う
手足の長い初老のダンス教師の男は、いつもより早く屋敷に呼び出されたというのに、不満な顔一つせず、むしろ最初からやる気に溢れていた。
「奥様!本日は、この羽根を付けて授業を行います!」
私が部屋に入るなり、ダンス教師は真紅の羽根を手に迫ってきた。
護衛のロザリーが剣に手をかけ、私と教師の間に割って入っても、ダンス教師は特に気にした様子もなく、ロザリーの肩越しに、ぐいぐいと羽根を差し出してきた。
「ご覧ください。私はすでに羽根を付けております。羽根について研究したのです。あれからずっと。夜を徹して!本日はその成果をお見せいたしましょう。奥様、この羽根を付けてください。今すぐに!」
左右の耳の後ろに赤い羽根を二枚、翼のように付けたダンス教師の目は血走っていた。
「わ、分かったわ。付ければいいのね。ローズ、お願い」
ダンス教師の気迫に押され気味の私は、扉近くに控えていた侍女のローズを呼んだ。
「はい。奥様」
可愛いローズは、大人しげに進み出てきたけれど、羽根を受け取る前にダンス教師を睨みつけ、低い声で言ったのだ。
「まずは奥様にご挨拶をなさいませ」
その気迫は、ダンス教師に勝っていた!
ローズ、もう怒ってる。
怯える私に、怯えるダンス教師。
「うる、うる、麗しき奥様にお会い出来た喜びに、そ、染まりし我が心は、そ、空の白き雲の峰をこ、こ、子犬の如く駆け上がり!」
などと、意味不明な挨拶が、震える声で唱えられている間に、ローズは真紅の羽根を私の耳の後ろへ手際よく付けてくれた。
「で、では踊りましょう。奥様は、踊りながら私の羽根の動きを良くご覧になってください」
「は、はい」
私達は、ローズの怒りを警戒しながら踊り始めたのだ。
踊り出すと、ダンス教師は警戒を忘れ、厳しくなった。
「顔を上げて!優雅に!美しく!私の羽根に集中して!」
踊るだけでも大変なのに、更に自分の羽根を見ろと言っているのだ。
そんなの無理!
「羽根に集中して!」
「はね。はね」
「私の羽根の動きは、優雅でしょう?美しいでしょう?鳥が優雅に舞っているようではありませんか?この羽根の動きをその目に焼き付けるのです!」
「はね。はね。はね。はね!」
うわ事のように呟き続ける私の前で、真紅の羽根が時に鋭く、時に優雅に舞っていた。
まるで羽根が生きているみたいだ。
「奥様!ご自分の羽根の動きも意識してください!集中して!想像するのです!奥様の羽根が私の羽根のように優雅に舞う姿を!羽根が舞うように奥様自身も踊るのです!」
え?どういう意味なの?羽根で、優雅で、私で、羽根で?
もう何が何だか分からない!
「はね、はね、はね、はね!」
私は必死になって踊ったのだ。
「チルチル、チルチル、チルチル、チルチル!」
足元ではチルちゃん達が、私たちの羽根に手を伸ばしながら集っている。
私はそんなチルちゃん達を蹴散らしながら、踊り続ける。
指先の玉ちゃんが、私を咎めるように瞬いている。
でも、気にしている余裕はないのだ。
「チ、チルチル!」「チルチルー!」
抗議の声が聞こえるけれど、近寄ってはいけない場所に近づいた者がいけないのだ。
柔らかい何かを、ボヨンボヨンと跳ね飛ばしながら、私は踊り続けた。
そして、汗だくになり、息を切らしなが授業を終えた。
ダンス教師も軽く肩を上下させながら、
「どうですか、奥様。お分かりになりましたでしょう?」と尋ねてきた。
何も分からない!
でも、昨日までより、上手く踊れたような気もする。
「次回の授業も、羽根に集中して踊っていただきます」
「次回もですか?」
「次回もです」
次回もこれ・・・
まだ息が整わないまま、助けを求めるような視線を、ピアノを弾いていた若い女性の方へ向けると、同じく真紅の羽根を耳の後ろにつけられていた彼女は、そっと私から目を逸らし、気弱げな音色をポロンと鳴らしたのだった。
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マナー教師の女性も、最初から羽根を一枚付けていた。
ドレスの色は、いつもと同じ灰色だったが、結い上げた髪に鮮やかな緑色の羽根が付けられていた。
それはとても上品で、とても彼女らしい羽根の使い方だった。
「本日はこちらのお屋敷に、お客様がいらっしゃると伺いました」
マナー教師は、瞬きの少ない目で私を見つめ、尋ねてきた。
「ええ、夫の親族が来るのよ」
「左様でございますか。では、本日は、より実践的な授業をいたしましょう」
けれどその授業の途中で、マナー教師は、ぱたりと授業を止めると、「奥様・・・私には分からないのです」と戸惑った声で言ったのだ。
「何が分からないのかしら?」
私も戸惑った声で聞き返したのだ。
「奥様は、既に出来てはいるのです。所作は美しい。受け答えも悪くありません。今後は社交の場で、実際に経験を積んでいけば良いと思っていたのですが、何か、上滑りな気がするのです。失礼ながら、最初は、奥様の育ちのせいで、細部が出来ていない為かとも思ったのですが、そのようなものでもない気がするのです」
うーむ。全然意味が分からない上に、すごく否定されている気がする。
けれど、私を馬鹿にしているわけではないのだ。
マナー教師はいつもと同じく、今日も真摯な眼差しで私を見つめている。
「私がこれまで教えてきた生徒達は皆、社交界を怖がっておりました。爵位が上の者に対して何か間違いを犯してしまえば、家ごと潰される可能性があるのです。爵位が下の者であっても、失敗一つでつけ込まれる事もあります。マナーはある意味、自分を守る鎧です。いえ、守るのは自分だけではありません。親、兄弟、一族、そして屋敷で奥様に仕える者達も、領地があるならば領民達も、全てを守るために皆、鎧を身に着けようとしているのです」
なるほど。
知識は砦で、マナーは鎧なのだ。
守ってばっかりだ。
貴族の社交は、過酷なのね。
などと、他人事のように考えていると、マナー教師が眉を顰めて言ったのだ。
「思うのですが・・・奥様から感じる上滑り感は、もしかすると奥様が守りについて真剣に考えていないせいではないでしょうか。しかし、奥様にこそ守りは必要なのです。例えば、そう、まずは目を閉じてください。そして想像してみてください。奥様が初めて行かれる舞踏会を」
今日は皆に、想像しろ、想像しろと言われている気がする。
私は大人しく目を閉じた。
でも、舞踏会なんて行った事がないので、暗闇しか見えなかった。
首を傾げていると、マナー教師が言ったのだ。
「最悪の場合を想像してみてください。奥様はそこで初めて会う貴族達に、蔑んだ目で見られるのです。誰も奥様に近づきません。無視されます。嫌がらせもされるでしょう。どこかで『詐欺師の娘』と嘲笑う声が聞こえます。今度の舞踏会で、必ずそのような経験をすると覚悟してください。奥様を守ってくれる公爵様も、いつも隣でいるわけではないのです。さあ奥様。辛いとは思いますが、想像してみてください」
うーむ。と考えてみた。
正直なところ、それは最悪の場合ではなく、私にとっては新しい場所に行けば、良くある出来事だった。
公爵家に来た時もそうだったし、舞踏会でもきっとそうなる。
でも、だからと言って、別に。いつも最初はそこからなのだ。
辛いと思いますがと言われても、辛いかしら?辛かった?うーん、いつもの事だし、辛い?辛いって何?どういう状態?辛いって何?何なの?うーん、うーん、うーん。
考え込んでいると、マナー教師が言ったのだ。
「想像してください。そのような貴族達に囲まれ、一人きりでいる自分を。その時、奥様はどうされますか?」
想像してみた。
蔑んだ目で私を見る貴族達に囲まれている、私は一人きり。
でも、私が一人きりという事は、チルちゃん達が十人と、指先に住む玉ちゃんが一玉、全部で十一人と一玉いるという事なのだ
私の一人は、いっぱいいる。
その十一人と一玉で、蔑んだ目の貴族達と対峙すると、どうなるかしら。
ふんふん。
そんな荒んだ空気の場所には、きっと闇があるわね。
闇といえば、もちろん、我が栄光のチルちゃん軍の出番だ!戦いが始まるに違いない!
頑張れチルちゃん軍。
私も頑張らなくては。
チルちゃん軍に魔力を補給する為に、私は食料を大量に確保する必要がある。
食事できる場所があるかしら。きっと王宮の舞踏会だもの。食事は用意されているわよね。
そうなってくると、チルちゃん軍に、まずは食事処までの道を確保してもらわなくては。
でも、舞踏会の食事って、どれくらい用意されているのかしら。足りるのかしら。
そうだわ。前もって多めに用意してもらえるよう頼んでみましょう。
何処に頼めばいいのか分からないけれど、きっと何処かに道はあるはずよ。
山のように用意してもらえるかしら。
ああ、山のような舞踏会の料理。素敵な響きだわ。
王宮の食事って美味しいかしら。当然美味しいわよね。ドーナッツはないかもしれないけれど、きっと美味しいわ。うふふ。楽しみね。うふふ。うふふ。
目を閉じたまま、ニヤニヤしていると「奥様!」と声をかけられ目を開けた。
眉間に薄っすらと皺を寄せたマナー教師が私を見ていた。
あれ?シモーヌ様まで行きつかなかった。
王宮にも早めに行こうと決意したのに、まだ行けないかー。
次は引き続き、マナー教師との会話の続きです。
そろそろ、マナー教師に名前をつけないといけないかなー。うーむ。




