第22話 家においでなさい
長々と続いていた雷のカトリーヌとお茶しよう編は、今回で終わりですよ。
でも今回長めになっております。
盛り上がっていると、扉の外から声がかけられた。
「奥様。よろしいでしょうか」
嵐のクロディーヌの声だ。
カトリーヌが、どうなさいますかといった視線を私に向けたので、私は頷いた。
マナーの授業で、こういった時は、奥様が直接返事をしない方が良いと学んだのだ。ふふふん。奥様として進歩しているのだ。
「入りなさい」
カトリーヌが扉の向こうへ、重々しく告げた。
入ってきたのはやはり、嵐のクロディーヌだ。
私の侍女ローズも、母親でもあるクロディーヌの後ろで緊張した顔をして、精一杯背筋を伸ばして立っている。
「奥様。シモーヌ様が本日午後、おいでになるとの先触れがありました」とクロディーヌが言った。
ふんふん。シモーヌ様と言うのは、闇に塗れた三枚の手紙のうちの一枚をくれた方だ。
早速来るのね。でも、
「今日の午後なんて、随分、急なのね」
他家を来訪する場合は数日前に連絡しておくのが礼儀だと、マナーの先生は言っていた。当日連絡だけで来るなんて、よほど親しい間柄か、軽んじても良いと思っている相手かのどちらかだとも言っていた。
さて、どちらのつもりなのかしら?
クロディーヌも軽く眉間に皺を寄せ頷いた。
「はい。確かに急です。しかし、シモーヌ様はアレクシス様の叔母にあたる方ですのでマナーに反している、とは言い切れません。それに舞踏会についてご指導いただきたくもあるので、これほど早くおいでいただけるのは、こちらにとってもありがたい事です」
クロディーヌはそう言うと、気持ちを切り替えるように、背筋を伸ばし、正しく立った。
そして私を見て言ったのだ。
「これより、シモーヌ様を迎える準備を始めますが、舞踏会まであまり日数が残っていない為、奥様には、いつも通り、舞踏会に向けて講師達の授業を受けていただきます。
シモーヌ様がいらっしゃる前に授業を終えていただきたいので、すぐに授業を始めていただきます。
さ、奥様。まずはダンスの授業からです。教師はすでに待機しております。さ、奥様、お立ちになってください。さ!奥様!参りましょう!
先日もお話しいたしましたが、知識とは砦です!奥様は何者にも負けない強い砦となるのです!」
強い砦!行かなくちゃ!
私のツボを心得たクロディーヌに煽り立てられ、いそいそと部屋を出ようとしたけれど、意外な事に、カトリーヌに止められた。
「お待ちください奥様。そして落ち着きなさい、クロディーヌ。主を追い立てるなどしてはなりません。これから立ち向かう相手がいるなら尚の事。落ち着いて、優雅に振る舞うのです」
「でも、お母様!」
「クロディーヌ。落ち着きなさい。お茶をいつ終えるかは、奥様がお決めになります。あなたは一度下がりなさい」
カトリーヌから微かな雷の音が聞こえた気がした。
「・・・はい。失礼しました」
嵐のクロディーヌが引き下がった。雷、強い!
ローズも戸惑ったように、祖母であるカトリーヌと母であるクロディーヌの間で視線を彷徨わせた後、私に少し悲しげな笑みを見せ、クロディーヌと共に部屋を出ていった。
「申し訳ありません奥様。あの子はいつも軍隊のように事を進めようとするのです。それが良い時もありますが、今のは少しやり過ぎでした」
カトリーヌは幾らか老けた顔をして、しんみりと言ったのだ。
「ふふふ。そうね。クロディーヌが率いると、みんな軍隊みたいに進んで行くわね」
私がくすくす笑ったせいか、カトリーヌも少し笑った。
「亡くなった夫がよく申しておりました。クロディーヌが男に生まれていたら、王国軍に入るか、騎士団に入り、皆を率いていただろうと。
ふふふ。でも、私は夫に告げたのです。わざわざそんなものに入らなくとも、わざわざ男に生まれなくとも、あの子は誰かを率いて進んでいたわよ、と」
「確かに!」
その時、私の頭の中には、貧しいパン屋に生まれたクロディーヌがパン屋と町内と近隣のパン屋連合を率いて進む姿が鮮明に浮かんだのだ。
私が目を輝かせていたせいか、カトリーヌは懐かしげな笑みを浮かべ昔の事を話してくれた。
「私は平民の出ですが、夫は子爵家の長男でした。
私がこちらのハスラー公爵家で侍女として務めておりました折に、当時の公爵様の部下をしておりました夫と出会ったのです。
公爵様が賛成してくださいましたので、私たちは結婚出来ましたが、夫の両親や親戚に酷く結婚を反対されました。
結婚当初は、まあ、苦労いたしました。
しかし、クロディーヌが生まれてからは、あれほど頑なだった夫の両親も親戚達も、いつの間にかクロディーヌに率いられてしまい、私が苦労する事も無くなってしまいましたよ。ふふふ。可笑しな子です」
なるほど、嵐のクロディーヌは、生まれながらに嵐のクロディーヌだったのだ。
「さすがクロディーヌね。でもクロディーヌは、お爺様やお婆様を率いて何をしていたの?」
「些細な事ばかりしておりましたよ。散歩に行ったり、ピクニックに行ったり、花を植えたり。あの子に率いられると、皆、目を輝かせてついていくのです」
「ふふふ。なるほど」
気難しげな深い皺の入った大人達が、幼いクローディアに先導され、嬉しそうについていく姿が目に浮かんだ。
ふふふ。可愛い。
そして、ふと思ったのだ。
「それなら、ローズは?小さい頃のローズはどうだったの?」
きっと、ローズも可愛かったに違いない!
気がつけば、チルちゃん達も興味深げに集まってきていた。
テーブルによじ登ったり、カトリーヌの膝に座っているチル友ちゃんもいる。
私の膝の上にも、すでに誰かが座っていた。
玉ちゃんだって、興味深げにピカピカ光っている。
みんな大好き可愛いローズの事を、チルちゃん達だって聞きたいのだ。
私も、我が栄光のチルちゃん軍も、ローズを全面的に推しているのだ!
しかしカトリーヌは戸惑ったように私を見て、
「ローズ、ですか?」と言ったのだ。
「孫のローズは、そう、普通の子でした。普通の良い子だった気がします。
ふわふわした髪を揺らして、子犬のようにクロディーヌの後ろをついて回って。ふふふ。そうですね。可愛らしい子でした」
「子犬みたいな幼いローズなんて、可愛かったでしょうね。見てみたかったわ。他には?もっとローズの話を教えてちょうだい」
「ローズは・・・」と、カトリーヌは昔を思い出そうとするかのように、目を閉じたのだけれど、眉間に軽く皺を寄せ、また目を開け、ため息をついてしまった。
「申し訳ありません。クロディーヌについて回っている姿以外、ローズの記憶があまりないのです。
皆を率いて動き回るクロディーヌがいると、そちらばかりを見てしまうので、他の者の記憶が薄くなってしまうのですよ。
ローズの姿形はクロディーヌに似ておりますが、性格は父親似なのです。
父親は、元々ハスラー公爵家で働いていた大人しい男でしてね。
・・・公爵様が呪われた後、私達と共に公爵家を去り、今は我が子爵家を継いでおります」
なるほど。カトリーヌ達は配偶者を含め、親子三代でハスラー公爵家に仕えてくれていたのね。
でもあんなに可愛いローズが印象に残ってないなんて意外だわ。それだけ母親が強烈な印象を残して回っていたのでしょうけれど。
ふんふんと思っていると、カトリーヌが物憂げな顔をして、
「奥様。ローズはしっかり務めておりますか?」と聞いてきた。
「もちろんよ。ローズは頼りになるのよ。どうしてそんな事を聞くの?」
ローズ以上にしっかりした侍女がいるだろうか。いや、いない。
カトリーヌは、ほっとしたような笑みを浮かべた。
「少し心配していたのです。母親の後ろをついて回る事しか出来なかったあの子が、一人で役目を果たせているのかと。クロディーヌならば何処へ行っても何の心配もないのですが、ローズは、まだ未熟ですし」
なるほど。お婆ちゃんとしては心配よね。
「大丈夫よ。私、いつもローズに助けてもらっているのよ。してはいけない事をしたら、ローズは怒ってくれるわ。私は他の誰に怒られても気にしないのだけれど、ローズに怒られるのだけは、嫌なの。嫌われたくないの。どうしてかしらね。不思議でしょ」
カトリーヌは軽く目を見開き、そしてまた微笑んだのだ。
「奥様は、ローズに愛情を持ってくださっているのですね」
「ええ。ローズの事は好きよ。やはりそのせいなのかしら。それならエルビスに怒られても平気なのは、私がエルビスを好きじゃないという事なの?」
以前から疑問に思っていた事を聞いたのだ。
「ふふふ。愛情とはいろいろな形があるものなのですよ。奥様がローズに向ける愛情と、エルビスに向ける愛情は、違う形のものなのでしょう。嫌われるのが嫌と感じる愛情の形もあれば、嫌われても大丈夫と思える愛情の形もあるのです。そちらは愛情というよりも信頼なのかもしれませんが。相手が違うのですから形も変わるのです。関わり方も違うのでしょう?しかし形は違えど、どれも元は奥様の愛情なのだと思います」
「そう・・・」
うーん。分かったような、分からないままのような。
愛情。形。うーん、うーん。
考えていると、カトリーヌが目を伏せて、
「失礼いたしました。つまらない老人の戯言でございます」と言い出した。
目を伏せたカトリーヌは、疲れて見えた。
実際、疲れているのだろう。だから、こっそりお酒を飲んでいたのだ。
でも舞踏会までやる事はまだ多い。生真面目なカトリーヌは、休みなく働く気かもしれない。
私は考え、言ったのだ。
「カトリーヌ。明日から毎日、私のお茶に付き合ってちょうだい。」
カトリーヌが伏せていた目を驚いたように上げたのだ。
「は、はい。ご命令とあらば。しかし、私でよろしいのですか?私のような老人といても、お若い奥様につまらない思いをさせるのでは」
ふふん、と私は笑ったのだ
「そんな事ないわ。今日は、あなたとお喋りして楽しかったもの。私、またあなたとお茶を飲みたいの。明日から毎日よ。いいわね。それから、あのお酒も用意してちょうだい」
カトリーヌはビクッと肩を上げたのだ
「先ほど、奥様がお召し上がりになったお酒ですか?」
「そうよ。あの花の香りがするお酒よ」
あれは美味しかった。
「蜜月花酒です。夫が残してくれた子爵家のささやかな領地で古くから作っているお酒です。蜜月という魔物の鉤爪のような形をした紫色の花から作るのです。花の香りが強いせいか、人気は左程ありません。私は好きなのですが」
「私も好きよ。だから公爵家で買い上げるわ。きっとあのお酒はクリームに入れてドーナッツに詰めたら、とても素敵なドーナッツが出来上がるはずよ。紅茶に少し垂らしても美味しそう。
私はお茶の時間にそれを飲みたいわ。あなたはグラスにお酒だけ入れて飲みなさい」
「はあ?何を仰っているのですか、奥様!」
カトリーヌは驚いているけれど、私は本気なのだ。
「罪悪感なんかと一緒にお酒を飲むのは禁止するわ。私と一緒に、私の命令でお酒を飲むのよ。でも、グラス半分だけよ」
「奥様・・・」
「あなた働きすぎなのよ。私とのお茶は休憩よ。仕事を離れて、二人きりでお茶を飲むのよ。好きなお酒を、他のみんなには内緒でこっそり飲みながら、楽しくお喋りするのよ。どう?素敵でしょ」
こっそりする他愛もない悪事は、最高に楽しいのだ。
「しかし、私は奥様のような若い方が楽しめるような話題を持っておりません」
「大丈夫よ。カトリーヌに聞きたい事は沢山あるわ。とりあえずは恋バナよ」
「恋バナ、ですか?私の?」
カトリーヌの恋バナは、公爵家で繰り広げられた身分違いの恋の話なのだ。それも今よりも厳しかった昔の恋バナ。絶対に聞き出すつもりだ!
チルちゃん達も、頬を染め、手を叩いている。玉ちゃんだって激しく瞬き始めている。
みんな大好き恋バナなのだ!
「まずは、求婚の言葉を教えてもらおうかしら」
明日まで待てない私は、そう言ったのだ。
「私の求婚の言葉ですか?」
「ええ。カトリーヌの求婚の言葉よ。教えてちょうだい。さあ、早く!
カトリーヌは戸惑ったように私を見つめていたが、やがてふっと力を抜くと諦めたように言ったのだ。
「家においでなさい」
私たちしばらく見つめ合った。
「そ、それは、どちらがどちらに言ったのかしら?」
カトリーヌが、くすりと笑った。
「私が夫に言ったのです」
私はぎゅっと両手を握りしめたのだ。
すごいわ。期待通りだわ。貴族の男に、平民の女が言ったのね!あの時代に!さすがよ。カトリーヌ!
ああ、それにしてもクロディーヌの求婚の言葉も「幸せにしてあげる」だし、この親子は庇護欲を刺激してくる男が好みなのかもしれない。
それなら、ローズは?ローズも?
ああ、ルイス!
私は我が弟子ルイスに心の中で叫んだのだ。
あなたにも可能性があるかもしれない。この一族の女達は、やっぱり少しダメな男が好きなのよ!それならあなたにだって可能性があるわ!
ああ、早く、この事を我が弟子ルイスに伝えてあげたい。
でも、心の中に何かがひっかかったのだ。
あれ?私はルイスの事を怒ってなくっちゃいけなかった気がするけれど、どうしてだったかしら。
ええと?思い出せない。今日は朝から、いろいろ起こり過ぎたのだ。ええと、どうしてだったかしら。ええと。ええと!
何かを思い出せそうな気がしたのに、また扉の外から声がかけられたのだ。
「奥様、よろしいですか!?」
「クロディーヌ!控えなさい!」
カトリーヌは声を荒げたが、扉は許可なく開けられた。
クロディーヌは部屋に入ると、嵐の渦巻く瞳で言ったのだ。
「申し訳ありませんが、これ以上の時間ありません。さ、奥様。ダンスの授業を!さ、奥様、早く!さ、奥様、砦となる為に!」
「クロディーヌ!」
結局、最後まで何も思い出せないまま、私は砦作りに向かったのだ。
ちなみに、長い長いこの日の一日の、朝の始まりの話は八ヶ月以上前に投稿しています。
最新話だけ読んでも、きっと皆さん、ルイスって誰だっけ、怒りってなんだっけと、お忘れになっているだろうと思い、親切な私が教えて差し上げますが、第2章の第14話 怒りと雷 からこの日は始まっています。
怒りの原因は、その前の13話に載ってます。
もちろん誠実な私は、これほど長く続きを書かずに放置していた事を、読者の皆様に謝罪しますよ。
すいませんでした!
次はもうちょっと早く投稿できると思いますが、この長い一日はまだ終わってないのです。
講師達とのあれこれが入って、シモーヌ様到着予定です。




