第7話 私の旦那様
婚礼用の白いドレスには、銀糸で様々な花の刺繍が施されていた。
動くと光に当たった部分の花が浮かび上がり、また動くとまた別の部分の花が浮かびがる。
美しいドレスだった。
でもローズは私にドレスを着せながら、申し訳なそうに言ったのだ。
「一から仕立てるほどの時間はないので、こちらのドレスを手直しするようと公爵様がおっしゃっているそうです。公爵様のお母様の御衣装です。ですから少し形が古いのですけれど」
形が古いのかどうかなんて、私には分からなかった。
もっと簡素なドレスを用意されると思っていたのに、こんなに良いものを?
ドレスを身につけると、直すところはほとんどなかった。
光に刺繍を当ててくるくる回ると、チルちゃん軍が見惚れていた。
「とても良くお似合いです。とてもお美しいですわ。公爵様のお母様もエルサ様のように黒髪のお美しい方だったそうです」
私はドレスの上に流れる自分の黒髪を撫でた。
「公爵様のお母様は、早くに亡くなられたと聞いたわ」
「はい。公爵様が六歳の時にお亡くなりになられたそうです。先代の公爵様がお亡くなりになられたのは、公爵様が十六の時だそうです」
公爵様の周りには、不幸な話が満ちている。
それもこれも呪いのせいなのだろうか。
でも、呪いって何?
☆
結婚式の日、白いドレスを着て公爵様に初めて会った。
教会の廊下を歩いて行き、突き当たりの扉を開けると、結婚の誓いをする場所に、公爵様は立っていた。
光の差し込む広々とした部屋だった。
その一番奥にある、小さな背の高いテーブルの前で、公爵様は立っていた。
参列者も立会人もいなかった。
ただ、公爵様だけが、ポツンと一人立っていた。
ローズの言った通り、背が高く、黒髪で、黒い服を着ていた。
黒い服といっても、その時着ていたのは、美しい銀糸の刺繍で縁取られた礼服だった。
騎士のような体つきをした公爵様に、とても良く似合っていた。
ただ顔は良く分からなかった。
額の辺りを中心に、濃い闇に覆われていたのだ。
顔の形すら分からなかった。
公爵様の闇はこぼれ落ち、辺りに闇を撒き散らしていた。
公爵様の屋敷で良く見る、馴染みの色をした闇だった。
なるほど、これが呪いなのだ。
部屋の入り口に立つ私に、
「私が恐ろしいか?」と公爵様は聞いた。
良い声だわ。と私は思った。
低く響く良い声だった。
「怖くはありませんわ」と私は答えた。
本当に怖くはなかった。
「引き返すなら今のうちだ。逃げるのなら資金を援助しよう。おまえに害が及ばないよう、私が陛下を説得しよう」
「逃げる気はありませんわ」
私はゆっくりと公爵様の方へと歩き始める。
さあ、チルちゃん軍!行きなさい!あなた達ならきっと勝てる!
チルちゃん軍は公爵様の濃い闇に恐れ慄き、私の後ろに隠れていたけれど、私が振り向き、公爵様の方を指さすと、泣きそうな顔をして武器を構えた。
「何をしているのだ。恐ろしいなら」「だから恐ろしくはありませんわ!」
私はチルちゃん軍を視線で急かしながら歩いていく。
チルちゃん軍は、私の前を怖々進み、時々助けを求めるように振り返った。
大丈夫よ。
振り返るチルちゃん軍に頷きかける。
あれは見慣れた闇だし、いつも勝ってる闇なのだ。
公爵様の額の闇は、まあ少し濃いけれど、でも結局同じ闇なのだ。
私より僅かに先に公爵様の元へと辿り着いたチルちゃん軍が、恐る恐る公爵様の足元の闇を刺すと、あっけなく闇は消えた。
調子づくチルちゃん軍。
公爵様の周りに溜まった闇をぷすぷすと刺していく。
弓部隊も公爵様の額を狙いはじめた。
額の闇に矢は刺さったけれど、特に何も起こらず、矢の方が消えてしまった。
こんな事は初めてだ。
公爵様の闇は深い。
「これで最後だ。引き返すのなら」「引き返しません」
チルちゃんが私の肩まで這い上がり、そこから公爵様の顔を光の槍でブスブスと刺し続けていた。
うーん、全然消えない。でも頑張れ!
「・・・では婚礼の誓いの儀を」
公爵様は良い声で、諦めたように言った。
あらかじめ教えられていた祈りの言葉と誓いの言葉を言えばいいだけなのだけれど、公爵様に刺さる槍や弓が気になって、何度か間違えそうになってしまった。
でも、何とか全て言えたのだ。
ほっとして、公爵様を見る。
最後にキスをするのだけれど、公爵様の闇はまだ少しも消えておらず、どこに唇があるのかも分からない。
目を閉じて少し顔を上げてあとは公爵様にお任せすれば良いのです、とローズは言っていたので、目を閉じて待っていた。
キスをするのは初めてだった。
マリー達のキスは良く見ていたけれど。
キスをすると、マリーはいつも幸せそうに笑っていた。
とうとう私もあれをするのね。
ドキドキしながらキスを待っていたのに、いつまで待ってもキスは降って来なかった。
足音がしたので、慌てて目を開けると、公爵様が入り口に向かっている。
「儀式を省略しては行けません!」
私は慌てて叫んだ。
公爵様は振り返ると、訝しげな声で「おまえは私に口付けをされたいのか?」と聞いてきた。
「もちろんよ!」
楽しみにしてきたのだ。
今更しないなんて言われると困るのだ!
公爵様は何故かしばらくそこを動かなかった。
「公爵様?」と呼びかけると、
「私が怖くないのか?」とまた聞いてきた。
「ですから、怖くなんてありません」
どうして何度も同じ事を聞いてくるのだろう。
こうしている間にも、弓部隊は公爵様の額に矢を当てていく。
頑張れチルちゃん軍。多分もう少しよ!
公爵様は私の側に戻ってくると、私を静かに見下ろした。
顔は見えないけれど、多分私を見つめている。
チルちゃんがまた私の上に這い上がり、一生懸命槍を刺している。
私はまたドキドキしながら目を閉じた。
しばらくすると、冷んやりするものが私の顔に近づいてきた。
これは呪いなのだろうか。
そして唇にほんの少し触れるだけのキスをして離れていった。
ふふふ。私、キスをしたわ。
満足して目を開けると、公爵様の闇の奥に一瞬、気遣わしげに私を見つめる黒い瞳が見えた気がした。
この人が、今から私の旦那様だ。
顔は良く分からないけれど、この人はきっと優しい人だ。
おまけにとても声がいい!
「気分は悪くないか?」と良い声で聞かれた。
「気分はとても良いです」
私は旦那様に微笑んだ。
旦那様はしばらく黙り込んだ後、「儀式はこれで終わりだ」と呟いて、先に部屋を出ていってしまった。
足元を見ると、チルちゃん軍がほんのり頬を染め、私を見上げていた。
「私達、頑張ったわね」
私の言葉に、チルちゃん達がコクコクと頷いた。
「でもまだまだ頑張るわよ」
チルちゃん軍はコクコク頷く。
私は急いで部屋を出ると、廊下の向こうを歩いている黒い後ろ姿の方へと急いで行った。
☆
「これで義務は果たした」
旦那様は控え室に入るなり吐き捨てるように言った。
「陛下の御命令でおまえとの婚姻を了承したが、夫婦らしい生活など期待しないでくれ。屋敷で暮らす事は許そう。しかしおまえが使っていいのは北棟だけだ。使用人はつけよう。必要なものは用意しよう。しかし過度な贅沢は期待するな」
つまりこれまでと同じように屋敷で暮らしてもいいと言う事だった。
「承知いたしました」
私の返事の後、しばらくの沈黙があった。
どうしたのだろうと首を傾げて旦那様を見ると、旦那様は軽く咳払いをし、低く重々しい声で更に宣言した。
「覚えておけ。私がおまえを愛する事はない」
なるほど。あんな闇に取り憑かれていれば、そう言いたくもなるのだろう。
でも大丈夫。
私が来て、最強のチルちゃん軍もここにいるのだ。
「はい。お任せください」
私は力強く頷いてみせた。
必ずあなたの闇は消してみせます。
任せてください。
「おま?お任せ?」
旦那様が良い声で聞いてきた。
「ええ。ご安心ください!」
「ご安心?」
はい!安心して私に、いえ、我々にお任せください。
我が栄光のチルちゃん軍に!