第14話 怒りと雷
私は、その夜、裏切り者ルイスへの暗い怒りを心に刻みつけ、眠りにつこうと思っていた。
ルイスには、ローズ絡みで何度も裏切られていたけれど、今回は、本気で頭に来た!
絶対に許さない。
必ず復讐しようと決意したのだ。
でも、その夜もまた、そばかすの浮いた幼なげな顔をした侍女ニコルがやって来て、「さ、奥様。マッサージを始めましょうね」と言ったのだ。
だめよ。
私は、今夜、怒りを心に刻みつける為、ドロドロとした気持ちのまま眠りにつかなくてはいけない。
マッサージをしてスッキリするわけにはいかないのだ。
「ニコル。今日はいいわ。そんな気分になれないから」
断ったけれど、ニコルは基本、私の断りを受け付けない。
私は奥様なのに、断固として受け付けない。
今日もまた、人の良さげな微笑みを浮かべ私の傍らに来ると、ムッチリとした手で、そっと私の手を掬い上げ、もう片方の手で私の手の甲を、子供にでもするようにトントンと叩いたのだ。
「そんな時こそマッサージですよ。さ、奥様」
ニコルにこんな風にされると、何故か断れない気分になってしまう。
指先の玉ちゃんも、ニコルに賛成するようにピカピカと光っている。
チルちゃん達まで期待に満ちた目で、私を取り囲んでいる。チルちゃん達は、私がマッサージで唸り声を上げるのが面白いらしい。
みんなニコルの味方なのだ。
「さ、奥様」
その後、凄腕ニコルのムッチリとした手で容赦なく揉みほぐされ、一晩ぐっすりと眠ると、翌日の朝、小鳥のさえずりを聞きながら爽やかに目覚めてしまった・・・。
☆
私の隣で重なり合うようにして眠っているチルちゃん達の中から、玉ちゃん付きの私の手をなんとか引き抜いた。
旦那様がいれば、チルちゃん達は別の部屋で眠るのだけれど、旦那様がいない今、皆で玉ちゃんに群がり、撫で回し、何事か話しかけながら眠っていた。
玉ちゃんには早く独立してほしい。
でも、今日の私はそれどころではなかった。
ルイスへの怒りを忘れ、爽やかに目覚めた事を、深く反省したのだ。
今の私に、爽やかさはいらない。
怒りを。
ルイスへの怒りを思い出さなくては。
怒り。怒り。
ああ、昨日よりも怒りが薄れてしまっている。ダメよ。今度こそ、復讐を。だから怒りを。もっと怒りを。なんでもいいから怒りを。
怒り。怒り。
そうよ。旦那様も国王陛下に呼び出されて、まだ王宮から帰ってこない。頭に来る。怒り。怒り。
どういう事なのかしら。早く旦那様を返してちょうだいよ。
怒り。怒り。
国王陛下、頭に来る!
怒り!怒り!怒り!怒り!
余波で王族への怒りを激らせていると、控え目に扉を叩く音が聞こえ、背筋をピンと伸ばした侍女ローズが現れた。
「おはようございます。奥様」
精一杯の、ツンと澄ました顔で挨拶された。
嵐のクロディーヌは、今日も元気に公爵家の使用人達を支配しているらしい。
「おはよう、ローズ。クロディーヌも元気にやっているようね」
「母、ですか・・・?いいえ、失礼しました。クロディーヌは、はい。元気に忙しくしております。本日は、クロディーヌとカトリーヌがなるべく早い時間に、奥様への面会を望んでおります」
ふんふん。
嵐と雷が私に会いたいのね。
雷のカトリーヌは、初日に会って以来、顔を見ていないけれど。
「カトリーヌも元気にやっているのね?」
「はい。奥様の家庭教師の手配や、使用人達の手配、舞踏会に向けての情報集めなど、忙しくしております」
ふんふん。
流行の教師ジョルジュもカトリーヌの推薦だった。何かの秘密を抱えていそうなジョルジュを教師に選んだカトリーヌの真意も聞きたい。
「では、朝の支度が終わったらすぐ会いましょう」
私はにこやかに言ったのだ。
☆
「チルチルチルー!」
チルちゃん達が元気よく廊下を走っていく。
「奥様!お待ちください!」
朝の支度を終えた私は、背後からローズに引き留められていた。
「嫌よ。待たないわ」
待つ理由などないのだ。
今朝の私は、対嵐と雷戦に向け、十分に戦闘力を上げていた。
黒髪も美しくまとめ、化粧もいかにも高位貴族の奥様らしい上品さだ。ドレスも完璧。歩き方だって、早歩きだけれど、マナーの教師に教えられた通りの完璧さだ。
この完璧な状態で戦いに挑みたい。
「お、お待ちください。奥様はお部屋でお待ちになっていてください。使用人の方が奥様の部屋に参ります。奥様から使用人のところへ行くなど、間違っております!」
ローズは息を切らしながら追ってくる。
「でも、最初にカトリーヌ達に会った時には、私がカトリーヌ達の所へ行ったでしょ?」
ヌルヌルのまま。
「あ、あの部屋は使用人部屋ではありません。面会の為の部屋ではありませんか。それにあの後、今後について話し合いもあった為、あの部屋に集まったのです。今回とは違います!」
それは分かっているけれど、今、私は雷のカトリーヌの根城に乗り込みたいのだ。
戦いとは、そういうものなのだ。
「私は、カトリーヌが忙しくしている場所を見ておきたいのよ」
「し、しかし、ただの使用人用の執務室ですよ」
「知ってるわ。こっちにあるのでしょ?」
「そ、そうですが、どうして奥様がカトリーヌの執務室の場所まで知っているのですか?」
情報を集めるのは得意なのだ。
そして、私の早足は、かなり早いのだ。
「お、奥様!」
ローズが付いてこれなくなってきた。
「奥様、待って、ああ、ロザリー、お願い!」
ローズはその言葉を最後に、とうとう立ち止まり、その場に膝をついたのだ。
「お任せください」
ロザリーは、特に息も切らさず私の背後で答えていた。
今日の護衛はロザリーだった。
裏切り者ルイスは、一日訓練場らしい。
エルビスと小鳥ちゃんの娘、ロザリー。
小柄でふっくらとした小鳥ちゃんと、背が高く騎士らしく鍛えられた体付きのロザリーは、あまり似ていないけれど、時々驚くほど似て見える瞬間がある。
足を止めずに振り返ったた時、ちょうどその瞬間が来たのだ。
私に顔を向けたロザリーの顔が、角度のせいなのか、驚くほど小鳥ちゃんに似て見えた。
胸がキュンとした。
ああ、かわいい。本当にかわいい。
ああ、小鳥ちゃんに、また会いたい。
見つめる私に、ロザリーが、ニコリと微笑んでくれた。
その笑顔は小鳥ちゃんと違ったけれど、嬉しい。
小鳥ちゃんの微笑みを思い出せないけど、嬉しい。
よく考えると、小鳥ちゃんの微笑みを見た事がないのかもしれないけれど、嬉しい。
思わぬ幸せに浸っていると、私が行こうとしている部屋から、怒鳴り声が聞こえてきた。
「いい加減にしなさい!みっともない!」
女性の声だ。もちろん、雷のカトリーヌの声だった。
部屋の扉が半分開いていた。
あそこがカトリーヌが今、執務室として使っている部屋のはずだった。
先を走っていたチルちゃん達が、一斉に戻ってきて、私の後ろに隠れた。
指先の玉ちゃんは、注意を促すようにピカピカと光っていた。
何かが起こっている。
私は、ワクワクしながら、歩く速度を落としたのだ。
振り返り、ロザリーに向かって、人差し指を唇に押し付けてみせ、静かにするように注意するのも忘れなかった。ロザリーは心得たように、軽く頷いた。
私達は、足音を忍ばせて、雷の執務室へと近づいたのだ。
「し、しかし、カトリーヌ!こいつは、何も知らない若造だった!昔は貴族だったのかもしれないが、勘当された碌でもない奴だ。ただの甘えた馬鹿だ!」
年取った男の声だった。知らない声だ。
きっとエルビスについて話している。
エルビスも、あの部屋にいるのだろうか。
「ふん。そのエルビスは公爵様の呪いの中、公爵家に残り、公爵様を守り続けていたのよ。あなたは?逃げ出したのでしょ?」
「そ、それは、あんただって同じじゃないか!」
「そうよ・・。同じよ・・。悔しい事にね。だから、エルビスに対して敬意を持っているわ。あなたもそうしなさいと言っているのよ!」
「し、しかし、こいつは」
「こいつと言うのもやめなさい!エルビスは一人で公爵様を守り抜いた男よ!昔のように考えるのはやめなさいと言っているのよ!」
「し、しかし!」
「しかし、何?逃げ出したあなたが何を言いたいの?」
「しかし!」
「いい加減にしなさい!!みっともない!!」
特大の雷が落ちていた。
空気が震え、屋敷まで震えた気がする迫力の雷だった。
なるほどねー。
雷のカトリーヌと恐れられるはずだ。
「わ、私だって、公爵様の元でいたかったんだ・・・」
男の声はどんどん気弱になっていった。
「でも、いられなかったのでしょ。私も同じよ。クロディーヌもみんな同じ。でも、今なら、公爵様のお役に立てるわ。あなたの知識はエルビスの役に立つけれど、それも全て公爵様の為なのよ。あなたが執事時代に溜めた知識が、公爵様のお役に立つのよ」
「私の知識が・・・」
「ええ。そうよ。協力してくれるわね」
「・・・分かった」
「ありがとう。公爵様の為に、やり遂げましょう。さあ、時間がないわ。エルビス、クロディーヌ。必要な事を聞き取りなさい。隣の部屋を使ってちょうだい。昔の資料もそこへ置いてあるわ。さあ、急いで!」
開いた扉から、エルビスとクロディーヌが、しょんぼりとした見知らぬ男を連れ、慌てて出てきた。
「奥様!?」
エルビスが驚いたように言ったけれど、部屋の中から「急ぎなさい!」と雷を落とされ、「し、失礼します」と慌てて隣の部屋へと入っていった。
そして、最後に扉の向こうから、雷のカトリーヌが現れたのだ。
地味なドレスを着て、髪を高く固く結い上げ、まだ収まらない怒りを押し殺し、私に向かって静かに頭を下げた。
「おはようございます、奥様。見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。しかし、奥様。何故、このような場所に、いらっしゃったのですか?奥様は、使用人の場所に来るべきではありません」
小さな雷がチロチロと見え隠れしているようだった。
ふふふ。
戦いが始まるのだ。
「おはよう。カトリーヌ。何故って、あなたに会いに来たのよ」
私はにこやかに答えたのだ。




