第10話 ドーナッツと私の間に
光の玉を見つめていると、幼い頃の苛立ちの日々を思い出す。
あの頃にも付いていた、私以外には見えないし触れない光る玉。
邪魔だった。
どうにかしてこれを取りたいと、幼いながらに頭を悩ませていた。
そっと触ると柔らかいのに、引っ張っると途端に固くなる謎の玉。
それでも、「ふんっ!」「ふんっ!」と引っ張り続けた幼い私。
育ての親マリーの子供達に、「ねえねえ、エルサちゃんはどうしていつも指を引っ張ってるの?」と尋ねられた、あの日々。
全然楽しくない思い出だ。
幼い私は、光の玉を取るために、他にも色々やってみたのだ。
木の枝で叩いてみても、指が痛くなっただけだった。
水にしばらく漬けてみると、キラキラと光って綺麗だった。
お湯にもつけてみたら、火傷をして、育ての親マリーに怒られた。
マリーに怒られたのは、後にも先にもあの時だけだ。光の玉のせいなのだ。
炙ってみようともしたら、マリーの夫に見つかった。
いつも穏やかに微笑み、滅多に口を開く事のないマリーの夫は、慌てて私の手を掴むと、「がっ!」と叫んだのだ。
『が』?
『ば』なら馬鹿だし、『だ』なら駄目と言おうとしたのだ。
でも、『が』?
『が』って何?何を言おうとしたの?
幼い私の心を悩ます、解けない謎を増やしただけだった。
そして今、光の玉を見つめていると、忘れていたはずのあの頃の怒りがふつふつと蘇ってくる。
でも、チルちゃん達は歓喜の表情で光の玉に手を伸ばし、「チルチルチル!」「チルチルチル!」と、叫んでいた。
光の玉を差し出せば、うっとりした顔で撫でまわし、愛しげに頬を擦り付け、優しげな声で「チルチルー?」と何事か話しかけている。
チルちゃん達には見えるし触れるらしい。
光の玉に群がるチルちゃん達は可愛いかった。けれど何か腹立たしい。
そういえば、以前の光の玉は、チルちゃんだったのだ。
私が一歳にもならない頃に、光の泉で私の指先にしがみついてきて、私が五歳になった頃に、花が咲くように開き、チルちゃんとなったのだ。
すると、この光の玉からも似たようなのが出てくるのだろうか。
光の戦士が?
五年後に?
えー。
また、五年もこれを付けなくちゃいけないの・・・・?
えー!
思わず光の玉をチルちゃん達から引き剥がし、元の泉に漬けた。
そしてまたぐるぐる回した。
きっとこの呪われていた泉は、チルちゃんの出身地と同じ、光の泉だったのだ。
オーフェリアは光の泉から神秘の力か何かを吸い上げて、長々と公爵家を呪っていたのだろう。
そして呪いが消えた今、泉は光の玉を産み出したに違いない。
なるほど、光の泉の復活も、光の玉の出現も喜ばしい事だ。
お祝いを言おう。
おめでとう。
本当におめでとう。
でも、うちにはもう十人も光の戦士がいるから。
これ以上はもういいから。
さあ、元いた場所にお帰りなさい。
さあ!
帰りなさいって!
「お、おい、奥様。急に何やってんだよ」
「チルチルチル!」
戸惑う弟子ルイスの声も、泣き叫ぶチルちゃん達の声も無視して、水飛沫を上げながら泉をかき回していると、光の玉がぎゅっと固くなり、私の指に固くしがみ付いてくるのを感じた。
くーっ!帰らない気ね!
「奥様?どうしましたか?濡れているではありませんか。おやめください奥様!」
侍女ローズに止められ、渋々やめた。
慌てて私の濡れた袖を乾いた布で拭くローズ。
その濡れた袖の先にある私の手には、まだ光の玉が付いているのだ。
「ねえ、ローズ。私の指に何か付いている?」
「奥様の指にですか?何も付いていませんが」
ローズは光の玉を通り越し、私の指にそっと触れた。
見えていないし、触れないのだ。
その光の玉に、またチルちゃん達が「チルチルー?」と群がっていた。
ローズの指は、チルちゃん達も通り越し、ただ私の指だけを触っていた。
☆
楽しいピクニック。
眉間に皺を寄せながら、ドーナッツを食べた。
「奥様、どうなさったのですか?今日のドーナッツがあまり美味しくないのですか?」
「そんな事ないわ、ローズ。ドーナッツは今日も最高に美味しいわ」
本当に美味しかったのだ。
今日のドーナッツは穴の空いていない柔らかいドーナッツで、中には、料理長お手製のイチゴジャムがたっぷり入っていた。
ごろりとしたイチゴの粒がまだ残っているイチゴのジャムだ。
一口食べれば、とろりと甘いイチゴジャムが口の中いっぱいに広がって、幸せに包まれる。
間違いなく、最高のドーナッツだった。
ありがとう料理長!
でも、私はその最高のドーナッツを、眉間に皺を寄せ食べたのだ。
だって、この素晴らしいドーナッツを手に取り、いつものように、うっとりと見つめようとしても、まず最初に目に入ってくるのは、私の右手の人差し指に輝く光の玉なのだ。
私はドーナッツを見つめたいのに、光の玉は、まるで見られている事を意識したようにキラキラと輝くのだ。
すごく邪魔だ。
左手だけで食べようとすると、視界から外すように下ろした右手に、チルちゃん軍総勢十名が群がり「チルチルー?」「チルチルチル!」と騒ぐのだ。
やっぱり邪魔だ。
では、ドーナッツの味に集中しようと目を閉じて、右手に持ったドーナッツを齧ろうとすると、邪魔な位置に飛び出ている光の玉まで齧りかけてしまうのだ。
その度に、私を取り囲んだチルちゃん軍が、「チルチルチル!」と抗議の声を上げ始めるのだ。
本当に邪魔だ。
この邪魔な光の玉は、深い愛情と堅い絆で結ばれた私とドーナッツの間に、これからもずっと入り込んでくる気だろうか。
「指先がどうかしたのですか?奥様?」
心配げに声をかけてくるローズの方を見もせずに、指先を睨みつけ、「大丈夫よ。なんでもないわ」と言う私。
でもその時、私の横で、何かが「にゃ」と鳴いたのだ。
何かがって、もちろん我が敵、猫のパイだ。
その辺で好きに遊んでいたはずなのに、いつの間にか私の横に立ち、神妙な顔つきで私の指先を見つめている。
あなたにも見えるのね!我が敵、いいえ、チルちゃん軍自由隊員、猫のパイ!
チルちゃん達が、何事かを説明するように、自由隊員に向かって「チルチルー」「チルチルチル」と語りかけている。
でも自由隊員はチルちゃん達など見ようともせず、私に前足をかけ、光の玉を覗き込んだ。
そしてクンクンと熱心に匂いを嗅ぎ始めた。
光の玉の輪郭に沿って、自由隊員の鼻が動いていく。
「どうしたの、パイちゃん。汚れた足で奥様のお洋服を踏んではダメよ」
ローズが慌てて猫のパイを退けようとしたけれど、「いいのよ、ローズ」と私は寛大な奥様の微笑みでローズを止めたのだ。
猫のパイは時間をかけ、念入りに匂いを嗅いだ後、ゆっくりと前足を下ろし、私の横に座った。
猫のパイがこんなに私の近くで座ったのは初めてだった。
訝しげに光の玉を見つめ続けている。
シャー!を繰り出さないのだから、きっと、この光の玉は、猫のパイにとっても敵ではないのだ。
やはり新しい光の戦士?
「奥様・・・・。どうされたのですか?」
考えていると、また心配げにローズが声をかけてきた。
「なんでもないわ。ちょっと指先が痛んだだけ」
「まあ!ではすぐ手当いたしましょう!」
「もう大丈夫よ。それよりナイフとフォークを出してちょうだい。ドーナッツを食べるから」
光の玉付きの右手でナイフを持ち、怒りと共にドーナッツを切り分け、左手に持ったフォークで、穏やかにドーナッツを口に運んだ。
料理長のドーナッツは、いつだって美味しい。
でも、何か違う。
ドーナッツは手に持って食べたいのだ。
私の憤りに気づかないローズは、
「ドーナッツもそのようにして食べれば、美しいですね」と、満足そうに微笑んだ。
慣れなくては。
1話分、約3000字を使って、延々と光の玉に対する文句を言い続けた主人公エルサ。




