第9話 またか
「チルチルチル!」
緑色の芝生の上を、チルちゃん達が一斉に走っていく。
我が敵、猫のパイも、いつの間にか現れて尻尾をピンと立て、歩くローズの足に「にゃあん」「にゃあん」と戯れついていた。
余程、楽しい気持ちになっていたらしく、私にまで「にゃあん」と見たこともない可愛い顔をして鳴いてしまった我が敵は、直後に自分の間違いに気がついたらしく、急に生真面目な顔をして私から距離を取り、最後にはチルちゃん達の方へと走り去ってしまった。
でも、走っている猫のパイの尻尾は、まだご機嫌に立っている。
「ふふふ」
我が敵も楽しそうだ。私も楽しい。
最後にしたピクニックは、旦那様とのピクニックで、旦那様に求婚の言葉をもらった翌日だった。
あの時も楽しかったけれど、旦那様の希望で、塔のすぐ側でバスケットを広げたのだ。
旦那様がまだ呪われていた頃、塔の上から私がピクニックをしているのをよく眺めていたのだそうだ。その同じ場所で自分もピクニックをしてみたいと旦那様が言ったのだ。
ピクニックの最中に、旦那様は広げたバスケットを見つめ、塔の上にある旦那様の寝室の窓を見上げ、「本当に呪いは終わったのだな」と呟いた。
あの塔の上から私たちを眺めていた時の、旦那様の孤独や絶望を思うと、胸がぎゅっとなった。
今、私は旦那様とのピクニック会場を通りすぎ、旦那様の塔の横も通りすぎ、風が吹く木々の間を歩いていく。
隣を歩いていた侍女のローズが嬉しそうに言った。
「奥様、気持ち良いですね」
ふわふわとした茶色の髪は、太陽の光が当たり金色に輝き、澄んだ茶色の瞳は楽しげに煌めいていた。
薔薇色の頬で微笑むローズは、一段と可愛らしかった。
私は善良な奥様の顔をして微笑んだのだ。
「そうね。これからはもっとピクニックに出かけましょうね」
「はい、奥様」
そろそろかしら。と私は思った。
私とローズは隣り合って歩いてる。
けれど、護衛やバスケットを運ぶ馬達は、少し離れた場所を歩いてもらっているのだ。
そして今、ローズは完全に寛いだ表情をしていた。
時は来た。
準備は整ったのだ。
「ねえ、ローズ」と話しかければ、「はい、奥様」とローズは信頼の瞳を向けてきた。
さて、それでは今から育ての親マリー仕込みの話術を繰り出し、ローズの好みの男性を聞き出すとしよう。
☆
「ミシェル!?」
「チルチル!?」
ずっと前を歩いていたはずのチルちゃん軍が、また謎の能力を発揮して、恋バナを聞く為に、いつの間に集まっていた。
我が敵、猫のパイまでも、側に来て、興味深げに私たちを見ている。
とりあえず歩くのに邪魔だから、みんな少し離れて欲しい。
「お、奥様、もっと小さな声で!」
ローズが顔を赤らめ、少し離れた場所を歩いているロザリーやルイスに目をやった。
「ごめんなさい、つい驚いてしまって。でも、ミシェルって、ロザリーの婚約者のあのミシェル?」
「チルチルチル?」
「は、はい。そのミシェル様です」
ローズは、しょんぼりと俯いた。
「私が一方的に憧れていただけなのです。仕事上必要な事以外は、お話した事もありません。『素敵な方』と思いながら、遠くから見つめていただけなのです」
なるほど、ミシェルかあ。でも、うんうん、分かる分かる。
ミシェルは確かにモテそうだった。
鍛えられた騎士の体の上に、知的で穏やかな顔があるのだ。何か不思議な色気もあった。性格も良いらしいし、本好きだ。何より求婚の言葉が、『この花のように美しいあなたと、この後の人生を共にしたいと思っております。どうか、私の願いを叶えてくれませんか』なのだ!
よく考えてみれば、モテる要素しかない。
「分かるわ、ミシェルは素敵よね」
私は深く頷いた。
「チルチルチル」
チルちゃん軍も頷いている。
ローズは、途端に目を輝かせる。
「奥様もそう思われますか!あの、もちろん公爵様に比べれば、それほどでもないかもしれませんが、ミシェル様は素敵なのです。とてもお強いのに、乱暴なところが少しもなくて、いつも穏やかで、私たち侍女にも優しくて。よく図書室で一人、本を読んでいらっしゃいますが、その姿も素敵で。侍女達の中で、ミシェル様に憧れていない者はおりません。ミシェル様が婚約されたと聞いた時は、皆と手を取り合って泣きました」
そこまでなの!?
ミシェル。罪深い男。
「でも、もういいのです。ロザリー様を見て、諦めがつきました。ロザリー様も素敵な方です。強くて、美しくて。女の身で騎士になろうとするなど、私には出来ません。でも、ロザリー様はそれをやったのです。尊敬いたします。それに、ロザリー様は何処となくミシェル様に似ています。やはり夫婦になる二人は何処か似ているのだと思いました。ミシェル様とロザリー様はお似合いのご夫婦になるでしょう」
「まあ。夫婦は似ているものなの?」
「チルチル?」
育ての親のマリー夫婦を思い浮かべてみた。
二人は性格が全く違うけれど、確かに何処か似ている気がした。おおらかな雰囲気が似ているのだろうか。
エルビスと小鳥ちゃんは?
うーん、確かに、自分が信じた方へ突き進んで行くところが似ている気がする。
ローズは微笑んだ。
「はい。奥様と公爵様も、似ていらっしゃいます。とてもお似合いのお二人です」
「私と旦那様も?」
「チルチル?」
「はい。似ていらっしゃいます」
そう言って頷いたローズからは嘘を感じなかった。
チルちゃん軍は、不思議そうに私の顔を見つめていた。
☆
途中で何度も休憩を挟みながら、あの泉まで歩いた。
私は休憩を挟まなくても平気だったのだけれど、ローズが休憩を挟むべきだと主張したのだ。
貴族の奥様というものは、何をするにも余裕を持って、優雅に美しく進めるものらしい。
泉の周辺は、旦那様に求婚の言葉をもらった時よりも、緑に包まれていた。
広々と開けた真ん中に、あの泉があった。
「素敵な場所ですね。公爵邸の敷地内に、こんな場所があったなんて、初めて知りました」
ローズは瞳を輝かせ、辺りを見つめた後、「ではあの泉の側で、ピクニックをいたしましょう」と、言ったのだ。
そして、たちまち忙しげに動き始めた。
あの闇に満ちた呪われた場所が、素敵なピクニック会場になるなんてね。
空は青く、遠くから小鳥の鳴き声が聞こえた。
確かに平和で穏やかな場所になっていた。
不思議な気持ちで辺りを眺めていると、護衛のルイスが近づいてきた。
「師匠」
我が弟子ルイスは護衛のふりをしながら、私に声を潜めて聞いてきた。
「ローズの好みの男を聞いてくれたか?」
私は前置きも何もなく言ったのだ。
「ミシェルよ」
ルイスが一瞬、ぐらりと揺れた?
「あ、いや。ちょっと躓いただけだ。ああ、大丈夫だ。護衛を続ける」
ルイスは他の者達にそう言い訳をすると、私に向かって「マジかー」と小声で言った。
「そっか、ミシェルか。ああ、そうだよな。あいつ、モテるもんな。あいつが婚約して、マジ良かった。でもミシェルが好みかー。なあ、師匠、俺がミシェルに似てるところってあるか?」
ミシェルと似てるところ?
「んー、護衛をやってるところとか?」
「それ以外は?」
「んー」
何も思い浮かばない。
「じゃあさ、俺がミシェルに勝てるところって、あるか?」
「んー。口が悪いところとか、んー、真面目じゃないところとか、んー、後は何かなー、んー、んー、んー」
一生懸命考えたけど、何も思いつかない。
「なあなあ、師匠。俺今、すげえ、けなされてる?」
「けなしてはないと思うけど、んー」
「思うけど、ってなんだよ。なあ、俺、全然ローズに好かれるところがないって事なのか?」
「んー、そんな事はないと思うわよ」
「じゃあ、どんなところが好かれそうだと思うんだよ」
「んー、やっぱりダメなところかな」
「なんだよそれ、もういいよ」
我が弟子ルイスは不貞腐れてしまったけれど、私の予想は案外いいところをついていると思うのだ。
だって、ローズの母親、嵐のクロディーヌの求婚の言葉は「幸せにしてあげる」だ。
クロディーヌの夫がどんな人なのかは知らないけれど、おそらく、クロディーヌが守ってあげたいと思うような人なのではないだろうか。
どちらかというと、ちょっとダメな人である気がする。
母親のクロディーヌがちょっとダメな人が好きなのなら、娘のローズだって似た傾向があるかもしれない。
考えていると、気を取り直した様子のルイスが、辺りを眺めていったのだ。
「それにしたってさ、ここは前に来た時と全然違うんだな。本当にここはあの死霊が奥様にしがみついてた場所なのか?」
「そうよ」と私は言った。
今となっては、もはや懐かしいオーフェリア。
呪いもオーフェリアも、みんないなくなってしまった。
風が吹く場所で、辺りを見回してみたけれど、闇はもう、何処にもなかった。
チルちゃん達は武器も出さず、私と一緒に風に吹かれていた。
「この泉もさ、あの時はめっちゃ怖かったのに、今見ると普通だな」
「そうね」
ルイスが覗き込む泉の側に、私はしゃがみ込んだ。
そしてそっと右手を水に浸してみたのだ。
冷たい、どちらかというと清らかさを感じるような水だった。
呪いの気配は何処にもない。
チルちゃん達もあの時のように泉を囲み、しゃがみ込んだ。
あの時と同じように、泉を覗き込んでみたけれど、ごく普通の泉になっていた。
それで、私は平和な気持ちであれをやってみたのだ。
つまり、マリーに昔やられたように、泉につけた手を「ぐるぐるぐるー」と回してみたのだ。
ほんの軽い気持ちだった。
こんな事になるなんて、思ってもみなかった。
回している水の渦の中に、何かが煌めいた時、あ、まずいと思って、すぐに手を引っ込めたのだ。
けれど、遅かった。
すでに、私の右手の人差し指の先には、光の玉がついていたのだ・・・・。
チルちゃん達は色めき立ち、「チルチルチル!」と叫びながら一斉に近づいてきた。
私は指先の光の玉を見つめながら、あーあ、またかぁ、と思ったのだ・・・。




