第6話 見たことのない闇と、我が最強のチルちゃん軍
公爵家の玄関の扉は、豪奢な彫刻が施された背の高い大きな扉だった。
開かれると、外からでも玄関ホールの中が見渡せた。
「こちらです」
特に自己紹介もなく屋敷の中へと歩き出した壮年の男は、おそらくこの中で一番身分が高いのだろう。
執事だろうか。それとも公爵様の部下?
よく分からなかったけれど、私はそれどころではなかったので、何も尋ねはしなかった。
チルちゃん軍総勢十名は皆身を寄せ合い、私の背後から出てこようとしない。
私も屋敷に入らず立ち尽くしている。
しばらく歩き進んだ壮年の男が苛立たしげに戻ってきて、
「こちらへどうぞ!」と吐き捨てるように言うけれど、あなたの言うこちらは見たこともない色をした闇でびっしり覆われているのですけれど。
こ、ここで暮らしているの、あなた達!
私は驚愕の目で、周りにいる人々を見た。
皆、不機嫌で顔色もよくなかった。
「さあ!早く!」
あの男は怒っているけれど、そうでしょう、そうでしょう、こんなところで暮らしていれば怒りっぽくもなるものなのだ。
でももう大丈夫。安心してちょうだい。
私が来たし、ここ最近地元じゃ負け知らずの最強チルちゃん軍も来ているのだ。
私は振り返り、見た事のない闇に怯え、身を寄せ合うチルちゃん軍に目を落とした。
やってしまいなさい。
屋敷の中を指差す私。
目を見開き、プルプルと首を振るチルちゃん軍。
ダメよ。行きなさい。
屋敷の中を指差し続ける私。
「何をしているのですか。ああ、嫌がらせでもしているつもりですか?ふん。ご自分が歓迎されない事は分かっていたでしょう。旦那様がお可哀想です。あなたのような者とご結婚など!国王陛下のご命令とはいえ、あまりにも!
屋敷に入りたくないと言うのならば、今すぐ立ち去りなさい。逃げるのはお得意なのでしょう?あなたの家族も皆逃げたのです。あなたも逃げてしまいなさい。そうすればここで辛い思いをしなくてもすみます」
男が何か言っている横で、私はチルちゃん軍に力強く頷きかけた。
大丈夫よ。今日の為にあなた達には魔力をたっぷりあげて、コロコロに太らせてきた。
背だって少し伸びている。武器だって少し大きくなったのだ。
あなた達は最強。栄光のチルちゃん軍よ。
この程度の闇にやられる事なんてないわ。
やっておしまいなさい!
しばらく私とチルちゃん軍の見つめ合いが続いた後、フラフラとチルちゃんが進み出て来た。
完全に腰が引けているけれど、なんとか光る槍を取り出して、私の前に進み出す。
息を飲み見守る私とチルちゃん軍の残り九名。
「早く出て行けと言っているんです!聞こえないのですか!」
「出て行け!」
男達は何か叫んでいるけれど、私は立派に育ったチルちゃんの勇気から目が離せなかった。
チルちゃんは怯えながらも、私の足元まで伸びている闇に向かって、槍をえいっと突き刺したのだ。
意外とあっけなく闇は消えた。
範囲は狭いけれど、あっさりと。
え?と戸惑うチルちゃん。
口を開けて私を見るチルちゃん。
「すごいわ!」
手を叩いて喜ぶ私。
チルちゃんの顔にも輝くような笑みが広がる。
「何を言っているのですか!ああ、自分は狂人だとでも言うつもりですか?」
「もしかすると本当に狂っているのでは!」
「そんな!なんて女と旦那様を!」
男達が騒ぎ立てる中、私の後ろから残りのチルちゃん軍も恐る恐る進み出て、闇に武器を突き刺した。
消える闇に喜び、私を見るチルちゃん軍。
私はまた力強く頷く。
そうよ。あなた達は強い!こんな闇など、我がチルちゃん軍の敵ではないのよ!
男達が怒鳴る中、私達は闇に覆われた玄関ホールの隅々まで見て周り、ついに全ての闇を消し去ったのだ!
時間は然程掛からなかった。
さすが我がチルちゃん軍!
玄関ホールはすっかり明るくなり、広々とした豪奢な造りや、絨毯の美しい模様、大切に磨き上げられた装飾品がよく見えた。
「こんなに綺麗な場所だったのね」
辺りを見回しながら私が言うと、騒ぎ疲れた男達が釣られたように辺りを見回した。
ここは隅々まで美しい。
開いたままの扉から、爽やかな風が吹いてくると、男達は気の抜けた顔をして、風が吹く外にも目を向けた。
晴天だった。
芝生の色は鮮やかな緑だった。
とても気持ちの良い日だった。
男達は、そんな事にも初めて気がついたような顔をして見つめていた。
「さあ、ではお茶の用意をしてもらえるかしら」
私はにこやかに皆に言った。
ここでの戦いは終わり、チルちゃん軍は一列に並び、私に魔力をもらっている。
私の魔力がなくなる前に早く、何か食べ物を!
目を見開いた使用人達に見守られ、何度もおかわりを要求し、たっぷりとお茶とお菓子を堪能した後は、食堂と調理場を制圧した。
驚愕の目で見つめられながら夕食をたっぷり食べた後は、案内された寝室の闇を綺麗に消し去り、ぐっすりと眠ったのだ。
公爵様には会えなかったけれど、充実した一日だった。
☆
私は毎日、チルちゃん軍と共に屋敷内を練り歩き回り、確実に闇を消していった。
屋敷の中は確実に明るくなっていった。
最初は冷たかった屋敷の人たちも、闇のない気持ちの良い場所で、しつこく話掛けていると、少しづつ話しをしてくれるようになり、態度も柔らかくなっていった。
最初に私を出迎えてくれた男達には、その後、会わなかった。
あの男達は公爵様の部下なのだそうだ。
公爵様を慕う男達は、私に嫌がらせをして追い出そうとしたのだそうだ。
嫌がらせ?
何かされたかしら。
風の吹く明るい戸外を見つめる澄んだ瞳しか覚えていないけれど。
嫌がらせ?
公爵様にも会えなかった。
「おそらく、式の時までお会い出来ないと思います」
すっかり仲良くなった侍女のローズは、気の毒そうに私に告げた。
「そう。どんな方なのかしら?」
私が聞くと、ローズは申し訳なさそうに、
「私もよく知らないのです」と言った。
「お会いした事がないの?でも見たことはあるのでしょ?」
「遠くから数度だけ。公爵様はいつも裏にある塔の上でいらっしゃるので、あまり表には出ていらっしゃらないのです」
ローズが言う裏の塔には心当たりがあった。
そこから闇がこぼれ落ちてくるのだ。
きっと公爵様はあそこにいるのだろうな、と思っていたけれど、やっぱりあの塔にいたらしい。
「どんな方だったか教えてちょうだい。誰も教えてくれないから、私は何も知らないのよ」
ローズはオドオドと辺りを見回し、誰もいない事を確かめると、私の耳に口を寄せた。
「あの、背が、高くて、黒髪で、黒い服を着ていらして」
ふんふんと、私は想像する。
背が高くて黒髪黒服。ふんふん。
「そして、あの、ゾッとするんです」
「ゾッとする?」
想像に付け足せない。どんな感じなの?
「何か、見ていると、ゾッとしてくるんです。どうしてかは分かりません。ただ遠くに立っているだけなのに。私の方を見ていたわけでもないのに、ゾッとするんです。これが呪いだと思って、慌てて逃げ出したんです。身体中に鳥肌が立っていました。恐ろしくて、恐ろしくて」
ふんふん。全然分からないわ。
「どんなふうなのか、私も見てみたいわ」
私の言葉に、ローズは驚いたように目を開いた。
「エルサ様は怖くないのですか?その、公爵様の呪いが」
「呪いを見たことがないから、怖いかどうか分からないわ」
「まあ」
ローズはくすくす笑い出す。
「ねえ、ローズ。どうやったら公爵様を見られると思う?塔の周りで見張ってたら、公爵様にお会いできるかしら」
「もうすぐ結婚式ではありませんか。その時必ずお会い出来ますよ」
なるほど、と私は思ったのだ。
そして実際、結婚式でお会いできた。
あ、八話じゃ終わらないわ。
じゃあ十話で!