第3話 ニコルと嵐と雷と
ニコルが凄かった・・・。
侍女数人でマッサージをしてくれたのだけれど、ニコルが凄かった・・・。
☆
風呂に入れられ、皆に、寄ってたかって洗われた私は、風呂の隣にある、ソファーとベッドが置かれた白い部屋に連れて行かれたのだった。
「ではマッサージを始めます」
ソファーに座らされ、薔薇の香りがする冷たいお茶を出されると、侍女達が一斉に、それぞれの手のひらに香油を垂らし始めた。
マッサージは、侍女達が優雅に微笑みながら、香油まみれの手の平で、私の肌をするすると優しく何度も撫でてくれる、といったものだった。
少しくすぐったかったけれど、じんわりと肌が温まっていき、気持ちよかった。
私は時折、冷たいお茶を飲みながら、マッサージをしてくれている侍女達に優雅に微笑み返し、「気持ちいいわ」と言うなど、貴族の奥様らしい事をしていたのだ。
しかし侍女達の中でニコルだけ、親指の力が少し強い気がした。
ニコルはそのムチムチとした厚みのある指で、押されるとちょうど気持ちの良い筋のような場所ばかりを、ピタリと指で辿って押していた。
いい。
「ニコル。あなた、上手なのね」
私は優雅にニコルを褒めた。
「褒めていただけて嬉しいです。もう少し強く押した方がいいですか?」
ソバカスの浮いた幼なげな顔で嬉しそうに聞かれ、私は「そうね。お願いするわ」と気軽に答えてしまった。
「はい。奥様」
ニコルの親指の強さが、グッと強くなった。
親指だけでなく、親指の付け根の膨らんだ辺りも使い、押してくるようになった。
でも、それがまた、いい!
「ニコル、本当に上手なのね!」
感極まって私が言うと、ニコルがまた嬉しそうに「ありがとうございます」と、更に押す強さを増してきた。
そして、段々と、ニコルは本気になっていった。
優雅に私を撫でる侍女達の中で、ニコルだけはもはや微笑みを忘れ、額や鼻の下に薄っすらと汗を浮かび上がらせ、時折「ふんっ」「ふんっ」と鼻息も荒く、良い所を押していた。
それがいい!ものすごくいい!
足の裏の、まさにそこ!と言う場所をグリグリ押され、思わず「うっ」と声を出すと、
「ニコル。そんなに強く押しては、奥様が痛がっていらっしゃるわ」と他の侍女が慌てて止めた。
私はそれを慌てて止めた。
「いいの!お願い!続けてちょうだい、ニコル!あなたに、全身をお願いしたいわ!」
「まあ、良いのですか?奥様」
ニコルは戸惑ったように、首を傾げた。
「是非、お願いするわ」
迷ったように侍女達を見るニコルに、侍女の一人が「奥様のお望みよ。おやりなさい」と優しく言った。ニコルは他の侍女たちから可愛がられているみたいだ。
「は、はい。で、では、奥様、そこのベッドに移動しましょう。その方が、マッサージをしやすいですから。うつ伏せに寝てください」
嬉しそうなニコルに言われ、私はすぐさま、ソファーの横に置かれた、ベッドにうつ伏せになった。
ベッドの横で、むっちりとした手のひらに、香油をたっぷりと垂らしながら「では、始めますね」と言うニコルを、「お願いします」と、期待の目で見つめたのだ。
☆
凄かった。ニコル。凄かった!
容赦のないニコルの親指に、グリグリと全身やられて、何度も「うっ!」「くっ!」と声を上げてしまった。
「大丈夫ですか、奥様?」
「だ、大丈夫よ、続けてちょうだい!」
「チルチルチル!」
外で待っていなさいと言ったのに、部屋の中が気になって仕方がなかったのだろう。
おそらく、誰かが部屋の出入りをしている隙に、入り込んだらしいチルちゃん達が、ベッドの上までよじ登り、見物していた。
私が呻き声を上げる度に歓声が湧く。
「うっ」
「チルチル!」
「くっ」
「チルチルチル!」
うるさい。
でも気持ちい。
「さあ、終わりました」
とニコルが言った頃には、心地よい疲労感と共に、身体中が軽くなっていた。
「マッサージって初めて受けたけれど、凄いのね!貴族の奥様は、皆、こんなマッサージを受けているのかしら」
感激して言うと、侍女の一人が苦笑いしながら言った。
「いいえ。ニコルのマッサージは、貴族の奥様にするようなものではなく、騎士にするマッサージです」
「騎士に!?」
「はい。すいません。奥様。騎士にするような強いマッサージを、奥様にしてしまいました」
先程までは力強かったニコルが、急に肩を落とし、オドオドし始めた。
「いいのよ、気にしないで。それより、騎士のマッサージをここで教わったの?」
「いいえ。こちらでマッサージを教えていただく前に、夫に騎士のマッサージを教わったのです。夫に毎日してあげているのです。それが、つい出てしまいました」
「ニコルの夫は、護衛のダンだったわね」
護衛された時に見たダンは、鍛えられた大きな体に、夢見るような目をした若い男だった。
ニコルとダンが並んでいる姿を思い浮かべてみると、何処か似たところのある、しっくりとくる二人だった。
求婚の言葉は「あの月が沈むまで、何度だって言うよ。君を愛してる。結婚してくれ」
いい!
これまで集めた求婚の言葉の中でも特に、私のお気に入りの言葉だった。
「はい。ダンは、昔、騎士団に所属していました。そこでマッサージを習ったそうです」
「まあ、騎士団に所属すると、マッサージも習えるの?」
「いえ。それが、ダンは、あまり騎士の才能はなくて。訓練でもすぐ体を痛めてしまうので、毎日のように騎士団の医務室に通って、マッサージばかりしてもらっていたのです。でも、真似をして他の騎士たちにマッサージをしているうちに、そちらの才能が開花したようで。騎士団を辞める時には、夫のマッサージの虜になった仲間達に、泣いて止められたと言っていました」
騎士達を虜にするマッサージ騎士。
いい!
その弟子ニコル。
いい!
素敵!
正直なところ、私がローズ派の一番じゃなければ、ニコル派に寝返ってしまっていたかもしれないほど、ニコルに心が傾いてしまった。
私がローズ派の二番や三番だったら、危なかった。
良かった。一番で。
ああ、でも、ローズ、こんな一番で、ごめんなさい。
でも、あまりの気持ち良さに、心が揺らいでしまっただけなの。
だから、大丈夫。
私はいつでもローズの一番よ。
ローズに対する言い訳を心で終えた後、私はニコルに熱の籠ったお願いをしたのだ。
「是非、またお願いするわ」
その時、扉の外からローズの声がした。
「失礼します。奥様はこちらですか?」
ビクッとなった。
☆
香油でヌルヌルの肌の上から、ローブを着込み部屋を出た。
チルちゃん達も小走りでついてくる。
「そのままで結構ですよ、奥様。お客様に会うのではないのですから。こちらの部屋にどうぞ。公爵様もお呼びしております」
ローズはそう言うけれど、出来ればもう少し防御力の高いドレスを着て、初対面を迎えたかった。
だって、嵐と雷なのだ。
防御力は高ければ高いほど良いに違いない。
ローズに馬車で呼びに行かれた二人は、直ちに公爵家へと来てくれたのだ。
なんて頼もしい二人だろう。
でも、ちょっと怖い。
だって、嵐と雷なのだ。
連れて行かれた部屋には、ちょうど部屋に入ったばかりの旦那様と、その奥に立ち、目を潤ませた、嵐のクロディーヌと雷のカトリーヌらしい二人がいたのだった。
旦那様は懐かしげに、二人に声をかけていた。
「クロディーヌ。カトリーヌ。久しぶりだな。こうして再び会うまでは、二人の事を覚えていないと思っていたのだが、二人の顔を見れば思い出した。クロディーヌ。おまえには、よく怒られていたのだったな。カトリーヌ。おまえはよく、母を訪ねて来てくれたのだったな。母がおまえと楽しげに話していたのを思い出した」
嵐のクロディーヌと雷のカトリーヌは、「坊っちゃま!」「ああ覚えてくださっていたのですね!」と涙を零し、再会を喜んでいた。
二人ともローズに似ていた。
歳を経ても可愛らしい顔立ち。薔薇色の頬。ふわふわとした明るい茶色の髪。澄んだ茶色の瞳。
嵐のクロディーヌがローズの母で、背筋がピンと伸びた快活そうな五十代くらいの女性。
雷のカトリーヌはローズの祖母で、穏やかそうな七十代くらいの女性だった。
どちらからも嵐や雷は感じなかった。
昔は違ったのだろうか。
二人は、差し出された旦那様の手を片方づつ握り、泣き笑いの顔をして、旦那様を見つめていた。
「こんなに立派になられて。呪いも消えて。良うございました。本当に良うございました」
「ああ。このよう成長された姿を、奥様にもお見せしたかった。本当に奥様に良く似ていらっしゃって、まあ。あの小さなアレクシス坊っちゃまが!目元は奥様にそっくり。口元は公爵様にそっくりです。お二人ともお美しい方達でしたが、坊っちゃまは、お二人よりも更にお美しくなられて、まあ!」
ローズが、そっと二人に近づき言った。
「お祖母様、今はもう代替わりされているのですよ。お祖母様の言っている公爵様と奥様は、先代の公爵様と先代の奥様です」
「ああ、そうでした。よく言ってくれたわ、ローズ。公爵様、申し訳ありません。懐かしさのあまり、つい」
「いいんだ。カトリーヌ。私もおまえ達に再び会えて嬉しい。ああ、エルサ。来ていたのだな。紹介しよう。私がまだ呪われる前にここで侍女長をしていたクロディーヌ。ローズの母だ。そして私が生まれるより前に侍女長をして、その後、母の友人となったカトリーヌ。ローズの祖母だ」
「あなた達がクロディーヌとカトリーヌね。会えて嬉しいわ」
私はヌルヌルとした肌のまま、精一杯の挨拶をした。
クロディーヌとカトリーヌが私を見る目は、優しく微笑んでいたけれど、その奥に鋭さがあった。
何かを察したチルちゃん軍が、そっと私の後ろに隠れた。
きっと、あの目の中にあったものが、嵐と雷の何かなのだ。
やっぱり、もう少し防御力を上げておきたかった。
「初めまして奥様。お会いできて光栄です。未熟な娘のローズがご迷惑をかけてなければ良いのですが」
「初めまして奥様。お会いできて光栄です。現在のご事情は、馬車の中で孫のローズから聞いております。私どもも、御恩のある公爵家の為に、精一杯の事を致すつもりでございます」
「それでは、手を貸してくれるのだな」
旦那様が嬉しそうに言った。
「もちろんでございます」
二人は力強く頷いたのだ。




