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死神公爵に「おまえを愛することはない」と言われましたが、我が栄光のチルちゃん軍にお任せください!  作者: 雷雨
第1章 死神公爵と我が栄光のチルちゃん軍

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街に住む画家 4

「オリヴィエさん。あなたがこれまで描いた海の絵は、全てあなたの故郷のあの街から見える海ばかりなのでしょう?それなら、この小さな絵もあなたの故郷の海だわ。だから、私が望む海の絵は、あなたの故郷の海の絵よ。あなたにはあの街に戻って海の絵を描いてほしい」


あの小さな海の絵を、コトンと、テーブルの上に置きながら言う彼女を、俺は泣きながら睨みつけた。


「あの街に戻れば、俺はみんなに殴られて、ボロボロになる。それなのに誰からも、何一つ許されない。・・・それでもあんたは俺に、あの街に戻って、海の絵を描いてくれって言ってるのか?」


「そうよ」


彼女は俺の目を見て、はっきりと言った。

しばらく睨みつけたが、彼女は目を逸さなかった。

先に折れたのは俺の方だった。


「あんた、俺に、すげえ酷い事言ってるって分かってるのか?」


ひどく情けない声で聞いてみた。

すると、彼女は申し訳なさそうに眉を下げ、悲しげな声で「分かってるわ」と言ったのだ。


途端に少し気が抜けた。

そんな顔をされるとは思ってなかったのだ。もっと貴族らしい高慢な態度で何か言われると思っていた。


「あなたに酷い思いをさせても、私はあなたの海の絵が見たい。新しく作る私と旦那様の部屋に、あなたの描いた大きな海の絵を飾りたい。晴れた日も、雨の日も、毎日その絵を眺めて暮らしたい」


彼女は悲しげだったが、真剣だった。

それで、俺は彼女がそんな顔をしてまで望む海の絵に、ほんの少し興味が湧いたのだ。


「どんな海の絵を描いて欲しいんだ?」

手の甲で、涙を拭いながら聞いてみた。


「描いてくれるの!?」

途端に彼女は声を弾ませた。


「描けないって言ってるだろ!ただ・・・どんな海の絵を描いて欲しいのか、ちょっと、知りたかっただけだよ」


「そう」彼女はがっかりしたように言った後、深いため息をついた。

それから、切り替えるように、ふと笑った。


「私が描いて欲しいのは、思い出よ」

「思い出?」


「ええ。そう。旦那様とエルビスの、思い出の海よ。二十一年前に二人が出会った海を描いて欲しい。今はもう、その海岸には、幾つも別荘が建ってしまって、景色はすっかり変わってしまったんですって。だから、今はもうない海なのよ。それに二十一年前の事だから、二人とも、はっきりとはどんな海だったか覚えてないそうなの。でも、この絵を見た時、こんな海だったって言ったのよ。二人ともね」


俺が昔描いた小さな海の絵を差し出しながら、彼女は言った。

俺は、その絵を受け取った。


「二人には、他にも山ほど海の絵を見せたのよ。でも、二人が、こんな海だって言ったのは、その絵の海だけだったわ」


そして彼女は、エルビスの物語を聞かせてくれた。


不思議な話だった。


賭博にはまり、身を持ち崩した年若い貴族。

最後にと訪れた故郷の海。

海の妖精のような美しい貴族の少年との出会い。

二人で眺めた美しい海。

すっかり変わってしまった人生。


俺は、今まで、散々いろんな海の絵を依頼されてきた。

朝の海。夜の海。凪いだ海。荒れた海。女神が降臨した神話の海。ただただ美しいだけの海。


でも誰かをすっかり生まれ変わらせた思い出の海、という依頼は初めてだった。

他人の記憶にしかない海など、どうやって描けばいいのだろうか。

また少し興味が湧いた。


「この絵に似てるんだな」

渡された小さな海を眺めてみた。

空と海と砂浜と風。

よくある海の絵だ。

これを描いた時の事は覚えている。


「これは画材屋の親父が借金を返せと言ってきたから、返済の代わりに描いて渡した絵だ。一時間も掛からなかった。海も見ずに、その辺にあった絵の具で、適当に・・・そうか!」


話しているうちに気がついた。

適当に描いたが、これは俺の頭の奥にあった記憶の海だ。

俺の思い出の海。

でも、どうしてその海が、二人の思い出の海と同じなのだろう。

それに、俺の記憶の海は、いつ見た海なのだろうか。思い出せない。


「なあ」と隣に立つエルビスを見上げた。

「季節はいつだった?」

「夏だ。一番暑い頃だった。海を見ていたのは、夕方近くだ。海の反対側にある山に、太陽が沈むより前だった」


その時の海を思い出したのか、エルビスの表情が緩んだ。

俺は、そんなエルビスの顔を眺めながら、その海を思い浮かべる。


「何を思いながら海を見たんだ?」


「・・随分昔のことだから、はっきりとは覚えていないが、ただ目の前の海の美しさに圧倒されていたのだと思う。そしてまだ少年だった公爵様がどうして私などと一緒に海を見てくださっているのか、不思議な気持ちで海を眺めていた」


じっと話を聞いていた彼女が、「そういえば、旦那様」と、背後を振り返った。

「アレクシスだ」

「アレクシスは、その時、何を考えていたのですか?」


公爵様は記憶を探るように目を細めたが、すぐに首を振った。


「まだ私は五歳だったのだ。正直なところ、あの時見た海をぼんやりと覚えているだけで、何を考えていたのかなど、全く記憶にない」


「そうですか」とがっかりした声を出す彼女に向かい、公爵様はふと笑みを浮かべ、優しげに言ったのだ。


「記憶にはないが、想像はつく。おそらく、その時の私は嬉しかったのだ。美しい海を見て感動した自分と同じ感動を感じている誰かが隣にいる。共に海を眺めている。そのことに喜びを感じたのだろう」


「同じ感動・・喜び・・・?」

俺が呟くと、公爵様はこちらを見て頷いた。

「そうだ。一人で見る海と、同じ気持ちの誰かと見る海は違うだろう」


「誰かと見る海・・・」


何かが記憶に引っかかった。

そういえば、俺も誰かと海を見ていた。

誰かと。喜びでいっぱいの気持ちで。海を。


ふと、懐かしい笑顔が浮かび上がる。

その途端、目の前に記憶の海が広がった。


打ち寄せる波。

強烈な海の匂い。

走り回って、にじむ汗。

誰かの笑い声。

日が翳り、少し風が涼しくなった。

ずっと握りしめていた、誰かの湿った小さな手。

すぐ隣にある誰かの顔。

誰かと一緒に綺麗な海を見つめていた、あの気持ち。


あの海だ。

あの海を描きたい。


急に湧き上がった気持ちに驚いて、慌てて胸を押さえた。


でも描きたい。

描きたい。

描きたい。


すがるように彼女を見ると、彼女は、にこりと微笑んだ。


「ロン」


開け放たれた扉の外にいた男が、他の者たちをかき分けるようにして中に入ってきた。

ひょろりと背の高い、顔色の悪い男だった。


「これですか?」

男は、そういうと、布に包まれた細長いものを、彼女に渡した。


「そうよ。ありがとう。さあ、オリヴィエさん。確認してもらえるかしら」


彼女が俺の目の前で布を開くと、中には使い古した絵筆が数本入っていた。

俺の絵筆だ!

急いでそれを手に取った。

懐かしい。

二度と握れないと思っていたのに、手に取ると喜びが溢れてくる。

描きたい気持ちが急いてくる。


昂った気持ちをどうすれば良いのか分からず、辺りを見回すと、興味深げに俺を見ていた公爵様と目が合った。


「おまえがアトリエと住居代わりに使っていた貸家は、私が買い上げた。中にあった、おまえの荷物ごと全部だ。足らない物も買い足しておいた。必要な物があれば、全て用意するから言ってくれ。おまえの借金も、前金として全て払っておいた。あとは、おまえがあの街に帰り、絵を描くだけだ」


「あの街に帰る・・・」


急に緊張し、喉がカラカラになっていった。


「大丈夫よ」と彼女は笑った。

「その為に、これを用意したのだから」


彼女は、先ほど、びっしりと書き込んだ紙を俺に差し出した。


「土産物屋の親父に十発殴られる。家具屋の親方には二発殴られて、大家には平手打ち一発。大家の子供には『バカ』と言われて、大家の猫には引っ掻かれる」


俺が街に帰ってされる事を、幾らか読み上げた。


「マジで、酷い事ばっかり書いてあるよな」

呟くように言うと、彼女が申し訳なさそうな声で「そうね」と言った。


「これを全部されても、俺は誰からも許されないのに、どうしてこれをやれば、俺は街に帰れるんだ?」


疑問に思っていた事を聞いてみると、彼女は「やってみれば分かるわ」と微笑んだ。

俺は鼻に皺を寄せる。


「正直、あんたが言っている事は、最初から訳が分からない。でも、この紙を眺めていると、確かに気持ちが落ち着いてくる。何故かは分からないが、これをやれば、あの街にいられる気がしてくる。なあ、俺は、あんたに騙されているんだろうか」


彼女は何も答えず、楽しげに微笑んだだけだった。


公爵様が立ち上がった。

「おまえの街までは公爵家の馬車で送ろう。用意が出来れば言ってくれ」


「用意するものなんて、何もありません」と俺は言った。

「持っていく物は、この絵筆以外、何もありません」


公爵様は俺を見て頷いた。

「そうか。ロン。行ってくれるか?」

「もちろんです。公爵様。お任せください」


先ほど絵筆を持ってきてくれた、ヒョロリと背の高い男が公爵様に向かい頷くと、俺の方へと顔を向けた。

「では、オリヴィエ。明日、馬車を用意して迎えに来る。俺が一緒におまえの街まで行く。よろしくな」


差し出された手を慌てて握った。


「いいんですか?ここから遠いですよ」

「いいさ。どうせ女に振られたばかりだ。新しい街に行くのもいい」

ロンは、皮肉な、そしてどこか寂しげな笑みを浮かべた。


ロンの後ろで、公爵様が愛おしげに、彼女の頬に手をやったのが目に入った。


「いつもおまえが、どうやって人を(そそのか)しているのだろうと、思っていた」

(そそのか)す?」


彼女が不思議そうに首を傾げた。


「ああ。エルサ。おまえはとても真摯(しんし)に人を(そそのか)すのだな。今日は、おまえらしいやり方を見せてもらった」


二人のやりとりを見ていると、最初に部屋を掃除してくれたローズという可愛い娘が、怒り心頭といった顔をしてやってきて「二度と奥様の事を、あんた、などと呼ばないでください」と怒られた。怖かった。


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