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死神公爵に「おまえを愛することはない」と言われましたが、我が栄光のチルちゃん軍にお任せください!  作者: 雷雨
第1章 死神公爵と我が栄光のチルちゃん軍

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街に住む画家 3

「謝らなくてもいいわ」

彼女は気軽な様子で俺に微笑んでくれた。

女神様かと思った。


俺の左肩に置かれたエルビスの手が、分かっているだろうな、と言うように、二度軽く俺の肩を叩き離れていった。

怖くて、エルビスの顔を見上げる事は出来なかった。


「あなたは、もう、海も見たくないし、海の絵も描きたくないのね。分かったわ。私はあなたに海の絵を描いて欲しかったのだけど」


「悪いけど。他を当たってくれ。俺はもう描けないんだ。飽きたと思った日から、何も描けなくなったんだ。絵筆だって持てなくなった。絵筆に触ろうとしただけで、胸が苦しくなるんだ」


俺は自分の右手を見つめた。


「描きたくない、とか、そういうんじゃないんだ。描けないんだ」


「それじゃあ描きたい気持ちはあるの?」


「ない。描きたくない。俺を探し出して、こんなところまで来てもらって悪いけれど、他の奴に依頼してくれ。俺は無理だ。マジで無理だ」


「そう」と彼女は言った後、「絵が描けなくなったから、生まれ育った海辺の街から引っ越したの?」と聞いてきた。


描けないと言っているのに、なんで彼女はまだ俺に質問なんてしてくるんだろう。


不思議に思って彼女を見ると、あの濁りのない、黒く真っ直ぐした目で俺を見ていた。

あんな目をして何が知りたいと言うんだろう。


「引っ越したのは、あそこにいられなくなったからだ」

「どうして?」

彼女の質問は止まらない。


「どうしてって、借金があったし、色々やらかした」

「何をやったの?」

「なんだっていいだろ!何でそんな」まで言ったところで、俺の肩にまた分厚い手が、ずしんと置かれた。


俺はすぐに愛想良く、ペラペラ話した。


「海に飽きて、絵も描けなくなってから、海を見てるだけでムカつくようになったんだ。だから残ってた絵の具を、砂浜に全部撒き散らしてやった。そしたら漁師に追いかけられた。逃げたけど追いつかれそうになったから、露店に並んでた瓜を全部漁師に投げつけてやった。露店の奴らにも追いかけられたから、逃げながら土産物屋の前に置いてあったデカい人形を倒して転がして、追いかけてくる奴らをみんな転ばせた」


「なるほど。クズね」

彼女は穏やかに、頷いた。


「・・・ああ、クズだよ」


「でも、やったのはそれだけじゃないんでしょ?」


「後は別に」と誤魔化そうとすると、俺の肩に置かれた重い手が、ぽん、と軽く俺の肩を叩いた。


俺は素早く話し出した。


「追いかけて来る奴らをなんとか撒いて、借りてた家に逃げ帰ったら、家の前に大家のガキがいた。邪魔だ、『どけ!』って怒鳴ったら、大泣きされた」


「見事なクズね」

彼女は、しみじみと頷いた。


「・・・大家が飛んできて、出て行けって叫ばれた。だから出て行こうとしたら、足元にいた大家の猫の尻尾を踏んづけた。猫が、すげえ怒ってて引っ掻かれそうになったから蹴り飛ばそうとしたら、大家が石を投げながら追いかけてきた。それで走って逃げて適当に乗った乗合馬車が、この街行きだった」


「立派なクズね」

彼女は思慮深い顔で頷いた。


「それで?それだけじゃないんでしょ?当然、それより前から、もっと何かやらかしてたんでしょ?」


「別に」と言った俺の左肩に、太い指先が食い込んだ。

俺は、捕まったネズミみたいに怯えながら、覚えている限りの事を全部話した。


全てを聴き終えた彼女は、ふんふんと、指を折り数えながら、俺が話した事のうちの幾つかを繰り返した。


「料理屋のつけは払ってない。画材屋にも代金を払ってない。家具職人の親方が作った配達中のテーブルは、邪魔だからって泥だらけの靴で蹴飛ばした。絵の師匠には『あんた才能ないよ。すっげえ下手だし』と言って激怒された」


彼女は憂いを帯びた瞳で、俺を見つめて言った。

「まごう事なきクズね」


「・・・ああ、クズだよ。俺だって分かってるよ。だからクズの事なんか放っておいてくれよ。俺は二度と絵なんて描けないし、二度とあの街には戻れない」


「そうかしら?」と、彼女は言った。

「絵はともかく、あの街に戻る事ならできるでしょ」


「無理だよ。もうあの街には居場所がない。あれだけやったんだ。誰も俺を許さない。あの街で生まれ育ったけど、みんなを怒らせてばかりだった。絵だけは描けたから、絵を売って金を払って何とかやってこれた。でももう絵は描けなくなった。だから誰も俺を許さない。俺はあの街に戻れない」


言っているうちに、絵筆が握れなくなった右手を見つめていた。


長い沈黙が続いた後、彼女が呟くように言ったのだ。


「あの街に帰ったら、あなたはどうなるの?」


彼女の声に心配そうな響きがあった。

そんな声を出すと、さっきまでの自信に溢れた彼女より、少し幼く、頼りなく見えた。

俺は目の前の彼女が、俺よりもずっと年若い娘だという事に気がついた。若い娘に心配された事に、俺は何となく慌てしまい、彼女を元気づけるように、わざと戯けた声で言ったんだ。


「絶対に殴られるよ。全員に殴られるだろうな。まず最初にあの土産物屋の親父に殴られる。すっげえ怒ってたから、十発は殴られる」


彼女も少し笑って俺に聞いてきた。

「十発も?」


「ああ、あの親父は怒り出すとしつこいんだ。でも、小さくて細い親父だから、殴られても大して痛くないよ。だから尚更、何発も殴って来るんだ。前、怒らせた時も、十発は殴られたな」


彼女は、くすくす笑いながら、「他には誰に殴られるの?」と聞いてきた。


「漁師にも殴られるだろうなあ。二発ずつは絶対に殴られる」

「三発じゃなくて、二発なの?」

「あいつら力が強いから、一発で俺は起き上がれなくなるよ。よし。それじゃあ、二発じゃなくて、一発にしとこう。一人づつじゃなくて、代表者一人に一発だけだ。それで十分だろう」


俺が調子良く喋っていると、

「エルビス。紙とペンを」と彼女が言った。


「はい。奥様」


すぐ彼女の前に、一枚の紙とペンが用意された。

彼女は小さな文字で、何かを書き始めた。

俺はテーブルに身を乗り出して、それを見た。


・ 土産物屋 十発 殴る

・ 漁師   一発 殴る 但し代表者一名のみ


彼女は自分が書いた文字を、満足げに眺めると、俺に目を移し、

「さ、この調子で続きを考えていきましょう。次は、あなたに瓜を台無しにされた露店の店主達ね。やっぱり一発づつ殴られておくべきかしら」


「い、いや、露天の店主達はみんな痩せた婆さんばっかりだから、どっちかって言うと、平手打ちされるんじゃないかな」

「ふんふん。何発づつ?」

「二発ぐらい?」

「三発づつでもいいんじゃないかしら?」

「じ、じゃあ三発で」

「ふんふん。露天商。平手打ちを三発。全員で」


彼女はまたそれを紙に書き込んだ。


「いいわね。次は、大家さんにいってみましょう!」


こんな調子の強引さで、彼女はどんどん推し進め、用意された一枚の紙は、裏も表も、俺がされる事をびっしりと書き込まれた。


「これで、全部かしら?」

「ああ、もうそれでいいと思うよ」


俺は疲れ果てて、テーブルにうつ伏せた。

貴族のお遊びに付き合ってやったが、これがなんになると言うんだろう。


俺は、皮肉な口調で言ってやった。


「それで?それを全部やったら、俺はみんなに許されるのかい?」


彼女は、そうよ、これだけやれば許されるわよ、と、貴族の娘らしい世間知らずな言葉を言うのだと思っていた。

そうしたら、心から馬鹿にした目で見てやろうと思っていた。


しかし、彼女はそう言わなかった。


「いいえ。あなたは許されないわ」と、低い声で彼女は言った。


俺は思わず、顔を上げて彼女を見た。

彼女は、まるで啓示を与える巫女のように、どこか冷たい表情で俺を見ていた。


「これだけやっても、あなたは誰からも、何一つ許されないわ」


俺は唖然として彼女をしばらく見つめた後、

「じゃあ、何の為に、そんなものを書いたんだ」と聞いたのだ。


「これだけやっても、誰もあなたを許さない。でも、これであなたはあの街に帰れるわ」


あの街に帰れる、と聞いただけで、ずっと目を逸らして見ないようにしていた郷愁が、一気に胸に湧いてきた。

ふいに、海の匂いや、街角の匂い、温かい女の湿った汗の匂いが鼻についた。波の音や、知り合いの話し声、女の笑う声が耳に蘇った。


俺は頭を振って記憶を消そうとした。

でも、一度湧いたものは消せなかった。

全部忘れてここで朽ち果てようと思っていたのに、台無しになってしまった。

目から涙がこぼれ落ちた。


「なんで、こんな事するんだ。俺をどうしようって言うんだ?」


俺は彼女を睨みつけた。


彼女はまた、悲しげな顔になり、ポツリと言った。


「あなたに絵を描いてもらいたい」

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