街に住む画家 1
画家目線のサイドストーリーです。
彼女との出会いは突然だった。
扉を開けると彼女がいたのだ。
「突然、ごめんなさい」
石畳の狭い路地から、俺の住む借家の扉を叩こうと拳を振り上げていた彼女は、突然開いた扉に驚いたように目を見開き、それから嬉しそうな笑顔になった後、全く悪びた様子もなく言ったのだ。
「誰だ?」と、当然俺は聞いた。
「私はエルサ。あなたはオリヴィエさんでしょ?」
黒髪の美しい娘だった。
清楚な顔立ち。華奢な体。美しい物腰。簡素なドレスを着ていたが、どう見たって貴族の娘だ。真っ直ぐ俺の目を見つめる黒い瞳は、貴族らしくない気がしたが、きっと貴族だ。
貴族なんかと関わると碌な事がない。
俺は、彼女の目の前で扉を閉めた。
すぐさま扉が叩かれた。
ドンドンドン!
ドンドンドン!
「オリヴィエさーん!開けてくださーい!お話があるんですー!オリヴィエさーん!」
諦めてくれと願ったが、全く諦める気はないらしかった。
いつまでもいつまでもいつまでも、扉を叩いている。
「オリヴィエさーん!開けてくださーい!」
最近、何処かで貴族と関わっただろうかと考えてみたが、どうにも全く記憶になかった。
この街に来てから、俺は、いつも同じ事しかしていない。
この一部屋しかない汚い借家で眠り、昼がとっくに過ぎたあたりで目を覚まし、扉を開けて外に出る。
ポケットに手を突っ込み小銭の数を数えながら、その辺で使いっ走りの小遣い稼ぎをするか、真っ直ぐ酒場に行くかを決める。安い酒場で、安い酒を飲み、奢ってもらえる誰かにまとわりつき、つまらない言い争いをして酒場を追い出され、借家で眠る。
温い泥に浸かっているような、怠惰で楽しい日々だった。
出会うのは、俺と同じ碌でもない連中ばかりで、何処にも御貴族様の影はない。
では外にいるのは、誰なんだ。
「オリヴィエさーん!こんにちはー!開けてくださーい!」
間違いなく俺の名前を叫んでいる。
仕方なく、扉を細く開け、外を窺おうとしたが、彼女はたちまち華奢な手を伸ばし、扉を大きく開いたのだ。
強引に!
「なんなんだ、あんた!」
怒鳴りつけても、彼女は気にした様子もなかった。
俺を見てもいなかった。
足元に目を落とし、犬か何かを通してでもいるかのように軽く足を退けると、徐に顔を上げ、俺の部屋を見渡し「なるほど」と言った。
その後、やっと黒い瞳を嬉しそうに輝かせながら、真っ直ぐ俺を見つめてきたのだ。
「さあ、これでいいわ。私はエルサよ。初めまして。あなたは画家のオリヴィエさんでしょ?絵の依頼をしたいの」
絵だって?
心がスッと冷えていった。
「人違いだ。俺は絵なんか描かない」
「でも、これはあなたが描いたのでしょ?」
そう言いながら振り返り「ローズ」と言った彼女の元へ、別の娘が進み出てきた。
ふわふわとした明るい茶色の髪と薔薇色の頬をした、可愛らしい娘だった。
その娘は彼女に何かを手渡した後、大きな澄んだ茶色の瞳で俺をキツく睨みつけ、
「奥様に無礼な態度を取るのはおやめください」と言ったのだ。
「お、奥様?」
「あなたの目の前にいる方の事です。無礼のないようにお気をつけください」
娘は、またキツく俺を睨みつけ、不機嫌そうに下がっていった。
「いいのよ、ローズ。オリヴィエさんも気にしないで」
娘の睨みにたじろぐ俺に、彼女は気軽な笑みを浮かた。
そして「これよ。これを描いたのはあなたでしょ」
と、見覚えある物を差し出してきた。
彼女の手の平に収まるくらいの小さな絵だ。
「・・・知らないな。なんだそれ」
俺はそっけなく言ったのに、彼女は黒い瞳を輝かせ、
「やっぱり、あなたが描いたのね!やっと見つけたわ」と言ったのだ。
「いや、俺はそんな絵知らな」
「さあ、それじゃあ交渉に入るわよ。オリヴィエさん、あなたの部屋を使わせてもらうわ」
「いや、だから、なんだよ交渉って。そんな絵、知らな」
「椅子がないわね。エルビス」
「先ほどルイスに、近くの店から椅子とテーブルを借りてくるよう、言いつけておきました」
「さすがだわ、エルビス」
「いや、俺の話を聞けよ。そんな絵、知らな」
「奥様、お願いがあります」
「何かしら、ローズ」
「なあ、ちょっと!俺の話を」
「椅子が届く前に、少しでもこの部屋を掃除させてくださいませ。このような汚い部屋にお二人に入っていただくなど、我慢できません」
「そうね。お願いするわ、ローズ」
「お任せください、奥様」
「待てよ!勝手に俺の部屋に入るなよ!おまえら、俺の話を少しは聞けよ!」
「おどきなさい。そして、今後、奥様に無礼な言葉遣いをするのは許しません」
ローズと呼ばれた娘の、可愛らしい顔立ちに似合わぬ鋭い睨みに、思わず怯み、黙り込んでいると、娘の後ろに、コツリと誰かが立ったのが見えた。
街中では見ないような鍛え上げられた体をした若い男だった。腰に剣を刺している。
女のような優しげな顔をしていたが、銀色の華奢な眼鏡の奥から、静かに俺を見下ろす視線が怖かった。
騎士か?護衛か?
後ずさる俺に、男の視線がついてくる。
「ミシェル。そんなに怖がらせてはいけないわ」
「はい。奥様」
はい、と言ったはずなのに、男の視線は崩れなかった。怖い。
なんなんだ、こいつらは。
戸惑い怯える俺に、ローズと呼ばれた娘が言った。
「さあ、退きなさい」
ローズは、短い時間でそこら中に声をかけ、小銭と引き換えに掃除道具と人手を掻き集めてきたようだった。見たことのある顔の奴らが、戸惑いながらも雑巾やバケツを持ってローズの後ろに並んでいた。
ローズは箒片手に皆に言った。
「一番掃除が上手かった方には、先ほどの倍の額を追加でお支払い致します」
あっという間だった。隅から隅までピカピカになった。
部屋の隅のベッドの汚れたシーツや毛布も取り払われ、どこで手に入れたのか、清潔なものと入れ替えられてしまった。
「あなたもよ」
ローズに水の入った桶とタオルを渡された。
顔を洗わされ、濡れたタオルで髪を拭かれ、見覚えのない清潔な服に着替えさせられ、ボサボサの髪が切り揃えられた。
なんなんだ!
気がつけば、俺は綺麗な借家で見慣れぬ椅子に座り、見慣れぬテーブルの向こう側で楽しげな笑みを浮かべて座る彼女と向かい合っていた。
それは、いい。
まあ、いい。
でも、彼女の後ろに座った黒服の男はなんだ?
彼女と同じ、黒髪黒目の、おろそしく整った顔立ちの男だった。
まるで夜しかない国から、たった今、抜け出してきたような、やけに白い肌をしていた。背が高く、騎士のように鍛え上げた体をしていた。
この男も貴族に違いないが、何故、俺を睨んでいるんだ?
顔が綺麗すぎるせいか、睨む顔つきが魔王のようだ。
怖い。俺、なんかやったっけ?
逃げ出したいけれど、逃げ出せなかった。
借家の扉は大きく開かれたままだったが、そこに何人も男達が立っている。
全部護衛だろうか。皆、鍛えた体をしている。
一番手前にあの眼鏡の男がいて、静かに俺の動きを見つめていた。
なんなんだ?
「さあ、準備は整ったわ。まずはお茶にしましょう」
怯える俺に、彼女が楽しげに声をかけた。
入り口に立つ眼鏡の男が体を引くと、後ろからバスケットを持った男が入ってきた。
生真面目そうな壮年の男だ。
「エルビス。お願いするわ」
「はい。奥様」
彼女を見た時だけ、一瞬表情が緩んだのは幻だったのだろうか。
生まれてから一度も笑った事も泣いた事もないような顔をして、黙々とバスケットの中のものをテーブルに広げていく。
皿の上に山のようにつまれたドーナッツや、チョコレートのパイなどが、テーブルいっぱいに置かれていく。
なんなんだ!?こんなに大量に?パーティーでもするつもりか?
「大丈夫か、おっさん」
軽薄な顔をした若い男が、俺に紅茶の入ったカップを差し出してきた。
「ま、あんたの気持ちは分かるよ。でも大丈夫だよ。公爵様も奥様も、あんたに酷い事をするような人達じゃないからさ」
「公爵様!?」
思わず叫んだ俺に、皆の視線が集まった。
彼女の後ろに座る魔王が、片眉を軽く上げた。
絶対にあの魔王が公爵様だ。
公爵様って、すごく偉い人じゃなかったっけ?
それが、なんで、俺の借家で紅茶を飲んでいるんだ?
「落ち着け、おっさん。大丈夫だよ」
俺の背中をバンバン叩いた。紅茶がこぼれた。
「大丈夫?」
心配そうに俺を見つめる彼女に、魔王が言った。
「エルサ」
嬉しそうに振り返った彼女に、魔王は驚くほど優しげな視線を向け、
「では、お手なみを拝見しよう」と言ったのだ。
あれ?
1話じゃ終わらなかった。
3話ぐらい?でもいつもそう言って伸びていくから、やっぱり全5話でどうよ!




