第42話 涙がぽろり
三日ぶりの食堂は、入る前から良い匂いがした。
炙った肉の匂い、とろけるチーズの匂い、茹でたジャガイモの匂い、甘い米の匂いもする。
いつもよりも優しい匂いばかりだった。きっと、三日間眠っていた私の胃袋を心配しているのだろう。
いそいそと食堂に入ると、すでに料理がぎっしりと並べられていたテーブルの前に料理長が立っていた。
「お待ちしておりました」
料理長は私を見るなり、そう言うと、ぽろり、と涙をこぼしたのだ。
「心配させてしまったわね。でも、もう大丈夫よ」
「はい」
料理長は、くしゃりと笑い、白いハンカチを取り出し涙を拭いた。
「すぐに、とのことでしたので、凝った料理は作れませんでしたが、私の持てる力を全て注ぎ込み、お作りいたしました」
「ふふふ。期待しているわ」
そして私は幸せな気持ちでテーブルの上を見渡し(以下略)。
ペろりんこ!
全部食べた。最高だった。
いつもより優しい味付けで、いつもよりも柔らかい料理ばかりなのに、十分な食べごたえ!
「料理長、さすがね。あなたは私の期待を裏切らなかったわ」
テーブルの下に並ぶチルちゃん達に、こっそり魔力をあげながら、私は料理長を褒め称えた。
「いいえ、奥様こそ、さすがでございます。三日ぶりに奥様のお食事するお姿を拝見すると、あまりの迫力に私も胸に来るものがございました」
感極まったようにまた白いハンカチで涙を押さえる料理長。
「ふふふ。ところで料理長」
「なんでございましょう、奥様」
「デザートも期待していいのよね」
「は、はい。もちろんでございます」
「量も期待していいのよね」
「量、で、ございますか・・・。量はその、なにぶん急な事でしたので、その」
「期待しているわ」
有無を言わさず、にこやかに重めに圧をかけた。
「はいぃ!」
悲鳴の様な返事をして、調理場へと走る料理長。
悪いわね、料理長。でも、私も同じなのよ
圧をかけられているの。
テーブルの下に並んでいた十人の腹ぺこチルちゃん軍が、いつもよりたっぷり魔力を吸っていくの。
すでに二人に魔力を与えたけれど、八人もまだ残っているの。
このままだと、きっと最後まで魔力が行き渡らないの。
途方に暮れて、さっき、こっそりとテーブルの下を覗いてみたの。
そしたらね、まだ魔力をもらってないチル友ちゃんが、何かを察したのか、じっと私を見つめてきたの。
無表情にね、じっと見つめてきたの。
だから、早く次の食糧を!
「こ、こちらを!」
美しく切り分けられた山盛りの果物と、うず高い塔の様なパンケーキを差し出された。
パンケーキには、バターとシロップが、たっぷりとかけられていた。
うん。美味しい!
おかわりをした。
おかわりをした。
おかわりをした。
おかわりをした。
回を増すごと私の勢いは増し、出される果物は切り方に繊細さがなくなり、種類も少なくなり、最後には慌てて切り分けられたようなリンゴばかりが山積みにされた。
パンケーキは、もうシロップがないからと、途中からジャムとクリームが添えられた。
そして最後には「ジャムもクリームもこれが最後です」と震える声で料理長に言われた。
最後のリンゴを食べ、最後のパンケーキを食べ、チルちゃん軍の最後の一人まで魔力をあげ終わり、
「もう大丈夫よ。美味しかったわ。ありがとう」と私が言うと、安堵のあまりか放心した料理長が、また、ぽろり、と涙をこぼしたのだった。
☆
「奥様!」
食後に、もう十分眠ったから軽く歩きたいと、ルイスとローズ、そしてもちろんチルちゃん達を連れて庭へ出た。
そこにエルビスが駆け寄ってきたのだ。
エルビスは私の前で片膝をつき、深く首を垂れた後、涙で潤んだ瞳で私を見上げ、
「奥様」と感極まった声でまた言った。
「エルビス。あなたは大丈夫だったの?」
「はい!奥様のおかげです」
エルビスも、ぽろり、と涙をこぼす。
何だか今日は皆を泣かせてばかりだった。
チルちゃん達も泣かせたし、ローズも泣かせた。
そしてエルビスや料理長という壮年の男達を立て続けに泣かせている。
十六歳の私でも壮年の男達を泣かせがちな日があるのねと、エルビスを眺めていたけれど、よく考えてみればエルビスを泣かせたのは初めてじゃない。
そういえば、料理長もよく涙目になっている。
もしかして、私が泣かせているわけではなく、エルビスや料理長が、泣きたい年頃なのかもしれない。
壮年の男とはそんな年頃なのかもしれない。
それなら私も壮年になったら泣こうかな女だけどなどと、どうでもいい事を考えながら、感極まった顔をして私を見つめるエルビスが話し出すのを待ったのだ。
「奥様。ありがとうございました。公爵様の呪いは消えました。奥様も無事にお目覚めになり、本当に良かった」
やっと言ったエルビスに、私は微笑みかけた。
「あなたも無事で良かったわ」
そして軽い気持ちで聞いたのだ。
「それでエルビスは、あれからどうしていたの?」
「あれから・・・・後悔ばかりをしておりました」
エルビスの目からまた涙がぽろりとこぼれ落ちる。
しまった。この話題はまずかったのね。また大泣きされて顔を腫らせてしまうのかしら。まずいわ。
「べ、別に何もエルビスが後悔する事なんてなかったのではなかったかしら」
動揺する私の事など見もせずに、エルビスは天を仰ぎ、深く激しく自省し始めたのだ。
「いいえ。あの時、護衛にと付いていきながら、私は何の役にも立てなかった。何故私は動けなかったのだ。私は身を挺して奥様をお守りすべき護衛だったのに。奥様の敷いてくださった布に座り、死霊と戦う奥様をただただ見ている事しか出来なかった。奥様は死霊に後ろからしがみつかれながらも、あれほど堂々としていらっしゃったのに」
「死霊にしがみつかれた?」ローズが呟く。
「奥様?死霊にしがみつかれたのですか?」
しまった。ローズは詳しい事情を聞かされていなかったらしい。
どうなのかしら。私、ローズにもまた泣かれる?それともローズに怒られる?死霊にしがみつかれるのは、公爵家のご婦人として正しい在り方だったかしら?
ローズのスカートの陰から、ローズに死霊のように付きまとう猫のパイが顔を出し、目を細めて私を見ていた。
それにここにはルイスもいるのだ。
ローズ派の一番として、ここで威厳を見せなければ。
「そ、そうだったかしら?そんな事なかったような気がするわ」
この場を乗り切る言い訳を繰り出そうとしたのだけれど、エルビスの方が素早かった。
「そうなのだ、ローズ。ああ、お前にもあの時の奥様の勇姿を見せたかった。奥様は死霊に後ろからしがみつかれながらも、死霊を恐れて震える私に微笑んでまでくださったのだ。奥様は死霊を全く恐れていなかった。それどころか、死霊と口喧嘩をして、死霊めを打ち負かしたのだ」
恍惚とした表情で語るエルビス。
やめてエルビス。
「死霊と口喧嘩?」
ローズがまた呟く。
まずい!死霊と口喧嘩は公爵家のご夫人としてまずい気がする。
「あの、旦那様はどうしていらっしゃるのかしらー!」と無難な話題にすり替えようとする私を、エルビスは全く見ずに、得意げに言ったのだ。
「ああそうだ。奥様は死霊に『呪ってやる』『殺してやる』と言われても、気にも留めずに、『やれるものならやってみろ!』とまでおっしゃったのだ」
ええ!?私、そんな事言ったかしら!?言ってないわよね。第37話でしょ?うん。言ってないわ。
「エルビス。やっぱり私、そんな事、言ってないわ」
私は必死に否定したのだけれど、エルビスは、
「おっしゃってましたよ」と、むしろ不思議そうな顔をして私を見た。
「エルビス。あなたはこの三日間で、記憶をあなたなりに美化してしまったのではないかしら。とても壮大に。もしかすると、あの時、死霊の強烈な魅了を浴びたせいで、記憶が混乱しているのかもしれないわ」
「そんなことはありません!」
エルビスは憤慨して拳を握る。
「あの時、奥様は確かにおっしゃったのです。『やれるものならやってみろ!』と。『今日がおまえの最後だ!』と。『おまえのツラ、マジ笑える』と!」
ええ!言ってないわよね。第37話でしょ!うん。言ってないって!マジ言ってないって!
「ツラ?マジ?」
またローズが静かに繰り返す。
ローズのスカートの陰から、猫のパイが糸の目で見つめてくる。
「ル、ルイス!あなた、見てたわよね。私、そんな事言ってないでしょ。マジで言ってないわよね!?」
頼り甲斐のある護衛風の顔をして立つルイスに詰め寄り聞いたのだけれど、ルイスはチラリとローズの顔色を見て、
「さあ、俺は覚えておりません」
と、曖昧な事を言った後、私の耳元に近づき「おまえ、今、マジとか言ってんぞ」と囁いた。
「マジで!?」
驚き叫んだ後、口を押さえ、ゆっくりとローズの方を見る。
「奥様」
ローズはとても静かに言うと、私に向かってゆっくり歩を進めてきた。
猫のパイは動かず大きな欠伸をした。
そのしばらく後で、私は涙をぽろりとこぼしたのだ。
軽い感動回を書こうと思っていたのに、何故こうなったのか。




