第41話 ローズとルイス
「なんてこと!」
「どうなさいましたか、奥様!?」
思わず叫び声を上げた私の元へ、侍女のローズが駆け寄ってくる。
私はベッドの上で上体を起こし「なんてこと・・・」とまた呟いた。
「奥様。何があったのかは分かりませんが、どうか心を落ち着けてください。三日間もお眠りになり、先ほど目を覚ましたばかりなのですよ。公爵様もお戻りになる前に、奥様にもう少し休むようにおっしゃっていたではありませんか。どうか、心を落ち着けて。そうだわ。軽いお食事でもお取りになりますか?何か、スープやパン粥のようなものを料理長に頼みましょうか」
心配そうに私の顔を覗き込むローズの目は少し赤い。先ほど泣かれてしまったのだ。
三日間眠り続けた私に付き添ってくれていたローズが、少し部屋を離れた隙に、私は目覚めた。
部屋には旦那様だけがいたのだ。
部屋に戻ったローズが目にしたのは、ベッドに腰を下ろし笑い声を上げている旦那様と、その旦那様に抱きしめられていた私。
目が合うと、ローズは手に持っていた水差しを落とし、派手に水や破片を撒き散らし、
「奥様!良かった!良かったー!」と、礼儀作法に煩いローズらしくもない叫び声を上げて泣いたのだ。
いつもしっかりとしていて、有能で、怒ると怖くて、優しいローズ。
そのローズの一番真ん中にあるのは、驚くほどの愛情深さだ。
それが剥き出しになったような泣き方だった。
可愛いローズ。
私はあなたの一番だ。猫のパイには負けない。ルイスなど論外だ。
しかし、駄目だ。
可愛いローズに勧められても、軽いお食事もスープもパン粥も駄目なのだ。
だから私は厳しい顔で「駄目よ」とローズにきっぱり言ったのだ。
「何が駄目なのですか?」
不思議そうに尋ねる可愛いローズ。
「駄目なものは駄目なのよ」と、私は私の周りに座り込んだチルちゃん達を眺めて言う。
そして改めて呟く。
「なんてことかしら」と。
本当になんてことかしら。
手前にいたチルちゃんの顔を両手で挟みこみ、あらゆる角度から眺めてみる。
「チ、チル、チルー!」
チルちゃんが何か言っているけれど、それどころではないので無視だ。
「なんてことなのかしら」とまた呟き、チルちゃんのほっぺを伸ばしてみる。
ああ、やはりそうだわ。
チル友ちゃん達の顔もみんな確認する。
「チ、チ、チルー!」「チル、ルー!」無視だ。
やはりそうだわ!
チルちゃん達が痩せている!
そう。よく見てよく触ってみなければ分からない程度だけれど、チルちゃん達のほっぺの膨らみが、少し減っているのだ。
以前は、触っているとうっとりするほどの柔らかさだったのに、普通の柔らかさになり果てている。
三日間魔力をあげていないせいだ。
なんてこと!
私が長年魔力を注ぎ込み作り上げたあのほっぺが。
私の好きなあの曲線が!
「奥様?」
心配げに尋ねるローズを見上げ、奥様として命令したのだ。
「すぐ料理長に食事の用意をするように伝えてちょうだい」
「は、はい。お腹が空いたのですね。久しぶりのお食事ですから胃に優しい料理を用意させましょう」
「駄目よ!」
私はベッドから降り立ち言った。
「いつも通りの食事を。いつもより多めにと伝えてちょうだい」
「い、いつも通りの食事を。い、いつもより多めに?」
息を飲んだローズに、私は力強く頷いてみせた。
「期待していると、料理長に伝えてちょうだい」
ローズの足元にずっといたらしい猫のパイが、ひどく馬鹿にしたような顔をして私を見上げていた。
無視だ。
☆
「どうぞ、奥様」
ローズがドアを開けてくれた。
食堂の用意が出来たと連絡が入ったので、食堂へ向かうのだ。
「くれぐれも無理をしてはいけませんよ」
念を押すローズ。
「もちろんよ」
私は微笑み部屋を出た。
チルちゃん達も「チルチルチル!」と嬉しそうに部屋を出る。
もうすぐ魔力がもらえる事が分かっているのだ。
しかし、部屋を出たすぐ先には、片膝を付き頭を下げたルイスがいたのだ。
「何をしているの?ルイス?」
不思議に思って声をかけると、ルイスは更に頭を下げた。
そして「奥様」と、ルイスらしくもない、畏まった声で言ってくる。
「なあに?」
「ご無事で良かったです」
「ありがとう。ルイス、あなたも無事だったのね。良かったわ」
「はい。しかし、俺は護衛なのに、奥様を少しも助けられなかった。あの死霊と奥様に近づく事もできなかった。奥様を救ったのは、俺の後ろから走って来た公爵様です。公爵様が泉に飛び込み、奥様を助け出しました。俺は何も出来なかった。護衛なのに」
ひどく沈んだ声で言うルイス。
「仕方ないわ。あの女は魅了を使っていたのよ。たぶん恐怖と魅了を合わせて使っていたわ。だから強力だった。なかなか上手いやり方よね。あなたも体が動かなくなったのでしょう?頭も使えなかったはずよ。私も同じよ。旦那様は、恐怖と魅了が終わった後から来たから体が動いたのだと思うわ」
「でも、奥様は動けたし、考えてたじゃないですか!俺は何も出来なかった!」
やっと顔を上げたルイスは少しやつれていた。
私を睨みつけた目は、ギラギラとしていた。
けれど、私と目が合うとルイスの目はすぐ不安げに揺れ、伏せられた。
こんなルイスを見るのは初めてだった。私を助けられなかったことで傷ついたのだろうか。
ルイスは、良い人だ。
口は悪いし、軽薄だし、表現力はないし、私にすぐ騙されるし、ローズ派の三番どころかローズに全然相手にされていないし、部屋は散らかっているけれど、ルイスの真ん中のところには、真っ直ぐとした善良さがあるのだ。
きっと、今回の事は、そのルイスの真ん中にあるものを傷つけたのだ。
私はルイスの前にしゃがみこんだ。チルちゃん達もルイスを取り囲む。
私より上にあるルイスの顔が、驚いたようにこちらを向く。
「マジ情けない事言ってるのね」
後ろにいるローズに聴かれないよう、小声で言う。
だって、ローズに「マジ」を聞かれたら怒られちゃうものね。
ルイスは一瞬、大きく目を開き、その後、焦ったように素早くローズの方に目を走らせた。
ルイスだってローズに怒られたくはないのだ。
私はそんなルイスを見て、ふふふと笑う。
私とルイスは仲間なのだ。
そして私たちは友達だ。
友達ルイスに小声で告げた。
「ねえ、死霊なんか相手だったんだから、体も頭も動かないのが当たり前なのよ。マジで落ち込む必要なんてないわ」
「でもさ、あんたは動けただろ」ルイスも小声で返してくる。
「まあね。でも、あの女が私の後ろにいたから、私にはあの女の顔が見えなかったのよ。それがあなたやエルビスより有利だったのだと思うわ。たぶん魅了っていうのは、目が合った相手に強く作用するのでしょ。だから私はあなた達ほど強くは魅了に掛からなかったのだと思うわ。それに途中で魅了が解けたのは、本当に偶然なのよ」
あの時、チルちゃんが私の目の前に飛び出してこなければ、きっと私はそのまま負けていた。
「偶然って、どうやって偶然なんかで、あんな強烈な魅了を解いたんだよ」
私は、すくっと立ち上がり、ルイスを見下ろし、
「恐怖よりも可愛さの方が上だったと言う事よ」と断言した。
足元から「チルチルチル!」と歓声が上がる。
おそらく、あの時、私はチルちゃんが無意識に繰り出してくる魅了にしっかり掛かったのだ。
その時、あの女、オーフェリアに私が掛けられた恐怖と魅了の合わせ技は、打ち消されたのだと思う。
その後、チルちゃん軍が総力を上げて私に無意識魅了を重ね掛けしたのだ。
自由に体が動くようになり、オーフェリアの銀細工をへし折る事が出来たのは、そのおかげだ。
やはりチルちゃん軍の可愛さの勝利!
あの可愛さ。逆らえない。今、思い出しても、可愛い。ああ、可愛い。一生忘れない。あの勇ましくも可愛いチルちゃん軍の勇姿。ああ、可愛い。
「相変わらず、意味分かんねえ」とルイスが呟く。
でも、ルイスの目に、先ほどまでの揺れは消えていた。
「では、行くわよ」と、私はルイスに言う。
「何処へ?」
「食堂よ。一緒に行ってくれるのでしょ?ルイス。あなたは私の護衛なのだから」
ルイスは口を引き結び、立ち上がると、
「・・・ああ。そうだ」と言った。
「俺はあんたの護衛だ。次はもっと上手くやる。絶対に」
力強くそう言ったルイスの前に、ローズが進み出る。
「ルイス!奥様に向かって、あんた、などと、何と失礼な!」
カンカンだった。
「いや、あの、ごめん、ローズ、あの、奥様!」
私に向かって助けを求めているけれど、もちろん私は助けない。
ルイスは私の護衛で、私の仲間で、友達で、我がチルちゃん軍が闇から大切に守り続けているチルちゃん軍見習い隊員だけれど、所詮ローズ派の三番なのだ。
ふふん。ローズに怒られればいい。
それにしたって、チルちゃん軍といい、ルイスといい、私が三日間眠っている間に、揃って頬をこけさせているなんて。
駄目よ!
皆、ムチムチと太らせねば。
その為にも、まずは私の食事だった。
「食堂に行くわよ」
そう言って歩き始めた私の後ろから「奥様!」と、ローズとルイスがついて来た。
チルちゃん達は、とっくに先へとタタタと進み、「チルチルチル!」と私達を呼んでいた。




