第39話 私の勝ちよ
「お、おまえ。私に求婚の言葉を聞くの?」
「ええ。そうよ。教えてちょうだい」
「この私に、求婚の言葉を聞くというの?」
「ええ。そうよ。教えてちょうだい」
「本気で言っているの?」
「ええ。そうよ。教えてちょうだい」
口を開いたまま、ぽかんと私を見つめる老婆は、無垢な幼子の表情をしていた。
きっと子供の頃は、こんな顔をして、周りの大人を見上げ、まあ可愛いと言われていたのだ。ふふふ。
微笑ましい想像をして眺めていると、老婆は私を凝視した後、何度か瞬きをし「やめて!」と叫んだ。
そして私から逃げるように体を引くと、乙女のような仕草で首を振り「いやよ!」と叫んだ。
「変な想像をするのはやめてちょうだい。それに、何故、おまえなんかに求婚の言葉を教えないといけないのよ!冗談じゃないわ!あ、ああ、そうだわ。そうよ。ふふふ。私はおまえなんかに、求婚の言葉を教えないわ。ふふふ。おまえの三番目の望みはこれで叶わないわね。いい気味だわ。おほほほほ」
老婆は、おほほほほ、と高笑いを始めたけれど、私は「ああ」と気がつき、「そうね」と引いた。
「何が、そうね、よ。嫌な感じの言い方ね」
顔を顰める老婆に、私はあっさり謝った。
「いいえ。私が悪かったわ。ごめんなさい。気が付かなくて」
「どういう意味よ」
「自分の名前を覚えてない上に、どうして呪ってるのかも覚えてない人が、求婚の言葉だけを覚えてるわけがなかったわよね。ごめんなさい。気が付かなくて。覚えてない事を教えられるわけがないものね」
嫌がらせで言ったわけじゃない。真実、そう思って言ったのだ。心を読める老婆にだって、その事が分かっていたはずだ。
それなのに老婆は怒りの形相で、ゆらり、立ち上がった。
「覚えているわ」
老婆は断定した。
私は体を起こし「そうね、覚えているわよね」と、口では言ったのだけれど、心で他の事を思うのは止められないのだ。
絶対に覚えてないわ。強がってるとしか思えないわ。
「強がってなんかないわ!」
地団駄を踏む老婆。
「そんなに無理をしては駄目よ」
怒りながら消えるなんて、そんな事をさせたかったわけではないのだ。
「それじゃあ怒らせないでよ!私は求婚の言葉を覚えている!いいわね!それで!」
「もちろん、それでいいわよ」
私はにこやかに言ったのだ。
それなのに、老婆は私の心を読んで「まだ疑っているのね」と言った。
「勝手に心を読むのはやめて。覚えているでいいじゃない。私はそれでいいと思うわ」
そう言ったのに、老婆は悔しげに足を踏み鳴らす。
「本当に覚えているのよ!そう。求婚の言葉でしょ!求婚の言葉。求婚の言葉・・・」
萎んだ指を萎んだ唇に当て、老婆は考え続けた。
どうか無事に思い出してちょうだい、そして、彼女の心に平安を、と祈る私を睨みつけ、老婆は呟き続ける。
「求婚の言葉・・・求婚の言葉・・・」
そうしている間にも、老婆の存在が薄くなっている気がした。
きっと、もうすぐ消えるのだ。間に合わないかもしれない。
「うるさいわね。覚えているって言ったでしょ!」
「そうね。覚えているわよね。覚えているでいいわよ」
「覚えてるでいいって、何よ!」
駄目だ。少しも思い出せないみたいだ。でも私は何も出来ない。老婆の名前も知らないのだ。昔の求婚の事だって、何も知らない。
知らない?いいえ、そういえば。
「ねえ、あの銀細工は、求婚の相手にもらった物なのでしょ?」
「銀細工?」
老婆が不思議そうに問い返す。
「ええ。銀細工の花よ。私がさっき折っちゃったけれど、あれは求婚の時に贈られる物なのでしょ?エルビスが言っていたわ」
「銀細工の花・・・・」
考える老婆の手には、いつの間にか、あの銀細工の花があった。
折れてはいなかった。
元のままの姿だった。
老婆は銀細工の花をしばらく凝視し、
「この花は・・・」と、香りでも嗅ぐかのように、目を閉じ、顔を近づけた。
眉間に小さく皺が寄っている。
何かを思い出しかけているのだろうか。
私は老婆に語りかけた。
「あなたはその花を知っているの?私はその花を見たことがないのよ。今はもうない昔の花なのかしら。それとも何処か遠くの地で咲く花なのかしら。そんなに綺麗な花なのに、何色の花かも分からないなんて残念だわ」
「花の色?」老婆の眉間がぴくりと動いた。
静かに目を開け、銀細工の花をしばらく見つめた。
そして急に「白よ」と、驚いたように呟いた。
「白い花よ。そう。水辺に咲く可愛い花。お母様の好きな花。名前は・・・・オーフィリア!」
「オーフィリア」と私は繰り返した。「綺麗な名前ね。女性の名前みたいだわ」
老婆はハッとしたように私を見た。
そしてまたオーフィリアの銀細工を見た。
「そう。オーフィリア。私の名前。この花と同じ名前!お母様がつけてくださった名前!」
途端に、老婆がスッと背を伸ばした。
黒く萎びていた体が、伸びていき、ふっくらとした白く艶やかな肌へと変わっていく。
灰色に縮れ、カビのようにまだらに付いていた髪が、美しく波打つ豊かな金髪へと変わっていった。
薔薇色の頬。赤く瑞々しい唇。優美な眉。夢見るようなエメラルドの瞳。
唖然として見ていた私の前に現れたのは、若く美しく高貴な女性の姿だった。
古い絵画でしか見ないような大仰な形をした、緑色のドレスを着ていた。
美しい顔の前で、オーフィリアの花を優雅に揺らし、長いまつ毛を下ろし、目を閉じてその香りを味わっていた。
先ほどまで銀細工だった花は、たった今摘み取ったばかりのような、瑞々しい花へと変わっていた。
「オーフィリア。私の花。そう。あの方が、くれたのだわ。皆の前で跪いて、私にこれを差し出して求婚してくれたのよ」
目を閉じたまま、幸せそうに頬を染めたオーフィリアに、私は胸を躍らせた。求婚の言葉を思い出したのだ!
「求婚の言葉は?」
私はそっと聞いてみる。
「求婚の言葉は何だったの?」
ああ、昔の求婚の言葉が知れるなんて。こんな機会はもうないかもしれない。嬉しい。どんな言葉を使うのかしら。知りたい。求婚の言葉を!
期待する私の前で、オーフィリアはまるで深く心地良い眠りから覚めたかのように、目を開いた。
美しく澄んだエメラルドの瞳が、私を捉える。
「そう。求婚の言葉は」歌うようにオーフィリアが言う。
「求婚の言葉は?」うっとりと私も尋ねた。
「教えてあげない」
「え?」
何と言われたのか一瞬理解できずに、オーフィリアの美しい顔を見つめた。
教えてあげない?教えてあげない?教えてあげない?教えてあげない?
え?どういう事?教えてあげない?意味がよく分からないわ。どういう意味だったかしら。昔の言葉?古語だったかしら?どうしよう。理解できないわ。教えてあげないって、どいういう意味?
混乱する私に向かい、オーフェリアが淑やかに、また同じ事を言った。
「教えてあげない」
え?
また分からない言葉を言っているわ。どうしよう。やはり、昔の人とは話が出来ないという事なのかしら。
「教えてあげない、と言っているのよ」オーフェリアが、また言った。
「やはり古語?」
「エルサ。逃げるのはおやめなさい。分かっているはずよ。私は、あなたに、求婚の言葉を教えないって言っているのよ」
「求婚の言葉を教えない?」
じっくりその言葉について考えてみる。でも、やはり分からない。
だって、意味が分からないもの。求婚の言葉を教えない?どうして?
「どうして?」
唖然としてオーフィリアを見つめる。
すると、オーフィリアは嬉しそうに笑ったのだ。
「ふふふ。その顔!うふふ。おほほほほ!ああ、楽しいわ。嬉しいわ。いい気分だわ。幸せだわ。ええ。おまえには教えないわ」
オーフィリアは楽しげにそう言うと、白い花に頬を寄せた。
「だって、これは私のものだもの。誰にも教えてあげない。私だけのものよ」
切なげに目を閉じ、幸せそうに微笑むと、光の粒となり消えていった。
消え際に「私の勝ちよ」と高笑いを残して。




