第33話 きっと、どこかで
香ばしく炙られた肉の香り。
煮込み料理の湯気に混じる香草の香り。
裏漉しした野菜が溶け込むスープの香り。
焼きたてのパンの香り。
美味しそうな香りでいっぱいになった公爵家の食堂。
テーブルいっぱいに並べられた料理。
食べるのは私一人。
うふふ。
「本気ですか?奥様?」
テーブルを見つめながら唖然とする侍女のローズに、
「本気よ」と宣言し、ぺろりん、と食べた。
「素晴らしかったわ、料理長。また腕を上げたのね」
食後の紅茶をいただきながら、挨拶に顔を出した料理長へ、心からの賛辞を送ると、料理長は深々と頭を下げ、
「全て奥様のおかげです」と言ったのだ。
私のおかげ?
「どういう事かしら?」
「昨日、奥様が我が家へおいでくださいましたおかげで、ふしだらな親戚の若い者が、我が娘に対して行おうとしていた、不埒な企みを潰す事が出来ました。おかげさまで、今日の私は力が満ちているのでございます」
料理長は不敵な笑みを浮かべる。
不埒な企み?何の話?
・・・ああ。あれかしら。料理長の上の娘(十歳)が親戚の男(十七歳)に言われた言葉。
ええと、確か・・・。
「早く大人になりなよ。そしたら俺が結婚してや」「皆まで言わないでくだ!」「料理長!奥様の言葉を遮るなどと、無礼にも程があります」
鋭く私を遮る料理長を、ローズが鞭のようにビシリと遮る。
「も、申し訳ありません」途端に、体をすくませる料理長。
「いいのよ。料理長」私は飴のように優しく言う。
「それで、何があったのか、教えてちょうだい。不埒な企みを潰したのね?」
さあ、それを教えてちょうだい。
「は、はい。昨日、奥様がお帰りになった後、妻から不埒な求婚の言葉について報告を受けまして、私は、娘を叱りつけた後、すぐさま、ふしだらな親戚の男の家に参りました!私の娘にふしだらな求婚をしたジュリアンは仕事に行き留守でしたが、あの男の両親に、二度と私の娘に関わるな!と言い渡してやったのです!」
料理長は満足気にそう言うけれど。
「それだけ?それだけで、どうにかなるものなのかしら?」
「何をおっしゃっているのです、奥様。あれくらいの年頃の若い男など、しっかりとした大人に親が抗議をされたと知っただけで、縮み上がるものですよ」
不敵な笑みを浮かべる料理長。
そうかしら?
それぐらいの年頃の若い男が、それぐらいで手を引くかしら?
それにただの若い男女じゃないのよ。ミアの姉と、ミアの親戚の男なのよ。
ミアは五歳にして父親と近所の三歳児を翻弄している小悪魔よ。
ふふふ。甘いわね。料理長。
これはまだ終わらないわよ。
「ふふふ」と私が笑うと、「ふふふ」と笑みを返す料理長。
ふふふ。ふふふ。ふふふ。ふふふ。
ローズが、コホンと咳払いをしたので、私たちは我に返る。
「失礼しました。奥様、こちらをご用意いたしました」
料理長が膨らんだ小袋を差し出す。
ローズが受け取った瞬間、その重さで一瞬、「うっ」と落としそうになる。
「それはもしかして?」
期待に胸を膨らませる私。
「ええ。奥様の好きな、アレですよ」
「まあ、アレね!」
ふふふ。ふふふ。ふふふ。ふふふ。
「アレなどと言って下品に笑うのは、おやめください」
ローズにピシリと言われ、私たちは慌てて笑みを引っ込めた。
「飴です。奥様」
「飴ね。ありがとう」
すまし顔でそう言い合ったが、最後に料理長がまたニヤリと笑う。
「夜食の方もご期待ください」
「もちろんよ。期待しているわ」
「新作もご用意するつもりです」
「新作ですって?それはもちろんアレの新作かしら、料理長」
「ふふふ。もちろん、アレの新作でございますよ、奥様」
もちろん、アレとはドーナッツだ。
ふふふ。ふふふ。ふふふ。ふふふ。
もちろんローズに怒られた。
☆
昼食も夕食もたっぷり食べた。
チルちゃん軍にも魔力をたっぷりとあげた。いつもよりも丸々として艶やかに見えるほどあげた。
戦いの準備は整っていった。
夜になる前に、料理長が自らバスケットを一つ届けてくれた。
ローズにバスケットを手渡した後、料理長は私に近づき、
「後の四つはエルビスに渡しております」と小声で言った。
料理長にはエルビスから話が通してあるのだ。
あまりにも沢山夜食を食べるとローズに奥様が怒られるのだが、どうしても一度心ゆくまで料理長の夜食を楽しんでみたいと奥様がおっしゃっているので、エルビスが協力する事にしたと、嘘をついてもらった。
バスケット五つ分の夜食では、ローズが夜食のお世話にと来るかもしれないと思ったのだ。
一つ分なら、私だけで大丈夫と押し切れる。
私は目的の為ならば、好きな人が相手でも、平気で騙せる人間なのだ。
これまでも散々騙してきた。これからも、皆、私に騙されてほしい。
「今夜は早く眠るわ」
「夜中に起きて夜食を楽しむ為にですか?」
呆れたように言うローズに、私は「そうよ」と微笑んだ。
☆
眠ったふりはしたけれど、眠らなかった。
こっそり起き出し、手紙を書く。
チルちゃん達も書き物机によじ登り、私の手紙を眺めていた。
エルビスや旦那様には、当然泉の闇に我々が勝つと言ったったけれど、実際どうなるかなんて分からない。あの闇は、他の闇とは違うのだ。そして、私はいつも現実を見ている。
万が一、私が無事に帰って来れなくなった時の為に、置き手紙を書き続けた。
ローズには、あなたの事が大好き、ローズ派の中で一番は私と。
ルイスには、ローズと上手くいくといいわね、と。
料理長には、あなたの料理は最高よ、と。後、奥さんは美人だし、娘たちは可愛いわね、と。
エルビスには、あなたは何も悪くない、ただ私のような人間が相手だと、あなたのような誠実な人間は、コロっと騙されてしまうものなのよ、だって相手が私なのよ、仕方がないわ、旦那様のことをよろしくね、あなたの奥さん、最高ね。娘さんも、最高だし、きっと息子さんも最高ね、と。
旦那様には一番長い手紙を書いた。
もし、私が無事に帰って来れなくても、エルビスやルイスを許して欲しいと。皆、私に騙されたのだと。二人とも、私にとても良くしてくれたと。
他にも色々書いたけれど、熱烈な愛の告白は書かなかった。
私がいなくなった後に、私に心を残し続けてもらっては困るのだ。
旦那様には幸せになってもらわなくては。
旦那様には、チルちゃん達の事もお願いしておいた。
チルちゃん達の事は、旦那様には見ないし聞こえないけれど、私がいなくなっても、チルちゃん達は残っているかもしれないから、いろんな魔力の持ち主を連れてきて、新たな飼い主、いいえ、保護者として引き合わせてあげてくださいと。
その中から、チルちゃん達の気にいる魔力の持ち主がいるかもしれない。
そこまで書いたところで、顔を上げると、チルちゃん達が食い入るように私の手紙を読んでいるのに気がついた。
「でもね」と私はチルちゃん達に話しかける。
「もし私がいなくなったら、どうしたって別の人に魔力をもらわなくてはいけなくなるでしょ」
涙目チルちゃん達はプルプルと首を横に振る。
「もちろん、私だって、そんな事にならないように頑張るけれど、万が一って言う事は考えておかなくては駄目なのよ」
チルちゃん達は頑なに首を振る。
「魔力の好き嫌いしては駄目よ!大きくなれないわよ!どんな魔力でも吸ってみなさい!」
厳しく叱ると、ポロポロと泣きながら、チルちゃん達は頷いた。
よし。
まだ時間がある。
後は、誰に書こうかなあ。
育て親のマリーに書いて、マリーの亭主や子供達にも書いて、サマンサ先生にも書いて、領地の執事さんにも書いて、領地で仲良しだった人達にも書いて、小鳥ちゃんと、ロザリーにも書いて、それならミアにも書いちゃおうかなあ。
便箋が無くなるまで書き続けた。
全てを書き物机の引き出しに入れたところで、ドアを小さく叩く音が聞こえた。
「さあ、迎えが来たわ。行くわよ」
チルちゃん達に声をかけたけれど、まだシクシクと泣いている。
「大丈夫よ。あの泉の闇を消して、無事に帰ってきたら、この手紙は全部なしよ」
そう声をかけると、決意に満ちた顔でチルちゃん軍は立ち上がった。
可愛い。
そして少しだけチョロい。
☆
ドアを開けると、エルビスとルイスが緊張した面持ちで立っていた。
二人とも両手にバスケットを持っている。
これでバスケットが五つ揃ったのだ。
「見張も警備の者も今だけは遠ざけております。しかし、あまり大きな音を立てては、話を通していない者に気づかれる恐れがあります。静かに行きましょう」と、エルビスが言った。
「分かったわ」、
私はバスケットを持ち、飴の袋を入れた鞄を肩にかけ、チルちゃん軍と共に部屋を出た。
静かに廊下を歩き、静かに階段を降り、静かに屋敷から出る。
誰にも会わなかった。
旦那様の塔の横を通る時、こんなに旦那様の願いを無視して、嘘をついて、騙して泉に行けば、無事に戻って来れたとしても、愛想をつかされるかもしれない、と、ふと思った。
離婚すると言われるかもしれない。
もし、そうなれば、きっと私はチルちゃん軍と共に素直に出ていくだろうと思った。
そして、きっと、どこかで闇を倒しながら生きていく。
旦那様の事を思い出しながら。




