第32話 エルビスの提案
「・・・ドン引きだ」
ルイスの呟き声が聞こえた。
ローズに聞かれたら「奥様の前で、ドン引きなどと言う下品な言葉を使うなど、何を考えているのですか!」と、お説教されたに違いない。
けれど、ここにローズはいないのだ。
「わた、わた、わた、わたくしは、廊下でおりますので、ご、ご用がありましたら、お呼びくださいませ」
そう言ってローズは逃げ出したのだ。嬉しそうに尻尾を立てた猫のパイと共に。私の方を見もせずに。
残されたのは私達だけ。
私達、つまり、私とチルちゃん軍と見習い隊員のルイスだけ。
私達だけが、公爵家の屋敷にある、広い図書室の真ん中に残され、エルビスと対峙しているのだ。
先程まで、私は見習い隊員のルイスと侍女のローズを従え、チルちゃん軍と平和に本を読んでいたのに、今、ローズは逃げ出してしまい、残された私達は、ドン引きしている。
もちろん、私達がドン引きしているのは、みんな大好き可愛いローズに対してじゃない。
エルビスに対してだ。
昨日、四年ぶりに自宅に帰り、エルビスは幸せになった。
エルビスは、帰りの馬車の中で幸せのあまり泣き出したほど、幸せになったのだ。
それは良かった。
本当に良かった。
マジで良かった。
ね。良かったわよね、みんな。良かったと思ったわよね。
私達は泣くエルビスに戸惑いはしたけれど、嬉しくもあったのだ。
エルビスが幸せになって本当に良かった。
しかし、泣き慣れない壮年の男エルビスは、泣いた目を拳でゴシゴシ擦り、きっと鼻も擦り、顔中擦り、おそらく昨夜は一晩中泣いて擦り、その結果、顔を信じられないほど腫らしたエルビスが、朝になった今、私達の目の前にいるのだ。
いや、エルビスが目の前にいると言ってしまったけれど、これは本当にエルビスなのか。
赤くパンパンに腫れた瞼の奥で、糸のようになっているあれは、エルビスの目なのだろうか。
顔の形までおかしくなってしまっているのだけれど、これは本当にエルビスなのだろうか。
もしかして私たちは騙されているのではないだろうか。
ねえねえ、これは本当にあの生真面目なエルビスなの?
ローズなどは、図書室に入ってきた変形エルビスを見た瞬間、自身の礼儀作法に対する拘りなど放棄して、口をぽかんと開けたまま、エルビスの顔を凝視していた。
「奥様に内密の話があるのだが、少し席を外してもらえないだろうか」とエルビスに掠れた声で二度言われ、やっと我に返ったローズは、
「は、は、は?はい。内密?内密なお話ですね。はい。すごく内密なお話なのですね。はい。分かりました。内密。はい。わた、わた、わた、わたくしは、廊下でおりますので」
と逃げたのだ。
たぶん、エルビスの顔を見て、絶対に自分は聞いてはいけない問答無用の内密なお話があるのだと思ったのだろう。
そして残された私達は、身に覚えのない内密な話に怯えながらも、ドン引きしているのだ。
嬉しくて泣いたのは分かるけれど子供じゃないんだから泣いてそこまで顔を晴らすってそれどうなの?と。
本当にあなたはエルビスなの?と。
「このような顔で申し訳ありません」
エルビスのような人は、掠れた声でそう言った。
「泣いた事などもう何年もなかったものですから、泣けば腫れることも忘れておりまして、このような顔に。お恥ずかしい。朝になって冷やしては見たのですが、少し腫れが引いた程度で」
あれで腫れが引いた!?あれでマジか!?チルチル!?
相変わらず私達に視線で会話をさせるエルビスだったけれど、その物腰や喋り方から、偽物ではない本物のエルビスのようだと、私達を少し安心させた。
「そ、それで、内密の話というのは、何かしら?」
安心した私は奥様としての威厳をいくら取り戻し、尋ねたのだ。
エルビスは、腫れた顔を私に向け、
「あの泉へ奥様が行く手助けをさせてください」と言ったのだ。
「あの泉って、旦那様の訓練場の奥にある、あの泉?」
「はい」
「旦那様に私を行かせるなと命令されている、あの泉?」
「・・・はい」
「いいの?」
「はい!」
びっくりした。
エルビスがそんな事を言い出すとは思っていなかったのだ。エルビスが旦那様に逆らうなんて。
私は今夜辺り、またこっそり抜け出して泉に行こうと思っていたのだ。でも、エルビスが手助けしてくれるなら、楽に行けるし、準備も出来る。
ありがたいけれど、でも・・・「どうして?」
エルビスは、糸のような目で私を見つめた。
「公爵様には罰を受ける覚悟です。しかし、罰を受けても、公爵様の呪いを消してさしあげたい。あの苦しみから解放してさしあげたい。それに、私は確信したのです。昨日の我が家で、そして奥様が来てからの、この公爵家の変わりようを思い返して、奥様には呪いを解く力があると。光の戦士・・・というのは、まだよく分かりませんが、公爵様の呪いを消せるのは、奥様だと確信したのです」
なるほど。
我々の実績に、ひれ伏したというわけね。
良い判断だわ。
「あの泉の呪いを消せば、公爵様の呪いも消えるでしょうか?」と、エルビスが問いかけてくる。
「私はそう思っているわ。公爵家にある呪いは、旦那様の呪いと、あの泉の呪い以外全部消せたのよ。消せなかったのは、あの二つだけ。だから二つの呪いには何か関係があるのだと思っているの。だからやるわ。もし、あの泉の呪いを消しても旦那様の呪いが消えなかったなら」
「消えなかったなら?」エルビスが身を乗り出す。
「その時、また考えるわ」
私は自信たっぷりでそう言った。
エルビスが揺れている。顔が少し歪んでいる。もしかすると、笑っているのかもしれない。
私達の視線が激しく動く。
笑ってる?いやマジ分からないし。チルチルチル?
程なく、エルビスの揺れが止まった。
「分かりました。奥様。その時は私も一緒に考えましょう。しかし、その為にも、奥様は無事に泉から帰ってこなくてはなりません。私も微力ながら護衛としてついて行かせてください。他にも、必要なものは全て用意いたします。もっと護衛が必要ならば、人を集めます」
「そんなに沢山の人はいらないわ。大勢で旦那様の塔の横を抜けていけば、きっと旦那様にバレてしまうもの。エルビスとルイスだけで十分よ。二人がいれば、バスケットを四つ持っていけるものね」
「バスケット?ですか?」
エルビスの問いに、私は頷き、ルイスを見た。
マジかよ奥様、と言った目でルイスは私を見ているけれど、もちろんマジだ。
泉の呪いを消すのに必要なものそれは・・・・
「バスケット五つ分の夜食を用意してちょうだい。エルビスとルイスが二つずつ持って、残りの一つは私が持てば、ちょうど五つだわ。泉に行くのは今夜よ。すぐ調理場に連絡してちょうだい。それから今日の昼食と夕食も、いつもよりも多めに出すように伝えてちょうだい」
エルビスが息をのむ。
「い、いつもよりも多め?」
「そうよ」私は重々しく頷いた。
「飴も沢山用意するように伝えてちょうだい。さ、時間がないわ。急いでちょうだい、エルビス。たっぷりの料理を用意するには、たっぷりの時間が必要なのよ」
「しかし、他には何もいらないのですか?何か、魔道具やお守りのようなものは?」
「これで十分よ!」
私はエルビスに向け、左手を高く上げた。
ロザリーの魅了避けのお守りに紐を通し、左の手首につけてある。
勢いづいた私の様子に、チルちゃん軍が、
「チルチルチル!」と盛り上がる。
すると、魅了避けのお守りの濁った青色の中に、うっすらとした桃色が、斑らに浮かび上がってきた。
昨日、部屋に帰ってから散々試して見た結果、やはりチルちゃん達は、私に『魅了』をかけている事が分かった。
私を見ながら盛り上がると、こんな風に斑らな『魅了』が出るらしい。
おそらく意図的な『魅了』ではない。自然に出てしまう『魅了』のようだった。
そんな時のチルちゃん達は、頬を桃色に染め、楽しげで、可愛い!
とっても可愛い。
こんな可愛さを避ける理由などあるだろうか。
いや、ない!
私はチルちゃん軍に『魅了』されながら、これからも生きていく。
30話を超えてから、自由になった気がする私。
元々、さっと短編を書いて小説を完成させる楽しみをちょっと味わってみよう、と思い書き始めたこの小説。
前は、話が延びると、ああ、なんかいっぱい書いて延びちゃったなあ、早く完成させないとなあ、と思っていたけれど、もういいや。
自分の楽しみで始めた小説だし、もうとっくに短編じゃなくなってるし、話が延びてもいいや。
小鳥ちゃんもロザリーもエルビスも書いてて楽しかったし、好きな人は色々書き込みたいのよ。
これから最後の局面に入っていくし、もう書く内容は決まっているし、後三話で終わらせられるんだけど、どうせまた延びるだろうし、もういいy




