第26話 エルビス
「エルビス。あなたの家族の事を聞かせてちょうだい」
馬車の中で私は命令した。
だって私は奥様なのだ。この程度の命令をしたって良いはずなのだ。
エルビスは困り果てた顔をして、ちらりと隣のルイスを見た。
向かい合わせの馬車の座席で、私の向かいにエルビスが座り、その隣にルイスが座っている。
そして二人には見えないし触れないけれど、チルちゃん軍総勢十名も、ぎっしりといて、皆でエルビスを興味深げに見つめている。
「部下の前で家庭の話をしたことがありませんので」とエルビスが遠回しに断りの言葉らしきものを言ったけれど、もちろん私は引く気はない。
「でも、あなたの家に着く前に、あなたの家の状況を聞いていた方が良いのではないかしら」
きっと確実にエルビスは家庭の問題を抱えている。
家について気まずい思いをするより、今事情を教えてくれた方がお互いに良いと思ったのだ。
エルビスは頭を振り、
「しかし、面白い話ではないですよ」と、まだ軽く抵抗してくる。「それに良くある話です」
「いいの。聞かせてちょうだい。エルビス。あなたと、あなたの家族の話を」
私は引かなかった。
エルビスは迷うようにしばらく視線を彷徨わせ、やがて諦めのため息をつき、話し出した。
「そう、ですね。それではまずは私の話をいたしましょう。私は、伯爵家の次男として生まれましたが、若い頃、軽い気持ちで手を出した賭博に、どっぷりとはまってしまいましてね。一年も経たないうちに全てを失い、家からも放り出されました。もう死のうと思った時、公爵様に拾われたのですよ」
「公爵様というのは先代の公爵様ですか?旦那様のお父様の?」
エルビスの正確な年齢は知らないけれど、エルビスの若い頃に救ってくれたのなら、旦那様のお父様だと思ったのだ。
でも、エルビスは首を降った。
「いいえ。今の公爵様です。アレクシス様です。まだ呪われる前のアレクシス坊っちゃまです。まだ、たったの五歳でした」
エルビスは懐かしげに目を細めた。
「私の生まれ育った伯爵領は、有名な保養地でしてね。美しい海があるのです。死を決めて、最後に見慣れた海を見ようと、浜辺で海を眺めていた私に、当時、別荘に滞在していらっしゃった坊っちゃまが『どうしたのだ』と声をかけてくださったのです」
そこでエルビスは私を見て、ふと笑った。
「驚くほど綺麗な顔立ちをした男の子でした。黒い艶やかな髪と、黒い宝石のような瞳をしていた。突然現れたので、一瞬、海の精霊か何かが現れたのかと思ったほどです。もちろん、坊っちゃまの後ろに立つ護衛を見て、すぐに自分の思い違いに気づきましたが」
「子供の頃の旦那様。見てみたかったわ」
私は心からそう言った。
「ええ。お見せしたかった。本当に精霊のようでしたよ。
あの頃の私は荒れておりましたし、お世辞にも良い人間ではなかったのですが、死ぬ前にこんなに綺麗な海が見られて良かったという喜びでいっぱいだったところへ、海の精霊のような坊っちゃまと対峙すると、何か奇跡の中にでもいるような、とても真摯な心持ちになりましてね。
『どうしたのだ』と言う坊っちゃまの問いに、『海の美しさに感動していたのです』と真面目にお答えしたのです」
エルビスは、綺麗な海を眺めているような澄んだ目をしばらく彷徨わせた。
「坊っちゃまは『そうか』と言って、随分長い時間、私と共に海を眺めてくださいました。
今でも、時折考えるのです。あの時の、たった五歳の坊っちゃまが、何を考え、どんな気持ちで私の隣でいてくださったのかと。
何故、あんなにあっさりと私という人間を受け入れてくださったのかと。
しかし、あの穏やかな時間の中で、私の中の荒れたものが洗い流されていった気がします。
あんなに死ぬつもりでいたのに、死ぬ気など、すっかりなくなってしまいましたから。
しばらくして、坊っちゃまに『ついて来い』と言われ、坊っちゃまの滞在する別荘へと連れていかれました。別荘には、先代の公爵様ご夫妻がいらっしゃって、話を聞かれ、全てお話しし、それ以来、私は坊っちゃまにお仕えしています」
「不思議な話ね。それに綺麗な話だわ」
絵でしか見たことのない、綺麗な海を思い浮かべなら私は言った。
「はい。本当に。何年も経ってから、あの時の事を坊っちゃまにお聞きしたのですが『もう忘れた』と笑われて、本当のところは分からないままです。しかし、今の私の命があるのは、坊っちゃまのおかげだと思っております。私はあれ以来、坊っちゃまの為に生きておりました。しかし、その、ある日、私は恋をしまして」
エルビスが恥ずかしげに体を捩った瞬間、私は「ほー!」と身を乗り出した。
「それで?続けてちょうだい」
エルビスの隣に座るルイスも、ピンと背筋を伸ばしたまま、目だけはエルビスの方を見つめている。
寛いでいたチルちゃん軍も、皆、一斉に体を起こした。
「その、それで結婚しまして」
などと、恋バナを省略しようとするエルビスを、許すような私ではない。
「いいえ。まずは、その彼女との出会いから話してもらおうかしら」
ルイスがチラリと私に視線を合わせ、良く言った、と軽く頷いた。
チルちゃん軍も深く頷いている。
私たち、総勢十二名は恋バナを期待しているのだ。
「しかし、私の話など」
「いいえ。まず、いつ奥さんと出会ったのか、それを教えてちょうだい」
圧強めに私は尋ねる。
「あの、彼女とは私が伯爵家にいた頃から知り合っておりました」
恥じらいながら話す生真面目な壮年の男エルビス。「それで、あの、彼女は私の婚約者の妹で」
「ほう!」
何そのトキメキの展開!
「男爵家のご令嬢でした。私が婚約した姉の方に会うために家を訪問した時に、妹である彼女も挨拶をしてくれましたので、顔は知っておりましたが、ただそれだけの関係でした。もちろん私が家を追い出された時、婚約者とも破談になりましたので、妹の方ともそれきり会う事もなかったのです。
しかし、坊っちゃまに拾われ、何年かした後、先代の公爵様の使いで、紅茶を買い求めに店に行きましたところ、偶然、同じ紅茶を買い求めに来ていた彼女に出会いまして」
「まあ!それで?」
「そ、それで、彼女に無事で良かった、心配していましたと、泣かれまして」
「まあ!それじゃあ彼女は以前からあなたの事が好きだったの?」
「いえ、まさか!ただ、いくらか好感は持ってくれていたようで」
「ほう!」
それはつまり、好きだったって事よね!
「それで、あまりにも彼女が泣くものですから、また会う約束をしまして」
「そ、それで?」
「それで、芝居などを一緒に観に行くようになりまして、その、お慕いしておりますと言われまして」
エルビスの頬が赤くなっていく。
「それで!?」
「それで、そのように一生懸命慕ってくれる彼女に、気がつけば私も恋、を、しておりまして。しかし私は家を出されたただの平民で、貴族である彼女との結婚など無理だと言ったのですが、彼女が私と結婚すると言って泣くものですから、いろいろと大騒ぎはあったのですが、先代の公爵様やアレクシス坊っちゃまが手を尽くしてくださいまして、彼女が家を出て、私と結婚する事に」
大恋愛だわ!さすがエルビス。期待に応える男。
「素敵だわ。その時に、あの求婚の言葉を言ったのよね!」
「は、はい」
と言ったまま、恥ずかしそうに目を逸らそうとするエルビスから期待の目を離さない総勢十二名。
「求婚の言葉を言ったのよね。あの言葉を言ったのよね。どんな言葉だったかしら。もう一度聞きたいわ」
それを言えと圧をかける私。
以前聞いたから知ってはいるけれど、もう一度本人から聞きたいのだ。
あの言葉を。
エルビスはついに根負けしたように、ため息をつき、俯いた。
そして「君は私の光だ。と、彼女に告げました。彼女が好きだった芝居に出てくる求婚の言葉なのです」と小さな声で言ったのだ。
「素敵!」と私は叫び、チルちゃん軍も丸々とした頬を桃色に染めて「チルチルチル!」と叫び、チルちゃん軍見習い隊員のルイスも、片手を口に当て目を輝かせた。
「しかし」とエルビスは肩を落とした。「段々と、上手くいかなくなっていきました」




