第25話 視察
「それでね。ディランが言ったの。結婚しようって」
「ほー。それで?続けて」
私は先を促して、ドーナッツを一口齧り、紅茶を一口飲んだ。
隣の椅子に座っていたミアは生真面目な目で、私が紅茶を飲み終わるのを見届けた後、
「それでね」と話の続きを始めた。
「結婚したら、ディランがディランの家の隣に、赤い屋根の家を建てるんだって。そこに二人で住むのよ」
「ほー。ミアは赤い屋根の家が好きなのね?」
「そうよ。可愛いでしょ。赤い屋根の家が好きって言ったら、ディランが建ててくれるって言ったの。小さな家がいいわ。ドアは緑色よ。お花も植えるわ」
「可愛い。ミアにピッタリだわ」
私がミアに微笑み掛けると、
「もうやめてくれ!」と料理長が叫んだ。
「どうして?」
「どうしてなの、パパ?」
私とミアは料理長に聞いた。
料理長はミアの隣に座っている。私達は同じ丸テーブルを囲んでいるのだ。
「どうしてって、ミアは、ミアはまだ五歳じゃないか!そんなに早く結婚するなんて言わないでくれ!」
涙ぐむ料理長に、ミアは、ぷううっと頬を膨らませた。
「いいでしょ。あたち、ディランと結婚するの。家を建ててくれるのよ」
「そんな!ディランはまだ三歳じゃないか」
「もう約束したもん」
「だ、駄目だ!許さん!」
「どうしてよ!パパなんて大っ嫌い!」
「そんな!パパの事を嫌いなんて!嘘だって言ってくれ!ミア!」
騒乱の中、私はテーブルの真ん中に手を伸ばす。
こぢんまりとした居心地の良い部屋の真ん中にある丸いテーブルには、大きな鉢が置いてあり、ドーナッツが山盛りになっていた。
穴が空いていない小さな丸いドーナッツで、外側がカリカリしていて美味しい。
私がドーナッツをまた一つ齧ると、いつの間にか、またじっと私を見つめていたミアが、
「美味しい?」と心配そうに聞いてきた。
「とっても美味しいわ」
にっこりとそう言うと、ミアは、ぱあっと笑って、
「うふふ。そうでしょ。パパのドーナッツって、とっても美味しいの」と得意げに言った。
「ミア!」
ミアの隣で料理長が感涙している。
私の後ろから紅茶のおかわりを入れてくれた料理長の奥さんが、
「煩くて、ごめんなさいね。この二人、いつもこうなんですよ」と笑いながら言った。
丸テーブルを囲む、ミアの歳の離れた兄や姉も、くすくす笑いながらミアと料理長を見ている。
「いいんですよ。良い御家庭ですね」
「ふふふ。ありがとうございます。でも今日は何故か皆んないつもよりも明るくて、いつもよりも楽しいんです。きっと奥様が来てくださったおかげですね」
料理長の奥さんは、幸せそうに笑った。
もちろん、それは私のおかげだ。
そしてもちろん、チルちゃん軍のおかげだ。
私とチルちゃん軍は、視察という名目で屋敷中の部屋に入り込み、闇を綺麗に消し去った。
今は屋敷外に住んでいる者の家に行き、そこの闇も消してまわっているのだ。
料理長の家の闇は、先ほど家の中を案内してもらいながら、綺麗に消してしまった。
凄腕チルちゃん軍にかかれば、これくらいの闇など、すぐ消し去ってしまうのだ。
元々居心地の良かった料理長の家は、より居心地が良くなった。
チルちゃん軍も暖かい窓際の陽だまりでお昼寝をしている。
ほとんど魔力も減らなかったらしく、私に魔力の催促にも来なかった。
私の後ろで立つ護衛のルイスも、私に押し付けられたドーナッツを齧っている。
私ものんびりとドーナッツを食べながら、料理長の奥さんや、ミアの兄姉とお喋りをした。
ちなみに料理長の求婚の言葉は「腹だけは空かせない。約束する。だから結婚しよう」
ミアの兄(十二歳)が幼馴染の彼女に言った求婚の言葉は「俺、父さんみたいな料理人になって公爵家で働くからさ、そしてたら結婚しようよ」で、彼女に言われた言葉は「はいはい。あんたが公爵家で働き始めたら、もう一回言ってね」だ。
ミアの姉(十歳)が、従兄弟(十七才)に言われた求婚の言葉は「早く大人になりなよ。そしたら俺が結婚してやるよ」だ。料理長はちょうどミアに「だってうちの屋根、赤くないじゃない!」と言われて泣き咽んでいたので、ミアの姉の話は聞いていなかったけれど、料理長の奥さんの顔色から考えると、後で波乱が巻き起こると思う。
続きは気になるけれど、もう行かなければ。
料理長の家のドアがコンコンと鳴らされ、慇懃なエルビスが迎えに来た。
料理長が涙を拭いながら「本日は奥様に我が家へ来ていただき、大変光栄でした。さあ、奥様。こちらをお持ちください」と、小さな籠を渡してくれた。赤と白のチェックの布が被せてある。
「これは?」
「もちろん、ドーナッツです。先ほどのドーナッツに蜜を絡めた物です」
「まあ!」
「ドーナッツの周りに蜜が薄く硬い膜を作っているんです。それをカリッと噛み砕くと中からドーナッツが現れて、これがまた、美味しいんですよ」
「素敵!私そういうの大好き!」
お見送りに来てくれたミアが料理長のズボンの後ろから顔を出し、「そうでしょ!パパのドーナッツって素敵なの!あたちも大好き!」と言って、にいっと笑った。
「ミア!」
感激する料理長を残し、私とチルちゃん軍とルイスは馬車に乗った。
☆
「小悪魔でしたね」とルイスが言い、
「小悪魔だったわね」と私も言った。
「なんの事ですか?」エルビスが訝しげに聞いてきたので「可愛い女の子の話よ」と答えた。
エルビスは馬車の窓から料理長家族を眺め「ああ」と良く分からない返事をした。
「エルビスのお子さんも娘さんなのでしょう」
私が聞くと、エルビスは何故か顔を曇らせ、「はい。娘と息子が一人ずつおります」と言った。
「お子さんは、おいくつなの?」
「娘が十八で、息子が十五です。息子は学校の寄宿舎で暮らしているので、本日は家におりません。娘と妻だけが家におります」と、エルビスは神妙に答えた。
今からエルビスの家に行くのだ。
エルビスは屋敷にも自分の部屋を持っていたけれど、そこの闇はもう消し去った。
エルビスらしい、整えられた部屋の中に、以前の旦那様の塔と同じくらいの闇があった。
生真面目に塔に通い、誠実に仕事をして、きちんと闇を部屋に持ち帰っていたのだ。
視察だと言って、衣装戸棚も、机の引き出しも全部開けさせた。
何処にも闇が詰まっていた。
良くこんなところで暮らしていたと呆れるほどの闇だった。
ルイスの散らかった部屋にはそれほど闇がなかったのに。塔で過ごす時間の差のせいだろうか。
「エルビス。あなたの家にも行かせてもらうわ。家族と住む家があるのでしょう?」
屋敷にあるエルビスの部屋の闇をやっと綺麗に消した後、厳しい顔でエルビスに尋ねた。
一列に並ぶチルちゃん軍の前で、ふらつきながらもなんとか立ち、料理長お手製の棒付き飴を舐めながら魔力を作る私を、エルビスは困惑した顔で見つめ、
「ありますが、あまり帰っておりませんし、あそこに私の物はほとんどありません。何をお疑いなのですか?」と聞いてきた。
訳ありな匂いがする。
でも行かなきゃ。ともかく闇を消してあげなきゃ。
「疑っているわけではないわ。ただの視察よ。あなたの家だけじゃないの。屋敷の外に家を持つ者たちの家にも全部行くわ。あなたの家は最後にしましょう」
魔力がたっぷり必要みたいだからね。
そして最後から二番目の料理長の家が終わり、今から料理長特製のドーナッツと共に一番最後のエルビスの家に行く。




