第22話 アレクシス
部屋の中には、全部で十四名いた。
「あの日・・・」と言ったきり、思い悩むように黙り込んでしまったエルビス。
エルビスに向かい、静かに顔を向けたままの旦那様。
大人しくしているルイス。
テーブルの下で列に並ぶチルちゃん軍総勢十名。
そして甘い紅茶を飲む私。
たっぷりと角砂糖を入れた紅茶は、飛び切り甘くて、飛び切り美味しかった。
少しづつ満ちていく魔力をこっそりチルちゃん軍にあげていると、列は短くなっていった。
でもまだ数人並んでいるのだ。
すっかり紅茶を飲み干した後、私はにっこりとカップを置いて、
「ルイス。おかわりをいただけるかしら」と上品に振り返った。
ルイスは「マジか」と小さく呟き、新しい紅茶を、先程よりも、もっと大きなカップで入れてくれた。
両手で持たなければ、持ち上がらないほどの大きなカップだ。
塔には、こんなに大きなカップもあったのね。
珍しそうにカップを眺めていると、
「それは私が夜、寝室に持って上がるカップだ」と旦那様が言った。
まあ。
「私が使っても良いのですか?」
尋ねると、何故か、少し笑いを含んだ声で「ああ」と言われた。
ふふふ。
旦那様のカップだ。
使っても良いなんて、嬉しい。
それに、これなら角砂糖が沢山入るに違いない。
しん、とした部屋の中で、ウキウキと角砂糖を紅茶に入れていく。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ。
砂糖壺の中の角砂糖は後一つだけ。
最後の角砂糖を入れようとした時、「ははは」と、後ろから笑い声がした。
振り返ると、エルビスが泣き笑いのような顔で笑っている。
「どうしたの?」
「どうしたの?ですか。ははは!奥様は!ははは!」
エルビスは涙を流しながら笑っている。
「エルビスはどうしたのですか?」
旦那様に尋ねると、旦那様も身を震わせ、口の辺りを押さえている。
ふふふ、と笑い声が漏れている。
どうして二人は笑っているのだろう。
ルイスの方を振り返ると、
「呆れてんだよ。分かれよ。マジで。ほどほどにしとけって言っただろ。マジで。皆んながピリピリしてんのに、嬉しそうに角砂糖九つ入れるとか、マジありえないから。マジで」
と、マジな小声で言われた。
マジで?
「いや違うぞ、ルイス」
聞こえていたらしいエルビスが、まだ半分笑いながら言った。
「私は、ほっとしたのだ」
エルビスは目元の涙を拭いながら続ける。
「思えば奥様は、最初にお会いした時から、動じない方だった。奥様を追い出そうとしていた私にも、敵対する訳でも、思い悩む訳でもなく、ずっと変わらず堂々としていらっしゃった。そして、いつの間にか、公爵家の中にあった重苦しい空気を吹き飛ばしてしまわれた」
そしてエルビスは私の顔をじっと見つめると、
「いつ、いかなる時も、揺らがない方が側にいる、という事が、どれほど心を落ち着かせてくれる事なのか、私は今、しみじみと実感しております」と言った。
よく分からない。でも、
「エルビスの心が落ち着いたのなら良かったわ」
私はそう言って、最後の角砂糖を入れた甘い甘い紅茶を飲んだ。
「ふふふ。そうだな。確かに私も気が楽になった」
旦那様も笑いながら言うと、大きく息をついた。
「さあ、エルビス。おまえの話を聞かせてくれ。どんなに恐ろしい話でも、今の私は大丈夫だ。おまえにも分かるだろう?」
「はい」
エルビスは頷くと、しっかりとした目で旦那様を見つめた。
「それでは、私があの日、見たままの事をお話しします」
☆
あの日、奥様・・・先代の奥様と坊っちゃまがいなくなったと、屋敷中が大騒ぎになりました。
先代の奥様は、体が弱く、自室から出る事は、あまりありませんでした。
敷地内を散歩する事はありましたが、いつも侍女を伴い、屋敷から遠くに行かれる事もなかったはずでした。
坊っちゃまも、まだ、お小さかった。
六歳でいらっしゃった。
お一人で遠くまで行かれる事はありませんでした。
屋敷を出る時は、私がいつも側におりました。
あの日までは。
奥様付きの侍女が「奥様が塔の奥の小さな泉の話を時折していた」と言い出したのは、お二人がいなくなってからかなりの時間が経ってからでした。
「何故、早く言わなかったのか」と、責め立てられた侍女は「だって、あれは奥様の夢の話です」と言ったのです。
奥様は、時折、目覚めると、楽しげに泉への散歩の話をしていたそうですが、本当に見てきたように鮮明に話されていたと言うのです。
坊っちゃまにも、よく泉への散歩の話をされていたそうです。
「もしかすると奥様は本当に泉まで行った事があるのかも知れないと思ったこともありましたが、そんなはずはないのです。体の弱い奥様は、塔まで歩いて行くのも難しかったのですから」と侍女は言っておりました。
「こんな時に夢の話などするな」と侍女はまた皆から責め立てられていましたが、私は一人、塔の奥へと行ったのです。
奥様のお身体が弱いのは、魔力が多すぎるせいだと、医者が言っているのを偶然耳にした事がありました。
魔術師団の師団長よりも遥かに多い魔力量だったそうです。
それほど多い魔力を使わずにいると、何か歪みが出てくるかもしれないと、危惧されていました。
それで私はあの時、奥様は夢の中を通って本当に、泉まで行ったのではないかと、思ったのです。
泉の場所は知っておりました。
馬や犬を走らせて、あの辺りを通る事が時折あったのです。
しかし、当時は、特に気にするほどの事もない、ごく普通の泉だと思っておりました。
ああ、いえ、違います。
普通ではなかったかも知れません。
馬も犬も何故か、あの泉を嫌がっておりました。
どんなに喉が乾いていても、あの泉の水を飲もうとはしなかった。
だから、あまり水質が良くないのだろうと、屋敷の者達と話しておりました。
屋敷の者が泉に近づく事も、ほとんどなかったはずです。
しかし、あの日、私は奥様と坊っちゃまをあの泉の前で見つけました。
坊っちゃまは泉の方に頭を向け、うつ伏せになって倒れていました。
奥様は泉の前に立ち、坊っちゃまを見つめていました。
奥様の後ろで、泉がゴボゴボと湧き立っているのが見えました。
何か、黒い霧のようなもの泉から噴き出しているような気がしました。
異様な光景でした。
奥様は、泉から坊っちゃまを守っているようにも見えました。
私は近づく事もできず「奥様」と声をかけました。
奥様は坊っちゃまを見つめたまま、
「強い子に育てるのよ」と、思い詰めたような声で、おっしゃった後、
「早く!」と私を急かしたのです。
私は坊っちゃまに駆け寄り、抱え上げると逃げ出しました。
奥様を置いて!
しかし、あの時の私に、あの奥様を連れて逃げる事は全く考えられなかった。
最後に一度だけ振り返った時、奥様が、
「アレクシス」
と、坊っちゃまのお名前を呟いたのを聞いた気がしました。
随分離れていたので、聞こえたはずがないのですが。
あとは後ろも振り返らず、必死になって走ったのです。
坊っちゃまを屋敷に連れ帰った後、大勢を連れて泉に戻ると、泉の前に奥様が倒れていました。その時は、もう、奥様は・・・
傷もなく、毒の形跡もありませんでした。
眠るように亡くなっていたのです。
公爵様に、いえ、先代の公爵様に、全てを、ご報告いたしました。
罰を覚悟をしていたのですが、公爵様は、そうか、とだけおっしゃって、私を咎める事もありませんでした。
公爵様は何かを知っていたのかもしれません。
そしてあの日から、坊っちゃまの近くにいた者達が倒れ始め、呪いだと噂が立ちました。
公爵様は坊っちゃまを塔に移されました。
泉の周りの草木は枯れ始め、やはり呪いだと噂が立ちました。
公爵様は無口になり、屋敷に篭りがちになり、坊っちゃまが十六になった時、突然いなくなりました。
まさかと思い、あの泉へ行って見ると、奥様と同じ場所で眠るように亡くなっていました。
これが私の知っている全てです。
☆
エルビスの話は終わった。
振り返り見ると、エルビスは目を見開き、汗だくになっていた。
部屋の中は、しん、としてる。
最初に言葉を発したのは私だ。
「エルビス。旦那様は、泉の前のお母様が、お母様ではないように見えたと言っていたわ。エルビスが見た旦那様のお母様は、別人のように見えたのかしら?」
「わ、分かりません。しかし、奥様は坊っちゃまを守っているように見えました。悪意があるようには見えませんでした」
「それなら、旦那様のお母様は、旦那様の額に呪いをつけた何かを、自分から追い出せたという事なのかしら。さすが旦那様のお母様ですね。泉から湧き出る呪いも、しばらくなら抑え込めたのでしょう。凄いですね。旦那様のお母様は」
旦那様は、しばらく黙って私の方へ顔を向けた後、
「まるで私とは違う話を聞いていたような感想を言うのだな」と呟いた。
どう言う意味かしら。
首を傾げていると、旦那様が、ほう、と息をつき、微かに笑った。
「エルビスの話を聞いて、私は父と母を飲み込んだ呪いに恐怖を感じた。それなのにエルサは恐怖の事など少しも言わず、目を輝かせて、呪いを抑えた母を賞賛するのだな。おまえは呪いに恐怖を感じないのか?」
恐怖?
旦那様の呪いに?
「公爵家に来てから、ずっとその呪いと戦い勝ってきたのですよ。我々には実績があるのです。呪いの元の泉とも先ほど少し戦いました。大丈夫です。勝てます。勝てる呪いに恐怖などするわけなどありません。我が栄光のチルちゃん軍は呪いよりも強いのです」
部屋のあちこちから「チルチルチル」と歓声が上がった。




