第21話 あの日、何が起こったのか
旦那様ときたら長いキスの後に、ハッとしたように身を引いて、
「気分は?目眩は?長く側にいすぎた」と、闇に隠れた顔で言った。
「大丈夫ですよ旦那様。私は呪いに強いですし、ここには最強のチルちゃん軍がいるのです」
「チルチルチル!」と歓声が上がった。
チルちゃん軍は頬を赤く染め、私達から少し離れた場所で、こちらを見ている。
そして、旦那様から闇が溢れると、チルちゃん軍の中から誰かが一人進みでて、ビシッと闇を消し、「チルチルチル」と慌てて皆の元に戻っていくのだ。
私達の邪魔をしないようにとの配慮だろうか。
いつの間にかチルちゃん軍は、気遣いも出来る凄腕集団になっていた。
旦那様は戸惑ったように「最強のチルちゃん軍」と私が言った言葉を繰り返し、
「まだ信じきれないが。チル殿、で、良いのだろうか。心からの感謝を」と言った。
けれど、残念ながら、旦那様の顔が向いている位置にチルちゃん達の顔はないのだ。
チルちゃん達の顔は、そこよりずっと下の方にあり、不思議そうに旦那様を見上げている。
たぶん旦那様はチルちゃんの事を、あの絵本の騎士様のような、立派な体格の大人の男だと思っているのだ。
本物は、もっと小さくて可愛いのに。
真実を教えた方が良いだろうか?
でも、結局は教えなかった。
旦那様の勘違いに気がついたチルちゃん達が、しょんぼりすると思ったからだ。
☆
旦那様に抱き上げられたまま塔へ戻ると、塔の前には、魔道具の大型ランプを持ったルイスと、エルビスが立っていた。
見ると、他にも、あちらこちらに灯りが見えた。
皆で探し回っていたのだろうか。
エルビスは私達を見つけ、ほっとしたように駆け寄ってきた。
「奥様が見つかったのですね。良かった。公爵様もご無事で!」
ルイスは抱き上げられた私を見て「マジか!奥様、さすが!」と目を輝かせると、「奥様が見つかったぞー!」と大声で叫んだ。
途端に、そこら中の灯りが、一斉にこちらへ向かって動き出した。
「心配をかけたな。しかしもう大丈夫だ。夜も遅い。エルビス、ルイス。エルサを屋敷に連れ帰ってくれ。皆も、もう休んでくれ」
そう言った後、旦那様は私をエルビスの前に、そっと下ろした。
後ろからついて来ていたチルちゃん達が、私の元に集まってくると、赤く染まった頬を上げた。
「さあ、エルサ。屋敷に帰りなさい。それからあの場所には二度と行っては駄目だ」
と、旦那様は闇に隠れた顔で私を見下ろした。
その呪いを消さなければ。
だから「それは無理です」と答えた。
きっと、あそこに行かないと、呪いは消せないのだ。
「駄目だ。あそこに行く事を禁じる」
「嫌です」
「駄目だ」
「行きます」
「駄目だ!」
旦那様は叫ぶと、ぎゅっと私を抱きしめ、
「駄目だ。私はおまえまで呪いに殺されたくはない。お願いだ。あそこには行くな。あそこは危険だ」
と懇願するように言った。
何故そんなに怯えているのだろう。
私は闇に隠れた旦那様の顔を見上げ、小声で聞いた。
「あの泉に何があるのですか?旦那様のご両親は、あそこで呪いに殺されたのですか?」
旦那様の体がビクリと揺れたけれど、私は更に続けた。
「旦那様の呪いについて教えてください。これまで何があったのですか?旦那様の呪いとはなんですか。皆に聞いても、誰も詳しい事を知りませんでした。言ったでしょう。私達は旦那様の呪いを倒すために来たのです」
旦那様は長い沈黙のあと、諦めたようなため息をついた。
「引く気はないのか」
「ありません」
「私がこんなに頼んでも?」
「はい」
引く理由が私にはなかった。
きっと呪いは消せるのだ。
「・・・分かった。では、話そう。塔の中へ入ってくれ。エルビス。ルイス。おまえ達もだ。誰も知らないと言うのなら、一度話しておこう」
旦那様は悲しげに言った。
☆
夜の塔に入ったのは初めてだった。
屋敷に比べ、ひっそりとしていて、床も壁も冷たかった。
以前、紅茶を飲んだ部屋で、またルイスが紅茶を入れてくれた。
旦那様は紅茶に手を付けず、俯き何かを思い悩んでいる様子だった。
エルビスとルイスは、テーブルにはつかず、私の後ろに立っていた。
背後から二人の緊張が伝わってくる。
そんな中、私が紅茶に角砂糖を五個入れ、更に角砂糖の入った壺を、私の側に引き寄せると、後ろから「マジか」と呟く声がした。
マジだ。
いつだって私は必要な事を、やっているのだ。
今、私の足元では、魔力をもらえそうだと察したチルちゃん軍が一列に並んでこちらを見ている。
先ほどまでの戦いで、チルちゃん達に魔力はほとんど残っていないはずなのだ。
少し待っていて。
私は甘くて美味しい紅茶を飲みほすと、チルちゃん軍に魔力をあげた。
そして、次の角砂糖を狙っていると、ルイスが先ほどよりも大きいカップに新しい紅茶を注いでくれた。
「ありがとう」と、言ったのに、
「ほどほどにしとけよ」と囁かれた。
無視だ。
私が紅茶に角砂糖を、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つと入れていくと、後ろからまた「マジか」と呟かれた。
無視だ。
その時、旦那様が「何から話せば良いのだろうか」と、ポツリと言った。
「最初からです」と私は答えて、また角砂糖を紅茶に入れた。「マジか」無視だ。
「最初とは、この呪いの最初からか?」
「はい。旦那様の呪いの最初からです」
旦那様は、ため息をつく。
「呪いの最初がいつからなのかは分からないのだ。原因も分からない。何代も前から我が公爵家は呪われていたのだ」
「そんなに古い呪いなのですか?」
「ああ。しかし、今よりもっと緩やかで、たまに、ほんの少し不幸が訪れる程度の呪いだった。その程度の呪いを受ける貴族は多い。貴族は魔力を持っている。恨んで死ねば呪いになりやすい。しかし、いずれも大したものではない。どんな呪いも、数年で弱くなり消えていくものなのだ」
「では、公爵家にかけられた何代も続く呪いというのは、珍しいものなのですね?」
「そうだ」と、旦那様はまたため息をついた。
「おそらくあの泉が関係しているのだろう。呪いを長引かせる何かがあそこにあったのだろう。しかし、長引きはしたが、呪い自体はごく普通の弱い呪いだったのだ。それが、今のような強い呪いに変わったのは、おそらく母の死が関係しているのだろう」
「旦那様が六歳の時なのですね」
「・・・そうだ。あの日、母がいない事に気づいた私は、母を探しに、あの泉まで行ったのだ。あの頃はまだ、泉の辺りにも草が生え、木々も枯れてはいなかった。母はあの泉の辺りによく散歩に行っていた」
また、ふと、マリーがよく話をしてくれた、光の泉を思い出した。
旦那様の話は続く。
「あの日、泉の前で母を見つけた。母は泉に向かい立っていた。私が呼びかけると母は振り返った。私は母に向かって走っていった。そして、途中で気がついたのだ。これは母ではないと」
「どういう事ですか?」
「さあ、どういう事なのか、今もわからない。あれは、母の姿をしていた。しかし、何かが違ったのだ。母の中に、別の何かが入り込んでいる気がした。恐ろしくなり、母の手前で立ち止まると、母が笑った。いつもの母の笑顔とはまるで違っていた。逃げ出そうとしたが、それは両手を伸ばしてきた。そして私の両頬を捕まえて、私の額に口付けたのだ」
私は、旦那様の顔を隠す闇を見た。
闇は、旦那様の額から溢れているのだ。
「その後、私は気を失ったらしい。あの後、私と母を見つけたのは、エルビスだ」
後ろでガタリと音がした。
振り返ると、ふらついたらしいエルビスが背中を壁につけ、こちらを凝視していた。
旦那様は静かに言う。
「エルビス。あの後の事を教えてくれ。私はこれまで、聞く勇気が持てなかった。しかし、今なら聞けそうな気がする」
エルビスは、ふらりと壁から背中を離し、泣き出しそうな声で、
「はい。お話しましょう」と言った。




